(4)会場でのトラブル

 その後は三人とも素早く昼食を済ませ夏織のファン達へのお知らせ通り、午後一時半には会場に戻ってきた。


「すげえ、もういるんだな」


 まだ定刻になっていないにも関わらず、すでに撮影待ちのカメラマンとファンが数人待っている状況だった。


「来てくれるのはありがたいことだよ。コスプレも格ゲーも、実力を認知されなきゃ何もしてないのと同じだしね。凜子さん、ただいまー」


 年齢は二十代後半ぐらいだろうか? 夏織の家でお手伝いさんとして雇われているという凛子さんが「おかえり」と、夏織だけでなく俺達も迎え入れてくれる。

 後ろ髪を一本の三つ編みで纏めた、物腰が柔らかい印象の人だ。


「更衣室行く?」

「さっきお店出る時に全身見たから大丈夫」


 二人は打ち合わせを短く済ませると、夏織が鏡を片手に髪型や顔を、凜子さんが衣装をそれぞれチェックし終える。

 お互いに頷いた後、凜子さんが写真や名前にSNSのアカウントが印刷されたボードを表に出して壁に立て掛ける。

 そして夏織がスペース中央に数秒間立ち止まり、二歩前に出てから片足を後ろに引いて両手で摘んだスカートの裾を軽く持ち上げる。

 確かカーテシーという欧州式の挨拶だったはず。これもジャムがゲーム内で試合開始時に行うポーズである。


「これから午後の回を始めるわ! 良くってよ!」


 夏織ではなく、コスプレイヤーハイカが甲高い声で放ったキャラクターの決め台詞が、サンシャインの広場に響き渡る。

 すると、スペース周辺で待っていたカメラマンやファン達が歓喜の唸り声を上げ、遠くにいた人達も何事かと近づいてくる。


「そこの彼氏と彼女、こっちいらっしゃいな」


 聞き慣れない言葉で呼ばれながら肩を叩かれる。振り向くと凜子さんが楽しそうな顔で俺達に手招きしていた。


「かっ、彼氏と彼女なんて、そんなっ」


 背後で希望ちゃんがごにょごにょと口籠っているような雰囲気を察するが、振り向いて表情を確かめるのは止めておく。


「は、はい。どうも」


 俺は歯切れの悪い微妙な言葉で答えてしまう。ただ誘導してくれたおかげでカメラマン達の画角から外れ、夏織の姿も把握できる位置に付くことができた。


「これからすぐ盛り上がっていくよ」


 そんな凜子さんの言葉通り、午後開始の決め台詞から数分程度で、午前の終わり際と同じくらいの人だかりができた。

 コスプレイヤーハイカがポーズを変える度に、周囲から喝采や歓喜の声が上がり、二列に並んだカメラマンがシャッターを切る。

 コスプレという分野への理解が少ない一般の人は、この光景を奇異の目で見るかもしれない。

 でも俺には、こんなエネルギーを人に与えられる夏織を賞賛したくもあり……羨ましい、とも思ってしまった。


「今日は来てくれてありがとう」

「いえいえ、わたしは直に綺麗な衣装を見せてもらえただけです」

「俺も珍しい話を聞かせてもらっただけですよ」


 凜子さんは俺達に会釈をしてくれる。


「夏織ちゃんに良いお友達ができて嬉しいわ。一応運動は欠かさずしているけど、いつも部屋にいることが多い子だし……以前はお上品な学校に行っていたからお淑やかな性格だったんだけど、今は趣味のおかげで良く喋るようになったの。ちょっと口調がお下品になったのはマイナスだけど、でも今のあの子の方がわたしは好きかな」


 お手伝いさんというよりは母親や姉のようなコメントだ。


「それに、あなた達みたいなお友達がいた方があの子楽しそうだったり、バランスが良さそうだから」

「あいつのバランス、っていうのはどういうことですか?」


 すると凜子さんは、両腕を組み「うーん」と低い唸り声を上げる。

 定食屋で「どうしてコスプレをするのか」と希望ちゃんが訊いた時、夏織も全く同じポーズで考え込んでいた。


「夏織ちゃんはこういう活動してるから、どうしてもゲーマーやコスプレ方面の交友関係が多くて、そういう人達の話をするとあの子の両親は良い顔はしないの。だけど、あなた達みたいな……彼氏さんはどこかにお勤めの社会人なんでしょ? 彼女さんは若そうだし、きっと学生さんかな?」

「俺は普通に働いてますね」


 彼氏じゃない、と否定するのも面倒な気がしたので俺は普通に受け答えする。希望ちゃんはぎこちなくこくりと頷くだけで答える。


「そういう地に足が着いた人達の話題が出ると、あの子の両親は安心するのよ。だからこれからも仲良くしてあげてね」


 すると凜子さんは丁寧に俺の手を取り、次に希望ちゃんの両手を握ってくる。


「俺も格闘ゲームでたまに稽古をつけてもらうので助けられてますから」

「ええ、喜んで。貴重なお友達ができて嬉しいです」


 そのくらいで夏織の日常や活動に貢献できるならお安い御用だ。


「しっかしまた増えてきましたね。このままだと午前より増えそう」

「夏織ちゃんファンが多いからね。身内なのにこんなこと言うのも変だけど、コスプレの質もかなり高くてゲームも上手いし。あと父親がフランス人とのハーフだから西洋人のコスが映えるんだよ」

