(3)ヲタク達の団欒
それから十分後には警察がやってきて、希望ちゃんも事情聴取を受けることになり、俺は一人で待つことにした。
「な、なんか、わたし悪くないのに、悪い事した気分になっちゃいますね。へへへ」
慣れない状況から解放されたせいか、緊張で全身が固まり歩き方もぎこちない。
「とんでもない、正義の味方じゃん。おつかれさまでした。はい、これ貴重品」
労いつつ、預かっていた戦利品が詰まった彼女の鞄を渡す。
「あ、ありがとうござ……中身見てないですよね!」
思い出すようにすぐ強張った表情になり、ぐいっと顔面を近づけて威嚇される。
「もちろんそんな無粋な真似はしていないさ、アハハハハハ」
「怪しいですねー」
わざとらしく笑ってみせると、疑いの眼差しを向けられるが、事情聴取での緊張が解れてくれるならそれでいい。
「しかしお手柄だ。足が速いんだね、俺にはついていけなかった。まだ二十代半ばだけど衰えを感じたよ」
そんな歳臭いことを言うほどの年齢になったとやや後悔する。
「まあ、ちょっと前まで高校生してましたし……それにしても、愛徒さんってすごいですね」
なんだか話題を逸らすような言い方に聞こえた。
ただそこを掘り起こす必要も無いだろう。
「うん、すごい体だよね、普通の人に比べて毎日二倍くらいカロリーを摂ってるらしいし」
「それもありますけど、頭の回転が良さそうというか、仕事できそうというか、警察の人と話してる時も説明がすごくわかりやすいんですよ」
「あの人はそうだね。ワーカーホリックって冗談みたいにさっき言ったけど、あれは褒め言葉でもあるんだ。とにかく「できる人」なんだよ、頭も良いし体力もある……おっと噂をすれば、あそこにいるの愛徒さんだね」
距離は遠いが愛徒さんらしき人の姿、体格の良さから見間違えるわけがない。
今はスタッフ同士で話し合いをしているようだった。
しかも他の数人が愛徒さんを囲むような様子、リーダーのような立ち位置なのだろう。
「なんか頼られてるみたいですね」
「兄貴肌というか、大将の器というか、そんな人だよ」
やがてあと一時間もせずにコミケが閉会する時刻になり、ホールの中を覗いても人が疎らになってきたのがわかる。スペースの片付けを終えているサークルも増え、運営スタッフと思わしき人達が東奔西走している姿も目立ち始めてきた。
「そういえば、警察との話が終わった後に愛徒さんが言ってました。もし残れるならお礼がしたいから二人共少し待ってて欲しいって」
「希望ちゃんがこの後も平気なら付き合うよ」
すると彼女は「大丈夫です」と、コミケの後なのに疲れを感じさせない。一緒にホールを出てビッグサイトの外、逆三角形ピラミッドの下で待つことにする。
すると閉会のアナウンスが流れてから十分程度で、愛徒さんが小さなリュックを担いで小走りでやってきた。
「待たせたな」
「思ったより早かったっすね。普段はもう少し仕事してるんでしょ?」
「そんなわがまま通せるくらい、普段動いているからな。それに君達のことを話したらみんな快諾してくれた。さあ、行こう。話しやすくてそこそこ美味い店を知ってる。もちろん奢りだ、二人ともな」
大きな両腕で俺と希望ちゃんの肩を軽く叩いてくる。
「そ、そんな。大したことしてないですよ」
「希望ちゃんはともあれ、俺は何もしてないのに」
愛徒さんは遠慮する俺達を「やれやれ」と困ったような顔付きで眺めてくる。
「君がいなきゃ、あの盗人を追い掛けるのにかなり苦労したと思う。だからスタッフを代表してお礼をさせてほしい。あと創一がいなきゃ、彼女はあの場にはいなかっただろ?」
三人で国際展示場駅から新木場駅で乗り換える。
「ほう、バンドフェスやってるのか。ジブンは指が太いから音ゲーは苦手でな……でもラッピングトレインをたまに見掛けるぞ」
