6 鬣犬と獅子
空は黒く塗りつぶされている。雪雲が昼にかけてポツポツと現れ始め夕方には完全に空を覆ってしまったので、月明かりもなくいつもよりいっそう辺りは暗く闇に染まっている。
北風がびゅうっと吹き付けるごとに身ぶるいしてしまうほど外は冷えていた。
大きな通りのマーケットなどは店じまいを始めており、がらんとしていた。
それと相反して通りの外れにある酒場には煌々と明かりが点っていた。
中はほぼ満席状態で、カウンター席が少し空いているくらいだ。その混雑した酒場で男たちが酒を仰ぎ、賭け事に勤しんでいた。時折、罵声や歓喜の声、悲痛な悲鳴が飛び交っていた。
「おい!!追加の酒たのむ!!」
「こっちはツマミだ!あと水もたのむ!」
「よっしゃあ!!これはもらったぞ!!後で追加で払えよ。」
「だぁああっ!!もうやめてくれ!!またカミさんに怒られちまう!!」
店主が注文に気前よく答え、すぐ女給に品を運ばせていく。
店の中はいつも以上に男たちの活気で満ちていた。
「おーい!!また酒追加持ってこい!」
「はいはいただいま。けど、今日はいっそう飲むのね?」
女給が注文に答え、棚から酒をおろしながら尋ねた。どうやら常連らしい。
「へへっ。まとまった金が手に入りそうなんだよ。」
「へぇ。良かったわね。ツケも溜まってるから払って欲しいところだわ。」
そう言うと男はわかってると慌てて答えた。
その店の中に、新たに人が入ってきた。店内の人間が一斉にそちらの方に視線を向ける。
少しばかりか店の雰囲気が落ち着いたような気がした。
落ち着いたというよりは張り詰めたようになったと言うべきか。
入ってきたのは二人組だった。一人はやけに目立つ髪の色の若い男だった。もう一人はフードをすっぽりと被ってしまって顔は見えない。目立つ髪の色の男の後ろを静かについていく。その男よりは拳ひとつがふたつほど背が小さかった。
明らかにこの辺りの人間ではなかった。
二人は静かに空いていたカウンター席に座り、早速飲み物を頼んだ。
すぐに頼んだものが運ばれてきて、女給が静かに品物を置いて下がっていった。
二人は特に話すこともなくそれを飲み始めた。
「なんだ?あいつらは………?」
「さぁ………見たことない奴らだ。」
突然現れた二人組は周囲の男たちの視線を集めていた。雑音に紛れて時折ヒソヒソと話す声も聞こえてくる。
「商人か?」
「というわけでも無さそうだな。そんならもっといいとこで飲むだろ。綺麗なねぇちゃんがいるとことかな。」
「じゃあなんだ?用心棒とかか?」
「まぁ、そうじゃね?少なくともあの派手なピンクの方はそうだろ。」
「あの小さいのは……子供か?」
「わかんね。」
小さく聞こえてくる会話を聞いて、フードの人物が辺りををちらりと盗み見た。フードの奥には緊張した黒い瞳が光っている。
シイナがジルの方を見てみるも彼は無表情で頼んだ酒を少しだけ飲んでいた。ジルにとってはこうしたことは慣れてしまったことなのだろう。
しかし、シイナにとってはただジルが静かに酒を飲んでいるだけには見えなかった。注意深く、周りで飲んでいる男たちの会話や動きなどを読み取ることに集中しているようだった。
それから二人はしばらく周りの状況に溶け込むようにして静かに飲んでいた。
「今日はどちらからおいでで?」
ふと、カウンターで酒瓶を手に取り作業をしていた店主が話しかけてきた。
唐突に話しかけられてシイナはコップを持つ手を滑らせそうになった。シイナが動揺を何とか抑えながら答えようとするより先にジルが口を開いていた。
「イース市だ。」
普段と変わりない調子だった。
「おや、随分と遠いですね。」
「流れ者だからそれくらいの距離は普通さ。まだ移動手段があったからマシな方だ。」
「ああ、ユキクマですか。あれは結構便利ですよ。流れ者ということはもしや用心棒か何かで?」
