矛盾は心の常とはいえ 2


 魔女の襲撃を受けたというその港街は、ひどく閑散としていた。


 建物や通りはきっちりと整備されており、大変立派な街並みが広がっている。

 それにも関わらず、人は疎らでほとんどの店はクローズの札を掲げたままだ。


「……シェリア。離れるなよ」

「うん」


 襲撃直後だ。無理もない。街はまだ、混乱の最中なのだろう。不気味な静けさに包まれてはいるが、歩みを進めれば進めるほど騒がしさが近付いてくる。

 街の出入り口や商店通りなどに人はいなかったが、彼らは何も忽然と消えてしまったわけではない。


 多くの人々が港に集まっているようだ。

 飛び交う声は、今後の予定や見通しを確認する商人らしき者達のもの。

 そして、商人の妻子だろう。子ども達だけでも避難させるべきか、どうするのか。

 様々な話し声が港を満たしている。


「……先に宿だ」


 テオドールは小さな声で言うなり、シェリアを促した。

 それなりの規模の街だから、だろう。宿は数軒ほどあるようだ。小さな宿が多いが、大半が大通りに面している。

 閑散とした街の入り口付近にするべきか。それとも、人が多い港側にするべきか。


 テオドールは、悩んだ。

 万が一があった時が、不安なのだ。


 助けを求められるのであれば、人が多い方が良いだろう。

 彼女ひとりを宿に残すこと自体、リスクが高い。


 しかし、人の目が増える分だけ彼女が危険に晒される可能性も高まるのだ。


「……テオ?」

「ん、ああ。どの宿にするべきか、考えていたんだ」


 結局のところ、自分がついていなければ不安であることは確かだ。テオドールは溜息をぐっと堪え、シェリアを見下ろした。

 そして、銀色の瞳が揺れている様を見ると、やはり自分が迷っている場合ではないと感じるのだ。


「宿は街の中心部にしておく方が安心か?」

「……う、うん。そう、かな」


 曖昧に頷くシェリアに、テオドールはまた困った。

 何せ、シェリア自身には自分の身を守る術がない。

 テオドールのように剣を扱えるわけでもなければ、魔法が使えるわけでもなかった。


 そもそも魔法など、魔法使いの血を引く者しか扱えないのだ。出自が不明である彼女に、その可能性があるのかどうかも分からない。

 下手に魔法の道具を持たせて、暴走する方がよほど厄介だった。

 特に、魔女であると勘違いされやすい彼女であれば、尚のことそうだろう。


 テオドールは思考を打ち切り、シェリアを促した。


 中央広場と書かれた看板が掲げられている公園の周囲は店も多いようだが、やはり大半が閉まっている。店主が逃げてしまったのか。客がいないせいなのか。ともかく、開いている店は少ない。


 シェリアのフードを深く被り直させたテオドールは、広場から程近い宿へと足を踏み入れた。宿内にはやはり客の姿はなく、閑散としている。

 受付の女性は、そんな静けさに不似合いな明るい調子で「いらっしゃいませー」とふたりを出迎えた。


「すまない。部屋は空いているか」

「勿論ですよ。この騒ぎですからね。お好きな部屋をどーぞ。相部屋でよろしいですか?」


 ちらりとシェリアを見た女性は、にっこりと笑みを浮かべた。

 唐突に視線を受けたシェリアの方は、困惑した様子だ。

 テオドールも、数秒ばかり止まってしまった。


「……ああ、いや。二部屋で頼む」

「かしこまりましたー。最上階にしておきますか? といっても、三階ですけどね」

「ああ、それで」

「はいはーい、では鍵を。ふたつですね。一番奥になりますー。ごゆっくりー」


 鍵を受け取ったテオドールは、傍らでぺこりと頭を下げたシェリアを見た。

 正面フロアを抜けて階段を上がっても、やはり人の気配はない。

 客など、ほとんどいないのだろう。


 鍵と同じ数字が刻まれた扉の前で立ち止まったテオドールは、すぐに扉を開いて中を確認した。


 正面に窓。両脇にベッドがひとつずつ。そしてテーブル。

 質素だが、ベッドはしっかりとしており、窓もガタついてはいない。

 窓からは港の様子が見えている。

 意図してはいなかったが、これで港の異変には気が付きやすくなるだろうと思えた。


「シェリア。鍵を渡しておく」

「うん。テオの荷物も?」

「ああ。荷はここに。貴重品は持ち歩く。だから、何かあれば全て置いて逃げるんだ。いいな?」

「……うん」


 テーブルの下に荷物をまとめて置いたテオドールは、その中から硬貨が入った袋などを取り出した。そして、それらをベルトに下げて上着で隠したあとで、シェリアに向き直る。

 

