7 終戦

「ぐわっ!!」


 目の前の男が鮮血をあげ、また崩れ落ちていく。ジルは薙刀をびゅんと振るい刃についた血を落とした後、その男の生死を確認せずに辺りに視線を移した。

周りでは依然と激しい刃がぶつかり合う音が続いていてこの男同様に呻き声を上げて倒れるものもいた。その者たちから流れ出た血が乾いた地面を濡らしていく。


 構え方が覚束無いながらも何とか交戦しているトウシの姿もあったが、また相手の剣を受け止めきれずによろけていた。素人でしかも二日の間ちょっと教えてやったくらいだけでなら、あれだけできていればいい方だろう。


 ジルが薙刀に魔力を流すと、淡い赤色の閃光を纏い始める。トウシの方向に薙刀を振るうと閃光は飛ぶ斬撃となり、赤い粒子を撒き散らしながら勢いよく旋風を巻き起こして交戦していた男を斬り裂いた。その時の風圧でトウシはその場に尻もちをついた。


 斬撃の仕組みとしては武器に纏った魔力を飛ばすように放出するようなものである。上手く放出しないと魔力が安定せずすぐに消えて不発になるか、量を間違えて暴発することもある。なので斬撃を飛ばすのは便利なものだが長い訓練とそれなりの魔力が必要となる。

 それに広い場所でなければ余分なものまで巻き込んで斬ってしまう。 グラードの追っ手に囲まれた時は路地裏のすぐ目の前で家の壁などを破壊してしまう可能性があったので使えなかった。


 ジルを狙う敵は今のところいないので彼はトウシの元に駆け寄った。


「大丈夫か?」

 トウシは気弱にジルの方を見た。体のあちこちに擦り傷ができていたがどれも軽いものだった。


「まあ………なんとか……。」


 ジルが手を差し出すとトウシはそれを取って立ち上がった。


「また助けられちまったな……。」

「というかたった二日剣の稽古しただけで戦場に出るってのが間違ってるんだよ。こういう実践までは少なくとも二年くらいはいる。」


 トウシは真新しい剣の柄をなでた。既に刃がこぼれ始めていた。トウシが剣を見ているとジルがその剣をトウシの手から取った。そして、刃こぼれした所をまじまじと見ている。


「お前魔法も使えないのか……。」


 刃こぼれした所の形はなにか重たく力強いものがぶつかったというふうだった。これではもう剣は元の仕事をしないだろう。


 ずばりを言われてトウシは唇を噛んだ。

 大抵用心棒になるような奴らはほぼ、少しながらも物に魔力を纏わせることくらいはできると言ってもよかった。それができなければ使っている武器はあっという間にダメになってしまうだろう。

そのくらいどの用心棒も自身の武器に魔力を纏わせていた。少しといえど普通の武器と比べれば威力は格段に上がるということを、トウシはこの身をもって体験済みだ。


「そりゃ刃もこぼれるわな。普通でやってるんだから。」


 トウシはなんとも言えなかった。ただわかったのは自分にはこういう剣を握るようなことは向いてないということだった。


 ふと、地面に倒れる先程まで自分の命を狩り取ろうとしていた男に目を向けた。すっぱりと斬られた傷口から赤い血が流れ出ていた。やけにその赤が強く目に入ってトウシは目を逸らした。


「………なあ、そいつ死んでるのか……?」


 トウシは目を逸らしたままジルに尋ねた。その顔は少し顔色が悪かった。

 トウシに聞かれてジルは警戒しながらも寝そべる男にゆっくりと近づいた。男には起き上がる気配はなかった。完全に意識がないのを確認するとジルは男の首筋に触れた。薄く体の内側で何かが動いている感覚が手に伝わった。


