重なる探し人 1



*




全くもって独り善がりだわ。


 ―― 気 持 ち 悪 い 。




*






 夜遅くに部屋へと戻ったテオドールは、夜が明けてから隣の部屋に向かった。

 しかし、扉の前で話しかけてもノックをしても、返事がない。

 今までそんなことはなかったはずだ。

 僅かな違和感に、テオドールは眉を寄せた。


「――……」


 まだ、眠っているのだろうか。

 有り得ない話ではない。しかし、ノックでも起きなかったことはない。

 昨日は素っ気なくしてしまった自覚があった。

 だから、早く話をしたくて、謝りたくて、テオドールは迷いながらも自分が持っていた鍵を差し込んだ。


「……シェリア。入るぞ」


 声を掛けても、やはり返事はない。

 ゆっくりと施錠を解いて鍵を引き抜いた。

 いつもなら扉に近付いてくる小さな足音は、聞こえて来ない。


 扉を開くと、室内には誰もいなかった。


「……シェリア?」


 テオドールはゾッとして室内に踏み込んだ。

 シーツが少し乱れているものの、ベッドが使われた形跡はない。

 テーブルの上には鞄が置かれている。

 窓には鍵が掛かった状態だ。


 鞄を開いて中を覗き込むと、彼女のために分けてある路銀はそのままになっていた。紐の縛り方がテオドールのものだ――開いてすらいないことが窺える。

 鞄を持ち上げると、下に書き置きが隠れていた。


 ごめんなさい


 紙面には、たったそれだけの文字が震える線で書かれている。

 数秒ほど動きを止めたテオドールは、ハッとしてその紙を持ち上げた。

 他には何も書かれていない。とてもシンプルな書き置きだ。


 昨晩。酒場で。

 彼女に何を言ったか。

 彼女は何と言ったか。


 立ち去る時の表情を、覚えていないのは見ていなかったせいだ。


 テオドールは弾かれたように駆け出した。 

 廊下を駆け抜けて受付で、あの部屋の鍵が返されたのはいつだと問い掛ける。

 慌てて宿帳をめくった女性は「今朝方、出られました。お連れ様の鍵は、後から返却されると窺っております」と困惑気味に返した。


 もらっていた鍵は三つだ。

 彼女に割り当てた部屋の分が二つ。そのうちの一つは、もう返されている。

 そしてテオドールが借りた部屋の分。


 どこへ行ったか分かるかと問い掛けたが、女性はその時間帯にシェリアを見たわけではないらしい。

 

 テオドールは宿から飛び出すと、昨晩の酒場へと足を向けた。

 まだ開店時間には程遠いが、開け放たれたままの扉から中を覗き込むと掃除をしている青年が見えた。


「――すまない。ここに少女が来なかったか?」

「え? 女の子?」

「ああ。見ていないか?」


 テオドールの問いに、青年は困った様子で首を振った。

 軽く頭を下げたテオドールは、次に宿の反対隣にある飲食店へと向かう。

 だが、そこでも少女を目撃した者はいなかった。

 人の目がない早朝――いいや、明け方頃にはもう出てしまったのかもしれない。


 しかし、路銀は置かれていた。

 彼女自身の手持ちなど、ほとんどないはずだ。


「……」


 この街から出てしまったのだろうか。だとすれば、どう探せばいいのか。


 大通りを歩きながら周囲を見回すが、どの店もまだ開く前か、開いたばかりといった様子だ。

 焦りばかりが思考を乱して、まともな考えが思い浮かばない。


 あちらこちらで町の人間を捕まえては問い掛けてみたものの、少女がひとりで歩いている姿は目撃されていなかった。

 宿場町には、旅人か商人が立ち寄るものだ。

 旅人風でもなく商人にも見えないシェリアのような、小柄な少女が歩いていれば目立つだろう。

 それにも関わらず、情報が得られない。


 宿の前まで戻ってきたテオドールは、丁度宿から出て来た商人達のために道を空けた。


「そういえば、盗賊は捕まったのか?」

「さぁなー、なかなか難しいだろうなぁ」

「人攫いも起きたって話じゃないか」

「荷物の組み直しを検討した方が良さそうだな」

「やはり、一度戻るしかないか」

「全く手間が掛かって仕方ないなぁ」


 ぞろぞろと出て来た商人達は、どうやらひとつの隊商らしい。

 その中には、見知った顔があった。

 昨晩、宿の前で立ち話をしていた男達だ。


「――すまない。少しだけ構わないだろうか」


 テオドールは、半ば諦めながらも声を掛けずにはいられなかった。

 焦っても仕方がないとは思いつつも、焦燥はどうしようもない。

 ただ努めて、焦りが表に出ないように意識はしていた。


「おっと。なんだい?」

「引き止めて申し訳ない。昨晩、ここでフードを被った少女を見なかっただろうか」

「女の子かい? さあ……見たか?」

「うーん……あ、背の低い小さな女の子のことじゃないか」

「ああ、あの子か。確かに見たな」


 二人の男は、それぞれに顔を見合わせた。あまり意識して見てはいなかったのだろう。ならば、彼女は目立たないように振る舞ったのだと分かる。


「その少女を、今朝方どこかで見なかっただろうか」

「うーん。見てないとは思うがなぁ……他に特徴はないのかい?」


 確認の問いに、テオドールは少し躊躇ってから「長い銀髪なのだが」と告げた。

 金の髪ならばまだしも、銀の髪は珍しい。

 宿場町には珍しい"少女"という特徴以外に明確な目印になることは確かだ。


「うーん、すまんね。見てないよ」

「そうか……」

「悪いね」

「いや、……引き止めてすまなかった。ありがとう」


 落胆の色を浮かばせたテオドールに対して、商人達は多少申し訳なさそうに眉を下げた。ひとり、またひとりと通り過ぎていく彼らを眺めながら、テオドールは溜め息を押し殺すことしかできない。


「そういえば」


 宿に入ろうとした時、背後から声を掛けられた。

 振り返れば、先ほど集団の中にいた男が戻ってきている。


「銀髪の女の子を探してるって話だが、その子はあんたの連れなのか?」

「……ああ」

「ちょっといい話があるんだが、買うかい? ……冗談だよ。別の宿でも、銀髪の女の子を探していたらしい」


 商談めかして話しかけた青年は、テオドールの眉間に深い皺が入るなり言葉を撤回した。代わりに、数軒ほど離れた先にある建物を示して言う。


「見たこともなかったから、聞き流してしまったが。その子と関係があるかもしれないと思ってな」

「……どの宿だ?」

「あの宿だよ。青い看板が掛かっているだろう?」


 改めて視線を転じたテオドールは、確かに青い看板を掲げた宿屋を見つけた。

 ポケットから取り出した銀貨を青年に差し出すと、少しばかり驚かれてしまった。


「いや、そんなつもりじゃあ、なかったんだけど……」

「礼だ」

「んじゃあ、いただこうかな。ああ、確か、名前を聞いたよ」


 銀貨を受け取った青年は、他に情報がないかと考えたようだ。仲間を待たせた状態のためか、少し急ぎ気味に紙を取り出した。


「ああ、そうそう。これだ、"カディアン"――もし見つけたら、この孤児院に連絡して欲しいってさ」


 差し出された紙には個人名と孤児院のものと思わしき名前が記されている。それを受け取ると、いよいよ仲間に急かされた青年が「それじゃ」と踵を返した。

 抜け駆けしやがってーと笑いながら小突かれる様子からするに、嘘ではなさそうだ。


 テオドールは頭を下げて見送った後、静かに大通りへと向かった。

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