第19話 炎の巨人ムスペル1
業火の巨人ムスペル、その威容がアイザック等の前に立ちふさがった。
空洞内が一気に高温になり、どっと汗があふれてくる。
まず咄嗟に動いたのは、二人の僧兵たちだった。彼らは本来の配置より少し後方にいた。途中の通路で一列になる必要があったため、ヘレナを守るための陣形が一時崩れていたのだ。
彼女だけは倒れてはいけない。その思いで大きく前に躍り出る。
「――よせ! 下手に動くな!」
アイザックが叫ぶ。僧兵たちが構えるタワーシールドは、人間程度の大きさの相手ならそれなりに有効だろう。しかし敵は自分たちを遥かに超える巨体。アイザックが戦ったトロールゾンビすらも比にならないほどだ。
僧兵たちの動きに反応して、ムスペルが炎の腕を振りかぶる。
「『プロテクション』! 『ファイアプルーフ』!」
巨腕が二人を横薙ぎにする寸前、ヘレナの補助魔法が発動する。常日頃からの連携のたまものともいえる反応速度だった。
しかし
炎の手に打たれた二人が、激しく壁に叩きつけられる。重装備の兵士も、この巨人にかかれば毬のようなものだった。
「そんな……っ!」
ヘレナが絶句する。自分の仲間が、最大限の防御をもってしても何の抵抗もできずに倒れた。死んではいないと思いたいが、重体なのか、気絶したのか、倒れたまま動けないようだった。
だがそんな動揺も、敵は待ってくれない。
「来るぞ!」
アイザックが上を見上げて声を張り上げる。頭上にはムスペルの拳があり、三人へ振り落とされようとしていた。
アイザック、カタリナ、ヘレナはそれぞれ散開し、ギリギリのところで攻撃を回避する。しかし拳そのものからは逃れても、強烈な熱波が彼らに降り注いだ。
「クソっ!」
余波だけでも露出した皮膚が焼け焦げてしまいそうだ。アイザックは自分にも『ファイアプルーフ』の魔法をかけて、離れてしまった仲間に呼びかける。
「カタリナ! もし俺が時間を稼いだら、ヘレナを連れて逃げられるか!?」
「無理! 出口は走るのも難しいぐらい細い道だし、火が回ってきたら逃げ場がないよ! それに――」
カタリナの視線の先にいるヘレナは、先に倒れた僧兵たちのほうを見ていた。
もしものときは自分だけでも生き残る。ヘレナたちにとってそれは共通認識だったし、別に不満を持ったこともない。
だが実際に"もしものとき"が訪れた今、彼女には後退という選択肢は浮かばなかった。ずっと自分を守る役目を負わせてきた彼らを、簡単に見殺しにすることなんてできない。
ヘレナは怒りの形相でムスペルに向き直る。
「『クイックネス』!」
脚力を強化する魔法を自分にかけて、炎の怪物へと一直線に走り出す。
ムスペルは当然さっきのように腕で振り払おうとするが、ヘレナは駆け抜け、飛び上がり、敵の懐まで近付いていく。
「ヘレナ! 無理をするな!」
アイザックの呼びかけにも答えぬまま、彼女はムスペルの眼前までたどり着いてステッキを掲げる。
クレリックとしてのヘレナの優れた点は、前回みせたヒールによる部位破壊などという小技だけに留まらない。教会内の戦力でも上位を競う彼女は、ヒールやハイ・ヒールを超える最上級回復魔法を予備動作なしで発動できる。
「喰らいなさい! 『トゥルー・ヒール』ッ!」
ステッキから眩いほどの白光が迸り、巨人へと放たれる。
しかしほぼ同時に、ムスペルの身体にも変化が現れる。腕を形成していた火の一部が骨格部分にまで昇って、全身に炎の膜が張り巡らされた。
炎は胸骨を穿とうとしていた白光をかき消し、ヘレナの渾身を一撃を無に帰す。
「まずい――!」
背後から形勢を見守っていたアイザックには、次に起こることが容易に想像できた。