「いや、生きてる。多分斬られた時のショックと出血で気絶してるんだろうな。」


 ジルは淡々とそう述べた。血は地面に垂れているもののそれ以上広がる様子はなかった。ジルは静かに男の元を離れた。


「何?止めさしとこうか?」


 ジルがトウシの元に戻り、そう言うと薙刀を振り上げた。瞬く間にトウシの顔が真っ青になる。


「い、いや!いい!!………起きないならとくに……。」


 トウシはあたふたとしながらジルを止めてきた。

 ジルはトウシの真意を知りながらも冗談で聞いたのだ。茶化したようににやりと笑ってジルは静かに薙刀を下ろした。

 トウシは倒れている者や血を流す者を見てはいられないのだろう。もし死んでいたらな恐らく彼はもっと取り乱していたかもしれない。


 ジルは当然のことだと思っていた。たとえ戦場に慣れた人間でも血液や生き物の死体というものは不安を煽る。まして自分がそれを傷つけたのだというなら何かしらの感情を抱かない者はなかなかいない。


 だが、そういったことを繰り返していけば慣れてしまうというのも事実だった。慣れは何事においても恐ろしいものだとジルは思っていた。


「大丈夫だ。ほっといてもこのくらいで死ぬことはないし。」


 ジルがまた、当たりを軽く見回した。だいぶ数が減ってきて敵の中陣のさらに後ろの隊も動き始めた。


「…………?」


 だが、ここであることに気づいた。トウシも同じように何かに気づいたようで顔を顰めた。


「大将が………いない…!?」


 トウシが驚いたように叫んだ。トウシの言う通りで辺りを探すも、あの恰幅の良い中年の男の姿がどこにもない。


「くそっ。どこに行きやがったんだ。」


 トウシが探しに行こうと動くも、男が駆け寄ってきて刃を向けてきた。トウシが剣に手を伸ばすが、それよりも先に一本の薙刀が伸びてきて、男を突いた。また目の前に赤い花が舞い散る。その他にも男が二人に迫ってきた。


