2.同人誌即売会の巨人

(1)夏コミ開始

 燦々と輝く真夏の太陽は天高くから強烈な直射日光を発し、アスファルトを熱し続ける。

 それは列に並ぶ人間達を上空と地面から熱する殺人的なもので、体調を崩しスタッフに誘導される人もいた。


 熱天下でも周囲は人だらけ、但し統率のとれた整列を成している。その全員が、好きな絵師や漫画家が主催のサークルで販売される同人誌、あるいは企業のグッズを求め、ルールを守り戦いの時を待つ。


 ここは東京ビッグサイト。

 日本最大、いや世界最大の同人誌即売会、コミックマーケットの待機列だ。


「予想より厳しいですね」

「うん、俺も久々にこれは堪えるよ」


 俺は頭からタオルを被り、希望ちゃんは日除けも兼ねてかアイボリーのコットンハットを被っている。


 待ち合わせは開場が午前十時に対して国際展示場駅に八時。そこから東ホールへの列に並ぶことにした。

 始発から並ぶことも考えた。ただ目的である限フォル作者のサイン配布時間が午後一時からで、三十分前に並べば確実に手に入るという情報がネットにあり、他の買い物も含めて程よい時間から並ぶことにした。


「いろいろ教えてもらってありがとうございます」

「いやいや、自分でも久々のコミケ参加だし復習にもなったよ」


 当日前までにしておく準備をレクチャーするのはそれなりに楽しかった。

 ウェブカタログやSNSで好きなサークルを調べる方法や、スマホのモバイルバッテリーやタオルや水分補給の用意、長者の列に並ぶコツなんかを話すのは遠足の準備みたいだった。


「創一さん、お盆で実家とか帰らないんですか?」

「ああ、俺はあんまし帰らないんだ……しっかし大きな帽子だね」


 希望ちゃんはコットンハットの広い唾に両手を添えて、こちらに見せてくる。


「これ日除けにもなるので優れものですよ」


 お肌のケアというのは男子が思っている以上に女子とって重要だと聞く、確かに必要だろう。


「あともう一つ事情があって……」

「ん? どんな?」

「あの自意識過剰かもしれないですけど、なんというか身バレ防止というか、知り合いの知り合いに見られるかもしれないし、何かの映像に映るかもしれないし」


 お互いに隠れヲタクをしていることについて、先月意気投合したばかりだ。


「そうだね、擬態は大事だ」


 俺はサムズアップして同意した。それだけで希望ちゃんは仰け反って笑い出す。なぜだろう。


「創一さんって表現が面白いですね……市民権とか、擬態とか」

「そう? まあ、短い言葉で多くの情報量というのは心掛けてるよ」

「お仕事の、報告書とかですか?」

「うん、そうだね……しっかしあと一時間も開場まであるのか。希望ちゃんはスマホのアプリとかで暇潰しとか普段する?」

「はい、通学中に無料漫画読んだりゲームとか結構しますよ」

「へー、どんなやつ?」

「擬態目的ってわけじゃないですけど、ネズミのパズルゲームとかしてますよ。でも好きでやってるのは音ゲーで、バンドフェスってやつをやってます」

「聞いたことはあるよ。確か声優さんが演奏しててライブとかもあるんだっけ? 面白いらしいけど、課金しちゃいそうなのが少し怖いや」

「そこは無課金の美学で、適当なガチャは引かず好きなピックアップの時だけ引くとか、誘惑に負けない鉄の意志でやってます」


 限フォルの漫画を貸してくれた時と同じように、ガッツポースをしながら主義主張する。

 彼女と知り合ってから約二ヶ月経ち、パワフルでわりと武闘派なところもあるのがわかった。この戦場でも生き抜いてくれるだろう。


「創一さんはどんなのやってるんですか?」

「俺は対戦ゲームがメインだよ」

「対戦?」


 快晴の空を見上げながら、首を傾げてピンと来ない様子で訊かれる。対戦ゲームは基本的には男の文化だからわからなくても仕方ない。


「ライトリバースってカードゲームを軽くやってる」

「はい、よくCMとかも見ますね。いろんなコラボとかもしてたような、すごくユーザー数多いんですよね?」

「そう、やっぱり対戦ゲームは人口の多さが重要。俺がやってるやつは、すごく手軽にマッチングできる対戦ツールだから好きだよ。あとはスマホじゃないけど……格闘ゲームをやってるんだ。わかる?」

「ハドウケン、でしたっけ? あれはとっても難しそうな印象あります。スティックでガチャガチャするやつですよね?」


 彼女は左手を縦に、右手を水平にして、専用コントローラを操作するように動かす。


「部屋に静音のアケコンがあってたまにやってるんだ……一応、俺には格ゲーの師匠みたいな人がいて、あいつも今日ここにいるはずなんだ」

「この前話してた、ガタイのいい人ですか?」

「いや、それとは別の人だよ。女だてらに大会とかも出ててものすごく上手いプレイヤーなんだ。できれば会ってみたいけど、厳しいかもしれないね」

「女性なのにですか! すごいですね……でも会えないって、どうしてですか?」

「かなりの人気者なんだ。コミケじゃ忙しそうだから話し掛ける間も無い気がする」

「へー……創一さんって人脈が広いんですね」

「いやいや、知り合いが一部の方面に偏っているだけだよ」


 そんな雑談をしながら降り注ぐ直射日光に耐え、お互いのスマホ内にあるゲームを見せ合ったりしていると、開会時刻である午前十時になるのはすぐだった。

 すると、辛うじて遠くに見えるビッグサイト東ホールの方から、大勢による拍手の音が人の列を伝搬してやってくる。


「えっ、どうしたんですか?」

「お待ちかねの開場だよ。ここからは聞こえないけど、建物付近でアナウンスがあったんだ」


 これは祭典が無事に開催されることを祝う福音。

 但し、戦いが開くゴングでもあり、周囲の人達が一斉に立ち上がっていく。


「今日は一緒に並んでくれてありがとう」

「えっ! いえいえ、案内してもらっちゃったのはわたしですよ」


 希望ちゃんは遠慮するように開いた両手を振る。


「最近はコミケを楽しみたい気持ちがあっても、行くことが億劫になっていてね、行く頻度も減ってたんだ。特にこの熱天下で朝から待つのがきつくて、十二時過ぎに知り合いの顔を見に行くくらいにしてたんだ」


 アニメや漫画を純粋に楽しめていないことと同じで、イベントに参加する熱意も落ちていた。二十代半ばにもなれば自然とそうなるが、盛り上がれない自分が虚しくて嫌だった。


「行きたい時は遠慮無く言ってください、わたしも一人では心細いので……次は始発だっていいんですよ?」


 額から滴る汗を振り払いながら冗談交じりにそう言ってくれた。


「よろしく頼むよ。さて、開戦だ」


 十列ぐらい先の人達が行進を始め、俺達も続いていく。

 普段は駐車場になっている広い敷地が、今は何重にも折り返された長者の列によって埋め尽くされている。

 しかし開場によって列も少しずつ進み、やがて建物内部へ入ることができた。


「ここからは別行動だね。説明した通り、目的のサークルスペースから延びている列をまずは探すんだ。並んでしまえばあとは暇との格闘」

「はい、創一さんも気をつけて」

「俺は緩く巡回する程度さ。じゃあ限フォル作者さんのサインを手に入れたら連絡してね」


 最後に「幸運を!」と付け加えると、希望ちゃんも手を振ってくれて、やがてお互いの戦場へと向かっていった。

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