6 ノグロ

 既に日も落ちきって暗くなった小道をゆく人影があった。小道の雪は既に踏み固められていた。


 固まった雪は滑りやすい。一番後ろを歩いていたラピスはつるりと足を滑らせ転んだ。ぺたんとその場に尻もちをつく。それに気づいたジルが手を差し伸べてきた。


「おい、大丈夫か?これで3回目か?」

「…………………。」


 ラピスは無言で差し伸べられた手を受け取った。むっつりとしているが特にジルの言動が癪に触った訳では無い。


 とにかく全身が痛い。その中でも特に腕が。

溜まりに溜まった疲労が吹き出して、ラピスの体に猛烈な倦怠感を呼び寄せていた。正直手を受け取るのにも億劫だが、立ち上がるのも足に力が入らないのに加えて慣れない雪道で滑りそうになるのよりはましだ。


 ジルの手を借りてラピスはゆっくりと立ち上がった。


「ごめんね、相当疲れてるよね……。もうちょっとで着くから。ゆっくり休もう……。」


 先頭を歩くシイナが申し訳なさそうにラピスに言った。まぎれもなくここまで遅くまで流氷を割る羽目になったのは自分のせいであるのをひどく痛感していたのだ。


「いや、大丈夫………だから、気にしないで……。」


 ラピスはぼそぼそと言葉を紡いだ。シイナは眉を八の字に曲げて心配そうにラピスを見つめていた。ラピスは貧弱な自分が悪いのにこっちも申し訳なくなってきた。


 そのまま三人は疲れたラピスの事も気遣い、ゆっくりと歩いていった。程なくして木々が少し開けた場所の真ん中にぽつりと立っている小屋が見えてきた。

 しかし、三人は変化にすぐ気づいた。


 真っ先にシイナが小屋を指さした。


「あれ……。電気がついてる。」


 小屋の扉のすぐ隣に取り付けられている窓からオレンジ色の光が漏れていた。


「消し忘れ?」

「いや、そんなはずは………。」


 そんな会話を交わしながら、小屋の前までやってきた。灯りがついている以外は特に何も変わらず、静かだ。シイナはたどり着くなり、扉の取手に手をかけた。


 取手はガチャリという音をたてて突っかかりもなく、くるりと回った。鍵は開いている。


「と、いうことは………。」


 シイナは恐れることもなく、そのまま扉を引いて開いた。ジルとラピスもその後ろから中を覗いた。


 今朝、ここを出た時にも同じ光景を見た。中央に配置された机と椅子。その奥にストーブと別の部屋に繋がる扉がある。ストーブは魔力で火を起こすことができるので薪の節約になるらしい。既にそこには火がともされてぱちぱちと火花をたてていた。


 変わっていたのは、部屋の中央に置かれた机に突っ伏して眠る人物。


 それと部屋に立ち込める鼻をつんと刺す臭いであった。


「うわっ、くさっ!」


 思わずラピスが叫んだ。ジルもシイナも一瞬顔を顰めていた。すうっと鼻に抜けるような、しかしどこかいつまでもしつこくまとわりつく青々とした臭いだ。ラピスがいままで経験したことのある油の臭いとは全く違う刺激臭だった。


 あまりもの臭いにラピスの倦怠感に埋もれていた思考も覚醒した。そのくらいこれは臭う。


 臭いに気を取られて注目が逸れたが、ラピスはこの刺激臭の立ち込めた部屋の中で眠っていた人物に目を移した。


 赤みを帯びた紫色の髪は腰ほどにまで長く、さらりとしている。机に突っ伏して眠っているため、顔は見えないが体型からして女だろう。の、わりにはぐーぐーと派手にいびきをたてて眠っている。しかも結構な音量で。