「へー、知ってるんですね? 愛徒さんはスマホゲー何かしてますか?」
「RPGのグランオーダーをやってるぞ。毎月千円程度の微課金で、アニメ流しながらちまちまやってる。創一は今もあのカードゲームやってるのか?」
「うん。あれは毎日デイリーやってれば完全無課金でも楽しめるからね、気が楽だよ」
「いいなー。わたしも少しくらいならお金掛けたいんですが、なかなか……」
「スマホをSIMフリーの格安にしてみるとどうだろうか? 普通の契約より数千円は浮くから、その分課金に回せる」
電車の中では、自分達が続けているゲームの事情に花が咲き、話が途切れることは無かった。三人ともヲタクで同族ということだろう。
さらに数駅進んだところで降りる。
愛徒さんの広過ぎる背中は全く迷わず進み、半地下のお店に入っていく。
「へー、おっしゃれですね」
希望ちゃんは店内の様子を気に入ったようだ。
程よく暗めの照明に、天井ではシーリングファンの羽根がゆっくり回っている。
細かいところでは各席に置かれた調味料の小瓶は熊の形をしていたりと、特に女性には受けが良いお店かもしれない。
体が大きい関係でソファ側の席に愛徒さんが一人で座り、椅子の席に俺と希望ちゃんが座る。
「コミケは相変わらずの混雑で、スタッフお疲れ様でした」
「明日も明後日もあるからな、まだ気は抜けない……明日は3000部のサークルを担当するから今日よりしんどいさ」
「サークルさんが持ち込む本って何冊ぐらいなのか知らないですが、きっと3000ってすごく多い方なんですよね?」
希望ちゃんが訊いたその部数は、俺でも一部の大手サークルにしかできないことだとわかる。
「ああ、氷山の一角だ。3000部以上が大量搬入という扱いになる。過搬入で混雑や混乱から他のサークルへ悪影響になりやすい。だから運営としても特殊な対応をしなきゃいけないんだ。防災上の問題があれば販売停止になることもある。まあ大手サークルはそういう事情を熟知しているから、そんなことはほぼならない」
俺はコミケに何度か参加しているが、そこまでの細かい事情までは知らなかった。
「販売停止自体は、遅刻でチェックを受けられなかった場合や、表現上の問題がある場合で発生するケースの方が多いがね」
「表現上の問題?」
「ワイセツ図画、平たく言えばモザイクをちゃんと付けていないというのが多い。それだけじゃなく知的財産権の侵害なんかも注意点だ。あとは本ではないグッズを持ち込むサークルもあるから、危険物でないか確認もする」
やや際どい語句を愛徒さんはなんの躊躇も無く喋るが、事務的に告げていくため希望ちゃんは授業中の学生のように聞き入っている。
しかし愛徒さんはそんな状況から我に返ったように、額に親指と人差し指を当てる。
「むっ、つい仕事のノリで喋ってしまった、すまない……そういえば創一、借りていたゲームだがどうにかクリアしたよ。今日渡そうと思ったんだ」
席に座ると鞄の中から、俺が半年前に貸したゲームのパッケージを渡される。
「てっきり途中でクリアを諦めると思ってたよ。愛徒さん忙しいから」
「正直厳しかった。コンシューマのゲームでもヒット作は楽しいとわかってるんだが……人のものだからやらないとダメだ、って自分自身を少し追い込まないとなかなか始められない」
すぐにお冷を持ったウエイターがやってきて注文を訊かれる。氷が浮かぶ冷たい水はコミケ帰りの身を癒してくれる。
「ひとまず生だな」
「希望ちゃんは未成年ですよ?」
「えっ!」
驚きのあまり巨体が一瞬飛び跳ねると、忙しない動きで俺と希望ちゃんの顔を交互に見比べてから、最後にじっと俺を睨みつけてくる。
「創一……この犯罪者め!」
シャツの襟でも掴まれそうな、恐ろしい形相で言い切られる。
「ななっ、なんですか?」
