(2)コスプレ会場

 平日五日間の労働を終えて土曜日。

 すでに九月の末だが、まだ暑さの名残を感じる時期だ。

 夏織とは、イベント会場である池袋サンシャインシティの階段広場で十二時頃落ち合うことにした。


「あの近くは何度か通ったことありますけど、コスプレのイベントに使われているのは知りませんでした」

「俺もそうだよ。この辺には、買い物とラーメン屋目的でしか行かないや」


 サンシャイン通りの歩行者天国を希望ちゃんと二人で歩く。

 周囲にはカップルにでも見えるのだろうか? そんな疑問自体が毒男臭いと瞬時に察して、思考を掻き消すように頭を振る。


「そういえばわたし、コミケでは買い物だったりスリを捕まえたりで、コスプレ見にいけなかったなー」

「見たかったの?」

「せっかく見れるのに勿体無いじゃないですか。よく知らないからこそ、見たいというか」


 拳を握り締めて彼女はそう語る。

 好奇心旺盛なこの子らしい考えだなと思っていると、妙なことに気づく。

 目的地が近づくにつれて普通の道路にも関わらず、一般の服装は明らかに異なるコスプレをした人の姿が徐々に増えてきた。


「あれがコスプレイヤーさん達? なんでしょうか? すっ、すごい!」


 弾む気持ちを押さえながら、希望ちゃんは手を添えて耳打ちしてくる。


「多分そうだろうね。イベントの概要とかは調べなかったけど、街ぐるみでやってるのかも」


 目的地が見える頃には、コスプレをした人達がさらに増えてきた。衣装のレパートリーも増えて、一般のものより華美な学生服やメイド服に戦闘服を着た人もいる。


「うわぁ、なんかわくわくしますね」


 隣を歩く彼女は歩きながらも両手を握り締め、思わず飛び跳ねそうになるくらい全身で喜びを表す。


「そんなに楽しみかい?」

「だってだって、こんなの初めてで……わぁ、すごい!」


 イベント会場であるサンシャインの階段広場に辿り着くと、希望ちゃんは目の前に広がる光景――大勢のコスプレイヤー達に一瞬にして目を奪われる。

 ただそれは俺も同じだった。

 階段を上っていく度にコスプレの種類も増えていき、中には自分の知る作品のキャラクターもいたり、かなり作り込まれている特撮ヒーローの全身スーツ姿の人もいたりして、胸の奥が弾むような気分になったりもする。


「活気があるなー、みんな楽しそうだね」

「はい、とっても!」


 歯切れの良い声で言い切る希望ちゃんを見て、もっと早くこの楽しさを知りたかったと少し後悔する。

 コミケでもコスプレ広場を見たことはある。しかし真夏と真冬という厳しい時期でもあり、見物人や通行人の方が圧倒的に多く、長い列を並んだ後の疲れもあってぼんやりと眺めるだけだった。


 今この場では場所にも自分にもゆとりがあり、十分楽しむことができる。

 彼ら彼女らは、煌びやかな衣装を身に付け、キャラクターの特徴を際立たせるメイクをしている人もいる。そんな姿で恥ずかしがったりせず、場に馴染んで仲間と談笑したり、一眼レフカメラを構えた人の前でポーズを取っている人もいる。

 ここでしか味わえない特別な空気感があった。


「うわっ……あわわわわ」


 希望ちゃんは興奮したまま周囲の光景に目移りしていたせいか、階段の段差に躓いて手をじたばたさせる。


「おっと! 少し落ち着こう」


 倒れそうになる前に軽く腕を引き寄せてあげると、彼女はバランスを持ち直す。


「は、はい。すいま……せん」


 さっきまできょろきょろと左右を見渡していたのに、急に覇気が無くなり大人しくなる。

 はしゃぎ過ぎた事を反省しているのとは違う、別の事がきっかけで急に静かになったような気がする。


「ん、どうしたの?」


 訊いてみると手を沿えて、俺の耳に囁いてくる。


「その……右側にいるおじさん達が、ブリキュアのコスをしてて」

「ああ……なるほどね」


 露骨ではない姿勢で希望ちゃんが指摘する方向を窺うと、中年男性数人がコスプレをしている集まりがあった。周囲の歩く歩行者達も彼らを避け気味に進んでいくような気がする。


