5 氷

 飛び移った先の足場が崩れた。要は立っていた場所が無くなる。崩れた場所は高さだいたい10メートルは超えているであろう。


 白い氷に混じって小さい人影が落ちていく。

 下に足場などはあるはずもなく藍色の海がぽっかりと白の間から口を開けている。ここは極寒の北の海。時には海までもが凍りついてしまうほどの冷気がこの地を包む。


 これが何を意味しているのかを理解したジルとラピスは直ちに駆け出した。


 だが、不安定な流氷の上はなかなか思うように進むことは出来ない。


「うわっ!と、………。」


 飛び乗った先の流氷が激しく揺れてラピスは思わず氷に手をつけた。あうやくまたも海に落下しそうになる。


 流氷にへばりついたままラピスが顔を上げるとジルの姿はどんどん小さくなっていくのが見えた。


 その間にもジルはどんどんと進んでいった。飛び移った後の流氷はぐらぐらと揺れていた。


 極寒の海に落ちてしまえば事は一刻を争う。しかも厚地のコートでは海水を吸い込めば更に重く体にのしかかり海の底へと引き込んでしまうだろう。


「シイナ!!」


 ジルは思わず幼なじみの顔を叫んだ。こんなにも駆られた気持ちで叫んだのは久しぶりだった。

 不意に冷たい風がジルの頬を撫でた。この環境に似つかない弱々しいものだと思ったが……。


 そのすぐ後だった。

 酷く激しい冷風がジルに吹き付けた。

 冷風はパキパキという凍りつく音と共に雪をまいあげ視界を真っ白に染めた。あまりにもの突風で目を開けていられなくなる。


 突風は直ぐに収まった。何が起こったのだろうかとジルが目を開けようとすると、凍ったまつ毛から氷がぱらりと落ちた。見ると上着にも薄く氷が降りていた。


 それよりも目に飛び込んだのは自分の足元にまで差し迫った氷だった。ただの流氷ではない。その氷は透明で流氷を中に閉じ込めて白く冷気を放っていた。


 暫く唖然として流氷を飲み込んだ氷塊を見ていると前方から声がした。


「あちゃ………。また、やっちゃった……。」


 ジルの心情に似つかない抜けた声だった。


 声の主であるシイナが氷に突き刺さった鋸にしがみついていた。いや、鋸が氷につきささったのではなく氷の発生源が鋸なのだろう。その証拠に鋸も所々凍りついたり霜が薄く降りたりしている。


 シイナは平然として氷の上に降り立つと、うんしょと踏ん張り鋸を引き抜いた。パキパキと氷が割れて屑がこぼれる。シイナは暫く鋸を降って氷を完全に落とした。


「お前……氷で無理矢理足場を作ったな?」

「………ご心配お掛けしました。」


 ジルが引きつった顔のまま言うとシイナが許してと眉を八の字に曲げて笑った。


「大丈夫………って、わぁ……何これ…。」


 遅れてラピスも駆けつけて驚いたように言葉を発した。その瑠璃色の髪にも薄く霜が張っている所があった。


「二人とも髪の毛凍っちゃってるよ。」


 シイナは特に酷く張っているジルの頭をわしゃわしゃと撫でた。身長差があるのでシイナが若干背伸びをするような形になっている。


「誰のせいだよ。」

「私です。スミマセン。」


 ジルが笑って言うとシイナは罰が悪そうに目を逸らした。シイナは目を合わせずそのまま氷をはらい続けた。ぱらぱらと桃色の髪から氷が剥がれ落ちていく。


 ラピスも自分でそのチグハグのツインテールに付いた霜を落とした。そして、目の前に蔓延った氷を眺めた。


「………これも魔法?」

「そう、だね…………。………これで氷をつくれるんだよ。」

「へぇ………。魔法って色々あるんだな。」


 ラピスはぺちぺちと流氷の更に上に張られた氷を触った。未だに氷からは冷気が浮かび上がっている。

 さきほど流氷の上に寝っ転がった時よりも、まあ布のぶんがあるにしろ、それよりもとても冷たく感じられた。


「他にも火をつけたりとか、風おこしたりとか……。」

「電気起こしたり、自分の力を増幅させたりとか、透視したり、気配消したり、感じ取ったり、感覚を敏感にしたり、体を固くして防御したり、早く移動できるようにしたり、あとは………」

