(4)絵美のプレゼント

 宣言通り、翌日の夕方には「完成した」と絵美さんからメッセージが届いた。

 シンプルに「お疲れ様です」とだけ返事をしてみる。

 続けて「今日はずっと部屋にいる。もし希望ちゃんがいたら連れて来てほしい。大丈夫だ、妙な真似はしない。誓う」とすぐに返信がやってきた。


 シンプルな文面でふざけている様子も無いから、信じてみることにした。

 最低限の身だしなみを整えてから玄関を出て、隣の部屋のチャイムを鳴らし呼び出してみる。

 インターホン越しに名乗ると、希望ちゃんは廊下のフローリングを軋ませながらすぐに玄関を開けてくれた。


「創一さん……昨日お店ではごめんなさい! 急に飛び出しちゃって」

「いやいや、全然大丈夫だよ。こっちこそ止められなくて悪かった」


 頭を下げながら申し訳なさそうに、開口一番そう言ってくれる。自分が悪いどころか被害者なのに礼儀正しい。

 そんな彼女に対して加害者の名前を出すのは躊躇ったが、ひとまず話すだけはしてみることにした。


「昨日の今日だし、気が向いたらでいいんだけど……絵美さんがね、謝りたいみたいなんだ。昨日のお詫びに用意しているみたいで、もし良ければ会ってみないかい?」


 すると悩むように伏し目がちになってしまう。やはりまだ早過ぎただろうか?


「無理しなくていいんだよ? 一応伝えておこうと思ったぐらいなんだ。嫌ならそれでも――」

「違うんです!」


 胸を押さえて何かを堪えるように希望ちゃんは叫んだ。

 すると玄関が空きっ放しだったため廊下に声が響き渡ってしまう。彼女は自分の声に驚くと、ひとまず俺を部屋の中へ招き入れ扉を閉める。


「いや、違わないのかな……でも、素直に会いたいとは言えないのは確かです」

「どういうこと?」


 気持ちを整理するように一度深呼吸し、再び話し出す。


「絵美さん、あの人はなんというか……女の子のことを熟知し過ぎている気がします。わたしとは知り合ったばかりなのに心の扉を簡単に開けてくるというか、体に触れてくる時も繊細過ぎて見透かされている気分になるんです。すごく気遣いができるのに強引で、だから心地良いのに怖いと思っちゃって」


 頬を少し赤く染めながら、そんな恥ずかしい内容を異性である俺に頑張って話してくれる。それくらい絵美さんとの触れ合いが衝撃的だったのかもしれない。


「それは少し違うかも」

「えっ?」


 希望ちゃんは視線だけで話の続きを求めてくる。


「女心がわかるというのも間違いじゃないけど……あの絵美さんは、人間の事をよく理解している気がする。心掌握術みたいで嫌だなって最初は思ったけど、悪意は無く自然体で無意識にやってるんだと思う……ひとまず会ってみるといい。絵美さんも昨日はやり過ぎたと言っていたからさ」


