3 流氷割り

「ううっ、寒…………。」


 外に出るなり、ラピスははぶるりと体を震わせ白い息を吐き出した。


 昨日とは比べ物にならない程の冷気が体にまとわりついた。朝日が差し込んでいるといえど、その温かみは微塵も感じられなかった。


「そうだね。今日は一段と冷えてるから。」


 同じく白い息を吐いてシイナが答える。冷えていると言っても彼女はこれが普通と言わんばかりの様子だった。


 雪はこれでもかという程に積もって完全に世界を白銀に染め上げていた。昨日通ってきたはずの小道も雪に埋もれてわからなくなっていた。


「夜に天気がいいと冷えるんだったっけか?」

「うん、そうそう。」


 ちょうどジルも小屋から出てきた。彼も昨日よりましてさらに厚着になっていた。


「お、さすがに長ズボンか。」


 ラピスの布に覆われた足をみてジルが白く息を吐いて笑った。


 さすがに長ズボン………と、いうよりはシイナに半ば強制的にはかされたものだった。

 こんな気候で生足だということはシイナにとっては信じられないことだということだ。想像するだけで妙に体感温度が下がるような気がするらしく自分のをラピスに貸したのだという。


 慣れない長ズボンに、ラピスは少しばかりソワソワしているように見えた。現にそのふり積もった雪の上の同じところを行ったり来たりしながら歩いている。サクサクと雪が踏み鳴らされる音が響いた。


「なんか………変に窮屈……。」

「けど暖かいだろ?」


 たしかに暖かいのは否定できなかったので、足元にまとわりつく普段は感じない妙な閉塞感をラピスはない事として振る舞うことにした。


 そして三人は丘を降りていき、港へと歩いていった。

 朝早いため通りの人は少ないものの、港はいくつもの船が行き来をしており魚を降ろしたり、集まって大きな声でなにかを言い合っている漁師の姿があった。


 ラピスが彼らについて尋ねると、ジルは魚を売り買いしていると答えた。

 どうやらあれは「競り」というものらしい。店を営むものが店で売るためのものを買う為に行わるらしく、売主が1番望む値段を言ったものがその商品を買い取ることができるとのこと。


