4.声優志望音ゲーマー

(1)音ゲートーク

「先輩、最近良いことあったんですか?」


 週に一度の大きい会議室で開かれる二時間の退屈な部内報告会が終わり、廊下を歩いている時だった。

 俺が指導している後輩の霧島さんが、不意打ちのような言葉を投げ掛けてきた。


「部会の最中、なんか思い出し笑いしてたような気がするんですが?」

「いやいや、そんなことないっしょ」


 表情を固めて動揺する本心を必死に抑え込み、どうにか惚ける。


「そうですか?」


 飾り気の無い黒フレームメガネの位置を直しながら淡々と呟いてくる。そんな理系女子らしい仕草を前に、分析されているような気分になるがそれでも耐え抜く。


「でも、幸せな時ほど用心してくださいね」


 こちらの様子を見抜きながらも助言をしてくれるこの子は、数年経てば俺よりも優秀だろうと思えた。


********************


 長い会議の後は残業する気にもなれず定時で職場を出る。

 会社の駐輪場から自分の部屋までたった十分で辿り着くため、平日でも普通の社会人より自由な時間は多い。

 夏が過ぎて秋となり夕方の空気が涼しく自転車で走ると爽快で、紅葉が綺麗な通りを走っている時はとても気持ちが良い。

 最寄りのスーパーで最低限の食材を買い、マンションの正面ゲートを開ける。

 すると各部屋のポストが並ぶエントランスに、両手で構えたスマホを凝視する希望ちゃんがなぜか座り込んでいた。


「あっ、創一さ――あわわ、ごめんなさい」


 一瞬だけ俺の顔を見た後、すぐにスマホの画面に視線を戻して忙しなく両手の親指を動かす。

 何をやっているのだろうか?

 横から画面を覗き込むと、画面上部から降ってくる複数のバーを画面下部の判定ラインでタッチして捌いているようだった。

 間違いなく音ゲーだろう。

 しかし希望ちゃんは容赦ないスピードで降り注ぐ複数のバーに指がついていけず、やがて残りライフらしきものが減っていき――


「あー」


 曲が終了する前に失敗の表示が出て、コンテニューを促す画面になった。

 希望ちゃんは力を出し切り、横髪をくしゃりと握るように触り頭を抱える。首がほんのりと赤く息遣いもやや荒い。緊張感から介抱されたその姿に少し色気を感じてしまう。


「お邪魔しちゃったかな。でも、どうしてこんなところで音ゲーを?」

「たまに鍵を部屋に置いたまま、そこの自動ドア通っちゃうんです」


 このマンションはオートロックのため手ぶらで出掛けると建物から閉め出されてしまう。


「そっか、今度は気をつけよう……音ゲーかなり上手いんだね」


 エントランスにある自動ドアを自分の鍵で開けながらそう訊いてみる。


「いえいえ、わたしなんて全然ですよ」

「多分俺にはついていけない難しさだったよ」


 俺もスマホの音ゲーを少しだけやったことがある。たださっき画面に見えた譜面は、自分なら二十秒もせずにリタイアしているような難易度に思えた。


「確かバンドフェスだっけ?」


 コミケの待機列にいる時、一度だけそのタイトルを聞いた覚えがある。


「はい。学校の友達がいない時、擬態が必要ない時によくやってます……ただ好きでも、話ができる相手がいなくて少しさみしいというか虚しいというか」

「なるほど……わかる。夏織と知り合う前、俺も格ゲーは一人でやっていたからさ。話し相手がいないからって止めるほど熱意が低くないから、余計苦しいというか」


 すると希望ちゃんは部屋の玄関を開けようとドアノブを捻ろうとして振り返り、不思議そうな表情でこちらを見つめてくる。


「創一さん。さすが、ですね」

「伊達に長年、隠れヲタクしてないさ」


 アニメやゲームが趣味同士なら話が合うのでは? それらしいイラストが用意されていればなんでもいいのでは? と思っている一般人は多い。

 しかしそれは浅はかな認識だ。

 分野が同じでも、同じ作品に触れている者同士でなければ真の共感や仲間意識は生まれないものだから。

 アニメは未視聴でも一クールの長さなら六時間あれば観賞できるため勧め易いが、ゲームは時間が掛かるため人には勧め難い。特にソーシャルゲームは時間もお金も使い、アーケードのものや対戦ゲームに関しては向上心も必要なためかなり厳しい。

 つまり……バンドフェスを俺が今から初めても、希望ちゃんにとってはきっと役不足ということだ。


「このゲームする友達いなくて……あっ、創一さんって、人脈あるじゃないですか?」

「えっ?」


 女性にも関わらずぐいっと顔を近づけてくる彼女が放つ圧力にややたじろいでしまう。


「そういうお知り合い、いませんか?」


 斜め下から、露骨でない程度に物欲しそうな甘い視線で見つめられる。

 希望ちゃんは普段礼儀正しいのにこういう小悪魔っぽいところをたまに出してくる。自覚があるくらい、俺はそんな彼女の一面に弱い。


「まあ……いる。うん、いるけれど」


 頭の中で自分の知り合いを巡ってみると、思い当たる人物がすぐに浮かび上がった。


「えっ! いるんですか!」


 さらに希望ちゃんは身を乗り出してくる。


「うん、いる。バンドフェスもやってるっぽい……それにスマホ・アーケード問わずの筋金入りの音ゲーマーだよ? その子のツイッターをたまに見るけど、かなりのガチ勢だね」

「そこまでですか……わたしなんかじゃ釣り合わないかも」

「いやいや、別に音ゲーマーとしか会わないような、尖った人間じゃないと思う。直に会うのは久しぶりだけど電話はしていたから、連絡できるけどどうする?」

「なるほど……じゃあお願いします!」


 希望ちゃんは迷いながらも、トレードマークであるポニーテールを揺らしながら首を縦に振った。

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