(3)声優と音ゲーの関係

 それから天音ちゃんに案内されて、ゲームセンターから数分の場所にある建物の四階にやってきた。


「本当だ、あんまり混んでない。なのに良いお店じゃないか」


 フロアの中央には円形のオブジェに複数の小さいライトが吊るされた独特な照明があり、各テーブルはカーテンで仕切られ半個室のようになっている。


「音ゲーやった帰りに、ここに来る時もあるんだ。財布にも優しいしお気に入りの場所だよ」


 案内された窓際の席からは、新宿の街を往来する人々の流れがよく見えた。


「二人はどんな仲なんですか? 今日は久しぶりに再会したみたいですけど」


 希望ちゃんは俺を奥の席へ座るように促し隣の席に座る。


「俺の妹の幼馴染なんだよ。歳は五歳くらい離れているから一緒に遊んだ仲ではないけど、小さい頃はよく見てたよ」

「じゃあ、林原さんの方が少し年上さんなんですね。わたし去年高校卒業したので」


 実年齢はともあれ、ボーイッシュな風貌のせいか天音ちゃんの方が若く見える。


「お互いにタメ語でいこうよ、呼び方も苗字じゃなく名前で。二歳離れてるぐらいだし、ボクはラフな方が好きかな」


 そんな提案に希望ちゃんは微笑み頷く。どうやら二人共仲良くなれそうだ。


「希望ちゃん、だよね? 創にぃとはどう知り合ったの?」

「住んでるマンションのお隣さん同士なんです……なの。偶然お互いにヲタク趣味がわかって、意気投合したんだよ」


 その時だった。


「へぇ……お隣さん、か」


 天音ちゃんは一言呟くと、希望ちゃんが少し視線を逸らした隙に、眉を細めて俺を一瞥してきた。

 視線で射抜かれる、というのはこういう事だろうか? 刃のような鋭い感触につい背筋が固まる。


「なるほど。仲良いんだねー」


 殺気すら感じた睨みは嘘のように消え失せ、天音ちゃんは穏やかに答える。

 そして俺達と対面の席に座りながら、メガネを外した。


「そういえば昔はメガネ掛けて無かったね、視力落ちたの?」


 素朴な質問をすることで「お隣さん」からの一部始終から話題を逸らすことにする。


「ああ、これは伊達だよ。度は入ってない」


 ファッションで掛けているのだろうか? そんな疑問を思ったところでウェイトレスが注文を取りにやってきた。

 俺も希望ちゃんも夕飯を済ませていないため、メニューを見て一人前の料理を頼む。

 しかし天音ちゃんが頼んだのはサイドメニューのサラダのみでかなり控え目だ。


「少ないね、もう夕飯食べたのかい?」


 俺なら空腹で眠れなくなりそうである。


「まだだよ。夜は控え目にして体型維持したいんだ。でも栄養は取らないとね」

「すごいスリムだよね。手足細くて羨ましい。わたしもそのくらい細くなりたいよ」


 希望ちゃんは自分の腕を差し出し、天音ちゃんの腕と比べる。

 久しぶりに再会した感動で言えずにいたが、俺もダンスゲーの時に希望ちゃんと同じことを思った。色白で細長い手足で舞い踊る姿が、綺麗でかっこ良かった。


「ありがとう……でも、ストイックに体型をコントロールしなきゃいけないのは不本意かも」

「不本意? 俺には体型維持が成功してるようにしか見えないよ」


 食事制限が不必要と思えるくらい、天音ちゃんはスリムな体型をしている。

 すると彼女は考え事をするかのように目を閉じる。

 深く息を吐き、肩に掛けたヘッドフォンを外してメガネの隣に置くと、再び目を開けた。


「このメガネもヘッドフォンも食事制限も、ある目的のためにやってる……笑わないでよ?」


 頬をやや赤く染め、俺達から視線を逸らす。


「ボクは……声優志望なんだ」


 その言葉を聞き、急な驚きと感動が混ざり合い、俺と希望ちゃんは目を合わせた。


「やっぱり、おかしいかな?」


 俺達の反応を窺いながら、天音ちゃんはそう訊いてくる。

 無理もない、本人とってはデリケートな話題だろう。


「そんなわけあるか。知人が声優を目指しているとわかれば喜んでしまうのは、ヲタクの性だよ。夢があっていいじゃないか」


 本心で語り掛けると、恥ずかしそうにそっぽを向かれる。


「食事制限も声優さんになるための体作りなの?」


 希望ちゃんの質問を聞いて、女性目線は違うなと感心する。俺ではそこまですぐに連想できなかった。


「そう、ルックスを維持するためだよ。声優だけど声の演技だけじゃなくて外見も整える必要があるからさ、でも声の演技自体に外見は直接関係無いでしょ? だから不本意」

「そうだな……懐古厨みたいなこと言っちゃうけど、昔より声優さんの声って個性が薄れてる一方で、ルックスは男性も女性もどんどん上がってる気がするね」


 きっと天音ちゃんは声の演技で評価される人物になりたいのだろう。


「あと声優の仕事だけに絞っちゃうとチャンスが少なそうでさ……最近は劇団に所属して舞台に出させてもらってるんだ、そんな事情もあって体を絞ってる」


「えっ、劇団!」と興味深そうに希望ちゃんは食い付く。


「まだチョイ役を貰えるくらいだし、大きなとこじゃないけどね。声優としての仕事はアニメで名前無しキャラやガヤをしたり、同人ゲームで数少ないセリフを担当してる程度なの。だから劇団とか他の活動もした方が、仮に遅咲きになっても最終的に声優として成功しやすいかなって思ってる」

