すべては過去の餞として 2


 再びテーブルへと戻ってきたファムビルは、シェリアに小さなペンダントを差し出した。


「お守りだ」


 あまりにもシンプルな一言を前に、シェリアは困惑しながらおずおずとペンダントを受け取った。

 長い革紐の先には淡い桃色の花が入っている。まるで氷に固められたかのようだ。透明な雫型に閉じ込められている。


 まじまじと見つめたシェリアは、その美しさに目を瞬かせた。


 つやめいた表面には傷ひとつない。

 なめらかな曲線は、加工技術の高さを思わせた。

 水晶であったとしても、こうも美しい姿になるとは思えなかった。


「あ、あの、こんなに素敵なもの、いただけないです……」


 あわてた調子でシェリアが顔を上げる頃には、ファムビルは既に向かいの席に戻っていた。そして、シェリアの様子を気にするでもなくカップを持ち上げる。


「テオ……」


 困惑したシェリアは、とうとう隣の彼へと顔を向けた。

 静観を決め込んでいたとはいえ、その視線には耐え切れない。テオドールは、彼女の小さな掌に乗せられたペンダントを見た。


 雫の中に浮かぶ花は押し花ではなさそうだ。

 似たようなものは店でも見た記憶があった。

 しかし、こうも透明度の高い石など見た事がない。

 気泡ひとつ入っていない。


 相当に値が張るものなのではないか。

 こんなものを気軽に差し出されて、困惑しないはずがない。

 現にシェリアは、受け取った姿勢のまま硬直している有様だ。


 テオドールが視線を持ち上げたとき、ファムビルがやっと口を開いた。


「いずれ役に立つ。……持っておくといい」


 カップをソーサーに置く音だけが響く。


 二人は思わず顔を見合わせた。

 シェリアは、まだ困惑したままだ。


 お守りだと告げられてしまうと、無碍にはできない。

 シェリアの困惑は明らかだったが、テオドールもまたどうすればいいのか分からずにいた。


「――魔女は」


 しばらくの沈黙を経て、ファムビルが再び声を出した。


「花は散るために咲き誇ると言った。……だが、私はそのようには思わない」


 魔女の言葉を否定したファムビルは、まっすぐにシェリアを見遣った。視線を受け止めた彼女の緊張感が、テオドールにも伝わってくる。


 彼女が魔女であったなら、このように緊張するだろうか。

 魔女が彼女と繋がりを持っているのなら、彼女の緊張は尤もだと言えるだろうか。


 テオドールは浮かび上がった思考を振り払ってファムビルを見た。


「確かに、温室の花々は弔いのために始めたものだ。しかし、今や別の意味を持っている。離別の悲しみを埋めるためだけではなく、祝福の意味さえ込められている」


 ファムビルは、シェリアを見つめて微笑んだ。

 金の瞳とはまるで違う。温度すら異なるように感じられる銀の瞳。

 それを、まっすぐに見つめて彼は言う。


「魔女を追うというのであれば、私はそれを止めはしない。だが、君達に訪れるであろう困難を見過ごすことも出来ないんだ」


 ファムビルの言葉に反応したのは、テオドールだった。


 止められたところで、魔女への復讐を諦めることなど到底できない。

 シェリアのためにも、彼女の潔白を証明するためにも、もう二度と彼女が魔女などと迫害されないためにも。


 テオドールは、何があろうとも魔女を討つ気でいる。

 だからこそ、ファムビルの言葉に引っ掛かりを覚えた。


「……あなたは」


 問いかける声が、少し震えてしまう。自分自身とは異なる選択肢を選んだ男を前にして、テオドールは言葉を誤りそうになった。


 諦めるのか。逃げるのか。

 今も尚、人々を傷つけ続ける魔女に何も思わないのか――。


 責めるべき相手は彼ではない。


 テオドールは、ひと呼吸を置いた。

 あの日、シェリアをひどく傷つけた己に彼を責める資格などない。

 そう思えたからだ。


「……魔女を、追わないということか」

「ああ。私はここで花々を、そして街を守るつもりだ」


 ファムビルの肯定は、あっさりとしたものだ。


 彼としても、復讐の気持ちを失ったわけではない。

 故郷を、家族を、友人を、奪われたあの日を忘れられるはずもなかった。


 何の罪もない者達が地にひれ伏し、圧倒的な力を前に成す術なく全てを奪われた光景を。まだ言葉も分からない幼子でさえも、無残に引き裂かれた光景を。

 忘れてしまえるほど、ファムビルは無情にはなれなかった。

 自分を追えと誘う魔女の声も言葉も、そして表情も、鮮明に覚えている。


「私には……他に、やるべきことができた」


 ファムビルは諦めたという様子でもない。

 だが、魔女を追うつもりはないというのは本当なのだろう。


 テオドールはそう受け取って、肩から静かに力を抜いた。

 知らず知らずのうちに、随分と力が入っていたようだ。

 シェリアのこと、そして魔女のこととなると、どうにもその傾向がある。


 そんなテオドールの様子を見つめて、ファムビルは薄く笑った。


「君も似たようなものだろう?」

「……」


 沈黙を返したテオドールは、ちらりと隣の彼女を見た。

 シェリアはペンダントを見つめている。その横顔は、やはりどこか不安げだ。


 ファムビルは、静かに二人を見据えた。


「いずれ分かるとも――……存外、魔女の思い通りにはならないものだ」

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