(4)最終回視聴
そして二週間後の水曜日。
限フォルのアニメは放送開始時期が遅かったこともあり、最終回は七月の二週目になった。
目の前にある小振りな机にはコンビニで買った小さいペットボトルのジュースが二本ずつ、その中央にスナック菓子が置いてある。
「気楽に寛いでください」
希望ちゃんが座るベッドは薄いピンクを基調としている。さらに俺が座る座椅子はフリルの付いた可愛らしいデザイン。その他の家具や、カーテンやカーペットも女子らしいもの。
趣味趣向も質素な俺の部屋とは違い、とても眩しく見える。
こんな女子らしい部屋に入ったのは久しぶりで若干緊張してしまう。
ただ本棚には、漫画やラノベの類が多くあり、携帯ゲームも置かれていたためそこには親近感を覚える。
「あれ、これって同人誌かい?」
本棚のやや高さのある段に、厚みの無い、いわゆる薄い本が立て掛けられている。
「はい、創一さんに貸してもらったやつが面白くって、何冊か買っちゃいました」
「へー、ちょっと読んでもいい――」
「ダメです」
訊き終えるよりも速い即答だった。
抑揚の無い声が、本棚へ伸びる俺の手を止める。
恐る恐る振り返ると、全く揺るがない氷の微笑みで警告してくる希望ちゃんがいた。
「絶対にダメです。そこは聖域です」
「……ご、ごめんなさい」
当然だろう。女子が買う同人誌の内容を考えれば、デリカシーに欠けた行動だった。
「こちらこそ、わたしも配慮が足りませんでした。隠すぐらいはすべきでした」
すると彼女は仕切り直しに、大きな咳払いを一度する。
「さてさて、あと五分くらいですね。楽しみです」
「展開を知ってても楽しみなのかい?」
「もちろんですよ。だって止まった絵で想像しかできなかったものが、動画ではっきりと見えるなんて最高じゃないですか!」
それは当たり前の事かもしれない。でも純粋な気持ちであることに違いは無く、真っ直ぐに語れることが羨ましくもある。
今まで多くの漫画やアニメを観過ぎてきたせいか、最近は最終回を迎えても消化するように視聴してしまう。社会人にはありがちで斜に構えた楽しみ方、すっかり老害ヲタクだ。
でも今日は一緒に視聴する同士もいる、だから童心に戻ってみよう。
すると腹の底が疼くような、新鮮な気持ちが沸いてきたような気がした。こんな感覚は中学生以来だろうか。
「さあ、始まりますね」
CMが空け一瞬だけテレビ画面が真っ暗になってから白い閃光が入り、最終回が始まった。
********************
「いやー、良かった。うん、うん」
希望ちゃんは両手を合わせ、うっとりと余韻に浸っている。
「丁寧な作りでいい感じだった」
今までの通常回がエンディングの曲が流れて終わっていたところ、エピローグと同時にオープニングの曲が流れる演出で最終回が終わった。
シナリオは原作を改変せず演出やBGMの工夫に徹していた印象で、原作を読んでいても安心して楽しめる仕上がり。きっと視聴者達の大部分は満足できたはず。
「あー、もう一周したくなり……あれ?」
何個かCMを挟んだ後、画面にはスタジオのような部屋が映り、ジャケットを着こなした小奇麗な男性が一人座っている。
すぐにテロップが出て、それが漫画の原作者だとすぐにわかった。
「えっ、BL要素も含むあの内容なのに、作者は男の人だったのか!」
偏見かもしれないが、BLを描く人は漫画でも小説でも女性だとばかり思っていた。
「あ、知らなかったんですね。そうなんですよ。この方はバイセクシャルをカミングアウトしているんですけど」
俺は露骨に「えっ」と声を出してつい驚いてしまう。
ただそれを窘めるように、希望ちゃんは真っ直ぐ立てた人差し指を向けてくる。
「今の時代、そういう差別はいけませんよ? GL、百合好きな男の人だっているじゃないですか、それと同じですよ」
「百合好き……そ、そうだよね。うん」
「何を動揺してるんですか?」
「い、いや別に」
「大丈夫ですか?」
一瞬だけ瞼を細め「ほう」と呟き、人の心を見透かすような鋭い視線を向けられる。
「話を戻すと……作者の方が男性だからか、BL描写がわざとらしい受け狙いじゃなく自然な気がするんです。わたしが限フォル好きな理由の一つですね」
「わかるかも。確かに俺の好きな百合作品がラノベにあるんだけど、その作者は女性だし」
原作者インタビューは一分程度で終わり、希望ちゃんは次の番組が始まったところで画面を無音の録画リストに切り替える。
「しかしバイか」
「どうしたんですか?」
彼女はベッドに座ったまま、斜め上から顔を覗き込んでくる。
その拍子にTシャツの襟が弛んで、胸元が見えそうになるが固い意志で視線は動かさない。絶対に無自覚な罠だからだ。
「知人にバイが一人いるんだけどさ、まあぶっ飛んでいる性格なんだ。ごめん、ちょっと思い出しただけ」
クリエイターには変わり者が多いという一般論もあるが、限フォルの作者さんは真っ当な常識人でいてほしい。
「この前、あの作者さんのサイン会行きたかったんですけど、抽選漏れしちゃいました」
「そりゃ残念。でも有名過ぎる人だろうから、またチャンスあるかもしれないね」
「ネットを漁って調べた情報だと、この方はコミケに毎回出ているみたいで、サイン会みたいな時間があるらしいんです」
その三文字のカタカナが持つ言葉は、ヲタクなら誰もが知っている。
一般の人にも意味が通じるほど巨大な規模のイベントの名称だ。
「コミケか……その感じだと、希望ちゃんはまだ行ったことないかな?」
「はい、単純に去年は受験生でしたし。それに、テレビやネットで見る列の並び方とか勝手もわからないし、戦場って噂されるぐらいだから一人で行くのもちょっと不安で」
「じゃあ今度一緒に行こうか?」
「えっ、いいんですか!」
希望ちゃんは俺の誘いに驚き、前のめりになって顔を近づけてくる。しかし互いの距離が近過ぎることにすぐ気づいて「ごめんなさい」と肩を窄めてしおらしい仕草で謝ってくる。
正直なところ、驚いたのはこっちだ。
彼女が顔を近づけてきたからじゃない。自然な会話の流れで切り出し、コミケに行こうと積極的に誘った自分自身にだ。ただそんな戸惑いを悟られないために、一瞬で思考を掻き消す。
「是非お願いします。どのくらい行った事あるんですか?」
「確か、四回ぐらいかな」
「もうベテランじゃないですか」
「いやいや俺なんて温いよ、世の中もっとコミケや同人誌即売会に命を掛けてる人もいるしさ……買い物も少ししたいけど、俺はその人とひさしぶりに会ってみたいんだ。それでもいいかい?」
「ええ、全然大丈夫ですよ。どんな方なんですか?」
訊かれて、彼の印象をぼんやりと思い浮かべてみる。
世の成人男性とは比較にならないほどの巨漢と、頼りがいのある兄貴肌な性格。
「彼はコミケの運営スタッフをしてるんだ。一言で表すならガタイのいい……それどころか、巨人かな?」
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