(3)希望に迫る誘惑

 しかし俺の不安はすぐに的中することになった。


「希望ちゃん。近くで見ると一段とかわいい子猫ちゃんだね」

「いえいえ、そんなことは」


 ファミレスに向かう途中、絵美さんは希望ちゃんの隣を歩きながら、その肩に手を回し距離を詰めていく。

 その手口は巧妙だ。

 背の高さと同性で年上の立場にものを言わせたボディタッチ。

 相手を疲れさせない程度に続いて途切れない軽快なトーク。

 さらに少しだけ俺も会話に混ぜることでまとめ役を気取り、女たらしの印象をカモフラージュしている。


「創一。こんな子と知り合えたなら、もっと早く教えてほしかったぞ」

「そんなこと報告したら変態っぽいじゃないですか」


 嘘はつかずやや辛辣にあしらう。これは間接的に、絵美さんが危険だというメッセージを希望ちゃんへ送るためにわざとやっていることだ。


「いやー、しかし最近冷えてきましたね……そ、創一さんは年末に実家とか帰るんですか?」


 今はまだ十二月に入ったばかりで、大晦日まではまだ時間がある。

 希望ちゃんのやや無理のある質問に対して、俺はすぐに返事ができず言い淀んでしまう。確かコミケの時にも似たようなことを訊かれた気がする。


「わたしは京都の出身だよ。豪勢な料理を両親達と作るから、楽しみさ」


 絵美さんは訊かれてもいない内容を軽快な口調で答えていく。ただ俺はこの時に限っては、感謝したい気持ちに少しだけなった。

 やがて俺達のマンションから十分くらい歩いた場所にあるファミレスに着く。

 夕食時を過ぎているため席は疎ら、周囲に他の客が少ない四人用の席に座る。


「こっちの席は女子の世界だ。創一、男子禁制だぞ?」


 ふざけた喋り方で言われるが、半分は冗談で半分は本気で思っているのだろう。ただここで反発しても仕方ないので、まずは注文を頼むことにした。


「みんなで摘まむのがポテトと枝豆で、飲み物どうします?」

「わたしは生……希望ちゃんは未成年だから、コーラにでもしておこうか」


 すると絵美さんはお酒の名前を言い掛けて止める。

 意外だった。

 以前、一度だけ彼女と酒を飲んだことがあるが、何杯飲んでも顔色が全く変わらなかった。自分とは違う人種なのだと、お酒で渡り合うのは諦めたことがある。


「わ、わたしも飲みます、大丈夫です。大学の友達と居酒屋行く時も……ありますから」


 希望ちゃんは慌てながらも、大学での友人関係を思い出したのか、一瞬だけ薄暗い表情をする。しかしすぐに立ち直り、気を使わないで欲しいと主張するように両手をバタバタと振る。


「いやいや、休肝日も悪くない。いいね?」


 絵美さんはウインクをしながら子供に対して言い聞かせるように話す。

 隣同士並ぶ二人のそんなやり取りを見て察する。

 普通の人は見逃してしまうような希望ちゃんの些細な反応を、心の機微を汲むように絵美さんは感じ取っているような気がする。そんな常人を超えた鋭い感受性を、この人は持っている。

 だから俺も同じようにソフトドリンクを頼むことにした。


「遠くから見ていて思ったが今時ポニーテールとは、個性的でいいじゃないか。しかもお手入れもきちんとされていて絹のようにサラサラだ」


 水色のシュシュでポニーテールに纏められた髪の毛を、絵美さんは持ち上げず指先で触れる。その手つきはいやらしく弄ぶかのようだ。


「ひゃっ」


 すると希望ちゃんは髪に触れられただけなのに、艶っぽい声を上げる。


「ふふ、君はやっぱりかわいい子猫ちゃんだね」


 鎖骨の辺りを触りながら、耳元に吐息を掛け囁くような声で、絵美さんは年下の女の子を相手に迫っていく。

 そろそろ止めるべきだろうか。


「あ、あのっ! 創一さんと絵美さんは、どうやって……知り合ったんですか?」


 希望ちゃんは同性とはいえ年上のアプローチを跳ね除けられず、話題を作ることでこの状況を変えようとする。


「いや、えっとね……」


 しかしそれは聞いてほしくない質問だった。


「わたしも創一も以前から、愛徒と知り合いでね。モンバスで協力プレイできる友人が欲しいのにいない者同士だから丁度いい、ということであいつが紹介してくれたのさ。そしたら近所に住んでいるとわかって、あの時はさすがのわたしも驚いたよ」


