(3)夏織の話

 サンシャインシティから十分ぐらい歩いた場所にある建物の二階に案内されると、そこは昼時にしてはあまり混んでいない定食屋だった。

 入店時、席に着く前に注文を訊かれて会計は先払い。

 さらに天井にある剥き出しの配管を活かしたインテリアや、行燈のような照明器具が立っている。

 一風変わったお洒落なお店、コミケの後に愛徒さんが案内してくれた店を連想する。


「いやー、しっかし疲れたわー。これから午後もあるとはしんどい」


 夏織は氷が浮かぶお冷を飲み干してから、テーブルに上に頬を密着させて俯せになる。


「大人気コスプレ格闘ゲーマーのハイカさん、お疲れ様」

「けっ、ほざけ。創一こそ女の子なんて連れちゃって変わったねー、ついに三次元で妥協するようになったの?」


 わざとらしく労うとエッジが効いたジョークで返される。


「人を変態のように言うな。そこまで俺の人格は曲がってねーよ」

「えっ? ほざけ? 三次元?」


 コスプレ会場にいた時には出なかった汚い言葉を夏織が急に喋ったせいか希望ちゃんは狼狽える。


「格闘ゲーマーが誰しもってわけじゃないけど、中には礼儀とかに無頓着なやつもいるんだよ。こいつみたいに」

「失礼な。そりゃ普段の配信やコスプレイベントじゃ多少は取り繕うよ。でも格ゲー友達の前じゃいつもこんなだよ。家の中は自分の部屋以外、多少は上品にしてないといけないしね……ほら、あたしニートみたいなもんだし」

「まあ、そこまで自虐的にしなくてもいいだろ。確か大学に休学申請出したんだっけ?」

「去年の五月にぼっちキャンパスライフに耐え切れずね。でもうちの大学、休学は二年までしか認められないから、そろそろ身の振りを考えなきゃいけないわけよ」


 コスプレ会場ではカメラの前で輝いていたとは思えないほど、溜息交じりにだらしなく肩を落とす。


「大学生なんですね。わたしもですよ、今年一年生です」

「そっか。本当だったらあたし大学二年生だけど、今は格ゲーとコスプレにどっぷりのはぐれ者ってわけ……希望ちゃんだっけ? 今度コスプレしてみない?」

「ええっ! いいんですか? でもわたしなんかにできるんですか?」

「大丈夫! 背が低めのあたしには無理だけど、あなたになら絶対マッチするキャラがある! ティズィーのレオタードもあなたなら――」

「おいおい、知り合ったばかりの人間に、そんな際どいのやらせようとすんな!」


 俺も実際にゲームをしているからわかる。ティズィーはブレイギアに登場するキャラクターの一人で、衣装は露出が激しく、初めてコスプレをする人には向かないものだ。


「えー、でも絶対似合うよ。しかも興味持ってくれそうじゃん?」

「俺の目が黒いうちは許さないぞ」

「創一、あんた希望ちゃんの何なのよ? 保護者かなんか? きゃー、ご立派ねー」


 手を滑らかに翻し、お得意の汚い言葉で巧妙に煽ってくる。ただその問い対して、俺はすぐに答えることができない。どうしようか、と悩みだしたが――


「わたし達、隠れヲタク同盟です!」


 俺が口籠る前に、希望ちゃんが快活な声ではっきりと答えてくれる。


「何それ?」


 一ヶ月前に愛徒さんにも同じことを訊かれた気がする。

 だから希望ちゃんと出会った経緯や意気投合したこと、さらにコミケでの出来事もできるだけ短く説明した。


「ふむふむ、そっか。それは貴重で尊い仲だ。大事にしよう、うんうん」


 夏織は口が悪くても外道ではないため、否定はしてこない。


「それにしてもハイカさんは、コスプレが本当に好きなんですね?」

「うーん、どうだろ。あたしは格ゲーが第一で、コスプレは好きでも嫌いでもないよ」

「えっ? じゃあどうしてコスプレを?」


 すると両腕を組みながら沙汰旅「うーん」と低い唸り声を上げ前のめりの姿勢になる。希望ちゃんの質問に対してなぜか本気で悩み出した。


「おいおい、大丈夫か?」

「どう答えようか考えたら、巡り巡っていろいろ思い出しちゃってさ……よし! たまには振り返るのも悪くない」


 すると夏織は何かを思い出すかのように、テーブルにある胡椒が入った鳥型の小瓶を触る。


「あたし、昔はコスプレなんかしたら妊娠しちゃうー、みたいな超真面目な性格だったんだ」

「にっ、にんしん?」


 希望ちゃんは下品な言葉を聞かされて動揺を抑えられず、一瞬で火照った自分の頬を両手で覆う。


「あはは、希望ちゃんぽっぺ真っ赤にしちゃって、かっわいいねー」

「お前はその超真面目だった頃の自分を少しは見習えよ」


 注意しても夏織は涼しげな表情でどこ吹く風といった様子、わかっていたことだが。


「でも完全に冗談ってわけでもなくて、箱入り娘には違いなかったよ」


 何を言ってるのやら、と茶々を入れようとしたが――


「中学校から私立通いで、両親が教育熱心過ぎてよく喧嘩するから、期待に応えるために生徒会とか入っちゃう真面目な子だった。でも成績優秀かというとそうでもない、みたいな」


