7 赤
ふと、首筋に走る痛みで目が覚めた。辺りは薄暗く、手元が少しわかるくらいだった。空気は外ほどではないがひんやりと冷たい。
(一体、ここは………。)
ラピスが体を起こして辺りを物色しようと体を動かそうとするが、手が後ろで拘束されていたため上手くいかなかった。良くて胸から上が起こせるくらいだった。
縄を外そうとして動くと擦れて痛い。かなり丈夫なようで引きちぎるのはいい策ではなさそうだ。
どうしてこんなことになっているのか。
ラピスは徐々に覚醒し始めた頭を回転させ、記憶を辿り始めた。
たしかガクと一緒に彼の血縁者であるノークの店に行き、そこで三人で話していたところにあの黒ずくめの集団が…………。
ラピスははっとして、動かない体をなんとかよじってガクの姿を探した。
すると、すぐ横に横たわる人影があった。その白い髪とこちらに向ける整いすぎた顔立ちには見覚えがあった。
「………ガク………ガク………!」
小さく名前を呼ぶと、それに答えるかのようにガクの眉が微かに動いた。
少し呻いて、ガクが眼を薄く開いた。その氷のような透き通った青い光が漏れ出す。
ガクは目の前にいるのがラピスだと気づくと、体を動かそうとしたが彼も拘束されているようだった。それと同時にガクは顔を歪ませて、顔を下に向けた。
「大丈夫?」
「………頭が、痛い。」
ガクは下を向いたまま呟いた。どうやら彼は頭を殴られたらしい。
ラピスは頭の負傷に関してジルから習った事を何とか思い出そうとした。たしか頭の中で出血すると脳などを圧迫するので命に関わることになるということもあったような気がする。
「えーと、………気持ち悪いとかは?吐き気とか……。」
「それは、特に……ないかな。……ここは?」
「僕にもわからない……。」
見た感じ二人とも外傷はなさげであった。
しかし、見覚えのない場所にいてしかも拘束されている限り呑気にしている場合ではない。
ラピスは薄闇の中、目を凝らして辺りを探った。
部屋は広くなく、二人の他には木箱や何かが入った麻袋なんかが置かれていて物置といったようであった。
その他には扉が一つと小さな窓が一つ取り付けられていた。扉に鍵がかかっているかはわからず、向こうから微かに明かりが漏れているものの音などはしなかった。
窓の方からも風が吹く音がするだけであった。
ラピスは捜索を終了し、楽な体制をとった。胸から上をずっと上に持ち上げているのはかなり疲れる。
「人は今はいなさそうだ………。けどなんで僕らはこうなっているんだ……?」
ラピスはうーんと、唸り思考を巡らせた。なぜ自分たちは襲われ拘束されたのかがわからない。いったいどういうことなのだろうか。
考えてみてもいまいち思い当たることがない。
顔を上げたガクの表情が曇った。それは思い詰めたようなものでもあった。
「?どうかした?」
「……ノークから聞いたことがある。」
ガクの声は力なく消え入りそうだった。
「この街ポリックでは昔から人攫いの集団がいるらしい。名前は忘れたけど………。」
「じゃあ………もしかしてそれか?」
ラピスもジルから人攫いのことは聞いていた。どことなく現れ、人を攫っていきそれを娼婦などに売りつけることを生業としている集団だと。
要は人を売り物として取り扱う業種だ。
ラピスは頭を悩ませた。
捕まって拘束されるのは初めてであるし、まして相手は人攫いだ。逃げるというのは当たり前なのだが、どのようにして逃げ出せばいいかは全くわからない。
それに万が一逃げ出せたとしても追っ手は来るだろう。ラピスにはそれを振り切れる程の実力はまだ無いことはわかっている。
「参ったな………どうすりゃいいんだ。ここんとこほんとついてないなぁ……。」
ダウナー街で変なやつらに絡まれるわ、イース市で海に落ちるわ、吹雪に見舞われるわ。
