3.コスプレ格ゲートッププレイヤー

(1)格闘ゲーム配信

 夏のコミケ会場から受けた刺激も落ち着き、約一ヶ月が経った頃。

 パソコンの前に座っていると、玄関のブザー音が聞こえてきた。

 就職を期にこの部屋に住み始めて三年、訪ねてくるのは通販で購入したものを運んでくる宅配の人ばかりだった。しかし最近は別の尋ね人もやってくるようになった。

 念のため部屋に見られてはいけないものが無いか一通りチェックしてから、チェーンとアームを外して玄関を開ける。


「創一さん、こんにちは。全部読みました」

「続きを御所望かい? どうぞ」


 三冊のコミック本を両手で持ち、ポニーテールを揺らしながら「えへへ」とはにかむ希望ちゃんを部屋に招き入れる。

 俺は彼女から限フォルの漫画を少しずつ借り、ゆっくりと一ヶ月掛けて全巻読破した。すると今度は逆に俺が持っている漫画を貸すことになった。


 但し、部屋に入れるのは漫画を渡す時だけで、いわゆる男女の関係は全く無い。俺も健全な二十代半ばの男子だから下心は多少ある。ただ今は、ヲタクネタが通じる隣人がいるだけで楽しいのでこの状況を変えようとは思わない。


「彼氏と彼女の事情、いいですね! 心理描写での言葉の使い方がすごく好きです」

「次の三冊がすごく面白いんだよ……だから、ここから一冊五十円ずつ貸すのでどうだろ?」

「えっ? 何かおっしゃいました?」

「いえいえ、何も」


 わざとらしく耳に手を添えて訊いてくる希望ちゃんのプレッシャーを一言で躱す。限フォルは無料で借りていたからもちろん冗談だ。


「じゃあその三冊を頂いていき……あれ、何を観てたんですか?」

「ああ、これか」


 ミュートにしていたパソコンの音量を大きくし、ウインドウを最大化させディスプレイのアームを希望ちゃんへ向ける。


「前に格闘ゲームをやってるって少し話したの覚えてるかな? そのプレイ配信、生放送ってやつだね」


 俺が観ていたのはオープンレッグという、対戦ゲームでよく使われる配信サイト。

 動画枠内にゲーム画面が映り、動き回る二人のキャラクターが技を繰り出しながら競り合っている。画面上部には体力を表すゲージがあり、相手のゲージをゼロにした方が勝者となる。

 ゲーム画面の隣には短い時間に多くのコメントが流れている、ゲーム内容を把握しながら読むのは難しいほどの数だ。


「ネットサーフィンしてたら偶然見かけたことあります。これ確か、ブレイギアってタイトルでしたっけ? なんか、複雑ですごく難しそうですよね」

「そう思うのはしょうがない。ブレイギアもだけど、コンボゲーは見た目が派手だしね」


 解説したつもりだが希望ちゃんは「コンボゲー」という言葉の意味がわからず、ぎこちなく首を傾げる。だから少しだけきちんと説明してみる。


「格闘ゲームにも大きく二つのタイプがあって2Dと3Dがある。これは2Dの格闘ゲーム、奥行が無く平面での対戦なんだ。その中でも、素手で戦う格闘家のキャラが多く動作がわかりやすいものが格ゲーの源流だね」


 どれだけ専門用語を多用してよいか迷うが、彼女の理解力の高さとヲタクとしての教養を信じて話し続けてみる。


「それに対して同じ2D格ゲーでも、剣や銃を持つ派手なキャラがいたりして、操作の自由度が高いものをコンボゲーと呼ぶんだ。連続技とかが多くて爽快感がある」

「なるほど。じゃあこれは、コンボゲーなんですよね?」


 五歳以上年下の女の子に格闘ゲームの説明をして引かれないか不安だったが、杞憂に終わって安心する。格闘ゲーム自体、俺と同じ二十代の人でもプレイヤーは多くないし、彼女と同じ十代ともなれば子供の頃に全く触れず育った人も多いからだ。