 それまでとは全く違う声色に息を呑む。


「昔は親のために生きているようなもんだった。自我なんて無い、親を喜ばせるだけのお人形さん。でも大学って高校までと違ってみんな違う事してて自由じゃない? レールが無いから何をすればいいのかわからなくて、やりたいことが浮かばなくて、あの環境に馴染めなかった」


 俺は単位を取るのに忙しい理系の人間だったから、文系のキャンバスライフについてはよくわからない。

 ただ隣にいる希望ちゃんは納得できるようで、相槌を打ちながら話を聞いている。


「それで休学しようと思ったの。あれが生まれて初めての両親への主張だったかも。どっちも驚いていたよ、真面目な娘がどうしてなのか、って顔してた。そんなあたしの変化から察したのか二人とも喧嘩を止めてくれた。だから休学したことは良かったとも思ってる……でもそれからは思い知ったよ。自分がいかに箱入り娘だったか、ってことね」

「箱入りって、どういうことですか?」


 希望ちゃんはそれまでの話とは違い、ニュアンスが理解できず首を傾げる。人見知りをしなさそうなこの子にはわからないかもしれない。


「中学から私立に通ってた真面目っ子なんて想像つかない? 学校も行かずに暇だからアルバイトを始めたけど全然ダメだった。接客系とかは怒られてばっかりで最悪だった。特に一箇所目をすぐクビになったことは思い出したくないね」


 夏織は掘り起こした苦い思い出を再び忘れるためか、目を瞑りながら頭を振る。


「でも、そんなあたしには打ち込めるものがあった。高校の時に始めた趣味の格闘ゲームだね。あれだけは生活が変わっても、何も変わらずプレイできたよ。むしろ学校に行かない分、より集中できるから休学してからの方が上達したかな」


 格闘ゲームの話題になり、曇り空が晴れていくかのように表情が明るくなっていく。


「よく親御さん達、格ゲーなんて許すよな。教育熱心で厳格なんだろ?」

「そこはね……厳しさはあっても偏見は無い人達でさ。うちの親はゲームが教育に悪い、なんて思う人達じゃないんだよ」

「でも格ゲーだぜ? 部屋に格ゲーのレバーとかあったら普通の親は目くじら立てるだろ?」

「多分、普通のコントローラ、パッドとの違いがわかるような人達じゃない。珍しい機械が増えた、くらいにしか思ってないよ。それにあたしの部屋の掃除は自分でやるか、さっきコスプレ会場にいた凜子さんがやるから」

「凜子さんってどういう仲なんですか? お友達にしては年が離れているような気がして」


 希望ちゃんと同じことを俺も感じてはいた。


「うーん、引かないで欲しいんだけども……凜子さんは、お手伝いさんなの」

「えっ? 何それ?」


 思ったままの言葉で訊いてみると、夏織はバツが悪そうに鳥型の小瓶をまた擦り始める。


「自分で言うのも変だけど、うちはお手伝いさん雇えるぐらいちょっとだけ裕福なの」


 俺達は何も言えず、夏織を見たまま固まってしまう。ただそんなこちらの態度が嫌なのか、非難するように俺達の顔を指差してくる。


「ちょっとちょっと! 引くなって言ったでしょ!」

「ご、ごめんなさい。そんな話は聞いたことなかったので」


 希望ちゃんに同意するように俺も頷く。


「でも名家とかじゃないし大富豪とかじゃないから凜子さん一人だけ。もう十年ぐらいお世話になってるから半分は家族みたいなもんだね……大会で腕試ししようって言ってくれたのは、凜子さんだったよ」

「あの方すごいな。普通はそこまでアドバイスできないぞ」


 頭も良さに加えて夏織への思いやり、両方が無ければできないことだ。さっきコスプレ会場で姿を見たくらいだが、すごい人なのかもしれない。


「凛子さんには本当に感謝してるよ。最初はSNS中心のオンライン大会で、都内のゲーセンでやってる大会にも出たりした。バイトも始めたり止めたり繰り返していたから時間あって、いっぱい出場した。そんなことを繰り返していたらモチベも上がって結構勝てるようになった……そんな経緯で、創一とは比較にならない実力が身に付いたわけよ」


 上から目線の完全に勝ち誇った不敵な表情で言われる。

 可能なら首を洗って待っていろ、とでも言い返したい。しかし全く相手にならないのは明白なので、ここは強者に過剰な反発はしない。


「でも女の身で強くなって少し目立つとさ……からかわれちゃうんだよ」

「そっか、煽られるわけか?」


 普段俺は会社で仕事をしているが、常識ある人間としか関わらない。ただネットや学生同士などのコミュニティではきっと勝手が違うだろう。


「そうだね。オンライン大会では配信のコメントで、ゲーセンでは陰から言われてたこともあるかな。下品な下ネタ交じりのやつもあって、すごく嫌だった。一時は、もう露出する場は控えようと思ったけど、そこでも凜子さんがアドバイスくれたの」