 ラピスはこの説明の時、眉を八の字に曲げて首を傾げていたのでいまいちわかってないのはジルの目に嫌という程見えていた。

 シイナはなんとか分かりやすく説明しようと奮闘していたがジルは早々に諦めてしまった。


 そうこうしているうちに、三人は昨日あのラピスが海へ落ちた付近へとたどり着いた。昨日と引き続き焚き火が炊かれ、それを何人かの人物が囲んでいた。


「お、シイナちゃん。おはよう。」


 一人の老人がこちらに気づいて手を振った。老人の顔には立派な白い髭が生やされている。

 その老人に対して、シイナも笑顔で手を振り、焚き火の方へと向かった。


「おじさん。おはよう。」

「今日も朝早くから流氷割りか。今年の氷は厚いから大変だよ。悪いけど流氷の出来がいいってな。」


 老人は口を開けて歳に会わずに豪快に笑った。。シイナもそれに釣られてくすくすと笑っている。


「………はて?後ろの若いのは?………その派手な頭はどっかで見たことあるようなないような……。」


 老人は後から追いついたジルとラピスを指さした。老人はジルを見て目を細めて何やらうんと唸っている。


「おじさん、ジルだよ。あのシラーおじさんとこの。」


 シイナが何やら小声で老人に耳打ちをした。その声は小さすぎて2人には聞こえていない。


 シイナが耳打ちすると程なくして、老人の目が丸くなった。そして、白い髭を動かし口を大きく開けてこう言った。


「ああ!!どこかで見たことあると思ったらジルか!しばらく見ないうちにこんな若造になりおって!!」

「ニケおじさん。久しぶりです。」


 ニケおじさんと呼ばれた老人はジルの方へと歩いていき、手を握った。


 ニケおじさんの手はいくつもの細かいしわが入ってかさついていたがたしかに温もりのあるものだった。


「しばらく見ないと言ったな、実際に最後に会ったのは結構前か………。わしもすっかりこんな立派な髭を生やしてしまうくらいにな。はて、どのくらい前か?」

「えーと………たぶん8年近いですね。俺とシイナはその間も何回かは会っていましたけどおじさんとは全くでしたから。」

「ほう………ところで今いくつだ?」

「途中で数えるのを辞めてしまったので分かりません。」


 ニケおじさんとジルのやり取りをラピスは黙って見ていた。2人は会話の内容から見るように親しい中であったことが分かる。


 何となくラピスがその2人を観察しているとニケおじさんがラピスの視線に気づいたようだ。


「そういえばもう1人若いのがおったのう……。そちらはあいにくわしの記憶には心当たりがないのだが……。」


 そう言うとニケおじさんはその髭と同じくらい立派な太い眉を八の字に曲げた。そして、目をぎゅっと細めラピスの方に顔を近づけた。


 ラピスは思わず体を後ろに持っていこうとしてしまった。


「あった方がびっくりだよ、安心しておじさん。この子は初めてこの街に来たから。ね?ラピスちゃん。」

「ら、ラピス………です…。」


 ラピスの口から頼りない小さな自己紹介が飛び出した。


 ラピスは別にこういう老人と話したことがない訳では無い。しかしラピスの知っている老人はゴーストタウンの回収場の番を1人でしている老人だった。


 その彼とはほとんど会話らしい会話はできなかったからだ。会話の中身はなにか訳の分からない一昔前の話らしいことを繰り返し。しまいには会う度に名前を聞かれた。そしてその度にこの当たりじゃ変わった名前だなと言われた。


 だからこうして年配の人間と会話が続くというのは新鮮なものだったのだ。


「ほう………いい響きの名前じゃな……。ほれ、わしはニケーネ・ノースじゃ。この当たりじゃニケおじさんで通っておる。よかったら呼んどくれ。」


 そう言ってニケーネことニケおじさんはポケットに手を突っ込んでなにか小さな包み紙を取り出した。そして「黒飴じゃ。良かったらどうぞ。」とそれをラピスに手渡した。


 渡された包み紙を開いてみると中に焦げ茶の半透明の欠片が入っていた。それは反射して白い包み紙に茶色の影を作っている。


「あ!おじさん私にもちょうだい。」


 それを見たシイナがニケおじさんにそれをねだった。シイナはそれを貰うと礼を言い、包み紙をあけてそれを口の中に放り込んだ。そしてシイナは嬉しそうにころころとそれを口の中で転がした。