 ジルもあの大将の行方を考えた。


 戦局が不利になって逃げたか。いや、彼の性格を考えるにその可能性は低い。ならなにか目的や策があって動くはずだ。

 ジルは薙刀を振るいながら思考を巡らす。目の前の敵は全て己の反射に任せていた。


「旧」の方の戦局は不利。情報からとくに奥の手があるようなことは考えられなかったので、咄嗟にとった行動と見る方がいいのか。

 この時に咄嗟にとるというのはそれで戦局がひっくり返る可能性があるということだ。今不利な状況でこれを実行すれば一気に優位に立てる…………。


 そこまで考えて目の前の男の腹を薙いた時、ジルの頭の中に一筋の道が見えた。


 崩れ落ちる男を見送ることなく、ジルは自分の後ろを振り返った。自分のこの戦での主は遥か遠くに控えている。ジルがその方向を見て顔を顰めた。


「どうしたんだ?」


 トウシがジルの顔つきが変わったのを見て尋ねてきた。


「わかったかもしれない………大将の居場所……。」

「え!?どこだ!?」


 トウシがジルに詰め寄るが、ジルは依然と後方を見つめたままだった。


 この推測が正しいのなら今思えばあの時彼の手にあった青色の塊はそういうことになる。それが一番自然で直感的にも思いつきやすい。


「おい!さっきからどこを…………。」


 トウシが苛立ってジルの方へ視線を移した。


 この男は物分りは良いようで、何かに勘づいた後顔色がみるみるうちに曇っていった。


「まさか……………!」


 トウシが驚きと焦りのまじった声で呟いた。その視線の先はジルと同じく大将がいるはずの所を見ている。


 トウシとジルが後方に向かって走り出そうとした時、目の前に颯爽と男たちが飛び出してきた。全身は全て黒で統一されていて手には刃の広い重そうな短剣を持っていた。

 ジルは目の前の男たちと似たような者を見たことがあった。トウシの顔に焦りの色が見える。


「お前らが出てくるってことは……俺の推測は間違ってはないんだな。」


 ジルが問いかけてみるも男たちの反応はなかった。「旧」の精鋭部隊たちがその特徴的な短剣を構える。


 ジルとトウシもそれぞれの武器を構えて男たちと向き合った。この男たちを完全に突破しない限り二人の大将の元にはたどり着けないだろう。


 現にこの計画は誰かが気づいてしまえば失敗する可能性が上がるのだから、こうして気づいて動き始めたものを探して足止めするように指示をしておたのだろう。


 抜かりないところは流石だ。


 ジルの口角が上がり始めた。トウシは本当にこの男はこういう時に限ってよく笑うと思っていた。


 男たちが一斉に短剣を振りかぶった。それと同時にジルの薙刀が唸り声をあげた。



 ***



 互いの「力の刃」がぶつかり合う度に火の粉のように赤い粒子が弾け飛ぶ。グラードの太刀がセツに向かって繰り出されると、セツはそれを猫のように素早く避ける。


 攻撃の間を使ってセツが接近するとグラードがその二本の脇差しを太刀で受け止める。戦っていながらも、光の粒を発しながらぶつかる様はとても美しいものだった。


 グラードが斬撃を放つ。真紅の斬撃がセツ目掛けて一直線に向かっていく。セツは脇差しを空中に向かって振るい二つの真紅の斬撃を生み出した。


 それは相手の斬撃に向かって飛んでいく。


 二人の放った斬撃がぶつかり合う時一際斬撃が大きく輝き、衝撃波を放って光の粒子となって砕け散った。


 それを見てグラードの眉が動いた。


「なかなかやるようになったじゃねぇか。」


 セツ自身ももう子供ではあるまいし、二年も間があればそれなりに能力もあがる。


 昔は簡単に斬撃をかき消されてしまったが今では安定したものを繰り出せるようになった。冷たく笑うグラードをセツは黙って見ていた。


 周りでは他に刃物がぶつかってできる音が聞こえてきた。グラードが連れてきた側近とセツと共に歩んできた仲間が戦っている。


 セツは彼らのことが気がかりだったが、今は目の前の敵に集中すべきだと思い真っ直ぐ前を見据えた。


 グラードは先鋒を片付けてからより、先に敵の大将を落としてしまえばこちらに勝機が向くと考えたのだ。

 大将が討ち取られてしまえば陣の士気は圧倒的に下がり統一が取れなくなる。しかも用心棒たちは主人がいなくなったことにより戦う意味を無くす。


 これが意味することは崩壊だけだ。内側から崩壊してしまえば外から攻め落とすのは格段に楽になる。そして確実に風向きは向こうへと向きを帰るだろう。


 だが、この場で大将と呼ばれる人間は二人いる。この作戦を立てたグラード自身も大将の位置についている。こちらの大将であるセツがこれをうち取れば勝利は確実となる。


 もちろん、向こうもこれををわかっていないわけがない。大将直々に乗り込んできたのはセツに対しての勝算があるからだろう。


 セツは内心舐められたものだと頭にくるところもあったが自分に言い聞かせた。


 冷静であれ。昔とは違う。目の前の自分の親と認めたくない父親の思う通りにだけはさせまい。


 また二人の刃が激しくぶつかり合って甲高い音を鳴らした。依然と二人は攻防を繰り返す一方だった。金属音と共に光の粒子が舞い上がる。


 以前は太刀を受け止める度にセツはよろめいていたが、今はしっかりとその二本の脇差しで太刀を迎え撃っていた。

 子供の成長は早いと聞くが、いつの間にか自分の子供と認めたくない娘はここまでできるようになっていた。


 だが予想外ではあったが焦ることはない。グラードは懐に入ってきた脇差を太刀で防いだ。すぐに太刀を振るうもセツはすぐに飛んで距離を取った。


 普通なら距離を詰めて攻めてくると思うのだが、その時にグラードが変わった構えを取った。太刀を立てて肩の横に持っている。太刀の構えというよりは野球をする時のバットのような持ち方だった。


 構えを取るとグラードは身体に力を込める。その恰幅のいい身体の筋がもりもりと浮き上がるのと同時に、深紅のゆらゆらとした光が太刀に灯される。それはまるで紅蓮の炎のようであった。


「鳳凰」


 グラードがそれを口にしたのと同時に太刀を空に向かって振るった。太刀の光が一気に放出され、今までに比べ物にならないほどの爆風と轟音を立てて巨大な紅蓮の斬撃がセツに向かって放たれた。