 彼女が眠っているすぐ手前にいくつもの見慣れない空の瓶が転がっていた。


「ああ、やっぱり………。」


 シイナがやれやれというふうに呟いた。


 シイナは軽く服の汚れを払うと、眠っている人物の元にまで歩いていった。その後ろに二人もついて行く。部屋にはいるほど臭いが濃くなっていった。


「なんなんだ、この臭い…………。」


 ラピスの額に険しく皺が走る。臭いを通り越して、鼻の奥がむずむずと痛んできたようなきがした。さすがに鼻をつまみたくなってつまんだ。


「あの鍋からだな。」


 ジルはストーブの上に置かれている鍋を指さした。何が入っているようでこぽこぽという音と白い湯気がたっていた。若干鍋の中がなんともいえない紫のような、緑のような色をしているように見えた。


「臭くないのか。」

「別に?慣れた。」


 ラピスは鼻をつまんでいるため、声がくぐもっているのに対して、ジルは平然となにも感じてないかのように答えた。


 慣れた?この短時間で?

 それとも何度か嗅いだことでもあるのだろうか。


 さらにラピスの眉間の皺が濃くなっていく。が、複数の疑問が残るもその疑問はシイナの声により、一度端に追いやられた。


「ママ、ママ………。」

「まま?」


「ママ」というのは、俗に母親のことを示す言葉のはずだ。例外はあるかもしれないが子は大抵母親のことを「おかあさん」か「ママ」と呼ぶ。


 シイナがその単語を口にしながら、眠っている女をゆさゆさと揺さぶっている。

 ラピスが傍に寄るのと同時に、その人物がううん、と呻きながらゆっくりと体を起こした。


 赤紫の髪とともに、大きく膨らんだ胸元が揺れる。体を起こしたことにより、その顔が顕になる。


 寝起きの目ではあるが、すっと切れた赤紫の瞳がラピスを捉えた。

 女はしばらく頭をぽりぽりと掻きながら起こしたシイナのほうではなく、ラピスの方をじっとみていた。


 顔つきは若い。ジルより少し歳をとったくらいだろうか。だが、赤紫の瞳の奥にはなんとも言えぬ貫禄があった。そのせいで実際はもっと歳を重ねているようにも思えた。


 女はラピスを凝視している。何度か目を細めて険しい顔をしてただラピスを見ている。よくわからない緊張がラピスにまとわりつき、思わず背筋を伸ばした。


 程なくして、ようやく女が首を傾げて口を開いた。


「…………あれ?こんな色だったかい……?シイナって……。」

「シイナ……?、は、その…あなたの、すぐ隣……。」


 女はさらにラピスに顔を近づけて眉間に皺を寄せて、舐めまわすようにラピスを見ていた。

 ラピスは戸惑ったように言葉を絞り出した。


「ママ!私はこっちこっち!」


 思っていたより女の喋り方が年寄りじみていたことにラピスは驚いた。

 あと猛烈に酒臭い。よく見たら、机の上に大量に転がっている瓶の正体は酒瓶だった。


 酒と鍋の中身の臭いのダブルパンチを食らったラピスは、しどろもどろしながらシイナの方を指さすと女はそちらを振り返った。

 指の先にはシイナがいる。女はシイナを見るなり、目を大きく開けて笑いながら声をあげた。


「ああ!そうそう、この色だよ!いやぁ、久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」

「ママこそ……。急に帰ってくるなんて。連絡くらい入れて置いてよ。」

「悪いねぇ。急にかわいい娘の顔を見たくなった日には連絡なんて二の次よ!」


 女は酔っているのだろうか、豪快に喋りながらシイナの頭を撫でた。シイナは嬉しいのかにっこりと微笑んでいる。

 女はそれを見て、「かわいいねぇ」と言い笑った。笑い方も口を大きく開けて笑う豪快なものだ。


 豪快な喋り方と言えばダウナー街のセツを思い出すがそれとはまた違う。もっと激しく砕けていて声も大きい。声は女でも大柄な男が喋っていると言えば納得できてしまうかもしれないレベルであった。


