5 仮
薄暗い中、ぼんやりと点ったランプの灯りでジルは目を覚ました。
辺りの様子を見るにここはテントの中のようだ。入口の布の切れ目から外のあかりが漏れている。
自分に掛けられた毛布を押しのけ、少し体を起こそうとすると腹が少しちくちくと傷んだ。ジルは今上半身にはなにも身につけていないので、傷跡まみれの身体に綺麗に包帯を巻かれているのが目に見えている。
服は自分のすぐ横に畳まれておいてあった。広げてみると血も落とされ、敗れたところも簡単だが丁寧に縫い合わせてあった。
ふとジルが足の先を見るともぞもぞと動く毛布を被った塊があった。動いたことにより毛布がぱさりと落ちてあどけないラピスの寝顔が露になる。丸まって眠るあたりがまるで猫のようだった。
その横ではうつらうつらとあのフードの女が首を揺らしていた。フードはもう被ってないためひとつに束ねた鈍い金のくせっ毛と、鼻筋の通った顔が露になっている。歳はラピスよりも少し上くらいだろうとジルは推測した。
ジルは覚醒した頭でゆっくりとここまでの記憶を辿っていった。
確か今日の未明辺りか。グラードの所、いわゆる「旧」と呼ばれるグループの要求を蹴ったために袋叩きにされそうになり、ジルは腹を斬られ、逃げてきて路地裏で身を潜めていたところをこのフードの女に助けられた。
それから女の「所」の医者に傷の手当を受けたのだった。
おそらく自分はその時の医者が出した薬を飲んで眠っていたのだろう。あの時特に後先を考えずにその薬を飲んだが身体に異変はなかった。今考えればあれは麻酔かなにかなのだろう。
ラピスはグラードの前でも眠そうな顔をしていたので、薬とかの類で眠っているわけではないとジルは判断した。
「………あ、起きたのかい……。」
声がした方にジルは顔を向けた。女が眠たげに目を擦って欠伸をした。そして、猫のような琥珀色の目でジルの方を見た。
「どうだい?体の調子は。」
女がジルの腹に巻かれた包帯に視線を移した。
「まだ少しは痛むけど、調子はいいよ。」
ジルは軽く笑った。女が安心したように微笑んだ。
「ありがとう。助かったよ。」
ジルは礼を言うと女が笑った。その笑い方は口を大きく開けて豪快そのものだった。
「いいさ。困っていやつは放っておけないタチなもんでね。」
ジルはこの笑い顔が誰かに似ているような気がした。
「俺はどのくらい寝てた?」
「そんな長くはないね………えっと………だいたい半日くらいか?」
女が指を折って大体の時間を数えた。何度かそれを繰り返した後「うん、大体半日だ。」と確認したように独り言を言った。
「そういやまだ名乗ってなかったな。」
ジルがそう呟いて名乗ろうとしたが、女がそれを制した。
「名前はその子…ラピスから聞いたよ、ジル。名乗らなきゃいけないのはあたしの方だよ。あたしはセツっていうんだ。よろしく。」
女……セツがそう名乗った。自分が眠っている間にいろいろラピスから聞いたのだろう。二人がなぜ「旧」の奴らとやりあうはめになったかも知っていた。
「頭直々に話を持ちかけてくる時は頭が相当な手練だと思った時だけさ。そいつを蹴ったなら……組を馬鹿にされたと言わんばかりに数でぼこぼこに打ち負かしてくるんだ。前にも一回蹴った奴がいたけどありゃ酷かったねぇ………。」
セツが顔を顰めて呆れたように早口で吐き捨てた。その時も看病してやったらしい。いくら手練といえどあれだけの数を相手するのは難しい。
自分がどんなに強くとも相手がどんなに素人であろうとも数に勝つのはなかなか大変なものなのだ。
「まあ、そうだな……もうちょっと場所が良ければ上手いこと片付いたんだけど。」
ジルも呆れたように笑った。
「けどさ、一人でよくあれだけ短時間で片付けられたもんさ。見てたけどあいつが欲しがる理由がわかったよ。」
セツの金色のくりっとした目が感心したように光った。