 その斬撃はまさに力強く翔く「鳳凰」と呼ぶに相応しい。


「!!」


 斬撃は魔力を放出して作るものだが、その放出される魔力が濃く集まると「気」と呼ばれるものになる。


「気」を作り出すのは高度な技でありそれで作られた斬撃などは通常の斬撃よりも大きく威力も桁違いに跳ね上がる。


 セツは一度だけこの「鳳凰」を隠れて見ていたことがあった。周りの物、人を誰何と構わず次々と巻き込んで突き進む深紅の光を纏う「鳳凰」の姿にしばらくその場から動けなくなった。


 セツは一瞬背後を覗き見た。後ろには自分の仲間達が敵と戦っていた。


 これを避けることは可能だがどこまでこの「気」が突き進んでいくかはわからない。どこかで止めなければ間違いなく後ろの彼ら諸共吹き飛ばしてしまうだろう。


 セツはその金色の双眼を釣り上げ、脇差しを構えた。その二つの刃に魔力を濃く、ありったけを流し込む。


 脇差の刃にグラードとよく似たゆらゆらと光る炎のような深紅の「気」が現れ始めた。


「朱雀!」


 セツが叫ぶと同時に二本の脇差を振るった。


 脇差に纏われた「気」が鳥のような形を成し、大きく膨くらんで光の尾を引きながら一直線に轟音と共に羽ばたいていく。


 二つの「気」が激しくぶつかり合い、雄叫びにも似た音を上げて激しく輝きながら弾け飛ぶ。


 その時にできた衝撃波が乾いた地の砂を巻き上げた。辺りは一瞬霞んで目が見えなくなる。


 砂で咳き込みそうになりながらも砂埃がゆっくりと晴れていくと前方に互いの姿を確認した。


 セツが荒い息をしながら少し前によろめいた。身体に倦怠感がまとわりつき始めた。セツは額に流れる汗を拭った。


「まさか避けずに真っ向から迎え撃つとはな。俺もちょっと甘く見すぎたようだ。」


 グラードが感心したように笑った。セツは彼を睨みつけた。


「けどな。迎え撃つにしたって魔力を使い切ってしまったら意味が無いんだぞ?」


 グラードの顔には感心した様子は消え、にやりと余裕そうな笑みに変わっていた。セツは荒い息のまま脇差しを構えた。


 その刃から放たれる淡い光は弱くなっていた。


 グラードの太刀が真っ直ぐに繰り出される。セツはそれを受け止めたが、身体になかなか思うように力が入らない。


 さっきなら弾きあげることもできたのだがそれも叶わず、すぐに距離を取ることしかできない。


 セツ自身の「気」である「朱雀」はまだ彼女自身が使うのには負担が大きかった。


「気」作ると魔力の使いすぎにより斬撃などの出力の低下と身体に倦怠感を覚える。


 何とかグラードに一撃を浴びせようとするも、動きが鈍って難なく躱されてしまい、逆に攻撃を入れられそうになった。

 太い太刀がセツの頬の横ギリギリを掠め、自分の鈍い金の髪の何本かがひらひらと中を舞った。


 もう少し遅ければ顔面を確実に貫かれていただろう。


「さっきのを避けていればまだ勝算があったんじゃないのか?」


 太刀を振るいながらグラードが尋ねてきた。だが、セツは聞いていない振りをした。


 そんなことは自分でもわかっている。反応のないセツを見てグラードはさらに続ける。


「お前後ろにいる奴らを気にしたんだろ。自分が避けたらあいつらがやられちまうってな。馬鹿なやつだよ。」


 グラードがそう吐き捨て、さらに斬りかかってくる。何とか脇差しをぶつけて軌道を逸らすもセツの腕に一筋の赤い傷を付けた。


「なにが馬鹿なのさ!大馬鹿はそっちだ!自分の仲間もいるくせによくあんなの撃てたもんだよ!」


 セツは目を釣り上げて乾いた喉でそう叫ぶと、脇差しを彼に向かって突いた。

 だが思うように動かない体ではそれは呆気なく弾き飛ばされてしまう。


 セツの言うことを聞いてグラードの眉が微かに動いた。