 ラピスも同じようにその黒い塊を口の中に放り込んだ。黒い塊が口の中で溶けだし甘い風味が鼻へと抜けていく。

 嫌いな味ではなかった。


「ほれほれ、まだあるからな。しかしシイナちゃん、昔から黒飴好きじゃな。今どきのもんはちっとも食べようとしないのに。」

「え?こんなに美味しいのに?」

「若いもんは黒砂糖よりもいちごだのメロンだのそういう方が美味いと言うんだよ。」


 シイナは不思議そうな顔をして、首を傾げてまたひとつ黒あめに手を伸ばした。


「ほれ。ジル坊もどうだね。」


 ニケおじさんがジルに黒飴をひとつ差し出した。しかし、ジルが申し訳なさそうに首を横に振った。


「俺は飴は昔から好きじゃないんでいいです。」


 ニケおじさんは、「ああ、そうだったな。」と思い出したように言うとポケットに飴を閉まった。


「そういやなんで飴嫌いなの?」


 シイナがジルに向かって尋ねた。


「なんか甘いのそこまで好きじゃないんだよ。あと噛むと歯にくっつく。」

「舐めたらくっつかないと思うんだけど。」

「舐めてるのがまどろっこしいんだよ。」


 ジルが理由を端的に述べるとこんどはラピスが飴を舐めながら口を開いた。


「チョコレートは甘いのに食べるくせに?」

「俺がいっつも食べてるのはビターだよ。」

「ビター?」


 ラピスが「ビター」という言葉を聞いて首を傾げた。


「チョコレートにもいろいろ種類があるんだよ。」


 ジルはただざっくりとラピスに知識を入れておいた。


「そういやおふたりさんも氷を割に来たのかね?」


 三人の会話を割ってニケおじさんが口を開いた。


「うん、そうだよ。せっかく久しぶりにジルも来てラピスちゃんもいるから。」

「ほう、そうか。今日は沢山流れてきてるからな。氷割りには絶好の日じゃよ。ただ……」


 ニケおじさんが少し間をあけて、海の方を眺めた。海には白い塊がいくつもぷかぷかと浮かんでいる。


「ここんところ流れてくる量が増えておる。それが少し気になってな………昨日少しばかり船を沖にはしらせてみたじゃ。」


 ニケおじさんは海に視線を向けたまま話を続けた。


「どうやら沖のはるか遠くにでかい流氷があるようなんじゃ。それが崩れたのがここに流れてきているんだな。」

「そうなんだ。」

「そのまま崩れてくれたらいいんじゃけどな。もし崩れきれずに港に入ってきたら「砕き撃ち」をせねばならん。」


 ニケおじさんはそう言うと、腕を組んで唸った。


「「砕き撃ち」……って俺も聞いたことないんだけど。何かするのか。」


 ジルがシイナに尋ねた。シイナもニケおじさんのように眉間に皺を寄せていた。いつもの柔らかな表情はどこかに潜んでしまっていた。


「……ごく稀に、すっごくめちゃくちゃ大きい流氷ってのが流れてくることってあるの。はるか北の方、本当に氷だけの世界から。いつもなら流れてくる途中で崩れたり、削れたりしてあれくらいになるんだけど。」


 シイナは流氷ってのはそうやってできるのもあるんだよと、海を指さした。海には大小様々な流氷が白く反射して漂っていた。


「私もね、実際見た事はないんだけど……そんなに流れてくることってないから。とにかく比べ物にならないくらい大きいんだって。なんなら高さが家何個分かだったり……。」

「何個分……。」


 話を聞いていたジルとラピスは海とは反対を振り返って街並みを眺めた。少しずつ通りに人の姿が現れ始めている。いくつもの店がカーテンを開けたり、看板を外に出したりしていた。


「んでそれが港に入らないように、流れてくる前にある程度の大きさに崩すのが「砕き撃ち」ってやつじゃ。「冬守り」達が協力してそれを砕く。」


 ここはシイナに変わってニケおじさんが説明をした。シイナも頷いているので間違ったことは言っていないようだ。


「最後に「砕き撃ち」があったのは………ちょうどお前さんのオヤジさんの代だったか…。」

「うん、私が産まれる少し前。」

「じゃあ、だいたいまるっと20年ってとこか?」


 ジルが言うと、ニケおじさんがそうじゃなと、白い髭を撫でた。そして、更に額に走る皺が濃くなっていく。


「その代で「砕き撃ち」を経験した「冬守り」は大体が高齢化か……既に亡くなっておる。わしも昔ならちょっとは力に慣れたかもしれんのだがな、もう生きて80年。少々長すぎたかもしれん。」

「あれ、おじさん。もうそんな歳でしたっけ」


 ジルがそうだったかなと。首を傾げている。ニケおじさんはそんな歳とはなんだと、腕を震ってみせた。


 確かに歳のわりには元気かもしれない。だが、直ぐにあいたたたと、顔を顰めて肩を抑えた。


「もうおじさん!ただでさえ四十肩なのに無理しないでよ!」

「四十肩肩ってより二倍の八十肩じゃね?」

「ははは!相変わらずジルは上手いこと言いよるわ!」


 ニケおじさんは口を大きく開けて笑った。さっきの皺の撚った顔が嘘のようだった。


「まあ、そう心配することは無い。格段と大きい訳ではなかったからな。まだ時間はあるし一度きちんと「冬守り」達で話す時間くらいはあるじゃろ。」


 ニケおじさんは柔らかく微笑んだ。シイナの表情もいつもの緩やかな笑顔になっていた。


「あのー……そんな大きな氷ってどうやって割るんだ?その鋸?みたいなのを使って割るの?」


 ここでラピスは疑問を提示した。


 流氷を割る………文字図らだけではあのひらべったく浮いている氷を地味にちまちまと砕いていくような作業だと思っていたのだ。


 ただ家何個分かに相当する氷を砕くならそのような工程では到底割れそうにない。


 それを口にするとニケおじさんがほうと、声を漏らして髭を撫でた。


「そうか、お主は見たことがなかったんじゃな……。」


 ニケおじさんは海を見渡した。しばらくした後、海のある場所を指さした。


「シイナちゃん。試しにあれを割ってみてはくれんかのう。」


 指の先には流氷があった。ただ、それはラピス達のすぐ目の前に浮いている小さな流氷とは違った。


 随分と大きく、分厚い氷が海面からすっと突き出している。あれが要するに船にぶつかった時に危ない大きさなのだろう。


「分かった。」


 シイナはニケおじさんに向かって頷くと、海を眺めた。そして何かを数えるように指を動かし何かを呟いている。それが終わるとシイナは陸と海のちょうど境目、もとい流氷との境目あたりに立った。


