(5)ヲタサーの姫退治

 俺達はひとまず、ダンスゲームで騒いでいる人達から少しだけ離れた場所からヲタサーの様子を窺うことにした。


「創一さん、保険ってなんでしょう?」

「最近だとスマホのカメラは性能かなり良いよね? ちょっとこっち寄ってもらえるかい?」


 すると希望ちゃんは肩が軽く触れる程度に近づいてくる。

 もし未成年と隣り合っているこの状況を愛徒さんに見られたら、また犯罪者扱いされるかもしれない。

 俺はスマホのカメラを録画モードにしてから、他人から見ればインカメラで希望ちゃんと自分を撮っているような体裁を取り繕う。これで怪しまれることは無いだろう。


「少し暗いけどいけるか。あの人達の人相もなんとかわかる」


 画面内には騒ぎ立てるヲタサーの六人がきちんと収まっている。

 彼らの近くにはルールを守り律儀に順番待ちをしている人達もいる。男性二人に女性一人。

 横暴なヲタサーの雰囲気に委縮し、プレイの順番が回ってこないことを主張できずにいるようだ。


「これならあの人達が騒いでる様子がわかりますね……あっ、これが保険ってことですか?」

「そう。もし話が破綻したら、これをネタに牽制する」

「つまり脅すんですね!」


 なぜか楽しそうに目を輝かせる希望ちゃんに対して、俺は否定するように軽く頭を振る。


「いやいや違う、聞こえが悪い。牽制だよ、ただ『録画しましたよ』と相手に伝えるだけさ」


 それから彼らが騒ぐ様子を撮り続けて約一分間。保存してから、たまにしか利用しないオンラインストレージへアップした。


「では、挑もうか?」

「は、はい! お供します」

「気負う必要は無いよ。森嶋さんの話じゃ、多分彼らは女子に弱いはず。だから希望ちゃんがいるだけでも会話の主導権を取りやすい」

「わかりました!」


 そうはっきり応えてくれる希望ちゃんは心強い。


「まずは俺がいくよ」


 一度深呼吸した後、ダンスゲーを囲む彼らへ近づいていく。


「すいません。ちょっといいですか?」


 まずはゲーム音に負けないぐらいの掛け声を発している男に、声を掛けてみる。


「順番待ちしてる人もいるので、終わったら次に回してくれませんか?」


 周囲の騒音が大きくても聞こえるように、片手を添えて耳打ちする形で話す。

 しかし邪魔者を侮蔑するような視線を一瞬だけ向けられ、ダンスゲーを続ける仲間の輪へと戻っていく。

 あまり相手にされず首を捻ると、隣にいる希望ちゃんが得意気に人差し指を振りながら俺を見ていた。喋ってはいなくても「違いますよ」とでも言いたげな表情。

 そして根拠の無い自信を纏いながら、俺が話し掛けた相手とは別の男に近づいていく。


「あのー、お話してもいいですか?」


 癇に障らない程度に媚びた声で呼び掛ける。

 そして屈んで斜め下から相手を見上げる姿勢、それには見覚えがあった。

 数日前、俺に対して天音ちゃんを紹介するように強請ってきた時と同じだ。


「わたしもこのゲーム興味あるんです」


 今は迷惑な人達を相手に交渉しようとしているわけで、誰にでもこんな接し方をしているわけではないはず……そう信じたい。


「他の順番待ちの人も……あー、ちょっとー」


 俺の時とは違い少しの間だけ男と会話できたようだが、申し訳無さそうに背中を向けられて後は無視されてしまう。

 本題を切り出すタイミングが速かったようにも思える。

 諦めて戻ってくる希望ちゃんに対し、俺はからかうような表情を作り「どうしたの?」と挑発してみる。


「お互い様じゃないですか!」


 ふん、と少し機嫌が悪そうにそっぽを向かれる。


「ごめんごめん。でもどうするか……おや」


 ダンスゲーの筐体から離れた位置には、プレイヤーが踊るための専用シートがある。

 そこでは、例の姫がツインテールにした髪とフリルの服を揺らしながら、男達を前にアニメの萌えキャラのような挙動で踊っていた。

 その様が露骨で、男の俺でも気持ち悪いと思ってしまう。しかし周囲の取り巻きの男達はそんな姫へ称賛を送っている。

 ヲタサーに溶け込むためか姫に媚びを売るためか、嘘でやっている人もいるだろう。もし本気でやっているなら救いようがないくらい腐っている。