「二十五歳になった人間が未成年と一緒にコミケだと? 舐めとんのかリア充! ここは二次元じゃねえんだぞ? それなんてエ……おっと、取り乱してしまった。失礼」
口汚い怒声で貶してくる様は、大昔のヤンキーや堅気ではない人の類だ。
もう手遅れだが、愛徒さんはまともな人間を装って注文をする。するとウエイターの人は驚きを隠しながらも残り二人の注文を取って、逃げるようにキッチンへ向かっていく。
「二人はどういった関係?」
「わたし達は、隠れヲタク同盟です!」
「ん? なんだって?」
愛徒さんは希望ちゃんが自信満々に言い切った言葉の意味がわからないようで、自分の耳に手を添えたださえ大きい顔を突き出してくる。
「住んでるマンションのお隣さん同士なんだよ。偶然趣味が同じことがわかったんだ」
「お隣さんか……べっ、別に羨ましいとか思ってねえし」
目の前の大男は、露骨に口をへの字にひん曲げて捻くれている。
そのうち鼻糞でもほじるような勢いだからここは力技で誤魔化す。
「まあ、ゲームの話題を戻すとだ……愛徒さん、普段はスマホのとかやってるんだっけ?」
「そうだな、でもスマホの手軽さを理由にやってるわけじゃない。同人誌が多く作られているのがソシャゲーやブラウザゲーが多いから、どうしてもそっちに手を出してしまう。その方が即売会の様子、作品やキャラのこととかもわかりやすいからな」
「普段の娯楽も、即売会とか同人業界に近いものを選んでるってことですか?」
希望ちゃんは彼の話をまとめて短く表現する。
「その通り。同人で流行るかどうか、同人ありきだ……でも、価値観が偏っていると自覚はしている。普通の人はそんな娯楽の選び方をしないからな。純粋に作品を楽しむ感覚が薄れてるような気もするんだ」
「でも理由があるのはいいことな気がするよ。何も思いが無く、適当に選ぶよりずっと良いというか、それが自然というかさ」
「そう言ってもらえると助かるな」
俺も同じようなことを最近感じていた。愛徒さんには目的がある分、感性がより腐っているのはこちらではないかと思えて危機感に近いものを覚える。
「そういえば、お二人って学生時代のお友達とかですか?」
そんな至極真っ当な質問をされて、俺達は顔を見合わせた。これまでの会話で会社の同僚には思えなかったはずから、自然と疑問に思ったのだろう。
「うーん……喧嘩の仲裁がきっかけ?」
記憶を遡って、初対面の時に起きていた状況をそのまま口にする。
「こらこら、誤解を招くような物言いは止めんか! 創一と会った時にはもう即売会のスタッフをやっててな。その時に、決まりを守らないやつと言い争いをしてたら、こいつに止められたんだよ」
「そりゃ止めますよ。二メートル級の大男と小柄な女の子が言い争いしてたらヤバいですよ。事案と思いましたからね」
「へっ、別に犯罪者扱いしなくてもいいだろ……まあ、創一とは即売会でたまたま会って、そこから仲良くなったって流れだな」
「俺は会社でずっと隠れヲタク通してたから、趣味の話ができる知り合いが欲しかったしね」
「なんだ、今もこそこそしてるのか? ジブンはスタッフやってることすら職場に打ち明けてるぞ」
「愛徒さんほどキャラ濃ければ平気かもしれない、俺は肝が据わってないんだ」
「わたしも創一さんと同じで大学では趣味のことは封じてます。ちょっと怖いので」
同意してくれる希望ちゃんにサムズアップをすると、彼女も同じポーズで返してくれる。どんな時でも同士がいてくれるのは心強い。
「なるほど、それで隠れヲタク同盟というわけか」
「はい、そうです! でも会社の人にも話せるなんて、愛徒さんはコミケとか即売会とかが本当に好きなんですね」
愛徒さんはとても満足そうに、にんまりとした極上の笑顔で喜ぶ。社交辞令や嘘を感じない希望ちゃんの言葉は、彼にとってこの上ない賞賛だろう。
