8 雪の民
ジルとラピスは雪がならされた道を歩いていった。空は青く晴れ渡っていて、日の光がゆきに反射して眩しい。天候に恵まれて進むペースは悪くはない。
ただ、ポリックでの滞在期間が予定していたものより大幅にのびてしまったのだった。
あの日のこと、ラピスは部分的にしか覚えてなかった。
あの人攫いの集団、鬣犬の追っ手と刃を交え、人を刺した。頭の中がぐちゃぐちゃになり感覚は覚えていても、今でもあの時自分がどうなっていたかはわからない。
次にやってきたのは痛みと今までに感じたことのないほどの吐き気で、ジルが黙って抱きしめてくれた。
そこで視界は暗転し、気がついたらベットの上だった。
ジルとシイナは完全に意識を手放した二人を担いでノークのところに駆け込んだらしい。ラピスは起きた時に、ベットの脇の椅子の上で眠りこけているジルを見つけた。服は綺麗になっていたものの、手にはまだ乾いた血がついていた。
ラピスの傷は朝一で連れてきた医者に見てもらったところさほど深いものではなく、1週間程で動けるようになるものだった。
ジルもノークのところに駆け込んで来た時は血まみれであったが全ての返り血で、怪我らしい怪我といえばガラス片で少し切ったくらいだった。
深刻なのはガクの方だった。
魔力の使いすぎにより全身にかけて霜がおりて
体温の急激な低下により凍傷になりかけていた。
医者が来るまでノークとシイナがつきっきりでなんとか看病して結局ガクが目を覚ましたのは丸2日経ってから、それから調子が戻ってくるまで1週間を要した。その時のガクの顔はいつもより青白く、会話をしていてもどこかぼうっとした印象を受けた。頭があまり回ってなかったのだろう。
既にあれから2週間と半分が過ぎている。ラピスは完全に回復して、シイナもガクも恐らく本来の生活に戻っているだろう。
道に積もる雪も段々と薄くなり始めているのがわかった。
しかし、傷は消えてもいつまでも残っているものはあった。
ラピスはふと、立ち止まり自分の手をみた。
「ん?どうした?」
前を歩いていたジルが、それに気づいてこちらを振り向いた。
不思議そうにこちらを見ている。
「………いや。」
ラピスは顔を上げた。
あの時の、初めて人を刺した感覚はいつまで経ってもまとわりつくように残ったままだった。最初は吐き気も一緒に込み上げてくるほど酷く感じられたがそれは薄れていった。
しかし、あの男を裂いたのは紛れもない自分だ。
戒めのようにそれはあった。
「………まだ、気持ち悪いか?」
「気持ち悪くはない。けど…………。」
ラピスは手を下ろした。
「まだ、あれが残ってる。」
「そうか。」
「………もしかしたら一生残ってそう。ずっと。離れることなく、自分が死ぬまで。」
ジルは黙って話を聞いていた。そして、二人はまた歩き始めた。サクサクと静かに雪を踏みつける音が反響することなく消えていく。
「………一生残る、か。」
ジルがおもむろに歩きながら話し始めた。
「お前の考えは正しい。俺だって、親父だってそうだった。」
ジルは昔話を聞かせるかのような口調だった。表情はわからない。
「俺の場合は………初めて斬ったのと同時に切った所が悪くて殺してしまった。全てが終わった時に自分がやってしまったことを実感して吐いたのもお前と一緒だ。」
そのときの前後の記憶はあやふやになりかけている。
しかし、剣先から伝わる感触、血の匂い、殺した相手の最後の顔。たしかにその場面だけは今でも夢に出てきそうなほど鮮明に脳に焼き付いていた。
「今こそ平気で切り捨てることができるわけだけど、みんな忘れてしまったわけではないんだ。繰り返していくうちにただ慣れてしまっただけ。傷つけたことも沢山ある。けど、本当にそれを忘れてしまったら俺たちは人間ではなくなってしまうだろうな。まさに人の形をした何かだ。」
自分の父親を討ち取ったセツも、養父のシラーも、死んでいった同僚も。皆自らそれを戒めとして生きていき、また、生きていた。
例外なくジルも同じだ。
「殺した人の顔は覚えているのか?」
「そうだ。特に目の前で殺したやつはな。……殺さななきゃいけない道理をがあっても、殺さないと生きていけない世界でも俺は償っていく理由を失わない。失うわけにはいかないんだよ。」
ジルが振り返り、悲しげに笑った。
「……僕もそうしたいな。」
ラピスは俯きながらぽろりと呟いた。
「けど、お前にはまだ選択肢はある。」
「選択肢?」
「そうだ。」
ジルは指を二つ立てた。
「1つはまあ、俺がさっき言ったみたいな感じだ。やらなきゃ死ぬ世界。だから償っていくしかない。もう1つは………なるべく殺さないという選択。甘いとか言うやつもいるかもしれないけど、俺は立派だとは思うね。」
ジルはどうだ?というふうにラピスの顔を見た。ラピスは突然突きつけられた二つの道に戸惑っていた。うんうんと考え込んでこう口を開いた。
「そ、そんな急に………。」
「まぁ、そうなるわな。別に今答えを出さなくてもいい。」
「けど…………なるべく殺したくはない、かも。突然の別れってのは悲しいし。」
ラピスはジルと向かい合った。その深い青の澄んだ目がジルを見つめていた。
ジルはそれに答えるように、にっと笑うとくるりと振り返って再び歩き始めた。
真っ白な雪の道ももうすぐ終わりを迎える。二人は雪の中に足跡を残しながら進んで行った。
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