6.持つ者と持たざる者

(1)穴が空いた日常

 小学生の頃は本を読むのも嫌いだった。

 国語より数学の方が得意で、将来はそんな自分の適性を活かした職業に就ければ良い、だから文章能力なんて最小限でいいと思っていた。

 でも中学生の頃には、感動できる物語に出会いそんな冷めた思想が一転した。


 鑑賞する者の心を震わせ魅了してやまない物語達、深夜アニメから始まり原作の漫画やライトノベル、やがてそれらの原点である古典的な作品を読み漁る。

 教室や部活では人付き合いに偏りも無く器用に過ごす一方で、家に帰ると様々な作品を貪る。

 友人達と共有するわけでもなく、一人で探求していく時間が至福だった。

 俺以上のヲタクなんてあの学校にはいるわけがない、そんな自信を持てたのも楽しかった。


 しかし舌が肥えて感動できる作品が減り始めると、拗らせ始める。

 無意味だとわかっているのに好きな作品の批評をネットで追って一喜一憂する。そんな自分が嫌だと思い始めた頃に閃く――自分で作ればいいじゃないか。


 文章能力は低いとすら言える自分にそんなことが可能なのか……すぐには無理だろう。

 その頃はまだ中学生で十代前半。

 ただのヲタクでも鍛錬を重ねればやがてプロになれるのではないだろうか?

 自分を歓喜させてくれた作品を、やがては自ら作れるのではないか?


 そう志してから何年も経ち、二十歳の頃にエンタメ小説最大手の新人賞に三次選考まで残ることができた。

 まだアマチュアから卒業できていないにも関わらず嬉しかった。

 流行に乗った作風ではない硬派な内容で認められて、全身に力が漲るような思いだった。

 それからさらに五年後、二十五歳になったがまだアマチュアのままだ。

 ただその時の成果が無ければ……きっと俺は死んでいたのではないかと思う。


********************


 絵美さんのアトリエ部屋に行った日を最後に、希望ちゃんと顔を合わせる機会が無くなった。

 以前までは、隣部屋の窓が開く音が聞こえると、お互いに察し合ってベランダへ出ていくことが多かった。今はそんな暗黙の了解が成り立っていない。

 それ以外にも、朝玄関を開けたら出掛けるタイミングが同じだったり、マンションのエントランスで顔を見ることもあったが、今はそれもない。

 さらにモンバスのフレンド履歴を見ても、最後に三人でプレイした日からログインしていないようだった。


 避けられている、そう考えるべきだろう。

 だから他に相談相手もいないため、絵美さんに渋々話をしてみた。


「よう。かわいい子ちゃんに振られた毒男、お姉さんが慰めてあげよう」


 スマホで呼び出しコンビニの近くで落ち合うと、出会い頭で馬鹿にされる。それくらいなら相談料としては安いものだ。


「振られる前の段階ですよ。彼氏彼女の関係じゃないので」

「なんだそれ、隣に住んでて一緒にモンバスやるなら……悪い。まだそんな気分にはなれないか?」

「重度の恋愛不全ですから」

「自虐を含んだギャグは、ユーモアがあっても面白くないぞ」


 また甘えてしまったとやや後悔する。


「さて本題だが、希望ちゃんに避けられてると?」

「多分そうです」

「二人がわたしの仕事部屋にいる時に察したが、希望ちゃんからしたら、創一に執筆活動のことを秘密にされていたのが嫌だったんじゃないのか? 仲が良いのに壁を作られていたと思われても仕方ない」

「やっぱり、そうですよね」

「そもそもなぜ秘密にしていたんだ?」

「説明するタイミングが無く、必要も無かったからです。話題が創作事に向くことが全く無かったから……それに俺の成果は、愛徒さんや夏織、絵美さんに比べれば小さなものです」


 さらに天音ちゃんの活動に対しても同じことが言える。


「人に誇れるレベルじゃありません。なら黙って修練に徹して実力を研磨するべきだって、前に教えてくれたのは絵美さんですよ」

「少し真面目過ぎるが……そうだな。わたしも昔はそうだった」


 絵美さんからは創作の心得に関する事を聞いたことはある。そんな話題ができる相手は絵美さんだけ。

 分野は異なっていても明らかに多くの成果を残している人の言葉は納得できることが多い。


「でもな、単なる予感だが……創一が執筆活動を秘密にしていたことを謝っても、関係は改善しない気がする」

「えっ? どういうことですか?」


 心のどこかで、素直に謝ればそれで解決すると思っていた。


「希望ちゃん、あの子は何かに執着しているように思えるんだ。どのくらい活動しているのかとか、絵を描き始めた理由とか聞かれたが、あの時少し声色が変だった」


 声色の違いに気づく絵美さんほどではないが、俺も似たような事を感じてはいた。あの時の希望ちゃんには、確かに違和感があった。


「何かに執着、ですか」

「それが理解できるのは、この世で創一だけかもしれないぞ」


 握り拳で軽く肩を小突かれる。

 大袈裟な表現だが励ましのようにも思えたから「ありがとうございます」とだけ言い返しておいた。


********************


「東野くん? 東野?」


 名前を呼ばれて、記憶の海に埋もれていた意識が一瞬で現実に戻る。


「大丈夫かね?」

「あ、はい。すいません……試作機の性能試験に関する事ですよね?」


 上司の呼び掛けにひとまず謝るが、ただ落胆させるだけの展開にはさせない。

 社会人生活三年で培った「別のことを考えながら片耳でも会議の話題を把握する」スキルに関しては自信がある。だから場繋ぎにだけは成功する。


 今は週に一度の退屈な報告会。

 アドバイス通り、希望ちゃんの部屋で限フォルの最終回を観てからの約半年間、一緒に過ごした時のことを何度か振り返っていた。

 しかしそれだけでは、絵美さんが言う「希望ちゃんの執着」が何なのかわからない。


「先輩、会議中にぼーっとして大丈夫ですか?」

「なんだ、馬鹿にしてこないのかい?」


 一日の多くを過ごす自分のデスクに戻ると、声を掛けてくれたのは後輩の霧島さんだった。


「皮肉な言葉が似合うほど先輩はイケメンじゃないです……とでも言ってほしいですか?」


 機転が利く上にユーモアも混ぜてくる。

 言葉は違うが、昨日絵美さんにも意味が同じ事を言われたばかりだ。


「霧島さんさ、少し前に「幸せな時ほど用心してくださいね」って言ってたよね?」


 彼女は驚いたのか一歩引いてから遅れて頷く、少し圧が強めな言い方になってしまったかもしれない。


「君は察しも良いし、頭も良い」


 それから付け足すように「大丈夫だ」と言ってサムズアップをして見せる。

 彼女から見れば俺が空元気なのは明らかだが、何もしない方よりは良いと思った。

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