2 戦闘
日が沈みかけて、橙に焼ける街をラピスは歩いていた。通りには屋台が立ち並び、酒場にも次々と明かりが灯り始める。
そこから漂う美味しそうな匂いにつられ、先程ラピスは屋台の料理を買った。
串に刺した鶏肉にタレを塗って炙ったものだ。食べるとパリパリに焼けた皮がいい音を立てて噛み砕かれ、柔らかい肉からはタレの旨みと脂が口の中に溢れる。
(うまっ。)
その辺の店の壁にもたれて、ラピスはそれをあっという間に平らげた。
腹が満たされたことで、よく分からない幸福感に浸っていた。
残った串はしばらくいじって遊んでいたが、その辺の溝に投げ入れた。
まだ貰ったお金は残っているが、無駄遣いは良くない。なにか買いたい気もしたがとりあえず我慢を選んだ。
ラピスはそのまま通りをしばらく眺めていた。
通りを行き来するものはだいたい粗末で格好をしていた。少し黒く薄汚れているあたり、ヤツキが言っていた鉱山という所で働いているのだろうか。
土を一日中掘るわけだからそれは大層汚れるだろう。鉱山の仕事はよくわからないが、ラピスは鉄クズの山で金属を探し回っていた記憶を思い出し、彼らに同情した。
あの鉄の山も時折油が完全に落ちきっていないものが混じっていることがあり、ラピスはたまに全身機械の油まみれになることもしばしばあった。あの時は臭いうえに体の匂いがなかなか落ちなかったので酷く参った。
その薄汚れた者に混じって、時折ある程度のものを身につけて、腰に短剣や色々武器のようなものをこしらえた集団も見ることができた。あれが用心棒やジルと同じような傭兵の集まりなのだろうか。
ジルを見ていて傭兵や用心棒はてっきり単独行動のイメージがついてしまっていたが案外そうでも無いようだ。
時折、大きく笑い声を上げながらどうどうと気取って道の真ん中を進んでいく集団もあった。恐らく酒がもう入っているのだろう。そいつらが横を通った時に、あの強い匂いが漂ってきた。
思わずラピスは顔を顰めそうになった。
酒の匂いをラピスは好きではなかった。つんと、鼻に抜ける匂いが鼻の奥を刺激して痛いのだ。
ジルの言うことには、酒を臭いと言うのは子供くらいしかいないので自分はまだ子供の部類になるのだろうか。歳を数えてないのでハッキリとはわからない。
そもそもどこからの歳が大人になるのかも、ラピスは知らなかった。ジルを参考にしてだいたいを考えようとしたが、彼も途中で数えるのを辞めてしまっていたので意味がなかった。
そんなことを考えているうちに、段々と通りを行き交う人が増えてきた。人々は次々と酒場や屋台に吸い込まれていく。
特に用もないのに通りを眺めているのにも飽きてきた。ジルも帰ってきたくらいだろうか。
(そろそろ、戻ろうかな。)
とりあえずラピスは宿に戻ることにした。確か道はここを真っ直ぐ行くだけで良かったはず。ラピスは言いつけを守って路地裏には足を踏み入れてはいなかった。
この通りをフラフラしていただけでも、時折何かしらの怒声や罵る声を耳にしたからだ。ラピスにも、それがそこで何が起こっているかを示しているものかを理解するくらいの頭はある。
ジルはかるーく、結構ヤバいと言っていたが多分本当にヤバいのだろう。ラピスの勘がそう告げているような気がした。
昼間からなあんな声が聞こえていたのなら夜にはとんだ騒ぎが起こったりするのかもしれない。
日はどんどん落ちて、すっかりあの焼けた色は消えて辺りは薄暗くなっていた。店の明かりがより一層目立つ。
ラピスが身を預けていた壁から体を起こし、歩き始めようとした時。
急になにかとぶつかった。
いきなりだったので避けることができなかった。
「わっ!」
鈍く、思っていたよりも強い衝撃が体を走りラピスは思わず体のバランスを崩し、その場に転んでしまった。受身を取るのはまだ苦手だった。
衝撃時以外の痛みはないので怪我はないが、何が起こったのかは分からなかった。とりあえずぶつかった何かを確認しようとそちらに目を向けた。
「おいおい、なんだ?いきなりぶつかってきてその目は。」
そこには見るからに屈強な男が二、三人立っていた。金髪の1番前にいる男の身長はちょうどラピスの頭二つぶんほど高い。
後ろにいる男たちですらも恐らくジルよりも背は高いだろうとラピスは推測した。
ラピスにはいきなりぶつかっていった覚えはなかった。どっちかといえばぶつかってきたのはそっちなのだが。
と、口走りそうになったのをラピスは抑えた。
その男はこちらをみてにやにやと笑っている。明らかにぶつかりにきたうえにバカにしているようではあったが、無理に噛み付く必要はない。噛み付いても利は無いし利どころか、こっちには損でしかない。