「えっ! あいつハーフ……じゃないか、クォーターだったんですか?」


 何の疑問も浮かばなかったからかなり驚く。ただ夏織の顔を思い返すと、確かに西洋人の要素を感じなくもない。


「わたし、目鼻の作りとか肌の白さとかでそうかなとは思ってました」


 希望ちゃんは察して見抜いていたようだ。容姿に無頓着な俺と女性の捉え方は違うのだろう。


「だからメイクを落としても、あまり顔に変化が無いのよ」


 ほぼ自然体であの姿を維持できているなら、コスプレの世界では逸材かもしれない。

 そんな夏織の魅力がさらなる盛況を作り始めた時だった。

 突然、雑踏の中から「ハイカちゃん!」と男性の大声が上がる。すると人の輪を掻き分けて、二人の男が前に出てくる。


「ハイカちゃん、いつも動画とかでも応援してます。受け取ってください!」


 その内の一人が紙袋の中にある、包装された箱を夏織へと差し出す。

 俺はこういう場での決まりやモラルには疎いが、他のカメラマン達が列を守って撮影していることもあり、場を乱すような非常識な行動に思えた。

 夏織自身もこんな場で急に渡されたプレゼントを受け取るべきなのか、周囲の様子を見渡しながら困っているようだった。 


「創一さん、あれって少しまずくないですか?」

「うん。そう思う」


 暗黙のルールを破られて、周囲の人達も不満に思っているのかどよめき始めている。


「えっと……はい、ありがとうございます。大事にしますので」


 夏織は場の悪くなっていく空気を察してかプレゼントを受け取りお礼を言うと、男に対し言葉を使わず手の動きだけで後ろへ下がるように促す。


「春の十本勝負企画、ゲーセンで見てました。すごく面白かったです」


 しかし相手は誘導を聞き入れる気が全くない。さらに後ろに控える男も紙袋を持ち、同じようにプレゼントを渡すつもりのようだ。

 夏織はどうすれば良いのかわからず困っている。ここは助け船を出すべきだろう。


「あの、すいません。撮影の列もあるのでこの辺でいいでしょうか?」


 俺は職業柄、普段全くしない作り笑顔で男に近付き、彼の肩に増えて軽く押しながら語り掛ける。


「あんた、なんだよ?」

「かお……ハイカさんのお手伝いですよ」


 睨み付けられても引き下がらず返事をする。もちろん即席の嘘だが、この状況では夏織もわざわざ否定しないだろう。

 空の紙袋を持つ男と俺が対峙したままの時間が過ぎていくが、まるでそれを好機と見たのか、後ろで控えていた別の男が夏織へ近づいていく。


「ハイカちゃん、ずっとファンでした! 受け取ってください」


 一人目はプレゼントを差し出すだけで、決して押し付けることはしなかった。

 しかし二人目は夏織の手を持ち、強引に袋を握らせてくる。


「ひっ」

「先週の大会の動画も観てましたよ。もう少しで先方3タテ決めれたのに惜しかったですね。最後の試合、あの時にぶっぱなしは結果的には失敗でしたが、僕も同じことしてたと――」


 急に手を握られて夏織が驚いているのにも構わず、男はそのままファンとしての思いの丈を一方的に語り続ける。さらに一人目と違って収まる気配が無い。

 しかも夏織に対して必要以上に詰め寄っていく。

 体型は小太りで汗も掻いているため清潔感が皆無、そのむさ苦しさは男の俺でも生理的に引いてしまうくらいだ。


「う、にぎっ」


 夏織はファンに対する意地なのか、取り乱さないように背筋を張って歯を食いしばり、この状況を耐えようとしている。

 しかし顔面は徐々に引き攣っていき、我慢の臨界点を超えるのは時間の問題に思えた。

 俺が抑えていた男でさえ変わっていく夏織の異常な様子に気づいたのか、こちらに食って掛かる態度が収まり少し大人しくなる。


「お、おい……」


 俺は恐る恐る声を掛けてみるが、何かを堪えるように震える夏織には届かない。

 そして次の瞬間、顎を引いてから堰を切ったように夏織の両肩に力が入って――


「うるせえ、このおチンポ野郎!」


 全く手加減の無い下品な怒号が響き渡り、周囲が静まり返る。

 鈍感な小太りの男もこれにはさすがに驚いたのか、夏織が発した圧力の前にたじろぐ。


「ていやあああー」


 そして夏織は、溜まりに溜まった嫌悪感を吐き出すかのように、両手の握り拳を全力で突き出し男へぶつける。

 すると突然の攻撃を受けてバランスを失った男は踵で踏ん張るが、耐え切れず後ろ歩きで人の輪へ突っ込み派手にすっ転ぶ。


「はっ、発勁?」


 カメラマンの一人が呟く。それはこの場にいた者達全員の代弁でもあった。

 夏織が放った両手での突きは、扮しているキャラのジャムがゲーム中で繰り出す「発勁」という中国武術の技にそっくりだった。もちろん狙ったものではなく偶然だろう。


「大丈夫か?」


 安心させたくて希望ちゃんより狭い肩にそっと触れてみるが、今も荒ぶる気持ちが収まらず胸を上下させたまま、倒れたままの男を睨みつけている。


「今日は……これで終わりにします!」


 夏織は突然、自分を囲む周囲へそう宣言した。

 すると列で待っていたカメラマン達を中心に、一気にざわめきが広がっていく。


「待て待て、考え直せって」


 俺の声を聞こうともせず、夏織は凜子さんに預けていた荷物を受け取り、サンシャイン内にある更衣室へ向かおうとする。


「再開してから、十分くらいしか経ってないんですよ?」


 希望ちゃんも俺と同じように引き留めようとするが、夏織は聞く耳を持たない。

 それからも俺達三人は帰ろうとする夏織を説得し続けた。しかし夏織は気持ちを改めることは無く、素早くメイクを落とし着替えるとコスプレ会場を通らずに帰っていった。

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