第34話 勇気をちょうだい


 敵の視覚外まで距離を取り、更に大きく迂回したところで岩陰に二人を降ろす。

 アイザックを含め三人とも衰弱していたが、回復魔法を掛け合うことで辛うじて体力を保った。


「ありがとう、アイザック……」

「気にするな。それよりも問題はあいつの方だ」


 地形の勾配と遮蔽物を利用し、こちらからは何とかガルラ・ヴァーナの姿が見える。

 相手は特に何か策を打つでもなく、ただ静観の姿勢を見せていた。


「先ほどは意表を突かれましたが……これは悪くない状況なのでは? 敵に動きの制限がある以上、持久戦なら勝機があります」


 活力を取り戻したヘレナが強気に提案する。

 しかしアイザックはこれに首を振った。


「時間をかけるのは良い手ではないと思う」

「何故ですか?」

「あくまで推測だが……ちょっと例の探索魔法を使ってみろ」


 言われてヘレナは、訝しげにディバインマインドを発動した。

 アンデッドやそれに連なる者たちを知覚する魔法。発動からしばらく目をつむっていた彼女は、やがてはっとして顔を上げた。


「います。敵の気配です」

「えっ……それってガルラ・ヴァーナのことじゃなくて?」

「別のアンデッドです。広く分散していますが、各所から多数の反応がこちらを目指して向かってきています」


「……今まで教会の探索に引っ掛からなかったのは、孤立して意図的に反応を弱くしていたから。だが自分の居場所を知られた以上、もうそんなことをする必要はない。周辺のアンデッドが無尽蔵に集結してくるぞ」

「つまり……このままではガルラ・ヴァーナとアンデッドの大群を同時に相手にすることになりますね」


 ヘレナの言葉を最後に、一同は沈黙する。

 現状でもガルラ・ヴァーナ一体に追い詰められている。その上で更に増援が来るとなれば、勝算は限りなく少なくなるだろう。

 だが不安が渦巻く静寂の中で、アイザックが冷静に言葉を発した。


「策がない訳じゃない」

「えっ……本当に?」

「ああ。アンデッドの群れが合流してくる前に、短期決戦でガルラ・ヴァーナを片付ければいい」

「ですが、あの力は強大です。しかも私たちは、まだ敵に幾らかのダメージを与えただけに過ぎない。圧倒的に戦力が足りません」


 ヘレナの反論はもっともだった。

 一番大きな問題は地力の差だ。宿主が石化しているとはいえ憑依状態は成立している。要するに敵は魔力タンクを背負って戦っているようなもので、こちらが多少ダメージを蓄積させたところで消耗はしないだろう。


「俺が単独であいつと戦う。おそらくあの図体なら、的が減ったほうがやり難いはずだ」

「無茶です! 第一それでは何の解決にもなりません!」

「そ、そうよ! 私たちだって戦えるんだから!」

「落ち着けよ。俺が戦っている間に、お前たちにはやってもらいたいことがあるんだ」


 そう言ってアイザックは二人に作戦を伝える。

 話を聞いたヘレナとカタリナは目を丸くした。


「それは……可能なのですか? 荒唐無稽に聞こえますが」

「まあ、口で説明したってそんな感じだよな。出来るかどうかはカタリナ次第ってところだろう」

「わ、私がそんな重要な役割なの? 無理無理! そんな聞いたこともない魔法を急に使えだなんて」

「いや、お前には素質がある。理論上だけに存在するこの魔法を使えるとしたら、お前しかいない」

「やっぱり机上の空論なんじゃない!」

「ああ。でも聖水魔法だってもとは机上の空論だった」


 アイザックは覚えている。二人で寝ずに魔法を編み出したあの夜を。

 エンチャントした液体を増やすなんて、カタリナの魔術体系でも前代未聞だったはずだ。成分を分析し、魔力の濃度を調節し、術式を壊さずに複製する。

 本来なら数か月ぐらいかけて触媒の条件を確立させれば御の字だ。


 だがそれを一晩で成し遂げ、数日後には実戦で使えるまでに至った。

 手を貸したとはいえ、全ては彼女の熱意と才能によるものだ。


「それは……」

「このままむやみに攻勢を続けていてもジリ貧だ。それぐらいなら一つ、賭けてみないか?」


 カタリナはそれでもしばらく口をつぐんでいたが、やがて呟くように小声で話し始める。


「私はこんな、人類の命運がかかってるような戦いで賭けなんてしたくない。――もしさせてみたいなら、勇気をちょうだい」

「勇気? 何をすればいいんだよ」

「キ。キスとか……」

「は?」


 アイザックは唖然とした。


「いやだから、ここでやられたらどっちもアンデッドになっちゃうし。なんならこれが最後のチャンスかなって……」


 カタリナはしどろもどろに応える。頬も赤く、潤んだ瞳には冗談っぽさはない。

 言葉を失ってしまったアイザックだが、カタリナの様子を見てにわかに心がざわついてきた。

 彼女は自分が好きなのか? 何故? しかし、カタリナが魅力的な女性であることは確かだ。


「あ、あのな、俺たち出会ってまだ数日ぐらいしか立ってないぞ? それに、気付かれてないとはいえ目の前に敵がいる状況で……」

「かっ、関係ないし! だいたいその敵を倒すためでしょ。するの? しないの?」


 そう言って顔を突き出し、目を閉じた。待ち受け体勢万全といった感じだ。

 アイザックは数秒ほど逡巡していたが、やがてカタリナの頬にそっと唇を触れる。顔が近づいた一瞬、柔らかな感触と鼻をくすぐるいい匂いがした。

 目を開いたカタリナは、どこか恍惚として唇の触れた部分をそっとなぞる。そしてくすぐったそうに笑みを浮かべた。


「……ほっぺですか? 普通、この場合は唇を重ねるものでは?」


 静観していたヘレナが、半眼になって口をはさむ。


「い、いや。私は別に……」

「まあその、もしその気があれば、全部片付いたあとにな」


 慌てるカタリナに、アイザックがぼそっと呟く。

 カタリナはそれを聞いて大きく目を見開き、顔を真っ赤にして――でもすぐに満面の笑みで頷いた。


「分かった。私、やれるだけのことはやってみるよ」

「では私はカタリナさんのフォローに。アイザックさん、あなたに一番負担がかかることになりますが、くれぐれも無理はしないで下さいね」


「ああ、任せておけ」

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