「いいか。俺以外が訪ねてきても、決して扉を開くな。だが、もし宿の中で異変を感じたら、すぐに逃げるんだ」

「……うん。大丈夫だよ。いつも通りだよね」

「ああ、……そうだな」


 "いつも通り"──そのように答えるシェリアに、テオドールは少しばかり眉を寄せた。それが日常になっていて良いはずがないとは、思っているのだ。


 しかし、魔女が人々を襲い続ける以上、警戒しなければシェリアの身に危険が及ぶ恐れがあることもまた確かだ。


「聞き込みが終わり次第、すぐに戻る。待っていてくれ」


 そう言い残して扉を開いたテオドールは、廊下に出てからすぐに振り返った。


「俺が出たら……」

「うん、鍵を閉めておく。他の人が来ても、返事はしない。大丈夫だよ」

「……ああ」


 まるで子供相手に言い聞かせるようになってしまい、テオドールはやや気まずくなってしまった。扉を閉じて数秒待てば、中から施錠の音がする。

 それを確認してから、テオドールは階下へと向かった。


 やはり、人の気配はしない。

 客は、自分達だけである可能性もある。

 そうなると、むしろ目立ってしまうだろうか。

 だが、今から宿を変える方が怪しまれるだろう。


「……考えすぎだ」


 テオドールは軽く頭を振り、次々に浮かぶ懸念を一旦思考から追い出した。

 冷静でなければ、判断を誤る。そんな時にもしものことが起きてしまったら、どうしようもなくなってしまう。


 一階のフロアへと向かったテオドールは、受付にいる女性に声をかけた。


「──騒ぎについてだが」

「あー、はい。えっと。魔女騒動ですね。お客さんも、賞金目当てですか?」

「……ああ。まあ、そんなところだ」

「ふふ、やっぱり! 騒動があってからは賞金稼ぎの人ばっかり来ちゃうんで、すぐわかるんですよー」


 二十代前半頃か。見目若く、可愛らしい印象の女性だ。どうやら退屈していたらしい。あるいは、元々話好きなのか。にこにこと笑みを浮かべては、高めの声でテオドールに答える。


「船が被害に遭ったと聞いたが」

「そうそう! そうなんですよ! おかげで物流がぱったりですよ。船から荷馬車に変更ですから、日数もかかるし、量だって制限されちゃうし、当然ですけれどね。でも、馬車も人で混んで混んで、大変だそうです」


 話としては、あの鈍行馬車の御者が言っていた内容と一致する。港街から避難する住民や、海路が使えずに荷物を移動させる商人などがいるということだろう。

 テオドールは、眉間の皺を深くした。


「ここは大丈夫だったのか?」

「あー、それはもう。はい。ここ、港から近いでしょ? でも、何ともなかったんですよー。被害は、船だけだったんですよね」

「船だけ……人的な被害はないのか?」

「そーなんですよ。本当に船だけで……船で済んで良かったと思いますけど、ミレーナさんが大変でおいそれとそんなことも言えない感じなんですよねー」

「ミレーナ?」

「え? あっ、ご存知ないですか? 物流船のたくさんを所有してる商人さんです。座商会の長さんですけど、行商会にも顔が利くっていう」

「……ほう」


 商人の事情について、テオドールはほとんど知らなかった。とはいえ、そのミレーナなる人物が個人的に狙われたわけでもないだろう。もしも狙われたというのであれば、命が無事であるとは思えない。

 つまりは、たまたまだ。多くの船を所有しているために、被害を受けたに過ぎないだろう。


 テオドールはそう判断して、「わかった。ありがとう」と軽く礼を告げた。


「いえいえー、いいですよ。ところでお客さん」


 受付カウンターから離れようとした彼を、女性のゆったりとした声が引き止めた。

 テオドールは思わず、怪訝そうな表情を浮かべてしまう。


「……何か?」

「お連れさんはお子さんですか?」

「……そう見えるか?」

「いえいえー。お若いのにな、と思って。ということは、恋人さんですか?」

「……いいや」

「あっ、そうですか。ごめんなさい。ちょっと気になっちゃって」


 シェリアについて話が及ぶなり、少し警戒してしまった。

 ただの、好奇心だろう。深い意味はないはずだ。そう思いたい。


「……」


 テオドールは軽く頭を下げ、宿の出入り口へと向かった。

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