「部下のことを気にしている暇があったら、目の前の敵をしっかり見据えることだな。だからお前は昔から甘いんだよ。使えない奴らを拾って組を作ってしまうくらいな。」


 セツの眉間に皺が寄った。脇差を握る手に力が入り、勢いよくグラード目掛けて脇差を振るった。


 この時のセツの刀裁きは意外だったようで、グラードは軽く驚いたような顔をして後ろに下がった。


「最低なやつだね。あいつらのことを馬鹿にするやつは許さないよ!!」


 セツはその金色の目を大きく見開き、上手く動かせない身体に鞭を打ってグラードに斬り掛かる。


 それに対してグラードは「勝手に吠えてろ。」と冷たく吐き捨て、斬撃を弾き飛ばしていった。


 セツが斬撃を飛ばすも、出力が足りず相手の太刀で簡単に斬り捨てられてしまう。相手の斬撃を弾き飛ばすこともできなくなっていた。


 足も鈍くなり、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。


 魔力を使い切ってしまうと素の身体能力にも異常をきたし、酷ければ倒れてしまうこともあった。本当に自分の限界が近いのだとセツは頭の片隅で聞こえる警報音を見て見ぬふりをしていた。


 だが、その音もどんどん大きくなっているような気がした。


 果たして自分はこの目の前の男を打ち取ることはできるのだろうかと。そういう思考が頭の中に流れ始めた時、目の前に太刀の白い刃が迫っていた。


 咄嗟に脇差しでそれを受け止める。甲高い金属音を鳴らし、二人の刃がぶつかった。


「………っ!」


 やけにその衝撃が重たく感じられた。


「力の刃」に流れる魔力すらも弱くなり始めたのだ。その衝撃に耐えきれず、セツは後ろへとよろめいた。


 グラードがその隙をのがすはずがない。彼は大きく踏み込んでセツとの距離を詰めた。セツが体制を立て直そうとした時には目の前に、大きく目を見開いて笑う彼の姿があった。グラードはそのまま太刀を薙ぎ払った。


 セツは身をよじって避けようとするが間に合わない。


 スパンと、グラードの太刀に何かが切れるような感覚が伝わった。

 セツはどうやら直撃は免れたようで転がるようにグラードと間合いを取った。


 だが、額に焼けるような痛みと顔に生ぬるい液体が流れ落ちてきた。


 目の前が真っ赤に塗りつぶされていき視界が真っ暗になる。

 この赤いのは自分の血だ。そう理解することは容易であった。額を斬られ、そこから流れ出たのだろう。


 額は斬られると激しく出血する。セツは流れてくる血に目を開けていられなかった。真っ暗な視界の中で、セツは迫る刃が空を切る音を聞いて横に避けた。


「ちっ。しぶとい奴だな。」


 聞きたくもない父親の声が聞こえた。

 その後にまた刃の音が聞こえて、セツは自分がどうなっているかは放っておいてとにかく聴覚に頼り避け続けた。


 だが他の金属音や叫び声、さらに傷の痛みが災いして自身の集中力をどんどん削いでいった。

 聴覚を聞き取り続けるのにも限界があった。


 グラードの繰り出した太刀を避けきれずにセツの右腕から鮮血が舞った。セツの右腕に焼け付くような痛みが走り、呻き声をあげた。

 その時に足が縺れてその場に膝をついた。


 グラードは痛みに苦しむ自分の娘を黙っていていた。特になんの感情も湧いてこなかった。


 セツの耳にこちらに向かう足音が聞こえた。セツが起き上がろうとしても体は震え、右腕は動かなかった。くらい視界の中、足音とともに自分の荒い息と脈拍が耳障りになってきた。


 この鼓動もあと少しで消えるだろう。

 負け戦とはわかっていて足掻いていたがやはり、簡単に呆気なく討ち取られてしまう自分が情けなかった。自分の顔に伝う液体が血なのか汗なのか、はたまた涙なのかもわからなくなっていた。