「俺は傭兵だ。こっちは見習いってとこかな。まだ12、3のガキだ。」
ジル薄く笑いながら、シイナの方にそっと触れた。シイナの顔がフードに隠れているのが幸いだった。心臓が破裂しそうなほどどくどくと脈打っていた。
ジルが辺りの様子を少し伺ってみると、明らかに視線がさっきよりも集中しているのがわかった。関心がない振りをしつつも明らかに目がこちらを向いている。
「ここにいる奴らも用心棒とかか?」
ジルは平常を装って更に会話を続けた。店主はにこやかに答える。
「ええ。だいたいそうですよ。この辺りは外への物の行き来も多いですし、魔物も出やすい。仕事は沢山あるので用心棒たちも稼ぎやすいのです。」
店主は店奥の大きなコルクボードを指さした。そこには大量に紙が乱雑に貼り付けられていた。このような光景をダウナー街でも見たような気がした。
「へぇ。かなりいるんだな。」
「他の店に行けばもっと貼ってあるかもしれませんね。仲介だけを請け負う仕事もあるほどです。」
ジルは遠巻きにコルクボードを一瞥して、酒を口にした。量はさほど減っていない。
「仕事をお探しなら何かいいものを紹介しますが。どうです?」
「いや、もう仕事はある。人探しを頼まれていて………。」
空気の変化をすぐに感じ取った。辺りの音が異様なほど静かになるのがわかった。
それと同時にやってきたのは背後の尖った気配だった。それは一瞬だったがシイナの感情にちくちくと突き刺さった。シイナは指先が震ええてきそうな程の緊張を覚えたがなんとかそれを押さえ込もうとする。
ジルも同じようにこれを感じ取っているはずなのに、彼は平然と店主の方を見ている。
少し店主の表情が冷たく曇ったものとなったような気がしたがすぐに先程と同じ笑みに戻った。ジルはそれを見逃さなかった。
「人探し………変わった仕事ですね。どのようなものなんですか?」
店主が尋ねると、ジルは特に弊害もなくこう話した。
「ある商隊の奴らのうち二人が失踪したらしい。それを探して欲しいってことだった。」
未だに背後から来るピリピリとしたものは止まらない。シイナはただジルの方を見るだけに専念した。手元の飲み物も飲むふりをする気にも慣れずただグラスを握りしめるだけだった。
「依頼主は?」
「俺も知らない。仲介業者を挟んでいるから聞いても依頼先の名前とかは教えて貰えなかったな。」
店主はしばらくジルを見つめた後そうですかと手元にあった洗ったばかりのグラスを吹いた。
ジルは、さらにこんなことを口にしだした。
「で、その二人はまだ子供らしくてな。一人は青い髪の女。商隊のうちの誰かの娘らしい。んでもう一人がその商隊と来ていた…………なんて言ってたけな…………えーと。」
ジルが上を眺めながら仕事の内容を思い出すかのような素振りをした。
それをしばらくした後、ジルがシイナの方を見て話しかけてきた。口調はいつも通りだが、目つきは険しさを含んでいた。
「なんだったか?たしかこの辺りの原住民族って………。」
シイナがそれに合わせて答えようとした時、背後から声が聞こえた。
「それはスウォー・ロゥじゃねぇか?」
それと共に、ガシャンと激しく何かが割れる音がした。
シイナの目の前で酒瓶が砕け散り、ジルが衝撃で床に投げ出された。ドンと鈍い音がしてジルは床の上に倒れたまま動かない。
二人のすぐ側には一人の男が割れた酒瓶を持って立っていた。
女給達の悲鳴が上がるが、男たちはにやにやと笑っていた。
「やっぱりこういうのがいたんだな。だけど生憎場所が悪かったみたいだなぁ………。ここにいる奴らはほとんど「鬣犬」の奴らだぜ。」
シイナは慌ててジルの元へ駆け寄ろうとするが、何者かに腕を引っ張られてそちらに引き寄せられた。その腕の正体の男がシイナを引き寄せると共にフードをまくった。黒い髪と大きな黒い瞳の可愛らしい顔が顕になる。