「もし良ければでいいんですが、どうして即売会のスタッフやり始めたのか訊いてもいいですか?」
年の離れた女子からそんな質問を受け、彼は丸太のように太い鍛えられた両腕を組み、天井のシーリングファンを見上げた。
「それは……うーん、こうしてコミケ後だし、たまに語るのは面白いかもな。ちょっとだけ長めな話だ」
すると、話題の区切りを見計らったかのように三人の前に注文の定食が運ばれてくる。そしてウエイターが去ってから愛徒さんは再開する。
「ジブンは二十六歳なんだが、高校生の頃からコミケには行ってたんだ」
「すごい! 参加歴そんなに長いんですね」
箸に手を付けず両手を合わせて驚く希望ちゃんに「食べながらでいいぞ」と愛徒さんは片手で促す。
「ただ二十二歳ぐらい頃……ジブンはコミケに参加する意欲が薄れてきてしまったんだ」
定食の一口目を食べようとして、俺はその指を止めた。
「ヲタク趣味に変化が無くて、同じことの繰り返しに限界を感じていたのさ。ただ消費者側でいることや、本を買うだけのジブンが虚しいと思ったのかもしれない」
あれだけコミケや同人誌即売会にのめり込んでいる愛徒さんからは想像もできない言葉だった。
「所詮は趣味だから止めればいいだけ、そう表現する人は多いだろう。でも、だからといって参加しないのは寂しいというか寒いというか、嫌だったんだ。それだけハマって……いや、依存していたんだろうな。だからいろんなことを試した」
普段は強かで頼りになる人なのに、こうして語る彼には弱々しさが垣間見える。
「まずペンタブ買って絵の練習をして、同人誌をジブンで作ろうとしたこともあるが、当然下手過ぎて理想とは程遠いイラストしか描けない。なら同人音楽や同人ゲームでもいいか……なんて考えても技量に蓄積が無いからそれも同じ」
苦労していた思い出を振り返ったせいか、やや眉間を歪ませている。
「そんな迷走をしていながら、落ち着かない気分でもコミケにはそれまで通り行ったが、あれはもう惰性と言える域だったな。そんな段階になってようやく、ジブンはコミケの何が好きなのか真剣に考えてみたんだ」
続く言葉を聞きたくて愛徒さんの細い目を見続けてみる。
「原作への愛なのか、綺麗なイラストが好きなのか、装丁された同人誌自体が好きなのか……どれも違ったよ。気づいたのはな、ジブンはコミケという場の雰囲気が好きなんだってな」
「だから、運営スタッフに?」
訊く俺と一瞬だけ視線を合わせてから、彼はゆっくりと頷く。
「ああ、そうだ。運営する立場なら、あの熱気や盛り上がりの手助けができるって思ったんだ。こうして続けて四年が経った。今じゃ、副ブロック長を任されるぐらいにはなれた」
昔を思い出すかのように目を閉じている愛徒さんの姿に、掛ける言葉が思い浮かばない。
別の志自体は俺自身にもあるが、同じレベルで活動しているとは思えないからだ。
「どうして、続けられるんですか?」
沈黙が続いた後、希望ちゃんがそう切り出した。
「運営スタッフはバイト代みたいのって、多分出ないですよね?」
「ああ、もちろんだ。ほぼみんな、ボランティアだ」
「いくら思いや拘りがあるとしても、どうして続けられるんでしょう? 勉強や仕事みたいにやらなきゃいけないものじゃないのに」
彼女の口調は普段通り。ただその声色は、僅かに重々しい何かを含んでいるように思えた。
「そこまで深く掘り下げたことはジブンでもあんまり……ただヲタクしているだけじゃ物足りなくなってきたのは間違いない」
すると愛徒さんは顎を擦りながら考え込む、記憶の海にある深い場所へ沈み込むかのように。
やがて何かを閃いて浮上するように瞼が急に開いた。
「きっと、ジブンはな……何者かになりたかったんだ」
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