要は食いついたところで負けるのは明白なのだ。戦うより逃げることを考えろという教えが頭を過ぎった。
案外、自分って冷静に考えられるものだなとラピスは思った。
ここは素直に謝った方がいいだろう。
「ごめんなさい。」
体についた埃を払ってラピスは立ち上がった。
あえて素直にして感情を見せなかった。
そちらはどうかと男の方を見ると、案の定男たちはつまらなそうなのと同時に苛立ちを顕にした。なぜわざとぶつかってきたかはわからないが思惑には乗らずには済んだようだ。
「謝れば済むもんじゃねぇよ。」
ぶつかってきた金髪の男がラピスの腕を掴もうとした。
ラピスにとってこれは予想外だった。そのまま立ち去ってくれることを期待したがそうとはいかなかいようだ。
驚いてほぼ反射的に、ラピスは少し後ろに下がって男の手を避けた。
男の手がするりと空を掴む。ラピスが少し警戒して男の様子を伺うと、ラピスの腕を掴もうとした男が顔を真っ赤にしていた。
「生意気なことしてんじゃねえよ!」
金髪が喚き散らすと、容赦なくこちらに向かって突っ込んできた。
なにがしたいんだこの男は。
思わずそう思ってしまった。
「おっと。」
ラピスはまた出された腕をひらりとかわした。
すると今度は別の男の腕がこちらに向かって伸びてきていた。後ろにいた男たちもラピスを捕まえようとしている。次から次へと男たちはラピスに襲いかかってきた。
なぜこんなことで相手にキレられなければならないかはわからないが、とにかく避けることにラピスは専念した。
飛んでくる腕の間を縫うようにするすると、右へ左へと動いて男たちの襲撃をかわしていく。
願わくば逃げる隙を見つけて逃げたいがそれはできなさそうだ。
練習の成果か、男単体の動きは随分と遅く思えた。どこか無駄も多い様にも見えたような気がした。
それだけジルの動きがしなやかで素早くありながら的確なことがわかるのだが、複数人相手は初めてだ。
しかも捕まえようと躍起になって滅茶苦茶に襲いかかってくる。急にラピスの足場を崩そうと、足を引っ掛けようともしてきた。避けたかと思うとすぐに他の手が伸びてくる。だんだんと息が上がってきた。
それに集中も時間が経つにつれて削げてくる。手の本数が多い分それも酷くなる。
とうとう避けきれずに、ラピスは腕を掴まれてしまった。
「いっ………。」
かなりの力で掴まれて、痛みが腕に走った。
なんとか振りほどこうとするもがっちりと掴まれてびくともしなかった。力では圧倒的にかなうわけがないのは見ててもわかる。
「すばしっこいやつだな……こっちに来い!」
金髪の男がぐいぐいと引っ張るもラピスはなんとかその場に踏ん張る。ちょっと気を抜いただけで体を持っていかれそうになるも、連れていかれる訳にはいかなかった。
ここで連れていかれたら何をされるかわからない。それだけがラピスが踏ん張る理由になった。
なかなか引き摺られないラピスをみて、他の男も一緒に引っ張ろうとラピスの腕をつかもうとした時。
なにかがその手首を掴んだ。
男はその正体を確認しようとしたが、次の瞬間には腕に激痛が走っていた。
あまりにもの痛みに男は悲鳴をあげた。
悲鳴に気づいてラピスと金髪の男がそちらを振り向くと、あの目に焼き付く桃色の髪がそこにはあった。
ジルは男の腕を掴んだ瞬間に相手の親指を下に回して、手を外側に捻っていた。男の太い腕を見事にねじ曲げて動きを完全に抑えている。
男が喚いて許しを乞い始めたのをみて、ジルは男の手を離した。完全に戦意を喪失したようでその場に座り込んで怯えた目でただジルを見ていた。
残った二人は驚いてしばらくジルを見ていた。
ラピスはこの隙に逃げようとしたが、腕はまだしっかりと掴まれていて振りほどくことはできなかった。
金髪がもう一人に向かって「殺れ!」と指示を出した。
指示を出された男がジルと向き合う。気づけば騒ぎを聞いて野次馬もちらちらと集まり始めていた。
睨みつけている男に対して、ジルはポキポキと退屈そうに首を鳴らしていた。
それが気に触れたようで、男が拳を振りかぶり、ジルの頬を狙って拳を放った。
拳はジルをそれた。
いや、それたように見えただけで実際は、ごく最小限の動きだけでジルがかわしていたのだ。
そのまま腕をすり抜けるように、ジルは男の鼻と口の間の窪んたところを打った。
ここは「人中」と呼ばれる人間の急所のひとつだ。軽く打たれただけでも激痛を伴う。ラピスは習ったことを思い出していた。まだ本格的な打撃方法は習ってないのでわからないが、とにかく打たれれば痛い。