シイナはそれを振りほどこうとするも簡単に男達に押さえつけられてしまった。いくら普段過酷な冬守りの仕事をしているとはいえ男女の差はなかなか越えられない。
「おい、暴れたった無駄だ。ガキが抵抗したところでかなうわけねぇ。」
口を歪ませて男達は笑う。男たちがシイナの顔を覗き込んだ。
「にしても可愛い顔してる坊主だな?……こいつ女じゃないか?」
「お?ほんとか?」
「なら確かめてみるか?どうだ?」
下世話な会話が飛び交う。
「い、嫌………!」
抵抗しようにも、体が固まってしまい全く動かない。
「そんなことしたら売れなくなるだろ?にしても今日は大量だな!あのスウォー・ロゥのガキといい。こいつも結構いい買い手が見つかりそうだ!」
男がシイナの顎に手を持っていき、くいっと上に持ち上げた。体は萎縮してその瞳は恐怖に染まっている。
誰か。お願い、誰か誰か誰か___。
シイナは自分が息を吸えているのかどうかもわからなくなった。体が震えて声を出そうとしても口をぱくぱくさせることしかできなかった。
シイナの様子を見て、これはしめたとばかりに男たちがシイナを拘束しようとした時、ジルの体が動いた。のそりと体を起こしてその目立つ髪をかきあげた。
「ちっ………なんだ、生きてやがったか……。」
男たちが悪態をつくと、揃って持っていた武器に手をかけた。室内の明かりが刃に反射する。
ジルが真正面に男たちと向き合い、まず始めにこう口にした。
「おい。そいつを離せ。」
ジルの額に赤い筋がひとつできているのが見えた。ガラス片で切ったのだろう。彼も手にはダガーを持っている。
男たちが口を歪ませて笑った。
「残念だけどよ、こいつは売っぱらうことに決めた。返す訳にはいかねぇ。それにてめえらはあのスウォー・ロゥの事を知ってるみてえだしそうなら野放しにしておくことも無理だ………」
と、男のここから先の会話は途切れてしまった。
「放せと言っているんだ。」
単純にジルが男の話をこの言葉で遮っただけではない。男たちの下衆な笑顔が一気に萎縮したものへと変わっていた。
ジルはその鋭く冷たく、かつ激しく怒りの業火を宿した目で男たちを見ていた。
ただ見ていただけ。
だが、それはまるでひしひしと闘志をその中で絶えることなく、ごうごうと燃やし続け待ち構える獅子のようだった。
その気迫に圧倒されたのだ。
シイナは何度かジルの事を怖いと感じたことはあったがその中でもこれは今後も強く頭に焼きつくこととなった。
「………や、やっちまえ!!相手は所詮一人だ!」
シイナを取り押さえている男が恐らくリーダー格なのだろう。男が我にかえって指示を出すと一斉に酒場にいたほぼ全ての男たちが襲いかかってきた。
ある男がジルに向かって持っていた短剣を振り上げた。
しかし、振り下ろされた時それはパキンという音と共に根元から折れて、先が弧を描き地面に突き刺さった。
「え?」
男が何が起こったのかを理解する前に、体に焼け付く痛みが襲いかかってきた。ジルがダガーで男の背中の右下から左肩にかけて切り裂いていた。
すぐに深紅の花と錯覚するほどの鮮血が飛び散り、呻き声とともに男は地面に吸い付けられた。
ジルは留まることなく、呆気に取られていた男の懐に潜り込むと脇腹を刺した。相手をいたわることなくダガーを引き抜くと同時にジルの手に血がかかり、悲鳴が響く。
続け様に男二人が襲ってくるが、ジルは難なくその二人の間を通り抜けてしまった。そして、通り抜けた先で近い方の男の背後に周りカウンターで背中を切りつけた。
切りつけた後に別の男が短剣を振るうが、ジルはそれをバク転で交わしその場に落ちていた酒瓶を手早く拾い投げつけた。酒瓶は男の顔面を射抜き粉々に粉砕した。
しばしの間、張り詰めた静寂が訪れた。
何人もの血を吸ったダガーを無言で、しかし業火を宿した目と共に向けるジルに鬣犬のメンバーは怖気付いてたじろいだ。