「……一つ気になったんだけど。セツはそれを見に来ていたってことだよな?何で見てたんだ?」
これはジルがずっと気になっていたことだった。乱闘騒ぎを聞きつけて見に行くなんてよっぽどの喧嘩好きか退屈なやつだと大抵は思われるが、あんなひっそりとした所での乱闘、しかも短時間で情報が広まるとは思えなかった。
セツに尋ねると彼女は少し迷ったように考え込んだ後「まあ、いいか……。」と呟いた。
「あんた達がすぐにこの街を出ていくつもりだからあんまり首を突っ込むようなことは言いたくなかったんだけどさ……ここは「新」の本拠地だよ。」
ジルは「新」と聞いてすぐに頭にぴんときた。グラードの所は「旧」と呼ばれており、そこと対立しているのが「新」と呼ばれているとヤツキが話していた。
「ああ、ヤツキが言ってた……。」
セツの眉が少し上がった。
「あんたら、あの酒場にいったのかい?」
「街に入ってすぐあそこの店に入ったんだ。そこで粗方の情勢は聞いた。とりあえず互いに用心棒とかを雇いまくってるって。」
セツは納得したように「へぇ。」と声を漏らした。
「あの酒場は数少ないうちの奴らの溜まり場さ。あそこでよくモノポリーをしている。」
ジルはあの店に入ってすぐ睨みつけてきた衆とヤツキに恥を書かされた男のことを思い出した。
ここにいるならもしかしたらまた顔を合わせるかもしれない。
「……で、話を戻すと用心棒を雇いまくってると言ってもここは「旧」から分裂したばっかだし力も金もそこまでないんだ。良い奴を雇おうとしてもやっぱり「旧」ほどいい値では雇えないからね。けどあたし達今は情報を集めているんだよ。正直戦局は不利に違いないけどね、負け方ってのもいろいろあるんだ。あんたも傭兵で戦争に出向いたことがあるんなら分かるだろうけど9:1で負けるのと6:4で負けるのはだいぶ違うだろ?」
ジルはセツの言葉の意味が痛いほどわかった。9:1で負けるのはほぼその相手に対して抵抗してもそいつにたいしては無力同然だということだ。
そういう国はだいたい侵略され跡形もなく消えていく。そういう国をいくつも見てきた。その運命はいかにも凄惨なものだった。
一方6:4で負けるのは負けたものの戦争が続いていればまだ戦局がひっくり返る可能性はあったわけだ。だから相手もそれを警戒して、大体は多少不利な同盟を組まされたりはするがなんとか国は存在し続けることができる。
「勝ちたいけどね、そんな見込みは薄いよ。せめて6:4までもっていくにも相手の手の内を読むのは重要さ。まあ、悪い足掻きみたいなとこもあるけどね。」
セツは眉を八の字に曲げて肩を竦めた。
「ちょうど見たことのないやつが「旧」のとこに入っていったていう情報がはいったわけよ。しかもいきなり本拠入りってわけだから、これはちょっと見といた方がいいかなって思ったってことよ。向かった時には既に乱闘騒ぎだったけどね。」
そういう訳だと、セツはジルに話した。ここまで言ってもらえれば大体の疑問はほどけていった。
「なるほどな……。で、ここの大将はどんなやつだ?」
ジルは流石にこれは聞いても答えてくれないと思っていたがそのセツの答えは意外なものだった。
「あたしだよ。」
セツが端的に呟き、ジルの眉が驚いたように動いた。
まさか大将が直々に助けてくれたとは思ってもいなかった。今考えれば見ず知らずの傷ついたやつを本拠地まで連れ込んで看病できたのは大将の権限だということか。
「………ってことは、お前がグラードの娘か?」
結論から行けばそういうことになる。ジルが言うとセツが少し顔を顰めたが首を縦に振った。
セツの男勝りな笑い方が誰かに似ていると思ったが、その誰かはグラードだった。彼もあのときこのような豪快な笑い方をしていた。
「親子喧嘩ってことか。」
ジルがぽろりと呟くと、セツは眉をひそめた。この女はすぐに思っていることが顔に出るのだとジルは感じた。