「ビジョンをきちんと組み立ててるんだ……でもお仕事をしてるんだから、それって声優志望じゃなくて、すでに声優さんと呼べるんじゃないの?」


 慣れない言葉が急に出てきて気後れしてしまうが、俺は思った事をそのまま訊いてみる。


「一応、事務所の所属にはなってる。けどこの程度じゃ「プロ」や「声優」と自称してはいけない気がする。声優って肩書きの人は全国に何千人もいて、実際に声の仕事だけで食べていけるのは五百人いないらしい。ボクは声の仕事だけじゃ、まだ一人暮らしなんてできないしさ」


 これからの道のりを想像するように、天音ちゃんが一瞬だけ遠い目をしたように見えた。


「有名な声優さんの中には、小学生の頃から子役やってた人だったり、宝塚を受けた人や、元アイドルなんて人もいるけど、ボクの家は普通の中流家庭だからそこまでバックアップを受けられない。だから、できることはなんでもしたい」


 天音ちゃんは今、二十歳のはず。

 その頃の自分なんて、留年しない程度に大学の授業や課題を受け身でこなしていただけで、未来の事なんて全く考えていなかった。


「音ゲーを続けてるのも、その一環だよ」

「えっ……どういうこと? スタイル維持も兼ねてるとか?」

「それもあるけど……そうだよね。わからないよね」


 よくわかっていない俺の反応を見て満足そうに頷いてくる。

 すると指を三本立ててから、天音ちゃんは語り出す。


「一つ目は身体を絞れる運動を楽しみながらやるため。二つ目は音ゲー好きのクラスタに知ってもらってSNSでのフォロワーを伸ばすため。三つ目はゲームの実力や運動神経を買われて仕事に繋がる可能性を少しでも上げるため。でも、好きだからやってるのも本当だよ」

「なるほど。それで趣味と実益、というわけか……勉強になるよ」

「セルフマネージメントしていった方が、成功する確率上がる気がするから」


 五歳も下の人間にここまでしっかりとしたビジョンを聞かされて恐れ多い気分になるが――


「えっ? えっ?」


 隣に座る希望ちゃんが、俺と天音ちゃんを交互に目配せしながら何か訴えようとしている。


「創一さん納得してるけど、わたし理解が追い付かなくて……楽しみながら運動というのはわかるけど、SNSのフォロワーとか、仕事に繋がるっていうのは、どういうこと?」


 難しい表情で質問をする希望ちゃんに、天音ちゃんは両手を合わせて「ごめんね」と謝る。

 確かに今の説明だけだと短過ぎて、SNSのリテラシーとヲタク知識がどちらも高くないと理解できない内容だったかもしれない。


「もう少し詳しく話すね」


 天音ちゃんは「ごめん」と希望ちゃんへ向けて両手を合わせる。


「SNSにある程度レベルの高いスコアをアップすると、音ゲー好きの人達、つまり音ゲークラスタがボクをフォローしてくれる。そうすると、声優の仕事のつぶやきも見てくれるから、ボクを知らなかった人に対して宣伝になるんだ。仕事に繋がるというのは、音ゲーをやり込んでいる声優というだけで新しい音ゲー関連キャラクターの役を貰えるかもしれない。それにダンスゲーで体を絞っていることや劇団のことをアピールすれば流行りの2.5次元系の舞台の仕事とかをゲットしやすいかも」

「簡単に言えば、ファンも獲得できてどこかの企業の人にもアピールになるわけだ」


 俺なんかが軽い言葉で賞賛していいのかと憚るくらい、貪欲な考え方だ。


「でもSNSを利用してそこまでしてるなら、音ゲーマー友達簡単にできるんじゃ?」


 希望ちゃんが口にした至極当然な疑問を聞いて、俺はかなり納得してしまう。


「それは……趣味っていうのはね、趣味の範疇を超えた途端にコミュニケーションツールじゃなくなるってことだよ」


 すると天音ちゃんは、外したメガネとヘッドフォンを手元に置く。


「ボクがこの二つを着けて出掛けるのは、ゲーセンに行く時だけなんだ」


 どうして? と訊かずとも続きを話してくれそうだったから、首を少し捻るだけに止める。


「アーケードゲーム全般に言えるけど、ゲーセンはほぼ男性の文化だよね。だから女だてらにあんなゲームしてると……つまりナンパだね、よく話し掛けられる」


 ほぼ男ばかりの職場で毎日を過ごしている俺にとって、そのカタカナ三文字は久しぶりに聞く言葉だった。

 ただ食事管理までしている天音ちゃんのルックスでゲーム好きともなれば、言い寄られるのはわかる。ヲタク趣味に理解のある彼女が欲しい男は、世の中に沢山いる。


「ボクは自分のリザルト画面やウィークリーランキングをSNSにアップして、声優業の宣伝になるようにもしてる。だからゲーセンでトラブルを起こしたなんて嫌な噂話が立つのは避けたい、ネットでの拡散はやっかいだから」