「ジル、それ多分延々と言えるからストップ。」


 どんどんと魔法について喋るジルをシイナが止めた。ラピスの方を見てみると案の定、シイナが思っていたとおり、目を回していた。

 ラピスの頭は一度に色んな情報を流され処理しきれなくなっていた。なんとなく頭から白い煙が上がっているようにシイナには見えた。


「う、ん?…………えっと………?」

「要はすっごい色んなことができるってことだよ。」

「ほ、ほう………。」


 簡易的なシイナの解説により、なんとか自分でもよくわからない返事を反射的にラピスはした。ひとまず落ち着いてはきた。


「僕はまだ一度もそういったことはしたことないけど………できるのかな?」


 ぽろりとラピスが言うと、シイナは眉を動かした。


「あれ?ジル。まだ魔法とか教えてないの?」


 シイナはジルに話しかけた。てっきり簡易的なものは教えているかと思っていたのだ。


 ジルはそれに答えるように頷いて口を開いた。


「まだ基礎中の基礎だよ。受け身や簡単な護身程度だ。文字もろくに読めないから、今詰め込んで教えても多分こいつの頭パンクしちまうだろ。それに俺が教えられるのはすぐ使えるようになるやつじゃないし。」


 シイナはそうかぁ、と呟いた。


 魔法は本当に色々なことができるが、それを大まかにわけるなら二つにわけることができる。


 ひとつは魔法の力をそのまま使いあらゆる現象を起こす、もうひとつは何かに魔力を媒介させそれであらゆることをするものだ。


 魔法の力をそのまま使うのは後者に比べるとレパートリーが少ない。だが、そのままの力を使えるわけで本人の力が後者よりも顕著に現れる。強い魔力をもつ人間が使えば凄まじい威力を発揮する。


 一方何かに媒介する方は、字のままの通りで何かに魔力を流して使うものだ。これはなんにでも流せるわけで流すことを覚えてしまえば誰だってできる。ただ、その際にある程度魔力が外に逃げてしまうので前者よりは威力が落ちる。魔力が弱すぎると流してもさほど効果が見られないこともある。

 しかし、前に書いたように魔力は何にでも流せる。上手く使いこなせばたくさんの事が、更にはそれらを組み合わせることで前者よりも強い力を発揮することだってある。


 だが、これは魔力の量に左右されることは少ないかわりに本人の技術が大きく関わってくる。斬撃を飛ばす事もこれに含まれるのだが、足りなければ不発に終り、量を間違えれば暴発する。安定に出すためには長い訓練と錯誤が必要となる。


 どちらを使うかは本人によるが、性格の向き不向きも存在する。たとえ強力な魔力をもっていてもそのままでは使えないものもいるのだ。


 ジルが使っているのはやはり魔力を何かに流すほうで、まだ教えるにはたしかに少し早いかもしれない。


「僕も使えるかなぁ……凍らせるとか……。」


 ラピスが氷の欠片を拾い上げた。その氷は透明度が極めて高く、きらりと光った。


 それを見たシイナが答えた。


「多分使えるよ、初級魔法くらいならね。教科書にも乗ってたし薄く凍らせるくらいならほんとすぐだよわりと。」


 シイナは辺りを軽く見回した。そこにちょうど、流されてきたのだろう。小さな小枝が流氷の上に打ち上げられていた。それを拾い上げるとラピスの前に差し出した。ラピスはそれを受け取るとまじまじと枝を眺めた。


「これで試してみようか。」

「どうやればいい?」


 ラピスがそう言うと、シイナは腕を組んで唸った。


「うーん………そーだなぁ………。なんか雪がうすーく?つもる?……ちがうな、氷だもんね……。……………うすーく、水に氷が張る感じ……かな……。」

「水に、氷…………。」


 ラピスは眉間に皺を寄せ、頭の中にイメージを思い起こした。しかし、氷と言われてもシイナに取っては見慣れたものかもしれないがラピスにとっては前まで人並みにも見たことないものだった。


「薄い………氷……。」


 自分が乗ってて割れて落ちた氷をイメージしてはどうだろうか?


 あの時は海に注目していたが、氷とはどんなものだったか?そう言えば地面とは少し歩きにくかったような気がする。

 そして、ここの流氷とはまた違う。同じ氷でも。もっと薄くて、脆くて………。繊細だったはずだ。


 そう頭の中で思考を巡らせていると、どこかでパキリと軽い音がした。ラピスはその音に反応して、思考の外に追いやってぼんやりとしていた視界をハッキリさせる。すると、握っている枝が手に触れているあたりから薄く氷が広がっていった。


