3 サナ・ハラィリャ・エトゥガリャ

 ガクの家に招き入れられてから三日目。吹雪はガクが言った通りに晴れて、今日は雲ひとつとない快晴となった。


 強く照らしつける太陽の光が真っ白な雪に反射する。

 昨日まで吹き荒れていた雪は実際に家の半分以上の高さにまで積もっていた。


「う、わぁ………っと……。」


 家から出て一歩踏み出したラピスの足が、ずぼりと一気に膝の辺りまで雪に埋もれた。

 足を動かそうとするも、柔らかい雪がなかなか動かない。

 ラピスはなんとか埋まった足を引き抜いて、一度家の入口まで引き返した。入口はある程度除雪してあるし、雪を氷のように固めてあるので沈まないらしい。


 ラピスとともに一緒に外に飛び出した真っ白な犬ことガクの飼い犬、スォ(雪という意味)は特に問題なく雪の上を走り回っていた。


「ダメだな。まだ歩くには雪が柔らかすぎるか。」


 後ろにいたガクが何かを取りに一度奥へと引っ込んだ。そしてしばらくして円形状の物を持ってきた。

 材質は軽くて硬い。植物の蔓のようである。


「靴貸してくれ。」


 ラピスはガクに言われた通りに靴を脱いで、彼に差し出した。


 ガク靴を受け取ると、まず片方の靴にその円形の道具を靴の裏に取り付けて紐でしっかりと固定した。

 それと同じようにもう片方も取り付けるとラピスに返した。


「これで多分大丈夫だ。歩いてみて。」


 ラピスは靴を履いて、早速一歩踏み出した。今度は雪に載せた足は完全には沈みこまずちゃんと積もった雪の上に立つことが出来た。


「凄いな。沈まなくなった。」

「ハラタというものだ。一般にはかんじきと呼ばれている。それを使うと雪の上でも歩きやすくなったり、滑りにくくなる。」


 ガクもそれを自分の靴に取り付けると、外に出てきた。辺り一面に白銀の世界が広がる。


 スォは軽いので沈まないらしい。ガクが出てくるのを見つけるとすぐに足元にかけてきて嬉しそうにしっぽを振った。スォは賢くて飼い主に忠実であった。

 ガクがスォの首のあたりを撫でてやると嬉しそうにその手をぺろぺろと舐めた。


「じゃあ今からこの前仕掛けた罠とキークを見に行くか。」


 ラピスはこくりと頷いた。


 ちなにジルとシイナはユキクマの容態を見に既に出ていっていた。いろいろ世話や経路について話してくるとも言っていたのでしばらく帰ってこないだろう。


 ラピスはガクが仕掛けた罠を見に行くと聞いてせっかくだからついていくことにした。

 それにジャイアントビーストを運ぶのだから手伝ったほうがいいだろう。


 二人は真っ白に染まった森の中を足跡を残しながら進んでいく。スォもガクの隣をほぼ同じペースで歩いている。二人の人の足跡に小さな動物の足跡が混ざった。


 あたりを見回してみるとこの辺りの森の木々はほとんど葉が落ちていて、代わりにたわわの雪を積もらせていた。


「はげた木ばっかだな。」


 ラピスが呟くとガクがこちらをすこし振り返った。


「この辺りの木はある時期しか葉をつけないやつばっかだ。もうちょっと奥にいけば年中葉を付ける木もある。」


 ラピスは辺りをきょろきょろと見回しながらガクの後ろについていった。時折、木の上を走るリスや枝に止まる小鳥。空高く飛ぶ大きな鷲も見つけた。


 ここに来てユキクマに乗ったり、犬というものを初めて見たりと、一気に動物を見たりふれあったりする機会が増えたとラピスは感じていた。動物は嫌いではないので単純に嬉しかった。