「きっと、それで操作するんですよね?」


 希望ちゃんは俺の机の横に立て掛けてあるものを指差す。九つの大きなボタンと一本の棒の先に球体が付いたレバーが合わさった、大型のコントローラだ。


「最近はパッド、据置機の普通のコントローラでプレイする人も増えてるよ。俺も最初はそうだったんだけど……師匠にレバーを使えと言われてね」

「し、師匠?」


 彼女は言葉の意味がわからず再び訊いてくる。

 その時、動画内での対戦が一区切りしてゲーム画面が縮小されていく。


『いやー、どうにか勝ちましたねー。対空への意識配分をサボってたから逆転されそうでしたけど』


 代わりに左上に縮小されていたプレイヤーを映す画面が拡大され、この動画の配信者の姿が大きく映し出される。


「えっ? キャラのコスプレ? 女の子?」


 コントローラを膝の上に置きながら試合を思い返す配信者の姿を見て、希望ちゃんは驚く。


「あー、いきなりこんなの見せちゃってごめん。その……コスプレの映像とか苦手だったかな?」

「いえいえ。わたしもたまにゲーム実況の動画とか見ますけど、ただこういうのは珍しかったので」


 画面で話し続ける彼女は、自分が操るキャラクターのコスプレをしながら格闘ゲームの配信をしている。日本でもこんな形式で配信を行っている人間は一人だけだろう。


「俺の格闘ゲームの師匠が、彼女なんだ」


 俺は画面のディスプレイを指差して話す、しかし説明不足なのは自覚していた。

 すると希望ちゃんは不審に思う心を隠さず、表情を歪ませて俺の顔と画面に映る配信者を交互に見比べる。


「趣味って、自由だと思うんです。でも画面越しの有名人を心の師匠っていうのは……ちょっと行き過ぎているというか。そういうの信者とか囲いというか」


 知り合ってから数ヶ月、活発で礼儀正しい子だと、最初は思っていた。

 最近は言い方こそ控えめだがやや毒舌な言葉を使う時もある。仲が良くなったと思えばいいのだろうか?


「希望ちゃんは大きな誤解している。彼女は灰谷夏織はいたにかおり、カタカナで「ハイカ」ってリングネームで活動しているプレイヤーなんだ。あと画面越しの相手じゃなく、実際に会ったこともあるし連絡だって取れるよ」

「そういえば……夏コミの時に会いに行く予定だった人でしたっけ?」

「そう! よく覚えてたね」


 俺が先月のコミケで、愛徒さんと話していた内容を微かに覚えていたのだろう。彼女のこんな一面を見えた時、程度の良い大学に通う学生は違うなと思い知る。


「なるほど、お知り合いでしたか。なら納得です……でも、本人のルックスも良くて衣装も綺麗だからファンになる人多そうですね」


 口に出した事は無いが、俺も内心ではずっと賞賛していた。

 夏織がコスプレをしながらゲームで使用するキャラクターは、ジャム・ブルーベリーという名前の美少女。

 動きやすさも確保しつつ、控え目なフリルが端々にあるドレス然とした姿をしている。

 西洋人でありながら貴族の親に反発するために東洋の文化を学び、日本の空手や柔道に中国武術やテコンドーを織り交ぜた独自スタイルの格闘術で戦うという設定。そのため顔立ちや服装は西洋人なのだが、必殺技などが全て漢字で書かれている。


「本人から聞いたことあるけど、衣装はかなりこだわっているらしいよ。売り物じゃなく自作みたいなんだ」

「えっ、自作! こんなの普通の人が作るのは厳しいんじゃ」

「衣装の用意は手伝ってくれる人がいるらしい、多分普通のコスプレイヤーの人より手間を掛けていると思う」


 そんな安っぽさが無い品質を感じる衣装には、ゲームの内容を知らなくても目を見張るものがある。

 さらに背丈もやや小柄でジャムというキャラクターに近く、髪の色まで同じ派手な金髪に染めている。

 他にも動画配信の仕方にも工夫が見られる。音声用のヘッドセットは、ゲーム配信でよく使われる頭に掛かるタイプではなく、ネックバンド型のもの使っている。きっと髪型を崩さないためだろう。