 女はシイナをわしゃわしゃと撫で終えると、またこちらをくるりと振り返った。

 美しい髪を振り乱して振り返る姿は素直に綺麗だとラピスは思った。


 黙っていれば知的なイメージがあり綺麗なのだが。


 それは喋り方と相当きつい酒の臭いで無惨に蹴破られる。


「と、なるとお前さんは誰だい?あたしゃの知り合いにこんなのは見覚えないけどなぁ………。」


 酒の臭いと同時に女が首を傾げてラピスを見る。


「相変わらずだな、ノグロさん。」


 ラピスの後ろからひょっこりとジルが顔を出した。ジルに「ノグロさん」と呼ばれた女は、大きく目を見開いた。


「ああ!あんたジルかい!さっきからちらちらとピンクのがあると思ったら!はぁー、あのピンク色のガキとはねぇ……。」


 女は一息でこれだけのことを喋った。余程お喋りであるようだ。喋る度に酒の臭いが濃くなる。

 ラピスが酒の臭いに顔を顰めると同時にジルも顔を顰めていた。たが、酒の臭いに対してではなかった。


「……俺、もうガキって呼ばれるようなやつじゃないんだけどな…。」

「へぇ、じゃああんた今いくつだい?」

「20は超えてる。」


 ジルがそう言うと、女はふんと鼻を鳴らして笑った。


「その程度じゃあたしゃにとってはガキ同然だよ。出直してきな。」

「出直す、って何をだよ。」


 二人が茶番を繰り広げている間、ラピスはほとんど置いてきぼりであった。感じから見て、二人は昔から知っている中というところか。


 女はふと、思い出したようにストーブの傍に歩いていき、鍋の中身を確認した。


「ああ、ああ。すっかり忘れて飲んじまってたよ………。どれ………うーん、こりゃすこし煮すぎたな。」


「シイナ、お玉取ってくれ」と女が言うと、シイナはすぐにその場に置いてあった細長い棒に半円がついたような道具をわたした。


 女はその道具を鍋の中につっこみ、ぐるりとかき混ぜた。中で煮立っている液体はどろりとしている。

 その道具は液体をすくえるようで、半円型に凹んだ所にその液体が集まっていた。

 液体は相変わらずなんとも言えない色と、すんと鼻に抜ける匂いを放ち続けている。


 女はそこに置いてあったカップを手に取り、その液体をその中に注いだ。そして、それをすっと………ラピスの方に差し出した。


「あんたが、どこの誰だか知らないけどさ………あたしはノグロ・クロードっていうもんだよ。シイナとはちょうど血縁者………ってとこさ。ほら、これを飲んでみな。薬草を使った強壮剤ってやつだよ。寒い時には体に染みるよ。」


 ラピスは半分押し付けられながら、カップを渡された。

 カップを揺らしてみると、あのどろっとした液体がゆらゆらと揺れて白い湯気と共に臭いが沸き立つ。


 ラピスは、だいたい見た目で味は想像できた。


 ちらりと、他の二人のほうを見てみると二人も同じようにこれを受け取っていた。


 そして、二人はそれに口を付けていた。


 ラピスもそれと同じように口を付けた。




 ……………………………。




 二つのなんとも言えない声が小屋の中に響いた。


 シイナは目をぎゅっとしぼめて下を出していた。

 一方ジルの方は、眉間にいくつものシワを作ってカップの中の液体を睨みつけていた。


 ラピスはそんな顔をしたくなる二人の気持ちが痛いほどわかった。



 とにかく苦い。



 ただただ、とてつもなく苦い。


 この世のありとあらゆる苦味を固めたような味がする。

 舌の上が変に痺れているような感覚だった

 恐らく、今ラピス自身もすごい顔をしているのだろう。


 強烈な味に若干えづきかけてしまった。



「…………ほんっと、いつ飲んでもすごい味するなぁ……」

「毎年飲んでるけど、味だけはどうもなれないよぉ……」


 二人の言葉に対して、ノグロはにやりと笑っていた。彼女の手にも液体を入れたカップがある。


「ああ、そうさ。なんだって薬草そのまますり潰したのを煮込んでドロドロにしてるからね。……………ぷはっ!あー、ほんっとひっどい味だ!!」


 そういって液体を一気に飲み干し、自分でその味をげらげらと笑うノグロの笑い声が狭い部屋に甲高く響き渡った。


 その笑い声は外にまで至り、暗い夜空に吸い込まれていった。


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