 ラピスは一瞬目を丸くした。


「わっ!凍った……。」

「凄いじゃん!できたよ!!」


 シイナが満面の笑みでラピスの手を握った。ラピスも嬉しくなって表情が緩む。

 それを見ていたジルが顎に手をあてて口を開いた。


「お前こっちの方が向いてるかもな。」

「うーん……。そうなのか、な。よくわかんないけど。」

「でもこれ、初級中の初級だからねぇ。もっと試さないとはっきりしないよ。」


 シイナはラピスから木の棒を受け取ると、ジルに差し出した。


「ジルもどう?なんだかんだでやったことないでしょ?」

「悪いが、俺こういうの向いてないんだよ。どうも魔力の流し方が違うらしくて、ろくに力が出ない。」

「へぇ、初耳。」


 ジルは手をひらひらさせ、枝を受け取ることはなかった。シイナは意外そうな表情をつくった。しかし幼なじみといっても、回数は頻繁にあっているわけではなさそうなのでこういうこともあるのだろうと半分納得もしていた。


「シイナはやっぱこういう氷作ったり火を起こしたりする魔法の方が得意なのか?」


 ラピスがシイナがもっている棒を指さした。咄嗟に氷を作れるくらいだからそう思ったのだ。たが、シイナは眉を八の字に曲げ、首を傾げて唸り出した。


「うーん……………。得意、というかなぁ……なんか最初から凍らせるだけはできたんだよね……。あとは全然。火とか起こせたことないし。たぶん凍らせる以外はジルと一緒かな。」

「へぇ。なんか変わってるな。」

「うん、自分でもなんでこれだけできるかわかんないし。」


 シイナはそう言うと、もっていた枝を見つめた。枝はパキパキとたちまち透明な氷に覆われていった。


「魔法ってほんと不思議だなぁ。今までそんなに使ってる感覚しなかったし。」

「「力の刃」とかはちょっとわかりにくいわな。」


 ジルに言われてラピスはこっくりと頷いた。

 この魔法というものもおそらくこれから学んでいくことになるのだろう。ただでさえ自分はこういった勉強は向いてないような気がしているのに、更に覚えなければならないことが増えた気がしてラピスの表情が少しだけ苦くなった。


「なんだ。覚えることが増えて嫌か。」


 ジルにまさに図星を言われて、ラピスはぎょっとして彼の方を見た。


「その顔は当たりってことか。」

「………なんでわかるのさ。」

「顔に書いてあるのに分からないわけないさ。大丈夫だよ。ばっちり叩き込んでやるからな。」


 けたけたと笑うジルに対して、ラピスはちっとも笑う気になれなかった。

その表情がどんどんと曇っていった。


「あのー、お二人さん話してるとこ悪いんだけど……。」


 シイナがおずおずと二人の会話を割って入ってきた。普通に割って入ってきてもおかしくはないのだが何をおずおずとしているのだろうか。


「どうした?そんなおそるおそるで。」


 ジルが首を傾げて問いかけた。


「うん、まあそろそろ昼も過ぎたし、流氷もある程度割れたから引き上げ時なんだけど……。」

「ああ、そうだな。」

「たしかに。」


 たしかに目立つ大きな流氷は見当たらなかった。ちょっとした大きさにまで砕かれた流氷が波に流されていくのが見えた。


「あれ割ったらもう引き上げてもいいと思ってたん、だけど………。」

「だけど?」


 シイナが言葉を濁した。そして、自分の背後を申し訳なさそうにちらちらと気にしている。


「ん?なんかあるのか?」


 今シイナの背後にあるのは氷漬けにされた流氷達があるだけだ。それがどうかしたのだろうか。


 ラピスは首を傾げていたが、ジルは何かを察したようだ。あ、と軽く声をあげた。


「……………これね、流氷を凍らせて繋いであってね。……陸まで凍ってるわけじゃないんだよね。」

「はあ。」

「で、今これが1枚のすっごく大きい流氷みたいになってるんだよね。」

「うん?」

「で、放っておいても溶けちゃえば問題なかったんだけど…………流氷ってのは簡単に海流に乗って動いちゃうの。こんな大っきいなのでも結構流されちゃうんだ。」

「………………。」


 ここまで言われてラピスもわかってきたような気がした。ジルの方をちらりと見ると彼と目が合った。彼も眉をひそめて笑っていた。シイナもそれを察したようで、その表情がどんどんと申し訳ないようになっていった。


「で、その氷が流れると船にぶつかるのか。」

「……………ハイ。」

「…………ということは。」

「ということは?」


 シイナは一度目を伏せた。そして、ため息をつくと声を押し出すように、申し訳なささを全面に押し出したように口を開いた。


「割り直しです………。」


…………………………。


しばしの沈黙。



「まじかぁ………。」


 ラピスは思わずそう呟いき天を仰いだ。隣でジルのくすくすとした笑い声が聞こえる。

 ぽっかりと少し正午より傾いた太陽が薄い雲を被って穏やかに輝いていた。


 それから三人はその太陽が沈みかけるまで氷を割り続けたのだった。

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