 俺の知人で「さすがのわたし」などという一人称を使うのはこの人だけだ。ナルシストにもほどがある。


「その……お付き合いとか、されてるんですか?」


 希望ちゃんは若干頬を赤らめながら、俺も絵美さんも見ずにそう訊いてくる。


「いやいやいや」


 俺はつい笑いながら片手を振って否定する。思ってもみなかった問いだったからだ。


「それは無いさ。こいつは弟のようなものだよ」


 一歳しか違わないのに、弟分と下に見られているのは若干癪だが、他に適当な言葉も思いつかないため否定しない。


「でもまあ……弟分だから、悩み事がある時に慰めてやったこともある。夜が明けるまで一晩、一緒に寄り添ってやったこともあるよ」

「えっ!」


 希望ちゃんは驚きのあまり、自分の口元を覆う。


「絵美さん! ちょっとそれは」


 後ろめたさがあるわけではないのだが、話題にしてほしくないこと。ただ絵美さんの話し方が悪いため狼狽えてしまう。


「こいつは精神的に、どこか女性的な部分もあるからね。そういう意味ではかわいい」


 さらに妙な褒められ方をして、俺は機転が利かなくなってしまう。


「でも希望ちゃん、君の方が魅力的でかわいいさ」


 絵美さんは甘い言葉を使いながら再び希望ちゃんに迫る。

 ガラス細工を扱うような繊細な指使いで、希望ちゃんの瑞々しくてまだ幼さも残る頬に触れる。そのまま指を滑らせて顎に至り、優しく導くように自分へ顔を向けさせる。


「ふふっ、怯えないでおくれ。わたしに全てを任せてくれれば、それでいいから」


 囁き声で語り掛けながら心を開かせるように踏み入って、瞬きしない真っ直ぐな視線で迫っていく。切れ長の目尻には目力と優しい色気があり、息を呑むほど魅力的だ。

 希望ちゃんは抵抗できず、絵美さんの情熱と美を前に視線を逸らせず翻弄されている。

 そのままお互い何も言わず硬直したまま時間が過ぎるが、主導権は圧倒的に絵美さん側にある。

 やがて、希望ちゃんは瞳を濡らす。

 すると両肩を一瞬だけ震わせ「うっ」と声を引き攣らせ――


「うわあああぁぁぁん!」


 店内にも関わらず、大声で癇癪を起すように泣き出した。それに反応した他のお客さん達が「何事か」といった様子で瞬時に俺達の席を眺めてくる。


「わたし、このまま女の人に手籠めにされちゃうんだ。手籠めにされて、貞操も奪われて辱められて寝とられて、創一さんとキョーダイになっちゃうんだ。うえええぇぇぇん」


 希望ちゃんは目元を抑えながら淫猥な言葉を次々に並べていく。しかしかなり混乱しているのか、意味がわからず喋っているような気もする。


「お金置いていきます!」


 覚束ない手付きで財布から野口英世が印刷された紙幣を一枚取り出し、机に置くと転びそうになりながら逃げるようにファミレスから出ていった。

 急な彼女の行動に、俺は引き留めることができず、ただ見ていることしかできなかった。


「ちょっと! あれどうするんですか!」

「つい……攻め過ぎた。悪い」


 絵美さんは自身の行動を後悔するかのように、親指と中指でこめかみを押さえる。


「まだ未成年なんですから考えてくださいよ」

「そうか、なるほど。まだ処女だったとは浅はかだった」

「そんな憶測要りません!」


 この期に及んで下卑たことを考えられるのはある意味すごい。


「でもさ、まだ未成年でもJKは卒業してるんだろ? わたしの彼女だって二十歳だし、あれぐらいおいたしてもいいかな、って思ったんだよ」


 JKを卒業という表現もおかしいし、彼女がいるのになぜ手を出すのか、公然の場でどうして色気づくのか、突っ込みどころが多過ぎて何を物申したら良いかわからない。


「しかし泣き顔も小動物のようでかわいかった」

「はいそうですか。で、どうするんですか?」


 投げやりに訊く俺に対して絵美さんは「冷たいなぁ」ぼやくが、腕を組んで俯いたまま何かを考え込む。どうやら反省はしているようだ。


「希望ちゃんに最も喜んでもらえる方法は……創一、彼女はわたし達とモンバスをやるくらいだから、ある程度ヲタク文化には馴染んでいるか?」

「馴染んでいるどころか、どっぷりだと思いますよ」


 話を聞いてコミケに行ったりコスプレイヤーに会ったりするぐらいだから間違いない。


「そうか。なら、わたしの誠意を伝える最良の方法は……あれしかないな」

「あれって、なんですか?」


 絵美さんは少し眉を細め真剣な眼差しで窓の外を見つめる。

 外の景色を眺めるのではなく、自分がすべきビジョンを思い描いているのだろう。


「わたし自身の紹介にもなるしな、一日もあれば仕上がるだろう。完成したら創一に伝えるよ」


 注文したものを二人で片付けてすぐに店を出ると、彼女は寄り道せず自宅へ戻っていった。

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