「まあ、そう言われても仕方ないな……。」
セツがどうしようもないというふうに、眉をひそめたまま笑った。
「あたしがあそこを出たのはちょうど二年くらい前かな。それからはぼそぼそと石を掘ってはずっと小さな小競り合いを繰り返してたんだけど……。」
ここまで言うとセツはおもむろに右腕に付けていた腕輪をを外し、それをジルの前に持ってきた。
手に取ってみると腕輪には紅の不思議な光を持った宝石がはめ込まれていた。
ジルはこの輝きを見たことがあった。
「………これは、「力の刃」か…。」
ジルの言葉にセツが頷いた。
「力の刃」は本人が宿す魔力をそのまま具現化して武器にする高度な魔術だ。これを作り出すためには魔力を媒介する道具が必要となる。
「世界にはたくさんの鉱物ってやつがあるわけだけどその中で魔力を宿した鉱物ってのもあるわけさ。「力の刃」ってのはこれを使って作られるんだよ。この赤い宝石は魔力を宿す石の一つで
ジルは「力の刃」というものがどんなものかは知っていたが詳しい製造方法までは知らなかった。
どうやら「力の刃」を作るのにこのような宝石は欠かせないようだ。ジルは腕輪にはめ込まれた赤紅石をまじまじと見た後、セツに腕輪を返した。
よく考えれば今まで見てきた「力の刃」にはほとんど全てこのような宝石が使われていたことを思い出した。
「この辺りで取れるのはまあ安い石ころばっかだけどさ、たまーに小さいけど赤紅石が出ることがあるんだよ。こういうのはとんでもない値段で売れるからね。こんな欠片だけでも半年は楽して暮らせるくらいさ。」
セツは指でその大体の大きさを現した。その大きさは約三センチ程だった。それだけで半年分の生活が保証されるということは相当高価なものだということがわかる。
なかなか「力の刃」を持つものがいないのはこういうこともあるのだろう。
「ちょうど半年くらいか………もうちょっと前かな。うちでめんどうを見ているちびたちが鉱山近くで遊んでてそれを見つけたんだよ。最初は土とかがついててちょっと綺麗な石くらいにしか見えなかったけどちゃんと洗ってみたら……大人の拳大くらいの赤紅石だったんだ。」
大人の拳大となるとそれは鉱物にしては結構な大きさである。しかも高価とされる赤紅石だ。
そのちびたちはとんでもない発見をしたものだ。
「へぇ………それはみんな大層喜んだんじゃないのか?」
セツは頷いた。
「そりゃみんな大喜びさ。ただでさえうちはそんなに金がないからね。早いとこ売ってみんなに分けてやろうとしたんだけど………噂を聞きつけた「旧」の奴らが言いがかりを付けてきたんだよ。あそこは俺達の縄張りだから俺達のもんだって。」
セツが苛立ったように吐き捨て、さらに続けた。
「ちびたちに拾ったとこを聞いたけど、そこは鉱山の外でどっちの縄張りでもないんだ。多分雨とかで土の中から外に出たのが山から転がって落ちてきたんだろうけどね。そんなら見つけたもん勝ちさ。流石に今回ばかりは食いさがれないよ。これでみんな楽できるってのに、いきなり横から入ってくるなんて。何回か話し合いも持ちかけてみたけど、向こうはうちのもんだの一点張りでそれも全部蹴られちまってどうしようもないからもう無視して売っぱらってしまったんだよ。」
ジルの眉が少し動いた。独断で売っぱらってしまうとはなんとも派手な行動をとったものだ。
「とうとう強行突破してやったわけか。」
ジルが笑っていうとセツも「頭にきたもんでね。」と言って眉間あたりをとんとんと叩いてにやりと笑った。
ジルはセツの心情がわからなくもなかった。
「それで、向こうの反応は?」
ジルは言われなくても薄々わかったが一応尋ねてみた。セツはこんどは一転変わってやらかしてしまったというふうに眉を困ったようにひそめた。
「そりゃもちろん……喧嘩吹っかけられちまったよ。」
