第32話 顕現せし魔王1

 

 歪な風船にも似た、魔王の真なる姿。


 アイザックはその異相を見て、この魔王の過去を思い出していた。

 幻視で見たのは、エルフ族の魂が少年の器の中で混ざり合っていく様子。小さな肉体の中に、このような歪な精神の混合体が押し込められていたのだ。

 魔物たちの調和、その可能性の果てに生まれた、醜い怪物の姿だった。


「アイザック! しっかり!」


 半ば呆けていた彼に、カタリナの叱咤が飛ぶ。

 彼女はすでに聖水の小瓶を開け、いつでも攻撃出来るようにしている。ヘレナも同じだ。

 そうだ、これが相手の戦闘体勢なのだとしたら、のんきに眺めている暇などない。アイザックもルカの杖に神経を集中し、自分の魔力を通す。


「敵は物理攻撃を受け付けないレイスだが、俺たちの魔法にはそんなの関係ない。一気に畳みかけるぞ!」

「わかった!」

「ええ!」


 二人は返事とほぼ同時に魔法を展開する。

 カタリナの聖水が膨張し、ヘレナのステッキが光を収束する。そしてアイザックの左手には光の槍が握られていた。


「ホーリー・ウォーター・バレット!」

「トゥルー・ヒール!」

「ヒーリング・ジャベリン!」


 三者三葉の魔法が放たれる。

 回復魔法特有の白い光が炸裂し、一瞬辺りが眩くなる。

 直撃した。

 誰もがその確信を持っていたが、しかし光が収まるとその認識はすぐ覆される。


 醜い風船と化したガルラ・ヴァーナの身体から、何かが伸びて攻撃を防いでいた。

 軟体生物と人間の腕の中間にあるような二本の触腕。どうやらその腕に防がれたようだ。

 触腕は何か魔力を付与されているようだった。回復魔法の白光によく似た、漆黒の光とでも言うべき奇妙な魔力反応だ。


「あの魔法は……?」


 ヘレナが呟く。しかし相手は答えなど待ってくれるはずもなく、次はこちらの番とばかりに攻撃を仕掛けてくる。

 標的はカタリナだった。黒い光を纏ったままの触腕が、彼女の身体を貫くような勢いで襲い掛かってくる。

 カタリナはすぐに対応しようとするが、聖水の小瓶を抜くために一瞬動作が遅れてしまう。


「カタリナ!」


 咄嗟にアイザックが前に出て、杖に魔力を集中する。相手から近づいてくれるなら、ヒーリング・ブロウでもう一度ダメージを与えられるはずだ。

 しかし触腕と杖がぶつかり合った瞬間、何かの反動のようなものを受けて杖が弾き返される。触腕も軌道が逸れたが、そのせいでアイザックの腕をわずかにかすった。


「ぐっ……!」


 この不快感。さっきの罠魔法を食らった時の感触と同じだ。

 カタリナとヘレナがすぐにアイザックのもとへ駆け寄ってくる。そして攻撃を受けた彼の腕を見て、二人は絶句した。


「な、何……この傷は……!」


 端的に言えば、その部位は朽ちつつあった。

 腕からは筋肉が失われ、骨が浮かび上がり、皮膚が変色していた。まるで瞬時に何十年もの時間が経過しているかのように。しかもそれは、今もなお進行している。


「ひ、ヒール!」


 ヘレナが慌てて呪文を唱える。するとすぐに腕の変化は止まり、時間が巻き戻るかのように元のアイザックの状態へと戻った。

 ヘレナは安堵の表情を浮かべるが、アイザックの顔は険しい。見かけの異変は治まっているが、さっきの攻撃で明らかに体力を削られた。ある種のエナジードレインのようなものだ。

 そしてその感覚とともに、ようやくこの魔法の正体もつかめてきた。


「ガルラ・ヴァーナ。これが死者をアンデッドにする魔法なんだな」

「……え?」

「左様。これが一にして究極なる我が魔法だ」


 無数の顔瘤が重奏するように一斉に声を発する。


「さっきの攻撃からはアンデッド化を司る"生命の負の流れ"そのものが放出されていた。"正の流れ"である回復魔法とは相殺し合う上に、無防備に浴びれば生物であれ命を削られる」


 それは正に、今までのアイザック等の戦いが逆転したようなものだった。

 自分たちのほうがアンデッドで、敵のヒールを受け続けると身体が崩壊してしまう。そういう状況に近いのだ。


「世界の法則を逆転させ、死者が蘇る世へと変える我が末期の秘術、『リザレクション・フォールダウン』。その規格を世界から生物の一個体へと落としただけだが、存外効果があるようだ。そうだな――『抗回復魔法アンチ・ヒール』とでも名付けようか」