「終わりだ。」


 グラードがそう呟いて太刀を振り上げたその時、横から何かが飛んできた。

 咄嗟に視線をそちらに向けると一本の剣が飛んできていた。


 グラードは振り上げた剣をそっちに向かって振るい、それを弾き飛ばした。剣はキンと高い金属音を上げて、地面を滑っていった。


 グラードがその剣の持ち主を睨みつけた。


 その視線の先には荒い息を立てたトウシの姿があった。トウシの視線はグラードに向けられておらず、セツの方にへと向けられていた。


「姐さん!!」


 トウシが悲鳴にも近い声をあげた。

 その顔は随分と頼りなかった。


 セツが薄暗い視界の中で自分を呼ぶ声の方に顔を向けた。この声はたしかトウシの声だったか。


 グラードはこの頼りなさげな男を覚えていた。以前賃金が安すぎると徒党を組んでとっかかってきたやつらのうちの一人だった。グラードの思惑に気づいた奴らは足止めするように命令したはずだが、彼はそれを掻い潜ってきたのだろうか。

 あいつらも使えないのかと内心軽く落胆した。


「無駄な邪魔を。」


 グラードの太刀に深紅の光が灯り、それを振るうとトウシに目掛けて斬撃が放たれた。


「うぐっ!」


 トウシの身体から赤い血が噴き出す。身体今までに感じたことのない痛みが走って、トウシの意識はそのまま闇に落ちていった。


「やっぱり使えない奴らばっかだな。」


 グラードは呆れたように呟いた。


 セツは暗い視界の中でその音を聞いていた。何かが空を切る音、聞き覚えのある者の呻き声、そして最後に吐き捨てられたその言葉。


 頭の中でいくつもの記憶が頭の中を駆け巡った。記憶の中の彼らの愛おしい顔に囲まれて自分が幸せそうに笑っていた。それは仲間でも家族でもある者の姿だ。


 自分を守ろうとしてくれた愛おしい仲間のこと馬鹿にするやつらは絶対に許せなかった。


「あいつらを馬鹿にする奴らはあたしが懲らしめてやる。」


 その言葉が思考の中で紅く輝き燃え上がった。


 今目の前のこの男をどうにかしないと死んでも死にきれない。身体の震えはどこかに消えて、しっかりとその手で脇差しを握りしめていた。


 ふと暗いはずの視界に何かが浮かび上がった。その風景は闇を背景にしてぼんやりとした光の粒が描き出していた。

 粒が固まっているところもあればふわふわと宙を舞う粒もあった。


(……なんだい?これは……。)


 開いていないはずの目をセツは見張った。光が外の光景を写している。淡い赤の光でぼんやりと描かれたのは自分の手だとわかった。その手に握られている脇差も同じように線で描かれ光っている。