セツは軽くため息をついた。
まあ強行突破した自分にも責任はあるのだがあのまま食い下がるのだけはどうしても嫌だった。
「あいつらは利益しか考えてないんだよ。でかい縄張り持ってるくせして、働いているやつにはちょっとしか渡さずに自分たちだけ金を巻き上げようってね。それでさらにいい儲け話が舞い込んできたら容赦なく手を出す。あたしはこのやり方が嫌だったからあそこを出てきたんだ。おやじにも特にいい思い出ないからね。あいつらの言いなりになんてなるもんか。負け戦でも受けてやるよ。」
セツが顔から笑みが消え、目には冷たい光が宿った。
この光もどこかグラードの放っていた光にり似ていた。
「それで、もし親を殺すことになってもか?」
ジルは静かにそれを口にした。辺りの音が不意に消え、静寂の中にその言葉だけが反響した。
「ああ、いいんだ。」
セツが静寂を破って口を開いた。
「あたしには守らなきゃいけないものがある。それを守るために必要なことなら迷わないよ。……たとえ親を殺すことになっても、自分が死ぬことになっても、ね。」
セツがそのきらきらと光る金色の目で真っ直ぐジルを見た。
二人の強い光を宿した目が一直線に重なった。
「ん………。」
ここで小さく声がしたことで二人の意識はそちらに移った。もぞもぞと毛布が動いて、ラピスがひょっこりと体を起こした。
髪はわさわさと乱れており所々寝癖も見られた。まだ眠そうにまどろんだ眼でセツとジルを見た。
「お嬢さんも起きたみたいだね。」
セツが声をかけるもぼんやりした頭ではまだなにも考えられる状態ではなかった。
徐々ゆっくりと覚醒していく頭でラピスはあることを思い出した。
「傭兵………傷は?」
ラピスがジルの腹に巻かれた包帯を指さした。
「ああもう大丈夫だよ。」
「そう。」
ラピスが素っ気なく返した。が、素っ気ないながらも彼女の表情には安堵の色が見えた。
「大丈夫といってもまだ動くんじゃないよ。暫くは安静にさせないとって医者のじいさんも言ってたし。」
セツが笑いながらもジルに厳しく言った。今日の夜にまた様子を見に来るように頼んだらしい。
「けどそんな長くいるわけには行かないだろ。セツもこれから大変だろうし……。」
ジルが尋ねるとセツが首を横に振った。
「次の街に行くまで少なくとも1週間以内にいけるとこはないよ。この辺りに街らしい街といったらここぐらいしかないからね。今のうちに治しといた方が身のためだよ。場所なら安心しな。このテントを貸してやるから。」
セツが歯を見せて笑った。大将の権限というものを見せつけられた。
そして立ち上がるとテントの入口へと向かっていった。
「この辺りにまだ他にたくさんテントとか小屋とかあるからその辺はフラフラしてもらっても大丈夫だから………。」
そう言って、テントの入口を開くと……
「「「わ、わあ!!!」」」
一気に外から様子を伺っていた外野が驚いてテントの内側になだれ込んできた。
「あんたら!何やってんだい!!」
セツがその金色の目を見開いて驚いたように声を上げた。
外野は小さな子供から若い男まで十人十色だった。その中から「す、すいません姐さん……。」というか細い男の声が聞こえた。
ジルは目が覚めた時から入口に固まった気配を感じ続けていたがこういうことだったようだ。子供たちの何人かは叱られながらも好奇心丸出しでジルとラピスの方を見ていた。
「あー!ほら!怪我人がいるんだよ!あっち行きな!」
セツが一喝いれると外野はすぐにいそいそと蜘蛛の子を散らしたようにどこかへ散っていった。セツがそれを見届け大きくため息をついた。
「………悪いね。どうやらみんなあんた達に興味津々みたいなようでね……。ちょっとうるさかったりするけどその辺は我慢してくれよ。」
セツが申し訳ないような表情を作り呟くとテントの外に出ていった。その時見えた空は少しずつ赤みを帯びていっていた。