 それでも昨日の出来事を思い出すのか、自分の二の腕を片手で押さえながら足元に視線を落としている。

 まだ悩んでいるようだ。でも少し背中を押せば決断してくれそうにも思えた。


「きっと疑問が晴れるし、面白いものが見れると思う」

「その、用意している……お詫びですか? 何だか見当も付きませんが」


 上目遣いで俺に恐る恐る訊いてくる。


「大丈夫さ。昨日のようにはならないよ。それにお詫び自体には、希望ちゃんは満足するはずだよ」


 彼女への視線を逸らさず、安心させるようにゆっくりと頷いてみる。


「いざとなったら、創一さん守ってくださいね? ボディガード、お願いしますよ?」

「姫様、心得ました」


 右手を胸に沿えることで、少しだけ気取って意思表示してみる。絵美さんが色欲に身を任せて希望ちゃんに迫ってくるようなら、責任を持って守り抜こう。


「あっ……あと行く前に、一つ質問です!」

「なんだい?」

「創一さんはその……絵美さんと……チョメチョメしたんですか?」


 希望ちゃんは勇気を振り絞ってそんな事を言いつつ、自分の額から首元まで真っ赤に染めていく。そして恥ずかしさのあまり両手で顔面を覆い隠す。


「ひとまずそのチョメチョメって表現は止めなさい。はしたない」


 ただ俺としても解いておきたい誤解だったから、訊いてくれたのは好都合だった。


「性的な関係は無いよ。ただ落ち込んでいた時に、夜通しで話したりネット見ながら遊んだりしただけさ」


 すると彼女は胸を撫で下ろしながら重たい息を吐いた。それで納得してくれたなら俺も安心する。

 なぜなら今の答え方は、嘘もついていなければ物事の本質についても話していないからだ。


********************


 向かいのマンションに辿り着き、エントランスで二階の角部屋にあたる番号をパネルに打ち呼び出す。


「創一と希望ちゃん、こんばんは。遠慮せず上がってくれ」


 絵美さんはすぐにゲートを開けてくれて、俺達は一階の廊下へと入っていく。


「綺麗なマンションですね」


 希望ちゃんは歩きながら階段の手摺に触れる。

 廊下のフットライトや玄関が自分達の住処より華美で、高級感のある作りをしている。


「あの人、多分羽振りがいいからね」

「そうなんですか。どんなお仕事してるんでしょう?」

「それもこの後、すぐにわかるよ」


 二階の角部屋を訪れると絵美さんが迎えてくれた。


「やあ、二人共ようこそ。上がっておくれ」

「お邪魔……します」


 希望ちゃんはまだ怯えていて、前を歩く俺のシャツの裾を摘まみながらフローリングの廊下を進む。

 リビングにはベッドやテレビ等の家具や電化製品が一通り揃っている。一般的な普通の部屋だが、絵美さんにとっては客間のような場所だ。

 隣にもう一部屋あり、絵美さんは一日の大半をそこで過ごしているはず。

 以前一度だけ入れてもらったことがあるが、その部屋こそが彼女の世界だ。


「気軽に座って」


 絵美さんは俺達をソファへ誘導し、キッチンでお茶を淹れ始めた。

 ソファの前には小さなテーブルがあり、その中央にタブレット端末が一つ置いてある。

 おそらく絵美さんは、これで今日仕上げた完成品を披露するのだろう。


「さあ、二人共どうぞ」


 お盆に載せた厚手の湯呑みを俺と希望ちゃんの前に置いてくれる。

 湯気が立ち茶色い液体の底には茶葉が沈んでいる、きっとほうじ茶だろうか?


「希望ちゃん、昨日はすまない」


 いえいえと小さな声で答えながらも、彼女は俺のシャツの襟を摘まんでいる。持て成されても警戒心はまだ残っているのだろう。


「そのお詫びに見せたいものがあるんだ」


 自分の湯呑みをフローリングの床に置き、タブレットをこちらに向けたまま写真のアイコン選び、縮小された画像が沢山並ぶ画面まで操作する。


「わたしが君の魅力に囚われ余計なことを喋り出す前に、ひとまず見てくれ」


 自覚があるなら治してほしいが、今は話題を逸らしたくない。


「わ、わかりました」


 すると希望ちゃんは人差し指を立てて、リストの中で最新の画像を選んでみる。

 そしてディスプレイ全体に表示された画像を見た瞬間――時が止まったように思えた。


「なるほど……綺麗ですね」


 沈黙がしばらく続いた後、想像以上の出来栄えに俺は感嘆の声を漏らしてしまう。

 全画面表示されたのは、女性キャラクターの全身イラスト、しかもカラーだった。

 俺や希望ちゃんが普段見慣れたアニメや漫画にも使われるタイプのもの。しかしデフォルメは最小限で頭身が高く過剰に目が大きいわけでもない、デッサンが整っている綺麗な印象が強い絵柄だ。


