(5)創一郎の本心
「別に俺を嫌ってくれてもいい。もう関わらなくてもいい。でもそれだけは譲れないんだ……希望ちゃん、思い出せるかい? 夏に愛徒さん、その後に夏織も天音ちゃんも絵美さんも会った時、みんな俺に「元気か?」って訊いてきたことを」
「えっ?」
希望ちゃんは戸惑いつつも、俺から視線を逸らしあの人達に会った瞬間のことを思い出そうとする。
急な問いだと自分でもわかっている、覚えていなくても無理はない。
「君に出会う半年前、俺はあの四人にも話を聞いてもらったり、助けられていたんだ……俺は今年の三月まで、会社を休職していたんだ」
ついに切り出してしまった。もう後戻りはできない。
今まで隠し通してきたことを伝えるために覚悟を決め、彼女の戸惑い揺れる瞳を見ながら話を続けた。
「聞いて欲しい……中学生の終わり頃に本当の両親が離婚して、俺と妹は母方に付いていった。同じ時期に母方は再婚相手を見つけていてね、血は繋がらなくてもその人、二人目の父親とは仲良く暮らせていたよ。でも再婚からしばらく経って、二年前に母親が病気で死んじゃってね、そこから……全てがおかしくなっていったよ」
内容に翻弄されるかのように、表情が固まったまま希望ちゃんは話を聞いている。
「二人目の父親がバツサンの女に誑かされてしまって、うちは本家ではないから母親の納骨もまだで遺骨があるのに、その女と実家で同居しようとし出したんだ。仕事を犠牲にしてでも彼を全力で説得したけど無理で、仕方なく嘘にならない範囲で言い方を考えて、上手く誘導して遺骨をこっちのものにしたよ。ものすごく心臓に悪い駆け引きだった。結局彼はバツサンの女とは三ヶ月で別れて慰謝料を払ったそうだ。それで俺と妹とは親子関係が成り立たなくて、養子離縁が成立したんだ」
「養子、離縁って?」
普段は頭の回転が速い希望ちゃんでも、理解できず訊いてくる。
「離婚と一緒だよ。義理の親子だから、法律上他人に戻れるんだ……ただそんな事の後で俺も妹も疲弊してしまって、特に妹は一時的に失語症になって、魂が抜けたような状態になったよ。実の父親の協力もあって今は治っているけど、大学も休学したままさ……そんなことが続いて俺も会社から休職を頂いたりもしたんだ。もうまともな社会性を取り戻すことは無いと思ったよ、俺はここまでなんだ、って思った。精神的に元に戻ることは無い、あとは屍のような人生を歩むだけだとね」
でも今彼女に伝えたいのは、そんな不幸自慢じゃない。
「休職していた時に、いろんな知り合いに頼った。特に最近会った四人にはお世話になったと思っている。愛徒さんには遊びに連れ回してもらった。夏織にはゲームを教えてもらったりしたし、天音ちゃんには妹に会ってもらったりもした。そして絵美さんには……救われたよ」
希望ちゃんは俺を見上げながら「どうやって?」と首を傾げて聞き返してくる。
「その経験を活かして執筆を続けるべきだ、って言われたよ。あの人らしいでしょ? でも俺にとってそれは、最良の助言だったよ。苦しい事が立て続けに起きて、執筆が全然進まなかったし、仕事を普通にこなす気力も無かった。だから会社を数ヶ月休んで、部屋でずっと小説を書いているのは楽しかった」
社会人としての自分を全て捨てて、一つの物事に打ち込んでいただけの日々。すごく充実していた。
「子供の頃も両親の仲が悪くて家の中の空気が悪かった。でも偶然深夜アニメを観て感動して、俺は、あの時の子供は……救われたような気分になっていたんだ」
作品の世界観が別世界に誘ってくれた。普段の日常と自分自身を切り離してくれた。
「だからいつか俺も同じ手段で、辛い境遇にある人を助けてみたい」
そんな志はあっても俺はまだアマチュアの域で、あの四人には届かない。
「俺はあの四人を尊敬している。恩もあるし、何よりそれぞれが目指す世界に飛び込んで高みを目指そうとしている姿が好きだ。さらに、プロでいてコンテンツを楽しむことも忘れていない……ヲタクのエリート達だよ」
でもいつかは並び、そして追い抜いてみせる。不可能じゃないと信じている。
「だから……あの人達を、馬鹿だなんて言わないでくれ!」
それが伝えたい事、今まで希望ちゃんに黙っていた事の全てだ。
ここまでの巡りと思いを、他人に全て伝えたのは今この時が初めてだ。
でも、人によっては受け止められないくらい重く、まだ成人していない子には難し過ぎる話かもしれない。だから、例えこのまま無言で立ち去られても後追いすることはしない。
俺達の頭上で、折り畳み傘を雨が打つ音だけが続く。
何分経ったのかもわからず、時が止まったかのようにお互い身動きすらしなかったが、先に喋り出したのは希望ちゃんだった。
「わたしとは何もかもが違うんですね。失礼な物言いかもしれないけど眩し過ぎます。わたしには創一さんも皆さんも眩し過ぎます。わたしみたいな人間が近くにいてはいけない。だからもう交流しないようにします」
希望ちゃんは項垂れながらも、ぼそぼそと弱々しい口調で語り続ける。