 シイナは軽く息を吸った。彼女の目が黒く光る。


 そして地面を蹴った。

 シイナは黒光りする鋸を手に持ち、流氷の上を飛び移っていく。流氷を蹴る度、潮と雪が舞い上がりきらりと日差しに反射する。


 その光景を静かに、陸に残された三人は見ていた。軽快に飛び跳ねていく姿はまるで舞を待っているようだった。


 そして、あの大きな流氷の目の前にまでたどり着いた時、シイナは一際強く流氷を踏み込んだ。ぴしりと、踏み台にした氷にヒビが入る音がした。


 シイナが大きく飛び上がると同時に砕けた氷が舞い踊る。大きく宙を舞うシイナは伸身を翻し、流氷に向かって鋸を振り下ろした。


 ガツンという金属音とぴしりという音がした後、ぱき、ぱきりという音が響き渡りばきんと何かが砕かれた音がした。

 目の前の海に浮かんでいたあの流氷が大きな音と海水を泡立てて砕け落ちた。泡立って白くなった海水がシイナに降りかかり、流氷が作られた波に乗ってゆらゆらと揺れた。


 シイナは砕かれた氷を踏んですぐさま飛びあがり、少し前離れた流氷の上に着地した。

 耳に残る音が鳴りやむまで、三人はは揺れる海を眺めていた。


 音が収まりふと気づくと、シイナが無邪気そうに手をこちらに向かって大きく振っていた。


「どうじゃ、凄いじゃろ。」


 ニケおじさんが口を開いた。ラピスは一度ニケおじさんの方を見た後、しばらくシイナの方を目を見開いてみていた。


 シイナがぴょんぴょんと流氷の上を飛び回り陸に戻ってきた。あの柔らかい笑顔だ。


「ほんと上手くなったな。氷割るの。」

「だってもう割り続けて十年だよ。上手くなってなきゃいけないでしょ。」


 シイナはそういうものの、ジルに褒められて嬉しそうだった。


「氷を割ると言ってもなこの辺りの「冬守り」達は一際違うぞ。昔は戦にも駆り出されたくらいらしいからな。」


 ニケおじさんは、そう言うと愉快に笑った。立派な髭が揺れている。


「で、今から俺達もこれをすると。」


 ジルがサラリとそれを口にした。それとともにラピスの顔が引きつった。


「あれを、やれと………。」


 ラピスの口からそんな言葉が絞り出された。


 シイナはどうかわからないが、ジルならやらさせかねない。それが今のラピスが唯一わかることであった。


 それを感じ取ったのか、シイナは眉を八の字に曲げてくすくすと笑った。


「いやいや、流石にああゆうのはいきなりは無理だよ。割り方にも色々あるからね。もうちょっと簡単なのもあるから、それ教えてあげる。」


 ジルは既にそのやり方は知っているようでああ、あれか。納得したように呟いていた。

 それについてラピスが訪ねようとした時ニケおじさんが口を開いた。


「たしかに、初めて割るならそれが一番じゃのう。若い時を思い出すわ。わしもやったしそれを教えたりもした。」


 そう言うと、自分の記憶を懐かしむように目じりを下げた。


「多分コツ掴んじゃえばある程度のやつなら割れるようになるよ。じゃあ行こっか。」


 シイナに誘われて、一行はニケおじさんに別れを告げた。ニケおじさんは「気をつけてな。」と、元気に手を振って見送ってくれた。


 三人は海岸沿いを進んでいった。どうやら仕事場はもう少し先にあるらしい。

 移動している間、ラピスは海に浮かんでいる流氷をちらちらと眺めたりしていた。今からああいうのを砕きに行くのだ。


 シイナ曰く、先程自分がやったものより遥かに簡単ではあるとの事だがどのような感じなのだろうか。


(まあ、そこまで難しそうな感じはしないけど……)


 シイナの話し方からラピスはそう判断し、それ以降海を眺めることなく静かにオレンジ色のコートの人影の後ろを歩いていった。


 しかし、この後ラピスはこの考えは間違いであったことを嫌ほど知らされることになる。


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