まさにそのように、男は感じたことの無いほどの激痛と強い衝撃を受けそのまま卒倒してしまった。
どさっと鈍い音がして、男は地面に吸い付けられた。あっという間に二人を戦意喪失まで持っていったことで、野次馬から歓声が上がる。
野次馬の声が耳障りだった。
「この、野郎………っ!!」
金髪の男は苦虫を噛み潰したような顔をして、ラピスの腕を乱暴に離した。
ようやく男の拘束から逃れ、ラピスはジルの元に駆け寄った。
その時彼の目を見たが、その目にはまるで闘技場に放たれた猛獣のような爛々とした戦意や生気が滲み出ていた。ラピスはなぜか初めてジルのことを怖いと感じた。
金髪の男がジルに向かって右手を振りかぶり殴りかかった。
ジルは左に移って躱した。だが、この男はさっきのやつらとは少し違うようですぐに反対の腕でまた攻撃を仕掛けてきた。
恐らくこの三人は戦闘には慣れている部類なのだろう。となれば、どこかで雇われている用心棒かなにかだと考えるのが妥当であった。
その中でも金髪の男はこのグループの主格だとわかった。
男自体は悪い動きではないが、ジルはそれを次々に躱していった。それにつれて男の息も上がっていった。
見物客はさっきよりも増えていて、うるさい野次が飛び交っている。金髪の男に対して「下手くそ」だのジルに対して「仕掛けろ」という野次が度々飛んでくる。金髪はそれに対してイラついたように「うるせえ!」と、たまに叫んでいた。
そんな野次を気にする暇があれば目の前のことに集中すべきだろう。ジルはただ目の前の相手にだけ意識を置いた。
男の右の拳がこちらに向かってきた。
ジルはそれを右に避けるのと同時に1歩踏み出して、男の横に並んだ。
そして男がそちらを見る間もなく、男とすれ違うようにそのこめかみに向かって手刀を放った。
パキッ、という軽い音がして金髪の男が突然支えをなくし糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
野次馬も何が起こったのかわからないようなぽかんとした顔をしていた。
こめかみも人の急所である。あそこの骨は薄く折れやすい。打撃を与えられれば脳が揺れて気絶することもある。
運が悪ければ死ぬことだってある。だが、そこまで強く打撃を入れた覚えはないので多分生きてはいる。
単に急所を狙っただけなのになぜここまで驚かれなければならないのか。ジルはまだ意識のある最初に腕をねじ曲げた男を見た。
ジルと目が合うなり、「ひぃっ!」と情けない声を上げてのびている連れをほっぽり出して転がるように暗闇に消えていった。
気づけば日は完全に落ちきっていた。
「行くぞ。」
ジルはラピスを呼んで、のびているヤツらと野次馬を放っておいてその場を足早に立ち去った。
二人ともしばらく何も話さなかった。ラピスの頭にはまだジルのあの目が貼り付いていた。
「怪我はないか?」
ジルが後を歩くラピスの方を見た。
ラピスは少し、びくりと身を震わせた。だが、ジルの目はラピスの知るいつもの強い光を宿した目だった。
「手首が少し痛い…。」
手首には男に掴まれた跡が残っていた。
「ああ、これか。…多分明日にまでは治ると思うけどまだ痛かったら言えよ。」
ジルはラピスの手首をそっと触った。ジルのすこし皺の入った節くれだつ指の感覚が伝わる。
「………ごめんなさい。」
ラピスは静かに呟いた。
ジルは手首から顔をあげてラピスを見た。
「いいさ、路地裏には入ってなかったんだろ?言いつけ守ってたんだし。けどあんな表でも絡まれるとなると単独はマジで辞めておいた方がいいな……。ヤツキのこと間に受けとけばよかった。はぁ………。」
ジルは怒りもせず、悩んだようにため息をついた。ラピスにはある程度の自由というものを与えてやりたかったがここでは難しいようだ。
少し考えが甘すぎたとジルは反省した。ジルのため息を見てラピスはなんだか申し訳なくなった。
自分で逃げられるようになればジルにあんなことしてもらわなくてもいいのだが。
「避けるだけじゃなくて、もうちょっとした打撃とか教えて欲しい。それで隙を作って逃げれるくらいのやつ。」
ラピスが言うと、ジルは少し唸った。
「うーん……もうちょっと躱せれるようになってからな。そしたら教えてやる。」
ラピスは不満そうだった。
「とりあえず帰ってなんか食べてゆっくり寝ようぜ。明日にはここを出る。」
ラピスはこくりと頷いた。
そのまま二人は夜の雑踏とした酒の匂いが漂う人混みの中を歩いていった。
………………後ろに動く影を引き連れながら。
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