トラブルが発生するのは旅に出る時にある程度承知していたもののさすがに続け様に起こりすぎているような気がした。
しかし、起こってしまったことは仕方ない。期待はしてないがどうにかして脱出できるかどうかをラピスはもんもんと考え始めようとした。
「………ごめん。僕のせいだ。」
「……え?」
ガクがそう呟いた。そして、さらに続ける。
「お前がついてないんじゃない。奴らに狙われやすい僕が悪いんだ。」
「………どういうことだ?狙われやすいって。確かにジルは僕ら位の歳は狙われやすいって言ってたけど。」
ガクは首を横に振った。
「確かにこの歳は狙われやすい年代でもあるだろう。けどそうじゃない。僕のこの……白髪、碧眼が奴らにとっては一級品なんだ。昔から白髪碧眼のスウォー・ロゥは愛玩用として高値で取引されているらしい…………。」
「愛玩……?」
「傍において、可愛がる。姿を見みて楽しむ。要は………そんなふうに思いたくないけどスォみたいな感じだ。」
人は動物を飼う。スォやダイフクがその例だろう。彼らは愛玩されている。それが人間に置き換わる。
ラピスは妙な感覚を覚えた。
「人を可愛がる………?愛するとは別か?」
「可愛がるって聞こえは良いけどそれとは全然違う。僕らが思い浮かべている可愛がるとはわけが違うらしい。包み隠さずに言うと玩具にされるといった感じ。」
「玩具…………。」
どこからが物音がした。ラピス達がその音に集中すると、それは段々と大きくなってきた。ざっ、ざっ、と何かを踏みしめる音。足音だった。数は多くないが一人ではない。
足音はどんどん迫ってきて、扉の前でぴたりと止んだ。扉の隙間から漏れていた明かりがより明るくなった。
ラピスは扉を睨みつけるように見ていた。
ガチャリと、鍵が開かれドアノブが回転する。ドアが開かれると、そこにはランタンを持った人影が二人いた。ぼうっとランタンの光が人影を照らすが、顔は布やフードなどで隠されているためはっきりとしなかった。
「なんだ、起きてたのか………。」
前の方に立っていた男が歩み寄ってきた。ラピスの体に力がはり、顔が強ばる。
男はランタンの明かりでラピスの顔を照らし、まじまじと顔を見た。こんなやつに顔をまじまじと見られても気持ち悪いだけであった。
「こいつも青眼だけど………髪までこう真っ青だもんな。色味も違うしスウォー・ロゥじゃ無さそうだ。」
「はぁ、残念だなぁ。スウォー・ロゥならもっと高く売れただろうに。なかなかいいのではあるけど。」
「まあ、な。普通のよりは珍しい………んだよ、怖い顔して。可愛くねぇ小娘だな。」
男が苛立ったようにそう吐き捨てた。
「まあまあ。別にそっちはいいんだ。本題は…………。」
後ろにいた男が、ガクの元へとやって来てしゃがみこんだ。ガクは顔を向けようとしなかった。
「おい、起きているんだろ。」
それを見た男はガクの白い髪を引っ張り無理やり体を起こした。ガクの痛みに歪んだ顔がランタンに照らされる。透き通った氷のような目には恐怖が滲んでいた。
「ほら、完璧だろ?しかもいい顔するじゃないか。」
「男ってのが残念だけどなぁ…………けど最近はそういう趣味も流行ってるらしいし。これはいい値がつくぞ。」
男が口を歪ませて笑った。
ガクは今までにない恐怖がせり上がってくるのを感じた。見えてない指先が震えているのがわかった。
男がガクの髪を引っ張る手を離した。ガクの体は床に落ち、それと小さなうめき声が聞こえた。
ラピスの顔がいっそう強ばり、それを男たちの方へと向けていた。
「……んだと。生意気なやつだな。」
男がぼそりと呟くと、ラピスの頬を殴った。ラピスの視界が衝撃で揺れる。が、ラピスは怯むことなく男たちを睨みつけていた。
男はさらに拳を振り上げたが、もう一人がそれを止めた。
「よせ。商品に傷をつける売り手がどこにいる。」
「………ちっ。わかったよ………。」
