第5話 治癒師


 村を襲ったアンデッドが縄張りにしているのは南部の盆地、それも姿を隠しやすい森林地帯であることが予測できている。

 彼らを探すには必然的に山を下っていくことになるのだが――


「思ったより傾斜が激しいな」


 アイザックとカタリナは、足跡などの痕跡からおおよその侵攻ルートを把握していた。

 アンデッドの上ってきた道は、勾配がきつく文字通り"おぼん"のふちの様な形だ。疲労や肉体限界を無視できる彼らとは違って、普通の人間にはいささか危険の伴う道だった。


「どうする? ロープがあるから下っていけないこともないが、別に迂回路を探してもいい」

「あら、気を使ってくれるの? でもお生憎様、私ならもっと手っ取り早い方法を用意できるわよ」


 ちょっと気取ったふうにそう言うと、カタリナは腰の帯につけていた革袋を取り出す。よく水筒として使われている一般的なものだ。


 彼女はおもむろに自分とアイザックの足元へ袋を傾け、一滴か二滴の水をこぼす。一体何をしているのか、そう聞きかけた次の瞬間には、地面に落ちた水滴がみるみる広がっていく。一粒の雫が、すぐにちょっとした水たまりへと変わってしまった。


「これは……水の魔法か?」

「ええ。『スキム』よ。さあ乗って、手を貸すから」


 乗る? 乗るとはどういうことか。

 疑問を口に出すより早く、カタリナはアイザックの手を引っ張り、そのまま水たまりに足をつける。アイザックもそこに足を踏む入れると、水とは思えないほどしっかりと足が固定された感覚があった。


「これは……」

「下りるわよ」


 彼女の言葉とともに、水たまりがアイザックの足を掴んだまま動き出し、そのまま崖のほうへ滑り落ちた。


 これは転げ落ちるか、と思ったがそうはならなかった。魔力によって固められた水たまりは靴底と地面の間に新たな層を作り、隆起した不安定な岩場をつるりと滑るように移動する。


 雪上、氷上でソリのようなものを使って滑る遊びがあるが、このスキムはまさにそれだ。悪路に対応した移動魔法の一種だろうか。


「へえ。あなた意外とバランス感覚あるみたいね。それなら姿勢制御はいらないかしら」


 カタリナがそう言うと急に足の動きが軽くなり、不安定な浮遊感が湧いてくる。彼女がなんらかの形で制御していたバランス感覚がこちらに戻ってきたのだ。突然のことで一瞬前につんめりそうになるが、繋いでいたカタリナの手が絶妙な力加減でそれを支える。


 傾斜を下り終えるのはすぐだった。役目を終えると水の魔力層はすぐに蒸発し、地面の感覚が戻ってくる。


 周囲には草木が生い茂っていたが、自然を感じるにはあまりに空気が澱んでいた。アンデッドの発する強烈な腐敗臭が、すでに蔓延しているのだ。

 アイザックはすぐに足元を調べ、不自然に草が倒されている場所を発見する。


「これは……獣道?」

「いや。もっと大所帯で移動した形跡だ。つまり、アンデッドの群れだな」


 アイザックはためらいなく道にそって進んでいく。その後ろを慌ててカタリナがついてきた。


「もうちょっと警戒しなさいよ。敵がどこに潜んでいるのかも分からないのよ」

「アンデッドは、見つけたら見つけた先から倒す。そういうやり方しか学んでこなかった」

「……あなたって本当に変わってる。教会のクレリックはもっと慎重で、自分から前に立つなんて絶対しなかったのに」

「俺はヒーラーだって言っているだろ。それに変わってるのはそっちだって同じだ。魔術師なのに杖も持ってないし、水魔法を使うのにわざわざ実物の水を用意するなんて聞いたことがない」