 そこでウエイターが料理を運んで来る。話に夢中で注文したことを忘れていた。


「どんなアドバイスですか?」


 希望ちゃんが訊くと、クスっと微笑み楽しそうに語り出した。


「うんとね……『止めてはいけません。夏織ちゃんはどうしてこのゲームを続けていたの?』って、アドバイスじゃなくて問い掛けだね。でも考えてみたよ、真面目な高校生だったあの頃から格闘ゲームを、ジャムを使い続けていた理由をね」


 すると身に纏った衣装を翻すように、片腕を持ち上げた。


「あたし、ジャムになりたかったんだ。ゲームのキャラ、つまり創作物だけど、何者にも縛られず自由に動き回る姿に憧れてたんだよ……真面目なだけで空っぽだったあたしとは違うこのキャラにね」


 少し頬を赤くして恥ずかしそうだ。それでも夏織は穏やかに語る。


「家を飛び出して我流で格闘術を身に付けた設定や性格、あのゲームは武器を使うキャラが多いのに徒手空拳で戦うのも好きだね。だからちょっと嫌なことがあったぐらいで大会に出なくなるのは嫌だった。だから凜子さんに相談して決めたの」


 すでにテーブルに置かれた料理のことなんて忘れていた。


「あたしは……世界の誰よりもジャムに近い人間になる!」


 子供や漫画のキャラが語るような決意だ。

 ただその覚悟が本物だとわかるから、笑う気なんて全く起きない。


「そのためには大会で勝つだけじゃなく、質の高いコスプレをして姿形も近い人間になろうと思ったの」

「それでこんなに衣装のクオリティが高いんですね」


 ありがとう、とコスプレ広場にいた時と同じ満面の笑みで夏織は答えた。


「大会結果もコスプレも中途半端じゃ舐められちゃうからね。でもコスプレする知り合いなんていないから、まずはオーダーメイドしてくれるとこ調べたりとかしたけど、最終的には自分達で仕上げたものをこうして着ている。そんな感じでモチベも上がって、配信しつつ大会にも出て前より勝ててるよ……けど、あたしずるいなって思う部分もあるんだ」

「ずるいってなんだ?」

「プレイしててわかるんだよ。こっちがコスプレしてプレイしてるせいか、相手が意識しちゃって普段より動けてない時が多い。特に対空の精度が悪くなる人多くて、低空ダッシュ通すことが重要なジャムには有利……ってごめん。創一はともあれ、希望ちゃんにはゲームの内容はわかんないよね」


 するとわからない話を理解しようと固い顔をしていた希望ちゃんは手をバタバタと振る。


「いえいえ。具体的な内容はわからないけど、コスプレしていることで試合のペースを握りやすいっていうのは伝わってますよ」

「そういうこと! 希望ちゃん頭いいねー。でもゲーマーとして上手くなって勝つことだけがあたしの目的じゃないから、それも仕方ないかなって思ってるけどね……以上、あたしがコスプレをするようになった経緯でした!」


 夏織は両手を腰に当て、満足そうに言い切った。


「すごい……わたしはそういう特別な事はしたこと無くて羨ましいです。普通に学校行って部活とかしてきただけだし」


 それでもいい大学に通っているのだから十分だろう、と思ったが言わずに飲み込む。無粋な言葉は今この場に必要無い。


「学生生活が成り立ってるならその方がいい。あたしは環境に馴染めなかったから休学したけど、馴染めてたら当然通っているからね」


 夏織が希望ちゃんに伝える言葉は経験を踏まえたもの。


「この姿を見て、あたしのことを好意的に思ってくれてるかもしれない。けど、普段は格ゲーの腕を磨きながら、適度な運動をしてコスプレの準備をしてるだけの、ただのニートなんだよ?」


 真面目に語る姿には重みがあって、今に限っては夏織の方が年上に思えた。


「一応、隔週ぐらいの頻度で自分のチャンネル以外の配信に呼ばれて、コスプレ格ゲーマーって肩書きで出演したりするけどゲーマー集団の中に行くわけだから、そういう話題だと親はあんまりいい顔しないんだ。凜子さんが上手くフォローしてくれるからどうにかなってるけどね」

「それってゲスト出演、みたいな感じでしょうか?」

「前にプロゲーマーチームの生配信に出てたよな? ちょっとだけ観たよ」


 プロゲーマーが所属する世界大会での賞金やスポンサーからの投資で成り立っている集団がある。彼らが行っている番組に、夏織は呼ばれたりしている。


「そっか、観てくれたんだ? ありがと。最初の頃はゲーム配信の番組に出るだけだったけど、今はコスプレイヤーとして呼ばれたり、こうしてイベントに参加することもあるよ」


 すると夏織は気づいたように店内の時計を一瞥し、慌てて料理に手をつけようとする。


「露出と共に知名度も上がったわけだ」

「でも有名になるためにやってるわけじゃないよ?」


 野菜を一口だけ頬張り飲み込んでから自信を持って言い切った。


「誰よりもジャムに近い人間になるために、やってることだよ」

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