(3)隠れヲタク同盟

 それから希望ちゃんとの交流が始まった。

 俺の残業時間が長い日もあり、平日だと限フォルが放送している水曜日の深夜以外は会えない日が多い。ただ週末にはゴミ出しや買い物で顔を合わせる機会があった。


「三巻面白かったよ。この辺から絵柄が安定してきてかっこいいし、アニメよりも話が先になるから楽しかった」

「ですよねー。この二ページ使った一枚絵すごく綺麗じゃないですか?」


 希望ちゃんは俺から受け取った三巻を捲り、左右に開いてこっちに向けてくる。


「うんうん、三人がこの飛行船から王都全体を見下ろす構図が綺麗だよね。しかも台詞なしで三人の心理描写が一瞬でわかるのがすごい」

「そう! でしょでしょ! っと、あわわっ」


 共感できて喜びのあまり、彼女は三巻をベランダから落としそうになるがどうにか堪える。


「世界を救うことで頭がいっぱいなカインの姿を見て、アベルは恋心を諦めようとしてて、そんな様子を一瞬で見抜いて微笑むセスちゃん。そんな三人の関係が尊過ぎて、たまらなくって、もうっ……こほん。すいません、つい猛ってしまいました。はしたなくてすいません」


 衝動を剥き出しにしていた自分を戒めるように立ち直り、希望ちゃんは三巻を胸元に寄せ会釈する。


「いやいや、人間だもの。抑えきれない思いの一つや二つあるさ」


 さっき広げてくれたページはSNSでも感動したと語っている人が多かった。それに好きな作品に歓喜するのはヲタクとして仕方ないことだ。


「そう言ってもらえると助かります」


 希望ちゃんは少し恥ずかしそうに、まだ少女らしさが残る笑顔で照れながらはにかんだ。

 会社と自宅の往復しかしていない俺にとって、そんな仕草がとても新鮮に思えて、純粋に可愛らしいと思えた。


********************


 だが幸せな時間に浸って、仕事が適当になってしまうのはダメだ。


「ちょっと先輩、これはないでしょ?」

「はい、ごめんなさい」


 入社一年目の後輩なのにやや敬語が崩れていても、今は全面的にこちらが悪いので謝る。

 測定器を作る手筈になっていたところ、俺が発注する部品数を間違えてしまい、霧島さんの試験ができない状態になってしまった。完全に俺の自業自得だ。


「どうしたんです? 抜けてるとしか言いようが、しかも先週から急にです」

「か、返す言葉もございません」


 全く言い訳せずにひたすら謝る。本音なんて言えるわけがないからだ。


「まあ別の仕事してればいいので、そこまで時間のロスにはなりませんけど、弛んでますよ?」


 完全に先輩後輩の立場が逆転している状況。

 ただ言葉は厳しくても、上司に報告するほどではないということで采配は優しい。今も部署の席ではなく他に誰もいない実験室で話をしてくれている。

 そこは感謝すべきだし、今後は公私混同するべきではないと素直に反省することにした。


********************


 最初にベランダで雑談をしてから二週間が経ち、再び水曜日。

 限フォルの放送が終わると、お互いほぼ同じタイミングでベランダから出てくる。

 仕切りボードの傍に立ちアルミの手摺に腕を置いて寄り掛かる。ここが話す時の定位置になってきた。


「こんばんは。夜になっても、蒸し暑いですね」


 希望ちゃんはTシャツの襟を摘まんでパタパタと扇ぐ。


「完全に梅雨の時期も終わったよね」


 六月の末になって外の気温が高くなってきたが、共通の趣味を語れる場は大事にしたい。


「創一さん、他に何か好きな作品ってあるんですか?」

「沢山あるよ……ちょっと昔の作品だけどアニメなら、色の境界とか、ウィンターウォーズとか。ラノベならイリアの宇宙とか」

「すいません、ラノベのやつは知らないです」

「そ、そっか……」


 心の準備をしていなかったのは迂闊だった、もし彼女が大学一年生なら年齢の差が七歳はあるはず、少し考えればジェネレーションギャップがあることぐらいわかるのに。


「でもアニメは両方知ってますよ。特にウィンターウォーズ、わたしお婆ちゃんの遺言のところで大泣きしましたよー」

「おおっ、わかってる! あれさ、俺は劇場で観たんだ。もう泣き過ぎで、涙が顔から垂れて腹まで流れてたよ!」

「あはは、それって相当ですね。でも劇場っていいなあ……ちょっと前まで高校生だったのでお金が勿体なくて、しかも受験生だったので、観たい映画はレンタルで我慢してたんです」