「オークションはまだだ。迎えが来るまで待つぞ。」
男たちはそう言うと部屋を出ていった。ラピスを殴った男は帰りざまにラピスを睨み返して行った。それに対してラピスは舌をんべっとだした。
足音が遠ざかっていき、風の音が戻ってくる。さっきより風音が大きくなっているような気がした。
ラピスは横たわったままのガクに声をかけた。
「ガク………大丈夫か?」
ガクの体が動き、顔がこちらを向いた。そして、ラピスを見上げるように見つめた。
「………お前こそ大丈夫なのか……?」
「え?ああ、これか……あんまり。どうってことは無いよ。」
少し強がった。実際頬は熱を持って火照っておりズキズキといたんだ。さっきも怖くなかったといえば嘘にもなる。
しかし、ガクの湿った瞳を見てこれ以上彼を責めるようなことはしたくなかった。
ガクは落ち着いていて賢く、ずいぶんと大人びていているように見える。
だが、やはりまだ15歳。ラピス以上にも繊細でまだまだ未熟な部分もある。
「大丈夫。多分逃げる方法はあるはずだから………。」
と、言って見せたもののまず縄すらほどけられていない。
どうにかして縄をほどけられればある程度道は見えてくるかもしれないが、ラピスにはてんでとこの現状を突破する光景が見えてこなかった。
「縄さえどうにかすれば……。」
そうラピスがぽろりと呟くと、ガクが反応した。
「何か脱出方法見つかったのか?」
「いや、全然なんだけど………縄が取れてしまえさえすればもしかしたら何か見えてくるかもかなーって………。」
ふと、パキンと。軽い音がした。
その音はパキパキと小さく続いていく。なんの音だろうかと正体を探ると、ガクの手首あたりから白く冷気が立ち昇っているのがわかった。
そして、音が止んだ。ガクが手を動かすと……。
凍りついた縄がぱりぱりと砕けて床に落ちていった。ガクは体を起こして、手を揉んだ。彼の吐く息が白くなっていた。
「嘘……ほどけた!?」
「ほどけた………というよりは凍らせて割った。」
彼は手首についた霜をはらい落とした。その手はいつもより白く、無機的なものにも思えた。
ガクはすぐにラピスの縄を解いていく。ラピスは自由になった手首を擦りながらガクに礼を述べた。
縄がほどけたことで部屋の中で自由に動き回ることが可能になった。ラピスは改めて部屋の中を捜索し始めた。
扉にはもちろん鍵がかかっている。ドアに耳を当ててみると、微かだか話し声が聞こえる。あの男たちは少なくとも近くにいるようだ。
ドアは木製なので壊せないことは無さそうだがここから出ると確実に鉢合わせることとなる。さっきは二人だったが他にも仲間はいるかもしれない。
「ドアから出るのは………やめておいた方がいいな…。戦える自信はない……。」
「そうか………窓からといってもこの高さと狭さじゃ……。」
確かに部屋に窓はある。
しかし、窓というよりは換気のための空気穴と言った方がいいかもしれない。その辺に置いてある木箱などを台にして登ったとしてもぎりぎり届くかどうかだった。
ここから外に出るのは無理だ。
ラピスはため息をついてしゃがみ、壁にもたれかかった。結局何も見えてこない。
そのまま脱力してずるずると壁に背中を擦り付けた。自分にもう少し考える力があればと悔しさを顔に滲ませている。
「ん?なんだこれ?」
ガクがラピスの足元に転がっていた何かを拾い上げた。
茶色くて丸い小さな塊だ。ずいぶんと軽そうだった。
「え?なんだろう。」
「これは………もしかして土か?」
ガクがそれをつまんでいる指に力を入れると、ぼろりと簡単に塊は砕けて砂になった。
塊はまだ辺りに小さいものがポロポロと散らばっていた。
「土塊ってこと?でも、なんで?」
ふと、ラピスが背中を見てみるとその理由がわかった。後ろの壁が剥がれて、中の煉瓦がむき出しになっていた。どうやらかなり粗末な作りな様で隙間から風が漏れてきた。
