5 スラムにて 後編

「ほんと普通の教会だったな」


 教会の入口でジルはそんなことを言った。ショウタロウはその意味が気になった。


「逆に聞くけど普通じゃない教会ってどんなの?」

「こういうスラムの教会って裏で人身売買やってたりとか薬とか売ってたりするんだよな。暴力とかも普通にあるし子供を黙らせるために薬打ったりとか」

「あー………」


 声を大きくして言えないようなことが聞こえてきた。リサが聞けばひっくり返りそうな話だが、世界を見てきたジルにしてみればこんなとこに教会があるのはだいぶ変なことなのかもしれない。


「まあ……ここがトーキョーってのがあるかもね。薬物は結構キツく取り締まわれてるし」

「人身売買は?」

「デジタルコンテンツが発達してるから、わざわざ場所取って売るよりポルノとかなんかの写真の方が効率がいいし足もつきにくいとは思うけど。あとは解体して臓器売買とか」


 ジルはしばらくそれを聞いて黙っていた。ショウタロウは首を傾げている。


「お前、まさか卸業者か?」


 あんまりにも最もな事を言うのでそう思ってしまった。


 そう言ってジルが冗談半分でちょっと睨んでみると、あまり起伏のないショウタロウの表情も流石に変わった。


「いやいやいやいや、違う……ってなんで?え?いや、そんなんやってないからね?ね?やってないからね?」


 あんまりの焦りようにジルは思わず吹き出しそうになった。


 二人は教会を後にして帰路についた。思っていたより長く過ごしていたようで、日は南から西へと進み始めていた。


 二人は今朝歩いた道をまた歩いていく。

 途中、何人か顔を知っている子供たちとすれ違ったような気がするが、それはほとんど目に留まらなかった。


 ショウタロウはずっとあの時のジルの顔が引っかかっていた。カバンは軽くなったのに気分は変に重たいような気がした。


「………そういえば、ジル。君リタの出身だったんだね………ジル?」


 後ろを歩くジルに声をかけても返事がなかった。ショウタロウが軽く後ろを見た時、ジルの顔が見えた。


 若干俯き気味で他の事を考えているようだった。特に悲しそうな顔をしているわけでもないのに、何故かもの悲しげに見えた。


 ショウタロウが振り向いたのにはすぐに気づいたようで、ジルはすぐに顔を上げた。


「ん?なんだ?」


 普段通りの顔。


「えーと………ジルってリタ出身だったんだねって言ったんだけど返事なかったから……」

「え?ごめん……多分聞いてなかったわ」


 ジルは申し訳なさげに笑う。


 ショウタロウはリタについて聞こうかどうかと迷ったが、己の知的欲求に負けた。彼のことにはなるべく触れないように配慮してリタについて尋ねることにした。


 歩きながらショウタロウとジルは話していく。


「………リタってどんなとこ?」

「そうだなぁ……周りの国と比べると歴史は浅いな。独立してから二百年立ってるかどうかだ」

「へぇ………魔法文明都市なのに珍しいね。そういうとこって戦争でも被害なかった所多いし」

「そりゃ、近辺の国の植民地だった所をよせ集めて独立した国だからな。第五時世界大戦時の混乱に乗じて独立したから法整備とかが追いついて無かったんだ。俺がリタにいた時は、まだその時の問題が残されたままだった。今はどうか知らんけど」


 ジルは弊害なく答えてくれた。


「あとは………リタ語ってのはあるけど各地で色んな言葉が話されてた。都からちょっといけばベンバーゴ語、更にいけばハークシャ語ってな感じ」


 ベンバーゴとハークシャはどちらもリタ付近にある小国だ。そしてこの二つも魔法文明都市だ。


「大変だなぁ。地域でそんなに変わるんだ。しかもその二つだけじゃないでしょ、他の言葉って」

「そうそう。東だとハリシア語、港近くに行けばエジリア語とかもある。だからリタの人はだいたいコイネーとリタ以外に二つは話せるのが普通かな」


 ジルはそう言うと、今度は別の言葉に切り替えて何かを言った。


『ジルはベンバーゴ語話せるんだ』


 ショウタロウは彼が話したのと同じくベンバーゴ語で返すと、ジルは驚いたような顔をした。


 まさかと言う顔でしばらくショウタロウの事を凝視していた。


『…………こんなとこでベンバーゴ話せるやつ初めて見たわ』

『まあ、確かに。わざわざ遠すぎる国の言語勉強する人ってなかなかいないしね。発音の仕方がニポネカとだいぶ違うから満足行くようになるまで結構かかったよ』


 ショウタロウはそのままベンバーゴ語で話を続けた。かなり、どころかほぼ現地の住民レベルに流暢なベンバーゴをあやつる。


 ジルは長いことベンバーゴを話してなかったので少し思い出すようにして話していた。


『なんで覚えようと思ったんだ?』

『まあ………なんとなくなんだけどね。ちょっとその辺りの国に興味あったから、リタ、ベンバーゴ、クタリナは話せる、ハリシア、ハークシャは読めるくらいには勉強したかな』