「もう少しで例の姫がプレイし終えるみたいだね」


 希望ちゃんの肩を突いて、周囲の人達に聞こえないように耳元で伝える。


「即席の作戦だ。ゲーセン通いの女子が同性に話し掛けられたら嬉しいはず。だから希望ちゃんがあの子との会話をまずは続けてほしい。ペースが握れたら本題を切り出してみよう。まともな交渉が成り立たなければ、俺がさっきの動画を引き合いに出す」


 短い説明をすると希望ちゃんは、頼りがいのある不敵な表情で頷いてくれた。

 やがて曲をクリアした姫が取り巻きに愛想よく振る舞い、上機嫌な様子で専用シートを離れてヲタサーの中に戻ってくる。

 チャンスだ。

 俺達は仲間に声援を送る姫の背後に付き、作戦通りにまずは希望ちゃんが姫の肩を控えめに叩いて声を掛ける。


「あのー、このゲームよくされるんですよね?」

「は、はい?」


 姫は急に見知らぬ女性から話し掛けられ、不意を突かれてどう反応すれば良いかわからない様子。そして数秒間だけ会話の無い間が空く。


「このゲーム、前に2回だけプレイだけしたんですが、全然クリアできなかったんです。わたしと違って上手ですよね、教えてもらえませんか?」


 詰め寄る機会だと察してか、希望ちゃんは姫を煽てながら距離を縮めていく。


「う、うん、いいよ。じゃあ、あの人のプレイ見てよ」


 すると姫は希望ちゃんの屈託のない明るさに戸惑いながらも、彼らの輪の中へ誘導するように招き入れる。

 俺は連れ添いと思われなかったのか歓迎されないが、それでいい。

 次も順番待ちをしている人達を気にする気配はなく、ヲタサーの男が遊び始める。

 三十秒ほど経ち、踊り続ける男はスムーズな動きで次々にやってくる判定をクリアしていく。


「ほらっ、すごいでしょ?」


 特に解説もなく姫は誇らしげに仲間のプレイを見せつけて自慢する。


「はい、とってもスムーズですね!」


 そんな姫に合わせながら、好印象を持たれるように希望ちゃんは相槌を打つ。

 但し設定は最高難易度ではなく、天音ちゃんのテクニックより数段劣るのは明白だ。それは彼らに合わせた会話を続ける希望ちゃんにもわかっているはず。


 そんな社交辞令を続けながら、希望ちゃんは彼らに少しずつ溶け込んでいく。

 三曲終えると今まで遊んでいた男がシートから離れ、別の仲間と交代するようだった。

 そろそろ無意味な馴れ合いをやめて、本題を切り出さなければいけない。

 すると希望ちゃんは俺へ合図を送るように視線を送ってくる。きっと「仕掛ける」という意味のサインだろう。


「あのー、他にも待ってる人いるから、譲らなくてもいいんでしょうか?」


 希望ちゃんは背後にいる俺にギリギリ聞こえるくらいの声量で、姫に問い掛けた。


「ん? 気にしなくていいでしょ」


 しかしまともに取り合う気が無いようで、簡単にあしらわれてしまう。

 そんな横暴な姿勢が気に食わなかったのか、希望ちゃんは姫に対しやや強気に詰め寄る。


「でも、独占みたいのは良くないんじゃ」


 すると、姫の様子が一変した。


「なんだ。あんた、そんなこと言いたくて近づいてきたの?」


 仲間のプレイを見せながら歓迎してくれた時とは違う、邪魔者や敵を威嚇する表情だ。御膳立てをしても無駄で、平和的な交渉がそもそも不可能な相手だったと悟る。


「まあまあ、仲良くしましょうよ」


 一気に険悪になった希望ちゃんと姫の間に半ば強引に割り込む。

 すると周囲の仲間達に加え、プレイ中の男すらこちらに睨みを効かせてくる。

 人数が相手の方が多いせいか目の前の希望ちゃんは怯んでしまう。だからそっと右肩を軽く叩いて落ち着かせる。


「こっちには切り札がある。後は任せて」


 それだけを希望ちゃんの耳元で囁き、彼女を引き下がらせて前に出る。


「まずは俺の話を聞いてください」


 睨めつけてくる姫と男達の圧迫感に負けないように、大きい会議室でプレゼンする時を思い出して仕事脳を呼び起こし、俺は話し出した。


「皆さんは順番待ちの方々や周囲を気にせず、仲間内で騒いでいますね? 他のフロアでも同じことをして、中には追い出されたフロアもあると聞いています。でもそこまでは求めないので、順番をきちんと回して遊んで欲しいです」