どうやらそろそろ夕方のようだ。
***
日はすっかりと落ちて空は星が輝いている。テントの外でジルは風に当たっていた。先程医者が来てジルの傷の様子を見に来た。
傷が浅いというのあったが、治りは医者が思っていたよりも早かったようだ。
「いやぁ……ここまで早いやつはなかなかいないよ…。あんちゃん、あんた今まで相当怪我してきたみたいだけど怪我ばっかしてる人間ってのはやっぱり治りが早いのかね?」
医者の老人が感心してそんなことを言っていた。ジルは医学分野は詳しくないのでよく分からなかった。
ただ噂では体質がそういうのであるとか、体に流れる魔力の量が関係するとか傭兵間で聞いたことはあった。
あと2日もすれば糸が抜けるとの事だった。
ずっとテントの内側にいても空気が籠って気が滅入りそうになる。涼しい気候のせいか夜風は随分と冷たかった。
ラピスはセツが去っていった後にまたやってきた子供たちに手を引かれて、その辺をフラフラしてくると言って先程出ていった。
最初は一人で大丈夫かと思ったが「新」のメンバーはなかなかいいやつばかりなのでその心配は無用だった。
ちらちらと視線は感じたりするものの、殺気立ったものではなく好奇心によるものだとわかる。だが、セツの言いつけによりなかなか近づいてくるのは子供たちくらいだった。
「そこにいるなら出てこいよ。」
ジルが不意に口を開いた。するとテントの脇に置いてあった木箱の山の影から一人の若い男がひょっこりと現れた。
男の表情はなんだか気まずそうだった。
「あれ、お前は……。」
ジルはこの顔に見覚えがあった。
「そうだろうな。あの酒場で1度会ってるから……。」
あのとき、ヤツキに恥をかかされた男はトウシと名乗った。
顔は遠巻きにしか見てなかったのでぼんやりとしか認知してなかったがその時の記憶と一致する。
トウシはちょうど成人したくらいだった。近くで見るとまだ少年らしさも残っている。
「傷は大丈夫なのか?」
男が尋ねてきた。
「あと2日もすれば糸が抜けるってさ。俺は別に今からでも出ていけるけどここの大将が許してくれないもんでね。」
ジルが軽く笑いながら言うとトウシが口を開いた。
「姐さんはとても優しい人なんだよ。困っているやつらを放っておけないんだ。俺たちを拾ってくれたものそうなんだろうな。」
トウシから優しそうな笑みをこぼした。
「俺には歳が離れた妹がいるんだ。ほんとまだチビの。そいつを食わせるために昔は「旧」の鉱山で働いてたんだよ。けど賃金はそんな良くなかったな……その日にパン2つがようやく買えるくらいだった。」
ジルはトウシの話を黙って聞いていた。風が緩やかに吹き付ける。
「鉱山働きってのはなかなか大変なもんでさ、いきなり山が崩れてきたりガス溜まりに当たって爆発したり地下水が漏れてきたりもする。けど危険と隣り合わせで汗水流して働いても稼げるのはたったそのぐらいさ。全部上が持っていくから耐えられなくなって何人かと一緒に直談判したら………案の定こてんぱんに殴られて首切られてしまってなぁ………。」
トウシ悲しげな顔でが親指を突き出して、首を指しそのまま横にきった。
ジルもグラードのやり口は知っているのでどんなものか想像するのは容易だった。
「俺も交渉蹴ったらこうなった。」
ジルも自分の腹をさすった。自分の言うことを聞かない奴らはすべて力で捻じ曲げてしまえというのが奴らのやり方だろう。
トウシは「気の毒だな。」と顔を顰めた。
「こてんぱんにやられてしかもクビになって………どうしようかと頭抱えている時に姐さんが現れたんだ。一緒にここを出ないかって。家族諸共見てやるってもの言ってくれた。あの時は本当に有難かったよ。真っ暗な闇の中に現れた光そのものだった。」
トウシはまるで神でも敬うかのように手を合わせた。
