業火のゆくえ 5


 辿り着いた宿場町は、並んでいる建物の大半が宿と飲食店だった。旅人や商人が一時的に立ち寄る場所としては申し分ない。

 宿も大小の規模はさまざまだが、あちらこちらに散らばっている。おかげで苦労せずに部屋を確保することができた。


 荷物と共に部屋に取り残されたシェリアは、荷物の確認を行なっていた。貨幣の入った袋はきちんとある。

 ロサルヒドからもらった地図もあった。テオドールが外套の内側に差し入れていたおかげだ。


 彼が必要とする荷物自体はほとんど無事であることにシェリアは安堵した。


「……」


 ゆっくりと息を吐いていく。

 荷物は最低限。食料品はその都度、買うようにしている。衣類などは置いてきてしまったようだが、元々それほど多くはない。旅に必要なものが手元に残っていることは幸いだった。


 薄暗い部屋の中、カーテン越しに外の光をぼんやりと眺める。

 部屋にいるように告げたテオドールは、こちら見てはいなかった。

 意図的に視界から遠ざけている印象だ。明らかに視線を、そして顔を、背けるような仕草であったことに、シェリアは気が付いていた。


 瞬く間に立ち上がった火柱。

 あれが嘘であればいいのに、夢であればいいのに。

 そう思うというのに、手首に薄く残った痣が盗賊達と遭遇したことを、現実だと突きつけてくる。


「……テオ……」


 彼は、どう思ったのだろう。

 何が起きたのか。それは、シェリアにも分からなかった。

 自分の手を掴んでいた男が急に悲鳴を上げて、火に包まれた。その瞬間は見ている。だが、どうしてそうなったのか。その後にどうなったのか。全く分からなかった。


 金具に紐を引っ掛けて閉じた鞄をテーブルに置いたシェリアは、静かに室内を見回した。ひっそりと、静まり返っている。

 外は少し賑やかだ。店の呼び込みや話し声、笑い声などが届いている。


 彼はどこに行ったのだろう。

 立ち去る背中に向かって、どこに行くの、とは聞けなかった。


 聞けるはずも、なかった。


「……」


 随分と時間が経っても、彼は帰らない。 

 いつも部屋に残される時に告げられる言葉も、今日は言われなかった。


 彼が以外が訪ねてきても、決して扉を開かないこと。

 彼が出たら、すぐに施錠すること。

 もし、宿の中で異変を感じたら、荷物は置いて逃げること。


 それは、ここ数ヶ月ほど繰り返し繰り返し告げられた言葉だった。

 その言葉を守って、いつも荷物の番――と称した留守番をしている。置いて逃れてもいいような、荷物の番だ。そんな簡易な役割を与えられて、ただ待っているだけに過ぎない。


「――……」


 いても立ってもいられなくなったシェリアは鍵を握り締めて立ち上がった。そして、フードを目深に被って部屋から出ると、すぐに扉に鍵を掛けてから、人の気配がない廊下を歩いていく。

 彼がどこに行ったのかは分からない。

 ただ、この遅い時間帯に話を聞いて回っているとも思えなかった。

 だとすれば、きっと飲食店――酒場あたりにいるのではないかと考えたのだ。


「盗賊が出たって話、聞いたか?」

「またかよ。厄介だな。旧街道の方が楽かもしれんな」


 宿の入り口で立ち話をしている男達の傍らを抜ける。

 少しばかり緊張したのは確かだ。しかし、男達は話に夢中で彼女に視線を向けはしなかった。


 宿の外では、周囲の店が少しずつ閉じられ始めている。

 いくつか灯りがついているのは、やはり酒場のようだ。

 通りに何軒か点々と並んでいる宿屋も、既に満室になっている場合は表の明かりは落とされている。


 暗さの増した道は、少し怖かった。

 視線を巡らせ直したシェリアは、宿の両隣の建物を見遣る。

 片方は店員が後片付けを始めている飲食店。もう一方は、まだ賑わいが深い酒場だ。


 開かれたままになっている入り口をくぐると、店内はほぼ満席になっている。

 ほとんどが商人や旅人らしい。

 テーブル席にいるとは思えず、壁際を歩いて奥を目指した。

 運が良かった――というべきか。

 それとも、彼が気を遣ったというべきなのか。


 テオドールの姿は、カウンター席にあった。


「あ、ごめんなさい……すみません」


 給仕の青年にぶつからないように気をつけながら傍まで行くと、その手元には四本もの細い酒瓶が並んでいた。

 そして今まさに、五本目の中身をグラスに注いでいたところだ。

 彼がそうして酒を煽っているところなど、シェリアはこの半年で一度も見たことがなかった。


「……テオ?」


 シェリアが傍らに寄って顔を覗き込むと、テオドールはグラスから手を離して視線を向けた。


「……来たのか」


 テオドールの低くて小さな声は、賑やかな酒場では少し聞き取りにくい。

 シェリアは更に少し顔を寄せた。


「ごめんなさい。でも、……あの、……」


 彼は酔っているのだろうか。

 言動に乱れがあるようには見えないものの、その頬は確かに赤味を帯びている。


「……すまないが」


 戸惑いを深めているシェリアから視線を外したテオドールは、グラスに残った酒を揺らした。


「少し、放っておいてくれないか……先に休んでいてくれ」

「テオ……」

「すまない……だが、一人にしてくれ。お前が、……お前のことが――」


 ――分からなくなった。


 その言葉に、シェリアは目を大きく見開いた。

 身体が強張って、背筋に震えが走って、足の先にまで震えが落ちる。


 カウンターに向き直った彼の横顔は、知らない人のようにすら見えた。


「……うん。ごめんね」

「すまない」

「ううん。ごめんなさい」


 ゆっくりと片脚を引いたシェリアは、皿を回収していた給仕とぶつかりそうになりながら酒場を抜け出した。


 たった数分のうちに周囲の店はほとんど明かりを落としている。

 シェリアが宿に戻ると、受付の手続きをしている商人達がいた。


「どうする。明日、一旦引き返すか?」

「そうだなぁ、魔物除けはこっから先にはないんだろ?」

「魔女が出たらおっかねえしな」

「魔物に魔女に盗賊ね、ああ、本当に商売上がったりだよ。まったく」


 ぶつくさと愚痴っぽい調子で交わされる声を聞きながら、シェリアは急ぎ足で廊下に入り込んだ。そして、少しずつ速度を上げて廊下を駆け抜けると、鍵を開くことさえもどかしく思いながら扉を開いた。


 震える手で何とか内側から施錠すると、寝台へと駆け寄っていく。

 途中で鍵を落としてしまったが、もうそれを気にする余裕などなくなっていた。


「――……っ、ひ、ぅ……」


 床に座り込んでベッドに縋りついたシェリアは、耐え切れずに嗚咽を漏らした。

 次から次へと溢れる涙が、じわじわとシーツを濡らしていく。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 何度も何度も繰り返して、それ以外の言葉が浮かばなくなるほど繰り返した。


 自分よりもよほど、魔女を恨んでいる彼の方が傷付いているはずなのに。

 こうして泣くことしか出来ない自分が、どこまでも情けなくて申し訳なくて堪らなかった。

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