 アイザックがそう切り返すと、カタリナは痛いところを突かれた、というふうに気まずそうな顔をする。


「私は別に……杖を使わないのはそういう魔術体系だからよ。液体の触媒を用意してそれを増やす形で魔法を発動するの」

「へえ。知らない流派だな」


 アイザックの知る一般的な魔法というのは、体内の魔力を自らの得意な属性に変換し、それを出力装置である杖の力で解き放つというものだ。しかし魔法そのものは様々な地方、組織の中で独自に発展していった歴史がある。今世まで至る間に失伝したものや、後継者が少なく先細りになった技術も多い。


「まあ俺の魔法だって杖はサブでしか使わないしな」

「そう! 私のことはどうだっていいのよ。心配なのはあなたのほう! そもそもヒールが使えるのに教会に所属してないなんて聞いたことない。まさかヤブじゃないでしょうね?」

「元々教会の前身は治癒師ギルド……つまり互助会だ。回復魔法自体は魔術師の中にも普通に使えるやつはいる。ただアンデッドを倒すほどの出力がないってだけで」

「だから、あなたもそうじゃないの? 聖なる力なんて使えそうにないし」


 散々カタリナの文句を聞いてきたが、その言葉にはアイザックも流石に呆れてしまう。つい立ち止まってため息を吐いた。


「アンデッドを倒すのに聖なる力なんていらない。ただの技術だ」

「嘘よ! 私は胴体を両断されてても動くアンデッドや、全身の骨を叩き折られてもみんなに噛り付こうとしたアンデッドを知ってるんだから」

「まあ、確かに物理的に倒すのは難しい。脳や心臓も急所ではなくなっているからな。ただアンデッドにとって肉体の損傷は、身体を動かすための魔力の漏洩にもつながる。その例ならしばらく放っておいたら動かなくなったんじゃないか?」

「それは……」


 カタリナが顔をしかめて思案しているうちに、アイザックは木にもたれかかった。


「生命には"流れ"がある、という考え方がある。俺たちヒーラーが回復魔法を学ぶとき必ず教えられる概念だ」

「流れ……?」

「そう。例えば指に切り傷ができると、血が流れて、固まって、カサブタができて、はがれる頃には傷が治っている。それは何故だ?」

「何故って、そういうものだからでしょ?」

「正解だ。多少の傷なら、しばらくすれば勝手に癒える。病で体調を崩しても、安静にしてればいつのまにか元気になる。生物には、何もしなくても自らを治そうとする働きがある。これが"流れ"だ。回復魔法の原理というのは、基本的にこの流れを加速させるというだけの単純なものだ」

「ふうん……けど、それがなんだっていうの?」


「アンデッドというのはこの"流れ"が何らかの理由で逆流している存在だ。本来なら死という終着点の先は腐敗による肉体の崩壊。しかし彼らは腐った身体のまま動き回り、下手をすれば生前より高い膂力りょりょくで人を襲う。しかしこの"流れ"の法則がアンデッドを倒す糸口になっている」


「だからどういう……いえ、つまりこういうこと? 生命の"流れ"を加速する回復魔法は、逆向きの流れをせき止め、押し戻すことができる。だからアンデッドへの対抗策になっていると」


「そうだ。理屈は理解できたな。アンデッドを倒すのは神のにご加護は不要だ。教会が宗教を背景にしているのは、もともと"魔王再来"当時に民衆の混乱を治めるための方便でしかない。この地の土着信仰では土葬が一般的で、アンデッドの拡散を防ぐために火葬を広める必要があったというのも理由の一つだ」


「じゃあ、火葬が普及した今も宗教組織みたいな形をとっている理由は?」


 アイザックは少々言葉につまった。

 カタリナの質問はもっともだ。アンデッドという敵への抵抗に徹するならば、その基盤を作った時点で国やその傘下の騎士団と協力していくのが合理的だ。

 未だに神の使いを自称して独自の立場を保ち続けるのは、アンデッドではなく人間同士の権力争いや自身の利権維持を重視しているとしか思えない。


「……」

「?」


——そのとき不意にかすかな物音が聞こえる。

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