ラピスはそこに手を触れた。煉瓦はかなり古いものらしく細かくヒビがはいっているのもあった。
「もしかしたら…………!」
ラピスは自分の首元に触れた。
あのノークの店で襲われた時に持っていたものは全部あそこに置いてきてしまった。普段持っていた短剣もそうだ。
しかし、これだけはいつも離さず身につけている。ラピスの首元には月光石がはめられたチョーカーが光っていた。なんと幸運なことだろうか。
ラピスがそれに触れると、それは青く輝き、光の粒子が集まりはじめ彼女の力の刃であるあの青い刃の打刀を精製した。
ラピスはそれを手に取ると、その煉瓦がむき出しになっているところに向かってそれをついてみると、ガツンと硬い音がし煉瓦のヒビが大きくなり茶色い破片が床に落ちていった。
それを見て確信した。
「いける………!これなら壊せる!」
ラピスがどんどん煉瓦をついていくと、たちまち拳一つ分程の穴ができあがった。その穴から冷たい風が流れ込んでくる。
そこから外を覗いてみると、暗くてはっきりは分からないが辺りに建物らしいものは見えなかった。人がいる様子もない。
その穴から一度、顔を離してガクの方を振り向いた。
「たぶんここをもっと壊せばいけると思う。誰もいなさそうだし逃げられる。」
「出たらどうする?」
「そうだな………まあ、後でも良くない?」
とりあえず出てからでも考えられそうだ。ラピスはそのまま作業にとりかかった。煉瓦は徐々に砕けていき、穴は広がっていく。周りに破片が散らばり、穴が大きくなったことで風がより強く吹き付け、ドアをカタカタと揺らした。
穴はだいぶ大きくなってきた。あと少しで人一人が這って外にでられそうな大きさになる。
この調子で壊していこうとした時、足音が聞こえた。
「なっ………。」
二人はドアの方を見た。この足音は恐らくさっきの男たちだろう。
物音に気づいて様子を見に来たのか、あるいは迎えが来たから連れにきたのどちらかだろう。
「くそ………あと少しなのに……。」
ラピスが苦虫を噛み潰したように眉間にシワを寄せた。あいつらが戻ってきた時のことは考えてなかった。辺りに散らばった煉瓦片や穴を隠せるための物はすぐには見つからない。
こうなったら少し狭いが一か八かで通ってみるか。そんなことを考えているうちに足音は近づいてくる。
突如ガクがドアの元へと足早に近づいた。ガクはその白い手でドアに触れた。何をするのだろうかと、ラピスは壁を壊しながらそれを見ていた。
パリン。
また、軽い音がした。が、その音はどんどん大きくなっていき荒々しくなっていく。ガクの手から冷気が発せられ、その周りに薄く青い氷が張っていく。それが扉全体へと広がり薄かった氷は厚みを増していき、結晶を作り、扉を完全に塞いだ。
造られた氷から白く冷気が立ち上り、薄闇の中に浮かび上がった。外から声が聞こえるが、扉はびくともしない。
「これで暫くは入って来れない。今のうちに早く!」
ガクの息は白く、頬には霜がおりていた。
ラピスは言われずとも、既に取り掛かっていた。がしがしと煉瓦をつついていくとばらりと煉瓦が崩れ落ち、穴は人が通るのに十分な大きさになった。
まず最初にラピスが穴を潜り外に出る。もぞもぞと動き、出た先付近の雪をかき分けて立ち上がった。当たりは真っ暗に近く、雪の白が僅かな光を発している程だった。人の気配もなかった。
次にガクが出てきた。
ラピスが出てきたガクの手を取る。その手は異様に冷たかった。手に霜もついているくらいだ。
「霜降りてる………。」
「そうだ。この魔術は氷を精製出来るんだけど………使いすぎたりするとこうなる。体温も下がるんだ。」
ガクの白い顔が青白く思えた。体温が下がったせいか体に上手く力が入らず、ガクはよろめきながら立ち上がった。