それはシイナを取り押さえている男も同じだったが、男は声を上げた。
「な、何グズグズしてんだ!!さっさと始末しろ!!」
その声と共に今まで傍観していただけの者も武器を持って立ち上がった。数えるとおおよそ10人程だと思われる。
今のジルにとっては数など関係なかった。ただ胸の中で激しく燃えるものが勢いを増すだけであった。
再び戦いの火蓋が切られるとジルと男たちがぶつかりあった。先程よりも大きな衝撃音や、机が倒れる音。食器が砕け散りガラス片が飛び散り、壁には穴が空いた。男たちの怒号や悲鳴が何度も響き渡る。
1匹の獣が暴れている。他者にそう表しても全く問題ないだろう。
ジルが他の者たちの相手をしているうちに、リーダー格の男はシイナを連れて逃げ去ろうとした。
戦うことよりもここはとっとと逃げ帰って今夜のオークションにより多くの品を賭けてしまった方が得だ。
「おい、裏口を開けろ。それと本拠点に連絡を入れてくれ。」
男がそう告げると、店主は静かに店の裏に姿を消していった。それに男がついて行こうとするがここに来てシイナがもごもごと動き暴れ始め抵抗しだした。
「おい暴れるな………暴れても無駄ってのは……ってなんだっ!一人だと結構力あるなっ………。」
先程は何人ものの人間に押さえつけられていた為気づけなかったが、案外シイナに力があることに男は気づいた。
伊達に冬守りをやっているわけではない。シイナは男の拘束から逃れようとできるだけ動いて叫ぼうとした。
慌てて男はシイナの口元に手を持ってきて抑えようとしたがシイナがその手にがぶりと噛み付いた。
「ってぇ!!」
それで男の拘束が緩くなり、シイナはそこからするりと抜け出した。
男は逃げ出したシイナを再び取り抑えようとシイナに襲いかかろうとするが、シイナは倒された椅子をさっと掴むと、その男の顔面に鋸を振る要領で椅子を叩きつけた。
木製の椅子はバキバキに大破して男はいくらか後ろ飛び、鈍い音をたてて壁にぶつかった。
「はぁっ…………はぁっ………。」
咄嗟にやったことと緊張でシイナは荒い息をしていた。
身の危険を感じたとはいえ、少々やりすぎたことをしてしまったと、心配になったがそういう訳でもなさそうだった。
「この、ガキャぁ……………!!」
シイナの事をまだ子供だと思っているらしく、男が怒りに震える声でそう言った。
男はしばらく強打した顔を手で抑えて、シイナを睨みつけてきた。指の間から血がぽたりと漏れだして床に垂れた。
だが、男が立ち上がろうとする前にその男の隣の壁に何かがダンと突き刺さった。
驚いて見てみると隣に冷たく光る刃が突き立てられている。
その正体はジルの薙刀だった。それを持つジルの姿は血にまみれていた。全て返り血だろう。
逆光の影の中に鋭く冷たい赤い眼がぎらりと刃物のように光っていた。
ふと、シイナが周りを見てみるとさっきまで酒を飲んでいた男たちが血溜まりに積み重なるように倒れていた。痛みで喘ぐ声や濃すぎる血の臭いがシイナの思考を掻き乱し気分を悪くさせ、変な汗が吹き出してきた。
それよりもシイナの思考を掻き乱しているのは、ジルの後ろ姿からでも十分に伝わってくる怒りと殺気だった。あのさっきの男たちのぴりぴりとしたものとは比べ物にならない。
感じたものは圧倒的な恐怖だった。
ここまでジルに対して恐怖を感じたことは今までになかった。
ひぃ、と男が情けない声を上げて口をパクパクさせる。
様子を確認しに来た酒場の店主もジルの気迫と目の前の惨状に圧倒されたのか立ち尽くしていた。
「鬣犬………ガクとラピスはどこにいる。」
ジルは薙刀を下ろすことなく、不自然なほど、その殺気とは合わない静かな声で問いかけた。
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