 確かに大きな夢があるなら、小さなリスクも摘み取るべきだろう。


「そこでゲーセンでは声を掛け難いようにヘッドフォンをして、所属事務所のサイトにある写真と同一人物だと思われないためにメガネも掛けている……自意識過剰な考えかもしれないけど、養成所の先生にも「どこでも見られると思いなさい」って言われたことあるし、用心してるんだよ」

「正しい方針だと思う!」


 希望ちゃんは両手を握り締めて、同意するかのように言い切る。


「わたし学校の友人相手には、ヲタク趣味は隠してて取り繕ってるの。擬態は大事だよ、声優業を大事にしてるならなおさらだよ」


 二人でコミケに行った時、希望ちゃんは身バレ防止のために唾の広いコットンハットを被っていた。ヘッドフォンとメガネを着ける天音ちゃんに共感したのかもしれない。


「ああ……だから音ゲー友達できないんだね?」

「希望ちゃんって、察しがいいね」


 少ない言葉で意志疎通する二人のスピードに俺は遅れる。


「そう。メガネはともあれ、ヘッドフォンを被っていたら周りの人はかなり声掛け難い、女子や下心が無い人も拒絶しちゃうことになる。音ゲー友達を増やすよりトラブル起こさない事の方が大事だからしょうがないけど、それじゃ人脈が広がるわけないよね」

「アーケードのゲームはゲーセンじゃないとプレイできないから厳しいけど、スマホの音ゲーやる友達なら比較的作り易いんじゃないの? 例えば、さっき言ってた所属事務所の歳が近い人とかさ」


 俺が指導している後輩の霧島さんも、暇潰し程度に音ゲーをすることがあると言っていた。


「訊いてはみたけど運が悪く縁が無いよ。でも今日は希望ちゃんと知り合えたし……あのさ、もし良ければ、バンドフェスのフレンドになってもらえないかな?」


 天音ちゃんはスマホを片手に頬を少し紅に染めながらぎこちない喋り方で、希望ちゃんに持ち掛ける。

 その様はまるで、異性への告白やラブレターを渡す時のようだ。

 俺は胸の内で滾ってしまう衝動を抑え込み、邪な思考がバレないように表情を固める。


「もちろん、喜んで! よろしくね!」


 希望ちゃんがはっきり快諾すると、二人共スマホのゲームアプリを起動させ、お互いのIDを見せ合いながらフレンド登録を済ませる。

 すると希望ちゃんは、何かに気付いたのか天音ちゃんの画面を覗き込む。


「椋くんが推しキャラなの?」

「うっ、うん。やっぱ可愛いよね?」


 俺もそのキャラが知りたくなって「いいかい?」と一言断りを入れ、少しだけ腰を上げて覗いてみる。

 すると天音ちゃんのスマホには、ドラムセットに座り前髪をペアピンで留めているショートヘアのキャラが映っている。中性的で性別の判断ができない容姿だ。


「バンドフェスって確か、女の子のキャラクターしか出てこないよね?」


 訊いてみると、希望ちゃんが得意気な様子でにやりと笑う。


「創一さん知らないんですね? この七瀬椋くんは男の子、バンドフェス唯一の男性キャラなんですよ!」


 バンドフェスについては、タイトルと複数のバンドがゲーム内に存在する程度しか知らなかった。

 ただその話を聞いて察する。作中唯一の男性である七瀬椋というキャラは、作品のアクセントになっているのだろう。


「男の娘、ってやつだ?」


 そう口にしてから、端的に表現し過ぎたかもしれないと少しだけ後悔する。


「ん?」


 すると天音ちゃんが喉を鳴らし、若干睨みを利かせつつ振り向いてくる。

 同じ思いなのか、希望ちゃんも両腕を組んでやや背筋を張り、威圧感のある姿勢になる。


「こりゃ失礼」


 デリケートなキャラ愛を抱く二人から同時に反感を買ってしまった。ここはデリカシーが足りなかった自分を戒め、大人しくするとしよう。

 しかし助け舟のようにウエイターが注文した料理を運んできてくれたため、タイミング良く会話をリセットすることができた。


「ありがとうございます」


 俺は飲食店でウエイターにそんなことを告げることは少ない。でも今は特別にお礼を言いたい気分だった。

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