 それを見ているとこちらに近づく足音がゆっくりと聞こえてきた。そちらに顔をあげると案の定光の塊がある。だが、その光は黒く霞んでいて綺麗だとは思えなかった。


 その光でできた人影が同じ光をまとった太刀が振り上げられる。セツはその動きのひとつひとつがゆっくりに感じられた。


 自分の身体の中で何かがふつふつと湧き上がってきた。自然と身体にしっかりとした力が入っていく。まるで内部からなにかが体を満たすようだ。


 その太刀がゆっくりと自分の首目掛けて振り下げられるとき、闇の中の自分の体が激しく発光した。目の前はあまりにも眩しい光に真っ白になる。


 その真っ白な視界の先に刃が空を切る音がした。それが聞こえた直後、セツは体を前のめりに倒した。


 目の前を何かが通り過ぎる。


 そして、そのまま力で満たされた足でしっかりと地面を踏み込み、目の前のそれに向かって脇差を突いた。


 脇差が何かに当たって柔らかいそれに吸い込まれていく。


「ぐっ……。」


 それと同時に呻き声が聞こえた。脇差をそれから引き抜くと何かが倒れる音がした。


 視界がまた白く開けていく。先程みたいに真っ白になるのではなくぼんやりと色が戻ってきた。


 額からの出血が治まって目が開けれるようになってきたのだ。顔に突いた血を拭ってセツは辺りを見回した。

 右腕は相変わらず痛んで出血も酷く動かなかったたが放っておいた。


 目の前に胸から血を流して倒れているグラードの姿があった。近づいて見る気にはならなかったが遠くから見ていて、起き上がる気配はなかった。


「いっただろ…………あいつらのことを馬鹿にする奴は許さないって……。」


 セツは険しい表情で聞こえもしない言葉をグラードに投げかけた。


 胸から地面にかけて咲く赤がやけに目に焼き付いた。


「大将!」


 何人かの男がこちらを見て声を上げた。その男たちは「旧」の顔ぶれだった。


 セツは彼らに顔を向けた。彼らは切羽詰まった顔でこちらを囲んでみていた。やがてその顔が焦り混じりの険しい顔に変わり、各々の武器を構えた。


 セツは左手で一本の脇差しを構えるも急に一気に身体に倦怠感が押し寄せ、セツは立ちくらみを起こした。


 セツ自身も満身創痍だった。完全に魔力の出力限界を超えて立っているのも辛いほどだった。


 男たちが一気にセツに向かって飛びかかった。この状態でこれだけを相手するのはどう考えても無理だ。


 だが、ここで死ぬわけにはいかない。


 セツが一本の脇差しを片手に迎え打とうとした時、背後から空気が押し出されるのを感じた。


 セツが後ろを振り向くと酷く明るく輝く淡い赤色の閃光が砂埃を巻き上げて迫っていた。


 セツは咄嗟に驚いてその場にふせた。閃光はセツの頭上を飛んでいき、目の前の男たちの何人かを薙ぎ払った。


 伏せた体制のまま閃光が放たれた方を見るとそこにあの閃光と同じ色の髪を持った青年の姿があった。


「よお、大将。………だいぶ満身創痍だけどど大丈夫か?」


 ジルがセツの元に駆け寄ってきた。後ろを見るとあの男たちの何人かが蹴散らされて伸びていた。


 残りの男たちは一瞬の光景に目を見張った。男たちはたじろきながらも刃を二人に向ける。


「なんだ、まだ殺りあいたいのか?」


 ジルが笑いながら薙刀を男たちに向けた。が、その笑みはすぐに消えてしまった。


 ただ男たちを黙って見ている。


「大将の相手は俺が引き受ける。」


 ジルが笑みを消してそう呟いた。その目は、ぎらりと光る今にでも獲物に襲いかかろうとする獰猛な獅子のようだった。


 彼の目を見た瞬間男たちの背筋は凍りついた。男たちは構えていた武器を下ろし、その場に放り捨てた。


 それを見るとジルも薙刀を下ろしてセツに手を差し伸べた。セツはその手を受け取って立ち上がった。その時も多少よろめいた。


 ジルが咄嗟に支えてくれたが、その時にジルの眉がかすかに動いた。


「お前、魔力を使いすぎたな?」


 ずばりを言われてセツはなんとも言えなくなった。

 その様子をみてジルは笑った。


「お前から感じる魔力が格段に弱くなりすぎてるからな。相当無理をしたんだろ。」


 ジルはセツにそう言うと地面に倒れるグラードの方に目を向けた。彼の胸は真っ赤に染っていた。


 ジルは倒れる彼に向かってすたすたと近づいていった。左の胸元はなにかナイフのような物で刺されたような傷があった。


 ジルはそっと彼のその太い首筋に触れた。そこに生命の鼓動は感じられなかった。


「セツ。お前がやったのか。」


 ジルが静かに呟くと、セツが頷いた。


 彼が流す赤の主張は静かに収まっていた。


「まあこれで長い親子喧嘩は終わりってことだよ。」


 セツは眉をひそめて笑った。その笑顔はどこか寂しげだった。


 乾いた風が血が染み込んだ大地に強くふきつけた。


 それとともに全ての終わりを告げる合図が鳴り響いた。

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