ジルは神というものはてんでと信じてはいないがセツはトウシにとってはその時まさに神のようなものだったのだろう。
「それからここの鉱山で働くようになってから生活は良くなったよ。なんせちゃんとした賃金を払ってくれる。病気がちだった妹も良くなって、今じゃ一番のお転婆さんだ。他のちびと一緒に姐さんもよく可愛がってくれる。」
トウシは妹の姿を思い出し、顔には幸福というものが溢れていた。そして、すぐに真面目な顔つきになった。
「最初「旧」と喧嘩するってなった時は……まあ流石に無茶だと思ってら、姐さんを止めようとしたけど……。姐さんがあんた達を守るためなら負け戦でも受けてやるって……それ聞いた時はもう嬉しくてさ、そんなの立ち上がれずにはいられないだろ。今まで貰ってきた大恩を返す時が来たって。たとえどんなにボロボロになろうとも一生この人について行こうって思えたんだ。この人に尽くせるなら俺はどうなってもいいって。」
決意の固まった黒い双眼が真っ直ぐジルを見た。ジルは淡い赤の目で見つめ返した。こういう目は嫌いではない。
ふと、遠くからいくつもの足音が聞こえてきた。二人がそちらを振り向くとセツが何人かの部下に囲まれてこちらに向かって歩いてきた。セツはジルを見つけると、真剣な顔をしてこちらに近づいてきた。
「ジル。まだ傷が心配だけどね…早いとこここを出た方がいいよ。」
セツの全く飾りっけのない真剣な言葉でジルは大体を察した。
「戦争か。」
セツはゆっくりと頷いた。トウシの表情が少し驚いたようになった。
「それもある。日は明後日。それまでに荷物をまとめて逃げるんだ。じゃないと巻き込まれるよ。ラピスにはさっき言ったから時期に戻ってくる。」
セツはそのまま続ける。
「あと街全体に「旧」の奴らがうろついててあんた達を探してるってのも聞いたんだ。いい裏道があるからうちのやつに案内させる。そこを抜けて出るんだ。」
ジルはセツの話を黙って、だが内心興味なさげに聞いていた。ちょうどさっき次にどうするかの計画を立てたのだ。
「本当は協力して欲しいとこだけどね………あんたは手負いだし、ラピスはまだ実践には慣れてないんだろ?傭兵には雇い主を選ぶ権利があると思うんだよ。だからあたし達に無理に引き止める理由はない。」
後ろの男たちから「姐さん。」という声が漏れるが、セツがそれを制した。
セツの顔には焦りが見えていた。やはりこの女は相手のことを一番に思いやれるのだ。
「とりあえず出ていく時が来たら言ってくれ。すぐに案内をいかせるから……。」
深刻そうなセツに大して、ジルの口角は上がっていた。そうして、無邪気そうにこう言ったのだ。
「その話、乗ってやる。」
ジルがにやりと歯を見せて子供のように笑った。
周りの人間はいきなりのジルの言動に口を開けていた。
「……あんた、あたしの話ちゃんときいていたのかい!?逃げろって言ってるんだよ!!しかもあんた怪我もまだ治ってないんだよ!?」
セツがあまりにものことに怒鳴ったが、ジルは全く相手にしていなかった。
「明後日ってことは要は二日ある。傷はあと二日もあれば糸が抜けるらしいんだよ。その辺は医者に聞いてくれ。」
ジルは飄々とした顔でそのまま続ける。
「腹を切られた仮を作ったままにされるのは傭兵の性として気に食わないんだよ。それにお前らにも仮を作ってしまったしな」
けたけたと笑うジルに、周りは呆れたように何も言えずにそのまま聞き続けている。
セツはこの男は仮が残っているのが嫌というよりはひと暴れしてやりたいのだと思った。その光る二つの目がそう物語っている。
「まあ、条件付きだけど金はいい。仮を返すとでも思ってくれ………助けてもらったな。」
そのときジルのにやりと口角を上げて笑った顔がやけに頼もしくも見えた。
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