最終話 ところでなにか忘れてない?
――魔王を倒した日から数か月が過ぎた。
「ここにいるみんなは、すでに幾らか腕に覚えがある者たちばかりだ。『理論を少し学べば、あとは経験で何とかなる』と思っているものは多いだろう。しかし昔のように戦士が前に出て魔法使いが後ろで呪文を唱える、という古典的な戦い方ではアンデッドを倒すことなどできない。アンデッドとの戦いは長所ではなく総合力がものをいう。力に自信がある者は魔法使いになるつもりで魔力を高めろ。魔法を研鑽してきた者は戦士と競えるほどに体力をつけろ。それができるまでお前らに教えることはない」
演習場には多くの者たちが集まり、それぞれ鍛錬に励んでいた。
彼らの多くはカタリナのように野良でアンデッドの退治屋を担っていた者である。
各々冒険者だった頃の経験で戦ってきたが、アンデットに有効な戦法を教えると触れ回ったらこぞって集まってきた。彼らも自分たちのやり方では限界があると感じていたのだ。
また、他にもロベルトが語ったように領主の施設兵団の者、教会から抜けてきた僧兵たちなど、有望な人間たちが生徒としてやってきている。
アイザックは今、彼らに自分の戦法を教える講師の仕事をしていた。
「俺のやり方に文句あるか?」
「当たり前だ! この俺を誰だと思ってやがる! 北方森林ではダイヤモンドベアーの討伐隊にも選ばれたほどの――」
「知らねえな」
毛むくじゃらで巨漢のその男に、アイザックは問答無用で杖を叩き込む。眉間、
男は打たれた勢いで倒れる。遠巻きに見ていた者のうち何人かが、流石にまずいのではと彼に駆け寄った。
しかし――
「あ、あれ……痛くねえ? 何でだ?」
「当たり前だ。打ち込んだのと同じタイミングで回復魔法をかけたからな」
困惑しながら起き上がる男に、アイザックは平然とそう答えた。
「近接戦闘と魔法詠唱のタイミングを、限りなく同時に近づける。牽制と攻撃を同時に行えないと、退くことを知らないアンデッドには太刀打ちできない。これぐらいはできて貰わないと困るな」
「う……」
「腕自慢なのは十分わかった。身体ができてる分素人よりはすぐ前線に立てるはずだ。分かった座学の講義を受けて、さっさと魔法を使えるようになれ」
力の差を見せつけられたその男は、やがてすごすごと下がっていった。
周りの者たちもアイザックに一瞥され、散り散りになってそれぞれの演習に戻っていく。
アイザックは小さくため息を吐いた。
ルカの――自分の魔法をみんなに教えるようになってしばらく経つが、こうした騒動はしょっちゅうだ。
みんな自分たちの実績や流儀にプライドを持っている。そういう輩に一から新しい戦い方を教えるのは骨が折れる。
「おっきい子どもの相手は大変っすね」
「だが、それなりに様になってるようだな」
「お前たちか」
アイザックに話しかけてきたのは、ムスペル退治の際にヘレナの護衛を務めていた二人の僧兵だった。
彼らも療養を終え、今はここでアイザックの魔法を学んでいる。
「試してみて改めて分かったが……やっぱり人に教えるのは苦手だ。雇った講師のほうがよっぽど成果を上げてくれている」
「だがその講師というのは知識として魔法を知っているだけだろう。その魔法を修めたのはおぬしだけだ」
「そうっすよ。こういうのはちゃんと魔法を使える人が教えないと引き締まらないっすから。みんな『魔王を倒した奇跡の魔法』ってやつを見たいはずです」
「奇跡ねえ……俺は最近、その煽り文句がどんどん大仰になってるのが心配だ」
「魔王を倒したというのが事実なら十分だ。あの巨人ムスペルに魔王ガルラ・ヴァーナ、ほんの数日の間に恐るべき脅威に二度も立ち向かった。その偉業は称えられていいはずだ」
壮年のほうの僧兵が頷きながらそう言うと、アイザックは少し皮肉っぽく笑みを浮かべた。
「脅威というなら、二度じゃすまないな。魔王を倒したあと一番の脅威と戦ったんだから」
「……魔王を倒したあと、ですか?」
「それは一体……」
「援軍……というよりはまあ、
ガルラ・ヴァーナを倒したあと、アイザックたちはすぐに無数のアンデッドの群れに襲われた。
ヘレナの『ディバインマインド』でアンデッドが来ること自体は分かっていた。
だからこその短期決戦だったのだが、ルカが言った通り魔王を倒せばすぐにアンデッドたちもいなくなるというわけではなかった。
激戦のあとの疲労困憊の中で登場したアンデッド部隊に対し、アイザックの判断はもちろん撤退。
しかしそれも一筋縄ではいかなかった。
勾配の激しい山を必死で下り、その
度重なるアンデッドの襲撃に空腹や不眠、そういう極限状態の中で何とか人里を見つけたのが丸二日後。
下手をすればあのまま遭難の果てに死んでアンデッドになっていたかもしれない。
「そ……それは壮絶ですね……」
「ああ。なんなら魔王よりその二日間のほうがよっぽど苦しめられたぐらいだ」
軽口交じりにそう言うが、僧兵の男はただ苦笑いを返した。
冗談としては笑えない話だったようだ。
「あ、生徒と駄弁ってるアイザック発見。真面目にやらないとダメよ」
「ん――カタリナか」
教室代わりに使っている宿舎のほうから、呆れた表情で彼女がやってくる。
カタリナも、しばらくは仕事がないからと言って講師役を手伝ってくれているのだ。
「普段は鬼教官みたいなことしてる癖に、身内相手だと甘いんだから」
「別に二人は身内じゃねえけど」
「そういうふうに見られるってこと。講師と生徒は信頼関係が大事なんだから、気を付けてよね」
アイザックはもともとこういうことは乗り気じゃなかったが、カタリナは意外とちゃんとしている。