「そっか、確かに高校生のお小遣いなら何度も映画館行くのは厳しいかも」


 自分が高校生だった頃を思い出す。

 少ない手持ちの小遣いで、漫画かゲームを無駄なく計画的に買っていた。だからこそ作品を鑑賞する時も貧欲で感動も大きかった。

 それに比べて今は節操無く数千円のものなら迷わず買ってしまうし、残業をある程度すれば漫画の全巻セットが買える、なんて事を考える腐った大人になってしまった。


「でも今はこの通り、大学生なので融通が利きます。今度気になるやつ観に行こうかな」

「ここに下宿してるんだよね? 学校はこの辺なのかい?」

「電車で三十分ぐらいのところですね、赤山学院です。あの辺は家賃高過ぎで、だから準急も止まらないここで手を打ちました」

「へー、赤山か。頭いいんだね」

「いえいえ、そんな……部活もせずに勉強をしていただけですよ」


 気のせいだろうか。そう答える希望ちゃんの表情が一瞬だけ曇って、伏し目がちになったように見えた。


「創一さんはどんなお仕事してるんですか? 毎朝出掛ける時、スーツじゃないから気になってたんです」


 表情には出さなかったけれど、服装を見られていることに驚く。これからは少し身形にも気をつけるべきかもしれない。


「一応は専門職というやつだね、理系の学校を出てエンジニアをしてるよ。営業職とかじゃないから、ラフ過ぎない私服で毎日出社していいんだ」

「へー、かっこいいですね。気楽に仕事行けるのも憧れます」


 技術者になって三年経つ、同じ職業ではない人にそう言われるのは慣れてきたところだ。


「それに、少し偏見かもしれないですけど、理系の世界ってアニメや漫画の話とか気軽にできそうでなんか羨ましいです」

「おっと……そう思うかい?」


 頭の中でスイッチが入り、露骨ににやりと微笑んでしてしまう。


「学生の頃は確かにそうだったよ。工学部は趣味の合う友達沢山いたから、取り繕う必要なんてなかったさ」


 星空を仰ぎ見ながら平和だった昔の事を思い出す。

 人伝てに聞く普通の文系大学と違い、課題が多くテストも難しかったし、留年した友達も多かった。それでも授業の前後で気軽にヲタク話ができたのは楽しかった。


「でもね」


 技術職として働くなら、ある程度そういう機会も続くだろう――そう思っていた。


「入社一年、いや……一週間で気づいたさ。ヲタクの市民権というのは、デリケートだってことをね!」


 俺はつい拳を握り締めながら、胸にある衝動のまま叫んでしまう。

 すると希望ちゃんは両肩をひくひくと震わせて笑いながら、アルミの手摺へ倒れ込んでいく。


「あの……何か変な事言ったかな?」

「あはは、ごめんなさい。創一さんってもっと物静かな人だと思ってたから」


 そんな印象を持たれていたなら、もっと自然に話してもいいのだろう。年が離れているせいで気負い過ぎていたのかもしれない。


「市民権……そっか、市民権か」


 彼女は少しの間だけ目を閉じる、何かを思い返しているようだった。


「わたしも学校の友達の前じゃ、ヲタク趣味のことは封印してます」

「えっ、それって俺と同じじゃ――」


 人差し指を口元に立てて俺が言い掛けた言葉を遮り、自ら話し出した。


「ちょっと意識高い系というか、スイーツ脳な人達で、アニメとかの話をしたら引かれるというか、馬鹿にされそうというか、そういう空気感があって」


 俯いて言い難そうに紡がれる言葉が具体的でなくても、十分理解できた。


「わかるよ。ちょっとした片鱗が出るだけで、無関心だったり否定的だよね」


 すると彼女の大きな瞳が見開いた。

 俺はそれを見て、この話の続きが通じるだろうと確信を得る。


「新入社員の時、同期社員の中でゲームの話になったことがあるんだ。俺は話題を広げようとしたんだけど、誰も何も喋ってくれなくて、五秒で話は終わったよ」


 まるで共感するかのように頷いてくれる。


「他にも「土日は何してたの?」って話題になった時「一日は動画を眺めていた」って答えたら「ヲタクっぽいね」って冷たくあしらわれたこともあった……でも、同期社員とはいえ友達じゃなく会社の同僚だから、言葉遣いとか多くを求めてはいけないわけだ」


 幸い、休日の過ごし方などを誤魔化す術や、飲み会での社交辞令にも、今は大分慣れてきた。


「二十世紀じゃあるまいし、前時代的だよ……そんな様子だから、理解を得ることは諦めた。俺は、隠れヲタクに徹することにしたよ」

「すごい……すごい、すごい!」


 俺の話を聞き終えると、そう呟きながら何度も頷いてくれる。


「わたしも、学校で話題が少しニチアサのテレビ番組になっただけなのに、空気が盛り下がって「子供の頃はねー」みたいな変な雰囲気になりました。なのに、どうやって合コンにこじつけようかとか、下らない話には花が咲くのが面倒くさくて」


 そう希望ちゃんが力説する内容が絵面としてすぐに浮かんできて、落雷に打たれたような衝撃が背筋を駆け巡った。


「だから嘘じゃないけど、あのバンドが好きとかダミーの趣味を用意しちゃう自分が嫌になります」


 すると彼女は一度だけ深呼吸して、細く長い手を差し出してくる。


「わたしも同じですよ。わたしも学校でヲタクな自分を隠してます!」


 興奮しながら喋る彼女の様子を見て、迷わず握手に応じる。

 互いの右手を握り合った瞬間、まるで前世以来の再開かと思えるくらい、同士として通じ合えた気がした。


「わたし達は、隠れヲタク同盟ですね!」

「そ、そうだね」


 ネーミングに関してはやや疑問が残るが、盟約を拒否する理由は無かった。


「あっ、いいこと思い付いた! 我々の同盟結成を記念して、再来週の限フォル最終回を一緒にリアルタイム視聴しましょう!」

「おー、それはいいね! 是非……んーと、でもどこで?」


 自分の部屋の中を一瞥する。

 お客さんを招待できないほど汚いわけでもないけれど、一度整理が必要だ。


「創一さんの部屋が都合悪そうなら、わたしの部屋でもいいですよ」

「えっ、でもいいのかい? 得体の知れない男を部屋に入れるなんて」

「もうわたし達同盟なんですよ? それに創一さんは線細いし、襲ってきたりしない気がするので大丈夫です。仮に間違いが起きそうでも、わたしが懲らしめちゃいます」


 しゅっしゅっ、と仕切りボードを掠めてジャブの素振りを二発打ってくる。


「じゃあ再来週の水曜、わたしの部屋でお願いします。おやすみなさい!」


 そんな夜とは思えないほど活発な様子で、彼女は部屋の中へ戻っていった。

 軟弱だと舐められている気もする。でも信頼はされているようだから良しとしよう。

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