めぐり巡るもの 1



*




 愛が欲しいのなら、せいぜい這いつくばりなさい。


 落ちた幸福の欠片でも舐めていればいいのよ。



 それがお似合いだわ。




*






 翌朝。

 テオドールとシェリアは宿で朝食を済ませると、すぐに花の街を発った。次の目的地であるプラタナスまでは、いくらか距離がある。


 日が暮れる前に、できるだけ進んだ方がいい――


 テオドールのその提案に、シェリアは異を唱えることはしなかった。

 馬車を使う手がないわけではない。しかし、乗り合い馬車では、やはり彼女のことが気掛かりだった。港の件で、ここ最近の乗り合い馬車は常に満員だ。


 結局、テオドールは良い手段を見出せなかった。

 シェリアの体力では、徒歩は厳しい移動手段だ。だが、馬車を使った場合の悪い想定は覆せない。


 朝日が差し込む街道は、明るく穏やかな雰囲気だ。

 古ぼけてはいるものの、整備されている分だけ足元は安定している。


「――ファムビルさん、いい人だったね」


 街道を歩き始めてしばらくすると、シェリアは空を見上げた。

 その視界には、並んで歩くテオドールも入っている。

 見上げる視線を受け止めた彼は、少しばかり戸惑った。


「……そうだな」

「ミレーナさんのおかげかも」

「……ああ」


 確かに、ミレーナの紹介があったからこそ、話がスムーズにいったといえる。魔法研究家についても、ファムビルに頼むべきだっただろうか。

 今更のようにそう思ったテオドールはちらりとシェリアを見た。


 彼女が首から提げているペンダント──ファムビルは、お守りだと言っていた。 世話になってばかりで、返すものがない。お守りをもらった挙句に紹介まで頼むことができるほど、テオドールは器用な性格ではなかった。

 それは、シェリアもまた同じだ。

 むしろ彼女の方が、そういった頼みごとは苦手だろう。


「――テオ」


 考えごとをしていたテオドールの意識を引き戻したのは、シェリアの声だ。

 彼女が見つめる先に視線を転じてみれば、立ち往生している馬車が見えた。


「……車輪がはまっているようだな」


 嘆息したテオドールは、ちらりとシェリアに目配せをした。

 それは、もはや癖のようなものだ。

 今までに拒否されたことなどなかったが、テオドールは彼女の気持ちを尊重したかった。


 シェリアが小さく頷く。

 そうすれば、テオドールは多少大股になりながら足早に馬車へと近付いていった。


 近付いてよくよく見れば、地面のくぼみに車輪がはまり込んでいる。

 御者がひとりで馬車を押しているが、うまく持ち上がらないようだ。

 馬が懸命に引いてはいるものの、車輪に石が引っ掛かっていては意味がない。


「手は必要か?」


 街道脇に荷物を置いたテオドールは、車輪の傍で肩を落としている御者に声をかけた。慌てて顔を上げた御者だったが、旅人だとわかれば安堵をしたようだ。


「おっと、いいのかい? 悪いね。ここさえ抜け出せさえすれば、何とかなりそうなんだが……」

「では、あちら側に馬を誘導した方がいい。何か、噛ませる棒などはないか」

「そこの木枠でも構わないかい?」


 テオドールと御者のやり取りはスムーズだ。

 角ばった木製の棒を荷台から取り出したテオドールが、それを大きな石と車輪の隙間に押し込む。

 テコの原理で持ち上げようとしているらしい。


 置かれた荷物の傍らに立ったシェリアは、静かに様子を窺っている。

 荷物番という意味もあるが、自分が顔を見せることで場が荒れてしまう可能性もあるからだ。

 そのパターンは、今まで何度も味わった。

 だが今は、きちんと馬車が動くかどうかにハラハラしている。


 やがて、馬車が大きく持ち上がった。

 そして馬が鳴き声を上げ、馬車全体を街道の中央へと引っ張っていく。

 ガコンッと音がして車輪が抜け出せば、馬車はやっと水平の状態へと戻った。


「いやー、すまないね。助かったよ!」


 馬を止めた御者が馬車を迂回して戻って来る。

 すると、そこでやっとシェリアの存在に気が付いたようだ。


 あわてたシェリアがぺこっと軽く頭を下げる。


「おいおい。女の子がいるのに、歩いて移動かい? 難儀だねぇ」


 テオドールとシェリアを交互に見た御者は、驚きと感心の声を漏らした。だが、テオドールはともかくシェリアは旅慣れた様子には見えない。


「どこまで行くんだい?」


 荷物番をしているシェリアのもとに戻りかけたテオドールを、御者が引き留めた。


「プラタナスに向かうつもりだが」

「図書館かい。それじゃ、乗っていきなよ。同じ方向だ」

「……だが」


 申し出はありがたかったが、辛うじて幌はついているものの運搬用の馬車だ。乗り込めるかどうかさえ、怪しい。


 テオドールの視線から意味を察したのだろう。

 御者は一度馬車を振り返って「大丈夫大丈夫!」と笑った。


「木箱はほとんど空だから、重ねちまえばいいって」

「降ろしたばかりなのか?」

「いんや、今からだ。馬が疲れる前に助けてもらえて助かったよ」


 今から荷物が増えるのであれば、馬の体力を消耗させるわけにはいかない。

 納得した様子で頷いたテオドールは、傍らのシェリアを見下ろした。今はちょうど、テオドールの陰になる位置に立っている。


 というよりは、テオドールが彼女を隠していた。


「女の子に歩かせるには、ちょっと酷な距離だよ。乗っていきなって。なあに、助けてもらったお礼代わりだよ」


 そのように言われると、テオドールとしては拒否しにくい。御者の厚意に甘えておくのも悪くはない。


 万が一のことがあったとしても、相手は一人だ。


 テオドールは「少し待ってくれ」と御者に言い放ち、すぐにシェリアを見た。


「荷台だが、構わないか? シェリア」

「……うん。私は、大丈夫だよ。テオは?」

「俺も構わない」


 これで少しは体力の温存ができるというものだ。

 御者に頷きを返せば、すぐに荷台の整理が始まった。


「……」


 御者の男は、シェリアを見ても特に何の反応も示さなかった。

 魔女を見たことがないのか。全く知らないのか。


「……シェリア」

「大丈夫だよ」


 少し警戒を増したテオドールの袖を引いて、シェリアは微笑んだ。


「……大丈夫。だって、テオがいるもの」


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