二人はすぐに駆け出した、白い雪に足跡がついていく。
「どうする?」
「とにかく………隠れられる場所かな。朝になれば多少は動けるとは思うし。」
どうやら二人が閉じ込められていた場所は街のはずれのようで建物は少なかった。
ふと、ラピスが後ろを見てみると遠くでオレンジ色の光が揺れていた。それは二人の後を追っているようだった。
時間からして外から回ってきたのだろうか。
「追っ手が来てる!」
しかし、ラピスは雪の上で走ることに慣れていない。積もったばかりの雪が足にまとわりつきなかなか思うように足が出せず苦戦している。
「居たぞ!捕まえろ!!」
とうとう声が聞こえるところまで追いつかれていた。
その声が聞こえたと同時に、ひゅんとラピスの真横を何かが通っていった。その正体は背後から放たれた矢だった。矢は一本二本と、次から次へと放たれていき、積もった雪に突き刺さった。
降り注ぐ矢を何とか避けながら二人は走っていく。
背後で男たちが叫んだ。
「何考えてんだ!当たったらどうする!」
「死ななきゃ問題ない!逃がしたら俺たちもただじゃすまねぇんだぞ!」
「くそっ……。」
また、矢が風を切る音がした。
「あっ………うっ……。」
ガクの腿に痛みが走った。追っ手が放った矢が突き刺さっていた。
「ガクっ!」
ガクは痛みに顔を歪ませ、その場に座り込んでしまった。雪の上に滴り落ちた血はいっそう白に映えて見えた。
ガクが矢を抜こうとするも、上手く抜けない。矢を動かすたびに脈打つような痛みが襲った。じくじくと痛みが広がっていき、歩くことすらできそうにない。
そうしているうちに気づけば追っ手は目の前だった。
相手は四人。人数も実力も状況も不利だ。
それでもラピスはガクの前に立ち上がり、追っ手と向き合い、打刀を向けた。指先が微かに震えているのは冷えているからではないだろう。
「ラピスちょっとどいて!」
ガクは真っ白な息を吐きながら叫んだ。
今かなり体温が下がっているためどれくらいのことができるかはわからない。けど、今の自分にできることはこれくらいしかなかった。
ガクの血で濡れた手から青く淡い光と、白い冷気が発生した。それは闇を冷たく照らす。
ガクがその手を追っ手達にさし伸ばした。白い手についた血がより濃く鮮明に思えた。
光が弾け、ふと、強く冷たい風が襲ったかと思うと次の瞬間にはどこからともなく青い氷の結晶が追っ手の目の前に現れた。
「うわぁあああ!?なんだこれは!!?」
「ちくしょう!!スウォー・ロゥの魔術だ!」
結晶はパキパキという音と共に白い冷気をまとい、彼らを巻き込んで凍りついていった。青く宝石のように透き通った氷が夜の僅かな光を反射する。
追っ手の四人のうち、二人は氷によって身動きが取れなくなった。
だが、一人は自分にまとわりついた薄い氷を叩き割り、もう一人は体に霜がおりただけだった。
全てを止めることにはいかなかった。ガクも今の状態ではそれは無理だとわかっていた。
体の至る所に霜が降り、身体の震えが止まらず寒さが体を貫く。見れば自分の手に着いた血も凍りついて剥がれ落ちた。
ガクはヒュッと真っ白な冷気にも近い息を吐くと、そのまま崩れ落ちた。
ラピスがガクの隣に駆け寄ろうとするも、なにか冷気とは違う冷たくた鋭い空気を感じた。それがする方にいるのは追っ手達だ。ガクのことをいたわる間もなく、追っ手が滲みよってくる。薄闇の中に、追っ手が持つ何かが白く光って浮き立って見えた。
「いいのか?こいつを始末して。」
「ああ………どっちにしろ本命はあっちだ。これはただのオマケ。逃がしたら足がついちまうかもしれないだろ?お前はあのスウォー・ロゥを回収しろ。こっちは俺がやる。」
男は下衆な笑みを浮かべる。
ラピスは青く光る打刀を構えるが、手に力が思うように入らなかった。口の奥で歯がカチカチと音を立てて震え、心臓が激しく脈を打った。