『何となくでそんなにやるやつがいるか』

『ここにいるじゃんか』


 ショウタロウは自分を指さした。その答えにジルはなんと答えたらいいかわからなくなって、しばしの間会話が止まった。


 そんなジルを無視してショウタロウが話を続けていく。


『言語って覚え方さえ掴んでしまったら案外早く覚えるもんだよ。しかも似てる言語とかもあるしね。リタからクタリナ、ベンバーゴ、ハリシアって感じでそっから芋づる式でやってけばだいぶ楽だよ』

『へぇ…………』


 ジルに取ってはどれも全然違うように聞こえる。自分にはよくわからない世界になってきて若干ついていけなくなってきた。


「で、お前結局いくつの言語話せるんだ?」


 話題を変えるついでに、ふと気になったのでジルは尋ねてみた。ついでにコイネーに戻した。思い出しながら話すのは結構疲れる。


 ショウタロウはうーんと唸った。空を見ながら指を折って数えている。


 ショウタロウはコイネーとニポネカ、それに加えてリタ、ベンバーゴ、クタリナで既に六つは話せることになってる。

 各地を行き来する人が多い世の中と言ってもコイネーがあるし、こんなに話せる人物はなかなかいないだろう。覚えているなら多くてあと二つ程かと思われる。


 果たしていったいいくつの言葉を使うことが出来るのか。


 ついにショウタロウの口が開いた。


「えーと……そうだなぁ、他にノーラ、ゲルニーマ、ウィルアニア、エナン、チャーイ、極東……」


 予想をかなり大幅に超えてきた。


 次から次に名前が上がってきて、まだ続いているようだが、キリがない。


 ジルは我慢できなくなって口を挟んだ。


「えっ、そんなに?」

「あとは、古代アストロニカ文字と古代エジリア文字。話せるってか訳せる」


 ジルの目が点になった。とうとう古代文字まで出てきてしまった。


「古代アストロニカって………お前は考古学者か?」

「残念ながら言語オタクのしがないライターです」


 ショウタロウは自嘲する。こういう返しが上手いのはやはり字書きゆえなのだろうか。それともショウタロウの性格なのか。


 そうしているとスラムの入口辺りまでやってきた。


「ん?」


 ショウタロウが何かに気づいた。


「どうした?」

「なんか、人が集まってるなって……」


 確かに入口辺りに人影が見える。近づいていくと若い男が何人かたむろしていた。タバコを吸ったり、大声で何かを話したりしている。


 二人が近づいてくるのに気づいたのか、男たちがぞろぞろとやってくる。二人は反射的にその場に立ち止まった。


 男たちはちょうど二人の目の前に壁をつくるように立ちはだかった。腕に刺青などが入ってるが格好からして、この辺りのスラムに住むものだということがわかる。

 ジルは何となく起こりそうなことの予想はついたがしばらく成り行きに任せることにした。


「よう、お前ら。見ない顔だな」


 グループの中の男がにやにやしながら声をかけてきた。体に入っている刺青が多すぎてうるさい。


 ジルはもちろんだが、何回かここを出入りしているショウタロウの事も知らないようである。まあ、ショウタロウの事を知っているのは子供たちくらいだろう。


 ジルはショウタロウの後ろに立っているので彼の表情は見えない。特に何も行動を起こしていない。


「お前ら、どこのもんだ?」


 続けざまにまた男が尋ねてくる。


(やっぱり、「検問」か……)


 検問。よく、国の入口にあるような身元調査のような検問とは全く違う。これは彼らのような者が勝手に街などの入口に張って、そこを通る者の金品を巻き上げる行為である。ざっくりいえばカツアゲだ。