 さらに試合終了後に長いトークをする場合は全身を映すために、やや引いた位置に設置した別のカメラに切り替えたりもしているようだ。


「あんまり詳しくないけど、夏織はコスプレイヤーとしても有名みたいだよ。ちょっと特殊な立ち位置みたいだけど」

「特殊?」

「コスプレイヤーの人って複数の衣装を着ることが多いらしいんだけど、夏織の場合はこのジャムってキャラの衣装しか着ないんだ。それにコスプレしたままゲームする人は稀だと思う。しかも俄かじゃなく腕前も完全に上級者ときたもんだ」

「へー、上手なんですね」

「メーカー公式の大会にも毎回出場しているレベルだよ。昔は俺でも少しは太刀打ちできたけど、もう全く敵わないね。今じゃ教わる方だよ」


 実力差が大きく開いた時のことはショックだった。まずはゲーム内にある段位と呼ばれる格付けで圧倒的な差がつき、やがて三ラウンド先取の対戦しても一ラウンドすら勝てなくなった。


『じゃあ十戦やったので、今日はこの辺で配信終わります……次回観に来ても、良くってよ!』


 夏織は最後にキャラクターの決め台詞で締め括り、机の上にあるマウスを操作した所で動画枠内が黒くなりオフライン表示される。今日の放送は終了のようだ。


「なんというか、本格的なんですね。雑談配信みたいのじゃなく番組の体を成しているというか、あんな可愛い子がすごいなー」

「衣装と同じで、普通の人と違って一人でやっているわけじゃないらしい。お手伝いさんに協力してもらってるらしいよ」

「お、お手伝いさん?」


 希望ちゃんは目をパチクリ瞬かせる。


「詳しくは知らないけど、多分ファンの人とかかな? あの配信も衣装も協力して整えてもらってるらしい。活動方針は全て自分で決めてるみたいだけどね」

「なんか、住む世界が違いそうですね」


 圧倒されたように、オフライン表示されたオープンレッグのサイトを眺めながらそう呟いた。

 するとキーボードの隣に置いてある俺のスマホが震え出す。


「おっと、タイムリーだ。珍しい」


 通知画面には、配信を終えたばかりの夏織からメッセージの受信表示があった。


「夏織、本人からのメッセージだよ」

「えっ、えっ、さっきの有名人から! す、すごい」


 直前に配信番組の中に映っていた人間から来た連絡だからだろう。希望ちゃんは俺がスマホでメッセージを見るまで、手を握り締めて待っている。


「どれどれ」


 パターンロックを解除してアプリを立ち上げ、夏織とのチャットを開く。


――愛徒のアホから聞いたよ。夏コミの時は会えなくてごめんね

――次の週末に池袋でコスプレのイベントがあってあたしも出るから、良ければ来なよ!


 俺が普段全く使わないスタンプや絵文字を使った煌びやかな文面だった。

 そのまま隣にいる希望ちゃんに見せると、彼女はわずか数秒で晴れやかに破顔する。


 持ち上がった頬が下がらず、無言で俺に向けて何度も頷き続ける。それは何かを訴え掛けるようで、内容は訊かずともわかる。


「オーケー、わかった。行こう。うん、行こう」


 それから興奮冷め止まぬ彼女を落ち着かせるのに、俺はしばらく苦労した。

 夏コミでは叶わなかったが、久しぶりに夏織に会えるのは楽しみではある。

 しかし格ゲーに関しては大分サボっているため師匠対して忍びない気持ちがある。

 会うのはコスプレのイベント会場だし、師匠と対戦するわけではないが、週末までには少し練習することにした。

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