二人は同時に地面を蹴った。白い雪が舞い、男の持つ剣とラピスの力の刃がぶつかった。
手にかかった力は予想より大きなもので、危うくラピスの手から武器が落ちそうになった。
力の刃の稽古を全くしていなかったというわけではないのだが、実践どころかこういった対戦においてはほぼ無に等しかった。
男の持つ剣が、唸り声を上げて切りかかってくる。ラピスはそれに向かうように自身の打刀を袈裟懸けに振るった。
白く冷たい光と、青い粒子が目の前で乱反射して目がちかちかする。
その衝撃で両者の刃の軌道が逸れた。
男が持つ剣はラピスの左脇腹を浅く裂いた。冷たい刃の温度に変わって焼け付くような痛みが襲いかかった。
一方ラピスの持つ打刀は男の左胸に食いこんだ。刀はさらに深く食い込んでいき、肉を刺す感覚、刀が動くと次に硬い何かが断たれる感覚が伝わってきた。
男は顔を歪めた。
男の散らす赤が目の前に広がりラピスの視界を覆い尽くした。
周りの風の音や、目の前の光景。おった傷の痛みも感じられず体も自分のものでなくなってしまったかのようだった。
全てにおいて赤い布のようなものがはられてしまったかのようにぼんやりとしか認識できなかったが、ただ血の匂いだけが酷く張り付いて離れなかった。
男は手が切れてしまうのお構い無しでラピスの自身の骨に引っかかって動かない刀を掴んで引き抜いた。さらに傷口から血がこぼれ落ちた。
そして、打刀を持ったまま動けなくなっているラピスを刀ごと突き飛ばした。
ラピスは雪の上に投げ出された。衝撃で傷口に激しい痛みが走りうずくまった。
男は荒い息を立てながら一歩一歩ラピスに近寄ってくる。しかし、ラピスは起き上がることもできず、ぼんやりとしか動かない思考でその光景を見ていた。
男が血反吐を吐きながら、狂気に染まった目で笑い、ラピスに向かって剣を振り下ろそうとした時、
淡い赤色の流星のような光が弾けた。
ジルに横から切りつけられた男は奇妙な声と共にそのまま力なく倒れていき、動かなくなった。暗闇でもわかるその髪色の残像がラピスの目に残った。
さらにジルはすぐガクを連れていこうとしていたもう一人の男に向かって刃を向けた。
男は突如現れた見慣れぬ傭兵に驚いていたがすぐに剣を構える。
男が剣をジルに向かって振り下ろすが、それは簡単に弾き飛ばされてしまい、男の体制が崩れた。
ジルは体制が崩れた男の脇の下にすかさず薙刀を通すと、それは男の服を巻き込んで回転し、完全に男を捉えた。ジルが男ごと薙刀を持ち上げ、そのまま凍った地面に叩きつけた。バキリという音がして、男のうめき声がした後何も聞こえなくなった。
既にガクの元にはシイナがいて、慌てた様子で彼を看病している。
ジルはことをぼんやりと見ていたラピスの元へと向かった。
赤い視界の向こうに立っているのはジルだった。それがわかった瞬間、ラピスの視界を覆っていた赤が弾け飛んだ。
視界が元に戻り、辺りは薄闇に沈んだ光景となる。
濃くて、むせ返る血の匂い。
それと共にラピスの体に痛みと、男の肉と骨を断った感覚が戻ってきた。
「あ…………う、あ…………。」
ラピスは嘔吐した。えづくたびに脇腹にできた傷がじくじくと傷んだが、ぼろぼろと涙を流して嗚咽しながら吐いていた。
自分でもわけがわからず、どうにかなってしまいそうだった。
これが夢ならとんでもない悪夢だ。それなら早くさめてくれ。
引きちぎれそうな思考で、そう願っていた。
ジルはただ黙って、血と反吐にまみれるラピスを後ろから抱きしめた。血で赤く汚れた手で強く、ラピスを抱き寄せていた。
ふと空からはらりと、白い雪が舞い降りてきた。雪は一つ、二つと。次から次へと降りてきて辺りに広がった赤をかき消していった。
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