すべては過去の餞として 3


 テオドールは眉を顰めた。

 ファムビルの言わんとしていることを、うまく理解できなかったせいだ。


 まるで、魔女をよく知っているかのような口振りに思えてならない。魔女の思惑を、目的を、知っているとでもいうのだろうか。


 しかし、テオドールが問うよりも先に、ファムビルは首を振った。


「生憎だが、魔女に関してはこれ以上の情報を持ってはいない」

「……そうか」

「ああ。しかし、推測する程度のことはできる」


 ファムビルは、眉を寄せているテオドールと不安げにしているシェリア。それぞれに対して視線を向けた。


「追え――と。魔女はそう告げている。まるで誘導しているかのようだ。憎しみを糧に、自分を追い続けろと」


 その言葉にテオドールは目を伏せた。


 当然だろう。

 あれほど理不尽に全てを奪われて、魔女を憎まずにいられるはずがない。

 テオドールだけではない。

 魔女を憎む者は、襲撃の数以上に存在している。


 魔女に憎悪を抱いている者は、生き残りだけではない。


 死者が出たわけではないあの港の者達でさえ、魔女をひとたび見れば豹変する。それは、宿の出来事でよく分かっていた。


「魔女の誘いだというのか」


 テオドールの声は震えていた。


 憎むことさえ、復讐心に駆られることさえ、魔女に踊らされているというのか。だから、ファムビルは追わずに留まるというのだろうか。


「そうだとしても、追わなければならない」


 魔女の誘いに乗らず黙って見過ごすことが賢明であるというのなら、テオドールは愚か者で構わなかった。


 睨むような視線を上げた彼に、ファムビルは口の端を僅かに強張らせた。

 その表情が何を意味するのか。

 テオドールには、まだ理解できなかった。


「……言っただろう。いずれ分かる。魔女の思い通りになど、ならないものだと」


 ファムビルが立ち上がろうとした時、一足先にシェリアが急いで腰を上げた。


「あ、あのっ……」


 予想外の行動に、ファムビルは再び腰を落とした。

 立ったままのシェリアは、ひどく緊張しているようだ。


 人と話すことが得意ではないのだろう。その程度のことは、ファムビルでさえも眺めていれば分かる。


「……ああ。何だ?」

「あの、これ、……ありがとうございます」


 そう言って、シェリアが持ち上げたのはペンダントだった。

 黙した花が秘められた雫。


 落とすことが怖いのだろう。シェリアは、革紐を手首に通して指先に巻きつけていた。


「……首にかけるものだぞ」


 ファムビルがそう言えば、シェリアは困ったようにテオドールを見た。視線を受け止めたテオドールが、こくりと頷きを返す。


 ふたりが交わした視線の意味こそ不明であったが、ファムビルはどこか微笑ましい気持ちになった。


「……ああ、よく似合っている」


 シェリアの細い首筋に革紐は少々無骨にも見えた。だが、胸元を飾る桃色の花は、確かに似合っている。


 テオドールからの感想に、シェリアは嬉しそうに頬を緩めた。

 傍目にも、年相応の少女にしか見えない。

 これが、この娘が、果たして魔女と繋がりなど持っているのだろうか。


「次はどこに行く予定なんだ?」


 ファムビルが問いを口にすると、テオドールはすぐに「プラタナスだ」と答えた。


 プラタナス――大聖堂を図書館として改築した場所だ。

 あらゆる場所からさまざまな本が集まり、いつしか街そのものを示す言葉になったほど、有名な図書館。


 図書館自体というよりは、図書館の管理者である魔法研究家に用がある。

 それを言うか否か。テオドールは少し迷った。


「魔法研究家を訪ねるつもりだな?」


 だが、ファムビルは分かったようにそう告げた。

 そうなれば、話は早い。


「……そうだ。このドームも、街自体のドームも、その研究家の成果だと聞いたが」


 街で聞きかじった情報を差し出したテオドールは、様子を窺うようにファムビルを見た。


「プラタナスの魔法研究家は一流でな。贔屓にしている」


 ファムビルの肯定はシンプルだ。

 テオドールは数拍ほど迷ったのち、確認しておくべきだと決めた。


「図書館の創設者は、魔法使いだと聞いたが」

「そうだったらしいな」

「管理を受け継いでいる者は血縁者ではないのか?」


 テオドールの問いに対して、ファムビルは頬杖をついた。

 指の背に頬を押し付けるようにして傾けている。


 シェリアはただ、静かにふたりを見つめるばかりだ。

 そんな彼女とファムビルの目が合った。


「――ロサルヒドだ。彼は創始者の孫にあたる。正真正銘、魔法使いの末裔だとも」


 実にあっさりと言い放ったファムビルは、緩やかに肩から力を抜いた。


 魔法使いの末裔。

 ならば、そのロサルヒドという人物も魔法使いである可能性は高い。

 テオドールは、有力な情報を得られて少々安堵した。


 これで完全な空振りにはならないはずだ。


「多少は話しにくいかもしれないがな」


 しかしながら、ファムビルの言葉はシェリアの不安を煽った。

 また、魔女だと罵られるのではないか。

 魔法使いだからといって、魔女を嫌悪していないとも限らない。


 不安げな彼女に、テオドールは「大丈夫だ」と言葉を向けた。

 すると、ファムビルもまた彼女に対して「大丈夫だとも」と言葉を重ねる。


「物分かりの悪い男ではない。心配するほどではないとも。少しコツが必要なだけだ」


 その口振りに、テオドールは溜め息を落としかけて堪えた。


「……分かった。礼を言う」


 テオドールにとっては、ファムビルもなかなか意味深な話し方をする。

 そんな男から尚もコツが必要などと言われる相手と話ができるのかどうか。

 不安ではあったが、試さなければ分からないこともまた確かではある。


 いずれにしても、次の目的地はプラタナス。


 緑豊かとされる街の、大聖堂図書館だ。

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