「あんた店員かなんかなわけ?」


 威勢の良い一人が俺に詰め寄り左肩を押してくる。


「違いますが、店員以外が主張しても問題無いでしょ?」


 俺が肩書きの無い人間だとわかり、小馬鹿にしたように笑い出す。それからこちらをどう打ち負かそうか歪んだ表情で眺めてくる。

 そんな下品な様子に付き合っていられないから、ここで切り札を使うことにした。


「皆さんがさっきまで騒いでいた様子を数分間録画しました……おっと、もうストレージにアップしたので、これを奪っても無駄ですよ」


 スマホを翳してヲタサーのメンバー達に見せつける。

 すると全員の雰囲気が一気に静まり、特に目の前で俺に突っ掛ってきた男は一歩後ろへ身を引いた。


「さっきも言いましたが、出て行けとまでは言いません。周囲に迷惑を掛けずルールを守って遊んでくれませんか? プレイ順を守ってください」


 大事なのは、譲歩と具体的な要求。

 一方的な押し付けでは反感を買い、抽象的に「大人しくしろ」と言っても開き直ってくる。

 目的は彼らに暴挙を止めさせることであり、捻じ伏せることではない。


「どうでしょうか?」


 問い直すと視線や小声で「どうする?」と仲間同士で相談するような素振りを見せてくる。

 これなら事態は穏やかに収束するかも――と思ったのは少し早合点だった。


「みんな、続きやろうよ」


 俺の話を聞いて戸惑っている仲間達に対し、姫は平然とした口調で宣言する。

 その場にいる全員が驚いたまま数秒間だけ無言の間が空く。


「いや、でもさ」


 姫の傍にいた男が、ノーマナーを通り越して無謀な姫を宥めるように語り掛けようとする。


「みんな弱腰過ぎじゃない? この人、動画で脅してきてるけど、実際にネットで拡散とかやると思う? とっても面倒だしSNSのアカウントだって自前のじゃなくて新しく作るしかないでしょ? フォロワー増やしてから拡散なんて大変だよ?」