「確かにきつい」


 コスプレ広場で誰がどんな衣装を着ようが自由。

 ただそれは、俺ですら直視していたくない光景だった。

 日曜日の朝に放送している少女向けアニメに登場する単色で可愛らしいコスチュームを纏う美少女戦士と、同じ姿を着た中年男性達がいた。

 しかし太い足腰や年季を感じさせる染みや臑毛も目立つ、いわゆるアレな姿だった。

 ただ他のコスプレイヤーとは違い、劇中の決めポーズなどをせず大人しい。もしかしたら彼らは自らの行いを自覚して、覚悟の上でこの場にいるのかもしれない。


「わたしは子供の頃ベリーがすごく好きだったんです……なのに! なのに! あんなの! あんなの!」


 俺の服を鷲掴み揺り動かしながら、泣き顔で言葉にならない感情を訴え掛けてくる。

 ブリキュアのことはわからないが「ベリー」というのは、きっとキャラクターの名前なのだろう。


「しょうがないよ……光あるところに闇はある。ただ闇が、悪とは限らない」

「そ、そっか……闇だけど、悪じゃない」


 俺の適当で意味不明な語り掛けを、希望ちゃんは素直に咀嚼しようとする。別の場所へ誘導しつつ気分転換をさせてあげるべきだろう。


「少し運が悪かっただけさ。あっちは盛り上がってるみたいだよ」


 階段を上り広場へ出ると、そこにも沢山のコスプレイヤーがいた。

 段差のある階段のエリアよりも、カメラを前にポーズを取っている人が多く、中には撮影待ちのカメラマンが列を作っている所もあった。


「こっちはなんかレベル高いですねー」

「女の子目線で見てもそうなのか」


 被服の知識が皆無な俺でも、カメラマンが列を作るコスプレイヤーの衣装はレベルが高いものだと一目でわかる。ポージングにも工夫がありモデルのようにも見える。

 中には足元に看板を置き、SNSのIDを記している人もいる。きっと人気や知名度を上げたい、という明確な目的を持って活動しているのだろう。いわゆるガチ勢、というやつだ。


「そういえば、創一さん。夏織さんってどこにいるんでしょう?」

「ああ。あいつは……多分あそこだろうね」


 広場の端に広がる刈り揃えられた植木の前にコスプレイヤー達がいて、それぞれに撮影待ちの列が並んでいる。

 その中に一際大きな人だかりがあった。


「わあ、なんかすごい盛り上がり。ここは二列でやってるんですね」


 他は一列で一人のカメラマンが交代で撮影していくのに対し、ここだけは二列で二人同時に撮影している。


「それだけ人気ってことかな。コミケ会場だともっとすごいよ」


 三十人以上で作られた輪の隙間から、中の様子を窺ってみる。

 その中央に、配信画面と同じ控え目なフリルの付いたドレス姿をした夏織――コスプレ格闘ゲーマー、ハイカの姿が見えた。


「良くってよ! あなた達、我が生み出し美技に酔いしれなさい!」


 扮するキャラクターが対戦開始前にする決め台詞を言い放ち、細い指先を翻すように振り上げる。

 すると周りを囲む人達から歓喜の声が湧き上がる。

 しかし夏織はそんな盛り上がりにも臆することなく、慣れた様子でカメラに向かってポーズを取り続けている。


「なんかもう扱いが有名人ですね」

「うん。待ち合わせ時間にはなってるけど、こんな盛り上がりじゃ声を掛け難いね」


 どうしたら良いかわからず、脚光を浴びている夏織の姿を人の隙間からしばらく覗いてみる。すると、彼女がポーズを取り直した拍子に目が合った。


「へい! 創一じゃない!」


 カメラの前に立つ夏織がそれまでキャラになりきっていた状態を崩し、素の様子で俺に向かって手を振ってくる。

 すると大勢のカメラマンや見物人が、俺に対して奇異の視線を一気に向けてくる。

 中にはファンなのだろうか、睨みを利かせてくるような輩もいる。

 受けたこともない大勢からの圧迫に逃げ出したくなる気分になる。

 すると人の輪の中心にいる夏織が俺にウインクを飛ばしてくる。何のサインだろうか?


「皆さん。十二時になったので午前はこれで終わり、ここから昼休憩でーす。午後は……一時半くらいから再スタートします! それじゃまた!」


 やや離れた所にいるアシスタントのような人から再開時間を訊いて、夏織はこの場をお開きにしてくれた。

 その後も遠くから夏織の姿を眺め続けている人もいるが、カメラマンやファンのほとんどが去ると、夏織はスキップしながらこちらにやってくる。


「ごめんごめん。気遣い浅くてごめんねー」

「お前がそういうやつなのは今に始まった事じゃない」

「言ってくれるじゃない……創一、元気?」

「ああ、元気だ……あとメッセージでも書いといたけど、彼女が蒼井希望さんだ。あの配信を観て、お前さんに一目惚れしたみたいなんだ」


 余計な一言のせいか、希望ちゃんに軽く肩の辺りを叩かれる。


「創一さん! 言い方が悪いです! あの……配信見てご本人も衣装もすごく綺麗で、ゲームも上手くてかっこいいなと思って、今実際にハイカさんの姿を見れて嬉しいです。こうやってお話できるのも光栄で、昨日も楽しみであんまり寝れませんでした。その金髪ってウィッグじゃなく地毛――」


 緊張しているのか、夏織のことを早口で賞賛し続ける。ここまで心酔しているとは予想外で俺は呆気に取られてしまう。

 しばらくすると、褒めちぎられている本人は仰け反りながら笑った。


「そんな固くならないでよ。あたし芸能人とかじゃないんだよ? でもありがとう」


 夏織は感謝を示すように新しいファンの手を握る。背丈は夏織の方が頭半分くらい低いが、会話での立ち位置は真逆だ。

 すると希望ちゃんは突然の手と手の接触に驚き、背筋を引き攣らせた後、その場で硬直してしまう。


「あの……創一? この子、大丈夫?」

「さあな。でも、ものすごく喜んでいることは間違いないよ」

「なるほど……凜子さん、ちょっといいかな?」


 夏織はアシスタントらしき人と少し話をしてから、俺達がやってきた階段の方を指差す。


「じゃあこれからご飯食べよう」

「おいおい、その姿で行くつもりか?」

「このイベント中はコスプレしたまま入れる飲食店もあるんだ。まかせてよ」


 率先して案内してくれるみたいで助かる。


「あのさ……この子、ホントに平気?」


 ただ夏織はその場から歩き出そうとして踏み止まり、俺の後ろを指差してくる。

 何を指摘されているのかわからず振り返ると、そこには今も硬直したまま現実に戻ってこない希望ちゃんの姿があった。

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