これはプロテクションのような防御魔法の類ではない。単なる魔力の層を自身の周囲に展開しているだけだ。たったそれだけで、彼女の
『プロミネンス』
炎を扱う魔法使いが必殺の大技として用いる範囲攻撃魔法。これはその予備動作だ。熟練の使い手でも長い詠唱時間を必要とする魔法を、ムスペルはこんなにも容易く発動できてしまう。
はたして間に合うか。アイザックは五分五分だと承知の上で、何とか妨害の魔法を発動しようとする。
しかしそれより速く、アイザックの横を走り抜ける影があった。
カタリナだ。彼女の魔法『スキム』による高速駆動で、攻撃動作に入る直前のムスペルに接近しヘレナを抱きかかえる。そのまま全速のターンで逃げ去ろうとするが、ほぼ同時にムスペルの魔法も放たれる。
自分の身体を中心とした火炎の渦が、離れていくカタリナをも呑み込もうとする。
「『ホーリー・
「『リアクト・ヒール』!」
寸前でカタリナ自身が水の障壁を、アイザックが自動反応型の回復魔法をかける。
しかしムスペルの炎は彼女たちを容易く捉え、そのまま爆風に煽られる形で二人は弾き飛ばされた。
「二人とも、無事か!?」
すぐにアイザックがそばへと駆け寄る。
見たところヘレナの外傷はさほどではない。問題はカタリナのほうだった。
ヘレナを庇う形で背中をさらしたことで、大きな火傷を負っている。ムスペルの火炎は水魔法の障壁すら蒸発させるらしい。炎なら熱が身体に触れるのは一瞬だが、高温の蒸気は服や皮膚に付着するため火傷を更に悪化させる。結果的にだが、あのウォーター・カーテンは悪手だった。
よろめきながら起き上がったヘレナはカタリナの怪我を見て顔面蒼白になる。
「は、早く回復を……」
「必要ない。すでに俺のリアクト・ヒールが自動治癒を開始している。それより、お前が向かうべきはあっちだろう」
そう言ってアイザックは倒れている僧兵たちを指さす。
「お前の回復魔法ならまだ見込みがあるかもしれない。その間に俺があの巨人を何とかする」
「何とかって……一体どうするんですか」
自分の攻撃が通用しなかったことがよほど応えたのだろう。ヘレナは絶望的な表情でアイザックを見上げる。
「さあな。一つ言えるのは、こいつを放っておくと、たくさんの人が死ぬってことだ。そしてその全てがアンデッドになる。生者と死者の戦いは、一度天秤が傾くとそのまま全てが滑落していく。最早ここで食い止める他に方法はない」
「ア、アイザック……」
カタリナも気が付いたらしい。身を起こそうとするが、痛みがひどいのかうめき声を上げる。
慌ててヘレナが身体を支えた。カタリナは弱弱しい声でアイザックに話しかける。
「ごめんね……やっぱり私、役に立たなくて」
「馬鹿を言うな。危機を脱したのはお前の手柄だろ」
「ううん……頑張ったけど、やっぱりアイザックには手が届かないよ」
「……お前は十分活躍したよ――だからこの先は、俺に譲っておけ」
彼の力強い言葉に安堵したのか、ふっと笑みをこぼし、そのまま再び気を失った。
よろけながらもカタリナの身体を受け止めたヘレナに、アイザックは言う。
「悪いがカタリナのことも頼む。できるだけ被害の及ばない離れた場所に運んでくれ」
「……分かりました。どうか気を付けて」
まだクイックネスの効果が切れてないヘレナは、全速力で戦線を離脱する。
しかし当然、敵はそれを許さない。ムスペルが彼女を狙って再び炎の腕をもたげる。だがそれが叩きつけられる寸前、光の槍のようなものに弾かれた。
ムスペルの注意がヘレナたちから逸れ、光の槍を放った者――アイザックに視線が向けられる。
「折角こっちがやる気を見せたっていうのに、他の相手を追うなんてナシだろ?」
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