「でも、これってもしかして」


 感動のあまり希望ちゃんは口元を片手で抑えようとする。

 まず注目してしまうのはそのキャラの髪型が、ポニーテールであること。他にも、健康的なスタイルや拳を握る佇まいから感じる活発な雰囲気……きっと間違いないだろう。


「次のも、見てくれるかい?」


 希望ちゃんは絵美さんに言われるがまま画像をスワイプさせる。

 すると次は、色は塗られていないが肩から上のイラストだった。

 全身のイラストと違い、凛々しい目鼻や収まりの良い頬の輪郭が本人と同じで、特徴を捉えた上で細かく描かれている。


「これって、希望ちゃんですよね?」


 絵美さんがこれを描いているのは昨日わかっていた。ただ絵のモデル本人である希望ちゃんが訊き難そうにしているから、俺が変わりに切り出してみる。


「ああ、プレゼントしたくてね。他にも数枚描いた。見ておくれ」


 横顔や背後からポニーテールを大きく描いたもの、さらに喜怒哀楽で変わる表情の変化などもある。まるで希望ちゃんをモデルにした、キャラクターの設定資料のようだった。


「す、すごいすごい! ありがとうございます!」

「喜んでくれたなら光栄だ。本当は全てカラーにしたかったけど今日中には完成しそうになくて、見せられないから諦めた」

「いえいえ、すっごく嬉しいですよ」

「まだ実力不足さ。むしろ絵の練習にもなったし、モデルになってくれたお礼を言わなきゃいけないくらいだ」


 実力に加えて鍛錬も怠らない。

 夏のコミケでは会えなかったが、彼女はビッグサイトの壁に長者の列を作る人気サークルの主でもある。


「これがわたしの職業なんだ、イラストレーターだね」


 彼女の奇抜な行動やデリカシーの無さも、こんな繊細な絵を描ける実力と感性があるのなら許せてしまう。

 希望ちゃんはイラストにすっかり心酔していて、一通り見え終えた後も一枚目の全身絵から再び見返している。

 それほど気に入ったのだろう、無理もない。

 いわゆる絵師の中でも高い実力を持つ人が、自分をモデルにしてクオリティの高いイラストを描いてくれたのなら、ヲタクであれば誰だって嬉しい。


「この端に書いてある『えみるん』ってなんですか?」


 希望ちゃんの背後から覗いてみると、それはどの絵にも左下隅に必ず書かれている。


「ああ、これはわたしのペンネームさ。自分で言うのもなんだが、あんまり柔らかさや可愛らしさがわたしの作品には無いからね、真逆の印象を込めてみたんだ」


 俺は絵美さんが描いた他のイラストも見たことがある。

 今見ている希望ちゃんのイラストと同じように、可愛さよりも綺麗でシャープな印象が強いものだった。そういう意味でも、ペンネームには逆に緩さが含まれているとギャップがあって良いと、個人的には思う。


「そうですか……」


 どうしたのだろうか。

 希望ちゃんはスワイプさせる指を止めた後、何かを言い掛けた。そしてタブレットから視線を逸らす。

 何かに気づいたか思い出したかのような様子にも見えたが、彼女の横顔に一瞬だけ影が落ちたように思えた。


「どのくらい……活動されてるんですか?」


 湯呑みにお茶を注ぎ足し台所から戻ってきた絵美さんに質問する。


「ん? 絵を描くこと自体は中学生の頃に美術部で初めて、仕事が貰えるようになったのは高校生の頃かな」

「どうして、どうして絵を描こうと思ったんですか?」


 続けて希望ちゃんは質問を重ねてくる。

 心なしか落ち着きや穏やかさに欠けている気もする。

 そんな彼女の様子が少しおかしいことに絵美さんも察したようだが、何も言わず窓際に立ち夜空を見上げた。


「……たまには振り返るのもいいな。お詫びのついでだ、君達になら抵抗も無いし」


 すると絵美さんは俺達へ振り返り、リビングの隣にあるもう一つの部屋の引き戸を開ける。

 電気を点けてから、柔らかく握った手で手招きして「おいで」と中へ誘ってくれる。

 そこは非日常に満ちた特別な空間だ。


「「失礼します」」


 俺とタブレットを持つ希望ちゃんは、二人同時に一言断ってから入っていく。

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