けれどその言葉を聞いた途端、なぜか急に腹が立っていた。
「眩し過ぎ? ふざけんな! こっちは死にそうだったんだ!」
叫び声で強引に希望ちゃんの視線をこちらに向けさせて、そのまま睨みつけてしまう。
「夏前に出会った日から、活き活きとしていた君の事がすごく輝いて見えていた、俺なんかよりエネルギーに満ちていると思ったんだ!」
俺はまだ家庭の事で気分が沈んでいた、でもその姿から元気を貰えていた。
「人の気も知らずに……勝手にどこか行け!」
全く中身の無い、苛立ちを吐き出すだけの売り言葉になってしまった。すぐに後悔するが、噛み締めるように希望ちゃんの唇に力が入り表情に覇気が戻っていく。
「なっ、そんな横暴な……頭にきました。なら、わたしは絶対にどこかへ行きません、意地でもあそこから引っ越ししませんからね。毎日嫌がらせします!」
人差し指を真っ直ぐ向けられて宣言される。
「なんだそりゃ、そんなのただの迷惑行為だ!」
「いいんです。こんな雨の日に追い掛けられたわたしには、それくらいの権利があります! だいたい濡れちゃったじゃないですか! 風邪引いたらどうするんですか?」
「勝手に飛び出したのは、そっちじゃないか。俺はマンションの外に出ようなんて全く考えてなかった」
「少し走ったら適当に雨宿りするつもりでしたから! 自転車で追い掛けられたら、誰でも逃げますよ! 出会った頃から少しだけ思ってましたけど、創一さんって女の子の扱いに慣れないですよね?」
「なっ……君の同級生達とは違う、俺はすごく男女比が偏った世界にずっといるんだ! そのくらい仕方ないだろ」
「そんなの言い訳です。自分の弱い部分を職業のせいにしないでください!」
内容が間違ってはいないから言い返せない。口上の勢いだけで押されつつある。
「創一さんは自分の職業や趣味に自信を持っているかもしれませんが、時々自分の弱点を隠すための言い訳にしている節があります。知識が多くて人脈があるのはいいですが、社交性が低いのはダメです」
「社交性は……高くはないけど、低くはないさ!」
低くはないと、随分弱気なことを言ってしまったなと後悔する。
「そういう希望ちゃんだって学校じゃ、擬態に苦しんでいるみたいじゃないか」
「はい、苦しんでますよ! でもわたしの擬態は完璧だし、楽しくはなくても交友関係はきちんと維持できているので問題ないのです!」
希望ちゃんが大学のラウンジで学友達に溶け込めていた姿を思い返す。部署の後輩から舐められている自分とは違い、もっと上手に過ごしているだろう。
「別に重要でもない人間関係なんて最低限の維持ができてればいいのさ。本当に好きなものにハマったり打ち込んだりできればそれでいい」
「それだけだと引き出しが狭くなっていくと思います」
「これでも物書き志望だから、教養が狭くならないように調べものや読書は怠っていない!」
「それが言い訳なんです! 知識じゃなく経験の広がり事を言いたいんですよ。いろんな人との対話が円滑にできる方が――」
もう子供の口喧嘩、めちゃくちゃだ。
それからも無駄で汚い悪口の掛け合いを続けた。お互いに意地を張り、無意味で薄っぺらい言葉の応酬だとわかっているのに止めない。
「なんて口の減らない。もっとお淑やかさを身につけたらどうだ?」
「そもそも、こんな小娘に口喧嘩で負けないでください……ふふっ」
そしてどっちも疲れた頃、息が整うと希望ちゃんは突然笑い出し、俺もつられて同じように笑ってしまった。
わだかまりや秘密があっても、数週間前までと同じ仲に戻りたかったのだとわかって嬉しかった。
「わたし多分、創一さんに負けたくなかっただけなんです。目指す夢がある友達がいて、自分自身にも夢があって、わたしにはその全てが無かったから」
「俺もそんな希望ちゃんの気持ちの片鱗は感じていた。なのに配慮できなかった……ごめんよ。仲直りしてくれ」
言葉だけでなく意思表示として、今も冷たい地べたに座る希望ちゃんに手を差し出す。
すると何の躊躇いも無く「はい」と返事をくれて手を握り返してくれたから、引き上げようと腕に力を入れるが思ったより手応えが軽かった。
彼女は俺の助けだけでなく自力でも立ち上がろうとしていてすぐに起き上がる。そして予想よりも勢いがついたまま、お互いに顔の距離が一瞬で詰まり――
「!」
思ってもみなかった柔らかい感触が唇に加わる。
柑橘系にも似た彼女の匂いが鼻孔に伝わり、雨のせいか少し冷たいけれど粘膜同士の接触が数秒間だけ続く。
すると希望ちゃんは俺から離れていく。
俺は唇に残る余韻にしばらく翻弄される、それは希望ちゃんも同じようだった。ただ俺よりも彼女はすぐに立ち直り……
「言ったでしょ? わたし、創一さんに負けたくなかったんだから!」
突然の事に混乱している俺に対し彼女はしばらくの間、不敵な笑みを浮かべながら勝ち誇っていた。
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