案外人に教えるのが向いているのかもしれない。
「いや、すまん。他意はなかったが、アイザック殿の評判を落とすわけにはいかんな」
「そうっすね。俺たちも訓練に戻ります」
「よろしい。それじゃ、二人もがんばってね」
カタリナに手を振られながら、彼らは戻っていく。
アイザックはため息を吐いた。
「ここで気兼ねなく話ができる貴重な相手だったのに」
「またそんなこと言う。休憩時間にお話すればいいでしょ」
「そういやお前のとこはもう終わりなのか?」
「うん。受け持ちの子たちはもう帰ったよ。アイザックはどうするの?」
「……今日はいるだけでいいって言われてたからな。そろそろ帰るか」
「ヘレナもロレンズさんと打ち合わせがあるからもうすぐ出てくるよ。せっかくだし三人で帰ろ」
頷いたところ、ちょうどヘレナの姿が見えた。手をあげると、彼女もニコリとほほ笑んで駆け寄ってくる。
「教会は多分、自浄という形で改革されていくと思います。私の他にも内部告発者を何人も募ったみたいなので」
「教会自体は無くなりはしないってこと?」
「まあ完全に無くなったらそれはそれで困るからな。宗教そのものは民衆の支えとして必要だ」
道すがら、ヘレナは今の教会の事情について説明してくれる。
しばらく前まで、アイザックが教会に不当に拉致、拷問したことについて裁判が行われていた。
その際、ロレンズが以前から集めていたらしい教会の贈賄行為や、末端の人員を利用した恐喝などの証拠を提示したことで、今では大がかりな不正の追及が行われている。
もともと貴族層からは快く思われていなかったらしいが、内部からの反発もあっては今までの規模で活動することは難しいだろう。
「色々と事が済んだら、教会で考案された魔法を講習できるようにしたいと思っています。多少はアンデッド退治に役立つことも分かっていますし」
「となると商売敵だな」
「私、どちらも掛け持ちしてますよ?」
「つまりスパイか」
「なんでそーなるのよ!」
冗談を言うアイザックをカタリナが小突く。
大仰な掛け合いをする二人に、ヘレナは吹き出して笑った。
そしてひとしきり笑ったあとで
「では退治屋としての仕事はもう止めて、講師として魔法を教えることを続けますか?」
「冗談」
「私たちまだまだ現役だよ」
即答に近い形で返ってきた言葉に、ヘレナもうなずく。
「それを聞いて安心しました。後続組の育成にはまだ時間がかかるでしょう。また大きな敵が現れた時には、私たちも戦いに戻らなければなりません」
「その時にはまた三人でチームを組むことになるかもな」
「組むかも、じゃなくて組まされると思いますよ。私たち、もう世間的には魔王を討伐した新たな勇者パーティみたいな扱いですから」
「あと、忘れてるかもしれないけど私はアイザックがいないと戦えないよ? 聖水魔法はアイザックが触媒のストックを用意してくれないと使えないし」
「当然用意するべきみたいに言うな。金取るぞ?」
「ええー!?」
「ふふっ……相変わらず仲が良くでうらやましいです。さて、私はここで」
領主の屋敷へ向かう大通りの前で、ヘレナは立ち止まる。
「そういえばカタリナさん。私は心配してないですけど、約束の履行はきちんと求めたほうがいいですよ。男の人って焦らし上手ですから」
へレナと別れたあと、アイザックとカタリナはいつもの宿屋に戻った。
「なあ……そろそろお前もちゃんと部屋取ったらどうだ?」
扉を開きながらアイザックがそういう。
カタリナは初日以来、ずっとアイザックの部屋を又借りしていた。
もともと大きな部屋なので予備のベットや仕切りをするスペースはあるのだが、あまり健全な状況とはいえない。
「……もう何か月もこの状態なのに、なんで今更そんなこと言うの? ヘレナに釘刺されたから?」
「いや、別に……」
アイザックは曖昧に言葉を濁すほかない。釘を刺されたのは実際にはカタリナのほうだが、わざわざ二人がいっしょにいるときに言われたのだから似たようなものである。
「まあ……確かにその場の勢いとかもあったし。今の関係もそれはそれで楽しいかなって思う。でも私だって欲がないわけじゃないのよ?」
「欲……」
「生きてる間にやり残しがないようにしたいって欲。あの時はまさにそんな感じだったでしょ? 死ぬか生きるかの瀬戸際だった」
そうだ。確かにその通りだった。
カタリナが言っているのは魔王ガルラ・ヴァーナと触接対峙したあの時。
アイザックは彼女に一つ約束をした。あるいはお互いにとって、あの約束が生き残るための力の一つになったのかもしれない。
ならば、やはり責任を取るべきなのだろう。
なにせアイザック本人も、まんざらではないのだから。
「アイザック、だからさ――」
「カタリナ、少し黙ってろ」
そう言ってアイザックは彼女の顎をつかみ、くちびるにくちびるを重ねた。
柔らかな感触。
触れるだけの、しかし長い時間をかけたキスをする。
やがてそっと口を離すと、うっとりした表情のカタリナが告げる。
「あの……ちゃんと言ってなかったけど、私アイザックのこと好きだから。付き合いたいって思ってるから」
「当たり前だ。俺だってそう思ってる」
そう答えるとカタリナはどこかほっとした顔になって、今度は自分から口づけをする。
二人は今度こそ深く、深くキスをした。
アンデッドだらけの世界ですがヒーラーになったので喰いっぱぐれはなさそうです ゾウノスケ @zorag
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