 スォが突然ある方向に向かって駆け出した。ガクは特に慌てて追いかけることなくただそれを見ている。

 スォはある木の根元まで行くと、ワンと一回吠えた。


「お。かかってるな。」


 ガクがこちらに来るように合図した。


 ラピスが向かうと、そこには桶のようなものに首を突っ込んでもがいている獣の姿があった。

 スォ程の大きさで毛並みは雪に溶け込むような白であるが、足先などは黒い。


「なんだ?これ。」

「オタゥロクだ。お前たちの言葉ではキツネと呼ばれいる。この桶の中には返しがついていてここに首を突っ込んだ動物は抜けられなくなるって仕組みだよ。」


 ラピスは初めてキツネを見た。後で聞いた話だがキツネは白の他にも赤毛や黒、黄もいるらしい。


 キツネはもごもごと動くが全く桶が抜けるような気配はない。


「運がいいな。キナ・オタゥロク(白いキツネ)だ。白は僕らスウォー・ロゥを象徴する色。だから白い毛皮は重宝している。」


 彼の着ている着物についている白い毛皮を指さした。どうやらキツネの毛が使われているらしい。


「これでどうするの?どうやってとるんだ?」


 ラピスはキツネを指さした。

 そうすると、ガクは荷物の中から短い棍棒を取り出した。


「これで首の後ろを殴って骨を折る。それで仕留めてから罠を外す。」


 ラピスは少しギョッとした。こんな綺麗な容姿の持ち主からいきなりこんな言葉が出てくるとは思ってなかったからだ。

 ガクはそれを読みとったかのように笑った。


「これが僕らのやり方だけど、猟について知らない人なら驚くのも無理ない。僕も初めて知った時はびっくりした。」


 やってみるかと、ガクが棍棒を差し出してきたがラピスは断った。


 一発で仕留められる自信がないというのもあったが、命を奪うという行為に抵抗があったということが大きい。

 狼が羊を襲うように、なにか必要があったとしてもたやすく突発的に行えるものでは無い。


 ガクが狙いを定めて棍棒を振り下ろした。鈍い音とともに何かが折れるような音がした。


 キツネは雪の上に横たわり、動かなくなった。


 ラピスは一連の流れを目を塞ぐことなく見ていた。その間、腹の中の温度がすうっと冷たく引いていくような感じがした。

 この感じは昔にも感じたことがある。モノツキに襲われて死んでいった仲間を見つけた時にこのような感覚を覚えた。


 罠を取り外すと最後にガクがキツネに向かってぼそりと何かを唱えた。

 それがラピスの耳に入るのと同時に温度が帰ってきた。


「?なにか言った?」

「ん?………ああ。『サナ・ハラィリャ・エトゥガリャ』」


 ガクはそう言ったがラピスは一発で復唱することはできなかった。


「サナ・ハラィ…………なんて?」

「『サナ・ハラィリャ・エトゥガリャ』。自然の恵に感謝を示す言葉だ。」


 ガクがキツネの腹に短刀を入れ始めた。裂けた場所から漏れだした熱が冷たい大気と混じって白くなる。


「スウォー・ロゥの世界にはカシャィと呼ばれる神がいるとされている。そして、カシャィがこの僕達が生きている世界にやってくる時に向こうの世界からオタゥロクやキークなんかの土産を持ってくる。これはカシャィからの贈り物ということで、その恵に感謝すると同時にカシャィに敬意を示す言葉でもある。」


 ガクは肉と皮の間に短刀を滑り込ませて、ぺりぺりと皮を剥いでいく。

 ラピスはキツネがずれないように、首のあたりを抑えていた。キツネはまだ暖かかった。


「この世界に持ってこられたものは全て何かしらの役目があると僕達は考えている。このオタゥロクも皮は僕達の衣、肉や内臓は食料、骨も釣り針や矢じりになる。この世界に意味無く生まれたものなんてない。その役目を果たして次の命へと紡いでいくんだ。」


 剥がした皮の裏の余分な油や肉を削ぎ落として、それをかるく雪で洗った。これを少し乾かすと立派な毛皮になるらしい。


 ラピスは雪の上に置かれた、皮を剥いだ桃色の肉が見えているキツネを見た。

 ガクはその肉を切り分けて、紙の様なものに包み始めた。前足を切り取るとその一本をスォに向かって投げた。

 スォは上手く受け取り、その前足をしっぽを振りながら齧り始めた。


「あげたの?」


 ガクはその美しい容姿を綻ばせて微笑んだ。


「ご褒美。この前のキークを見つけたのもスォだし。」


 ラピスは前足をかじっているスォの体を撫でた。

 みるみるうちに肉は無くなっていき、スォは骨をしゃぶっている状態になった。骨までかじってもいるようでガリガリと音が聞こえてきた。


「そういや………僕らもキツネって食べられるのか?」

「ちょっとクセがあって硬いけど食べるには十分だ。キークの方はもっとおいしい。」


 ガクは切り分けた肉をなにか紙のようなものに包み、さらにそれを毛皮で包むと荷物の中に加えた。


「ここからキークの場所まではそんなに遠くはない。多分昼頃には家に帰れるから、帰ったらオタゥロクを食べよう。」


 ラピスはわかったとガクに頷いた。

 そして、こう呟いた。


「サナ・ハラィリャ・エトゥガリャ。」


 それを聞いたガクがかるく微笑んだ。雪に溶け込むような白銀の髪と肌に映える青い瞳が綺麗だ。


「ああ、そうだ。サナ・ハラィリャ・エトゥガリャ、だ。」


 ラピスは彼に笑い返すと、二人はスォを連れてまた雪が振り積もった北の地を進んでいった。

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