 それは確かにこちらの弱みだった。

 撮った動画を使えば彼らの身動きを悪くすることはできるが、かなり時間が掛かる。だから姫がしたように強気に開き直られてしまうことが怖かった。


「でもこれ以上はやり過ぎだって」

「いや平気でしょ?」


 ヲタサーはメンバー間で意見が分かれて揉め出す。姫の意思を尊重してこのまま遊び続けようとする側、もう一方はこれから引き下がることを主張する側。

 しかし水掛け論を続けているだけで、意見がまとまる兆候は見えない。

 彼らの統制を乱すことには成功した。但し混乱した状況が続いているため、今この場を鎮めて順番待ちをしている他のプレイヤーが遊べる状況を作れない。


「ど、どうしましょう?」

「わからない。ゲームを止めさせることはできたけど、掻き回し過ぎたかも」


 希望ちゃんが慌てて俺にそう訊いてくるが、情けない返事しかできない。

 よく考えればこうなると想定できたはずなのに、対策していなかったのは落ち度だ。打開策を考えなければ、と前向きな思いを胸中で唱えるが、具体的な案が思い浮かばない。


 何もできずにいると――誰かが、踊るポジションである専用シートの上に立っていた。

 もちろんヲタサーの人間ではない。


「天音ちゃん?」


 後姿しか見えないが、首に掛けたヘッドフォンの輪郭とスパッツによって映える細い足のラインから誰かわかった。

 ゲーム画面には曲名の上に「MASTER」という最高難易度を示す表示があり、やがて振り付けを示唆するキャラクターが現れると「DANCE START」と表示された。

 開始直後から高速で迫ってくる判定を、天音ちゃんはミス無くクリアしていく。


「す、すごい」


 隣にいる希望ちゃんがそう呟く。声に出していないだけで俺も同じ感想だ。

 さらに揉めていたヲタサーも全員が黙り、急に現れた上級者のプレイに圧倒されている。

 なぜなら数分前まで男がプレイしていた曲よりも明らかに難易度が高く、踊る姿に凄味すら感じるからだ。

 翻る腕は舞っているかのようで、左右に反転し踏み切る足は力強い。

 きっと振り付けの判定をクリアするだけなら、不恰好でも決まった動作を続ければいいのだろう。しかし天音ちゃんは美しさの面も妥協せず、専用シートの上で踊り続ける。

 ポイントも蓄積され曲が終盤に差し掛かると、最後のポーズを取り「COMPLETE!」と画面に表示される。


 リザルトもほとんど「PERFECT」の判定のみで高レベルなものだった。しかし一つ下の「GREAT」の判定が何度かあったのが満足できないようで、天音ちゃんは両肩を上下させ呼吸を整えながら首を傾げる。

 そしてその場で踵を返し、ヲタサーの中心にいる姫に真っ直ぐに近づいてくる。


「男達を侍らすより、このゲームをやり込む方が楽しいよ」


 天音ちゃんは姫だけでなく周囲の人間達にも聞こえるようにそう言い放ち、その場を去る。

 そしてやや遠くからこっちを窺っていた森嶋さんと一緒に階段を降りていった。

 呆気に取られて誰もが黙りしばらく間が空く。


「あれ、なんなの!」


 最初に喋ったのは姫だった。

 子供のような癇癪を起こし、みっともなく金切り声を上げながら専用シートを囲むポールを蹴り倒し、エスカレーターに乗って去っていった。

 すると置き去りにされたヲタサーの面々も、慌てて姫を追い掛けていく。

 そして一気に人が減った音ゲーエリアは筐体の音声だけが響く。


「ど、どうします?」


 急な展開の数々に驚いているのか、希望ちゃんは俺のシャツの裾を引っ張ってくる。


「これで平和にはなったし、天音ちゃんを追い掛けよう」


 今までダンスゲーの順番待ちをしていたお客さん達に「どうぞ」と一言で順番を譲り、天音ちゃんと森嶋さんの後を追って階段を下りていく。

 すると一階にあるクレーンゲームの前で二人が話していた。


「二人ともありがとう。それにおつかれさま」


 まるで仕事やバイト上がりのように、天音ちゃんは俺達をクールな声で労う。


「あの人達の輪を崩してくれたからボクは仕掛けやすかったよ。二人共パーフェクトだった」


 無理に音ゲー用語を使う事で、平静さを維持しているようにも見えた。


「でもどうして出てきたの? 俺達だけじゃ解決できなかったから言える立場じゃないけど、SNSに悪影響が出たらまずいじゃないか」

「最初はそう思ってたんだけどね……」


 彼女は物思いに耽るような表情で、息を吐きながら天井を仰ぎ見る。


「あんなことしちゃったから気が立ってるや。三人ともごめん、今日は帰るね」

「ちょ、ちょっと、天音ちゃん?」


 引き留めようとする希望ちゃんの声も聞かずに、ヘッドフォンを耳に掛けてゲーセンを出ていく。

 俺も森嶋さんも遠くなっていく天音ちゃんの背中に呼び掛けるが、彼女は振り返らず駅に向かっていく。


「俺、行ってくる」


 二人に断りを入れつつ指で軽いサインを出して、人ゴミの中で見失わない内に走る。


「天音ちゃん、待つんだ!」


 背後からやや強引にヘッドフォンを掴んで引き剥がす。


「わっ……創にぃ、強引だね」

「真面目に聞いてくれ。あれじゃ、森嶋さんも希望ちゃんも心配するよ。俺もそうだ」

「ごめん。気が立ってるのは本当……落ち着いたら後で電話するよ。二人にもメッセージは出しておくからさ」


 持ったスマホを振りながら、真っ直ぐ俺の目を見つめながら話す言葉に嘘は無い気がする。


「わかった、じゃあ後でね。気をつけて帰るんだよ」


 奪ったヘッドフォンを今度は優しく耳に被せてあげる。

 すると少し張り詰めていた天音ちゃんの表情が柔らかくなったように見えた。

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