「この場でそんなこと考えてるのか? 随分余裕があるようだな」

「余裕だとも。例え全力で撃ち合ったとて、出力差でこちらが勝っているのだ。すなわちアンデッド唯一の弱点である回復魔法もこの身には通用しない。」


 その言葉を、アイザックは黙殺するしかない。

 確かに三人の一斉攻撃を防がれた以上、魔力量は相手の方が上だ。

 だがカタリナが一歩前に出て、胸を張って言い返した。


「出力差だとかそんなこと関係ない! 私たちは貴方がどんなに強くても勝ってみせる!」

「……知性を感じさせない言葉だ。今まで貴様らが使ってきた魔法も、我が前では無力ではないか」

「無力なんて言葉は、自分の力を全て捻り出して、それでも勝てなかった時ようやく使う言葉よ! 私たちはまだ全てを出し切ってない!」


 カタリナは一度に三本の小瓶を空け、聖水に全身全霊の魔力を込める。


「『ホーリーウォーター・ストリーム』!」


 太い水柱となった聖水がガルラ・ヴァーナの眼前に叩き込まれる。

 しかしガルラ・ヴァーナが両の手をかざすと、そこから黒い光線が放たれて水流と相殺し合う。勢いではやや水流のほうが押されているが、カタリナは放出を止めない。


「私は知っている! これ以上無理だと思っても、自分は無価値だと思い知っても、そこから更に先があることを! だから、ここで朽ち果てるまで決して弱音は吐かない!」


 アンデッド退治ではサポートしか出来なかったカタリナは、トロールゾンビの群れを前にアイザックの力で命を救われた。また彼の機転で聖水魔法を使えるようになり、始めて実戦でも戦えるようになった。

 無力の意味とその重さ、何よりそれが絶対でないことを誰よりも知っている。


「愚かしい……朽ちるのが望みなら、早々に骸へと変えてやろう」


 黒い光線の出力が上昇する。対してカタリナの方は、水流を維持する聖水の残量がみるみる減っていた。

 彼女の表情に険しいものがよぎる。しかしそんな中で不意に、快活な声が響いた。


「よく言った! その通りだカタリナ!」


 アイザックの声だ。彼はいつの間にか岩づたいに身を隠し、ガルラ・ヴァーナの後方から接近していた。

 そしてその周囲には、彼の作った無数のライトピリングが配置されている。


「――コンカッション!」


 光球が弾け、その輝きが魔王の肉体に浴びせられる。

 肉の焼けるような音とともに、被爆した部分の輪郭がぼやける。それは霊体である彼の身体にダメージが入ったことを意味していた。


「ぐあっ……!」

「やっぱりな。お前も無敵というわけではないらしい」

「ど、どういうことです!?」


 回復魔法は効かないのではなかったのか。

 苦痛の声を上げるガルラ・ヴァーナを見て、ヘレナが戸惑いの声を上げる。


「どうってことない。不意打ちだったというのもあるが……そもそもガルラ・ヴァーナにとって、あの両腕は"杖"だったということだ」

「杖……?」


 一般的な魔法使いの多くは杖を持つ。ヘレナのステッキもそうだし、カタリナも見方によれば杖の代用として液体を利用しているとも言える。

 エネルギーの変換装置として、あるいは魔力の放出口として、そのような触媒が便利なので多くの流派で杖が使われた。


「エルフ族の魔法も原理的にはこちらと大差ないんだろう。基本的に腕の末端が魔力の放出口で、それ以外では魔力を放てるとしても薄くなる。奴はそれに加えてあのデカい図体だ。俺たちが動き回れば捉えきれないし、本体はルカのおかげで動けない」


「なるほど、つまりあの腕で防がれなければ、私たちの魔法は問題なく通用するということですか。……これは勝機が見えてきたかもしれませんね」


 ヘレナがステッキを握りなおす。

 聖水の放出が途絶える寸前で難を逃れた形のカタリナは、呆けたようにアイザックの方を向いた。

 そんな顔を見た彼は、苦笑しながら声をかける。


「どうした。もうへばったか?」

「なっ……馬鹿にしないでくれる!? 今回はちょっと大技を使ってみただけだし、まだ魔力も聖水のストックも余裕あるわよ!」

「そりゃよかった。お前は時々思いがけないことをしてくれるが、それが案外頼りになる。このままチームプレイでヤツを叩きのめしてやろう!」


「……うん!」


 アイザックとカタリナ。二人はほんの数日前に出会った関係で、お互いのことを完全に理解しあってる訳じゃない。

 だが時の流れとは別のところで、二人は相性の良いパートナーだった。相手を守りたい、そしてその思いに報いたい。そんな通じ合う気持ちが、より深いところで連携を可能にしていた。


「……一緒に来て、良かった」


 誰にも聞こえない声で、カタリナが呟く。

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