 スラム名物と言っても過言ではないほどどこのスラムでも当たり前のようにある。ジルも何度か引っかかったことがあった。


「俺はトーキョーだけど」

「嘘つけ。そこのピンクとわけわかんねぇこと話してたじゃんかよォ。どっかの観光客かなんかだろ。お?」


 周りの男たちからも声があがる。

 さっき、ベンバーゴで話していたのを見られていたか。ジルはそうだが、ショウタロウまでトーキョーの外のものと見られているようである。


「まあ、たしかに彼はトーキョーの者じゃないんだけど……観光客とかでは…」

「どーせ俺らみてぇなやつらを見に来たんだろ?見世物みてぇによぉ……悲しいよな」


 男はショウタロウの話に聞く耳を持たない。


 ジルには何が楽しいのかてんで理解できないが、たしかに金持ちの道楽でスラムを巡るツアーというものは存在する。当然見られる側からしたら気分がいいものではない。

 しかし悲しいと言う割には、男の顔はニヤついている。本当に見世物にされて嫌ならわざわざこんな堂々とでてこないだろう。


「タダで見せる訳には行かねぇんだよ。ほら、見物料をだしな。いっぱい持ってるんだろ?」


 金品を要求し、男が手を差し出す。周りの男たちも詰め寄ってきた。ジルは黙って様子を見ている。


 こうなった時、持ち合わせがあればいくらか素直に渡してしまった方が事はすぐに収まる。ないなら素直にないと言えば折れてくれるときもあった。だが、相手があまりにもしつこい場合は上手くやって逃げるしかない。


 ショウタロウは差し出された手をじっと見ていた。


「あいにく今は持ち合わせがないんだ。それに今は急いでいるから通させてもらうよ」


 ショウタロウは特に慌てる様子もなく、落ち着いた声でそう言った。


 現に財布は必要ではなかったので自宅に置いてきていた。持っているのは軽くなったリュックと携帯のみである。そうならば、男にとってもショウタロウにとっても互いに用はない。


 ショウタロウは大胆にも、男の横を抜けようとした。


 それが男の神経を逆撫でたようだ。


「っ!!ナメた真似すんじゃねぇ!」


 男は横を抜けようとしたショウタロウの肩を掴み、無理やりこちらを振り向かせようとした。


 ジルは流石に止めに入ろうとしたが、それよりも先に事は変化する。


「うるさい」


 ショウタロウは振り向きざまにVの字にした自分の右手で男の目を打った。俗に言う目潰しだ。


 男が軽く悲鳴を上げて顔を手で抑えて怯んだ。その隙にショウタロウはポケットから何かを取り出し、それを男の腰付近に押し当てた。


 短くバチッという音がして、またぎゃっと男が短く叫んだ。男はそのままへなへなと地べたに座り込んだ。


 男は痛みに悶えている。立ち上がろうとしても足に力が入らないようだ。

 ジルを含め、その場の男たちが全員ぽかんとしていた。ただ、男たちの方はショウタロウが何をしたのかがわからずなのに対して、ジルはショウタロウの行動に驚いていた。


 ショウタロウが持っていたのは小型のスタンガンだった。


「て、てめぇっ!!」


 男たちのうちの一人がようやく動いてショウタロウに襲いかかったが、こいつもまたスタンガンの餌食になった。体が痺れて動けない男が二人に増えた。


 スタンガンにはかなわないと思ったのか、残った男たちはジルを標的にした。


 一人は小型ナイフを懐から取り出し、今のところ何もしていないジルのほうに向かってきた。


「おい!こいつがどうなって………」


 セリフからして人質にでもしようとしたのだろうか。


 ジルはナイフを突き出してきた男の右腕を、自分の左腕で打ち、起動を反らせた。起動をそらされた男はそのままジルの横を抜けるような形になる。


 ジルはすかさず左手で相手の腕を掴んで、そのまま空いている方の手で男を軽く殴った。


 だがこれだけでは終わらず、パンチを出した右手をすぐに戻し、ナイフを持つ男の手に被せ左手を手前に引きながら右手を押す。

 手首の関節が極まると男の手に激痛が走り男はナイフを持っていられなくなった。呆気なく小さなナイフはジルの手元に移った。


「いでででででっ!!」

「で、俺がどうなるって?」


 ジルはひょうひょうと男に尋ねるが男は喚くだけだった。ジルはナイフをぽいと後ろに投げ捨ててから男を解放した。


 男はその場に手首を抑えて蹲り、ひいひいと喘いでいた。


 ただ一人何もされていない男が残っている。


 二人はほぼ同時にそちらを見た。


 この中で一番頼りなさそうな男は、これまた情けない声を上げて後ずさりした。


 完全に怯えきってる。これならほっといてもおってくることは無いだろう。


 二人ともいたずらに弱いものをいたぶる趣味はない。


「じゃあ、行こうか」


 ジルがそう言うと、ショウタロウはポケットにスタンガンを入れ、その場を後にした。






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