すべては過去の餞として 1



*




 きらいよ。生き物なんて。


 死んでしまうもの。



 ――ほら。見て。ねぇ、……なんて呆気ないのかしらね。




*






「――来たか」


 再び温室を訪ねたテオドールとシェリアの前に現れたファムビルの声は穏やかだった。誘われるがままに花々の区画を抜ければ、ほどなくして東屋に似た一角へと辿り着く。

 着席を促されたふたりは、互いに相手を見遣ってから隣り合ってソファに腰掛けた。


「昨日はすまなかった。少し、言葉が過ぎたようだ」


 置かれていたティーセットに腕を伸ばしたファムビルは、やはり淡々とした調子で言葉を口にした。


「……いいや。こちらこそ、すまない」


 困惑しているシェリアを一瞥したテオドールは、彼女の代わりに声を出した。

 魔女の悪行に苦しめられた者は多い。それが直接的なものか、間接的なものかは意味のない問いだった。


 似ているだけだ――そう認識されること自体が珍しい。


 唐突に魔女とよく似た少女を見たファムビルは、それなりに動揺したはずだ。

 少なくとも、テオドールにはそう思えた。

 シェリアを初めて見たときの自分は、正しく判断できなかったからだ。

 その点、昨日のファムビルは、かつての自分よりずっと冷静だったように見えた。


「何を聞きたいのかは知らないが、私もそれほど多くの情報を持ち合わせているわけではない」


 ファムビルはそう言いながら、紅茶で満たしたカップをふたりの前に置いた。

 そして、シェリアを一瞥するなり、砂糖とミルクの容器まで添える。


「些細なことでも構わない。魔女について、知っていることを教えて欲しい」


 彼が椅子に腰を下ろしたタイミングで、テオドールが口を開いた。


「……差し支えなければ」


 そう付け足したのは、ファムビルもまた魔女の被害者であると知っているためだ。 彼が語りたくないことや知られたくないことまで、情報として欲しているわけではなかった。

 テオドールの気遣いを察したらしいファムビルは、口の端を薄く持ち上げた。


「情報は多くないが、私も元々は魔女を探していた身だ。協力する気はあるとも。そうでなければ招き入れはしない」


 ファムビルは目を伏せて笑うと、カップを口許に運んだ。

 あのミレーナが、わざわざ紹介して来ただけあるというべきか。

 協力の姿勢を見せてくれるだけでも、テオドールとしては有り難かった。


 カップをソーサーに戻したファムビルは、おもむろに口を開いた。


「魔女の襲撃に遭ったのは、十六年前……当時の私は十二歳だった。生き残りは私だけだ」

「……魔女と話を?」

「ああ。空中から地に降り立ち、屍の上で笑っていた。……忘れもしない。忘れるはずなどない」


 じっと、ただ話を聞いているシェリアに、ファムビルの視線が向く。

 緊張気味な銀の瞳を見つめて、彼は静かに息を吐いた。


「――花は散るために咲き誇る。赤ん坊は良い、無垢で染まりやすいから……そのように言っていたな」


 生き残りはひとり。

 それも年少者だ。だが、最年少とは限らない。

 襲撃のとき、テオドールは七歳。まだ幼かった弟は、無残にも事切れていた。


 生き残りは、意図的に選ばれているのだろうか。


「……陳腐な言葉だ。何も新しいことなどない。有り触れすぎていて有益な話ではないな」


 テオドールの思考を遮ったのは、ファムビルが落とした言葉だった。


「立ち去る間際に残されたのは、戯れのような言葉だった――」


 静かに息を吐き出したファムビルの口から紡がれた言葉に、テオドールは息を呑んだ。


 『だから、この街でひとりだけ残してあげるのよ』

 『探してごらんなさい』

 『これはお遊び』

 『あなたと私のかくれんぼよ』


 ファムビルが語る魔女の言葉は、テオドールにも聞き覚えがあった。正確には異なる。しかし、よく似た言葉だ。


 追いかけろ。鬼ごっこだと。


 あの時。

 魔女は確かに、テオドールへそう告げた。


「……似たような言葉を聞かされたか?」


 言葉を失うテオドールに向かって、ファムビルは緩やかに肩を竦めた。

 シェリアは、ただ不安そうに二人を見つめているだけだ。何らか、言葉を挟むようなことはしない。


 とはいえ、それは元々だ。

 シェリアは、話を遮ったり前に出たり、目立つことをするタイプではない。


「……俺の時には、追いかけろと言っていた」

「そうか。さほど違いはないな。自ら近付けと言っているに過ぎない」

「……何故だ」

「理由は分からない。だが、その後、魔女から接触された者はいない」


 ファムビルの言葉にテオドールは眉を顰めた。


「……他の者達も、そうなのか?」


 魔女は襲撃の際、ひとりだけ生かして残す──その情報は確かにテオドール達も手に入れていた。

 だが、そこから先の話は途切れたままだ。


 シェリアの肩が小さく震えた。


「――ああ。生き残りは、再び襲われてはいない」


 静かに肯定を返したファムビルは、視線をゆっくりとシェリアに転じた。


「君は、魔女に会ったことはあるのか?」


 ファムビルの問いに、シェリアは俯いた。

 それは、かつて一度だけテオドールも口にした問いだ。


 しかし、あの時はタイミングが悪かった。


 怯えた彼女から、その答えを聞き出すことは出来なかったのだ。


「……私」


 シェリアが静かに口を開く。

 その声は震えていて、肩を小さく縮めている様子は怯えが滲んでいる。


 無理をするなとテオドールが言うよりも先に、シェリアは顔を上げた。


「……声を、聞きました」


 見た、でもなく。

 会った、でもない。


 思いもしない肯定に、テオドールは思わずファムビルを見た。

 しかし、ファムビルの方は予想していた通りだったらしい。

 特に驚いた様子もない。


「そうか。それが分かって良かった」


 そう言うなり、ファムビルは立ち上がった。

 反射的にテオドールが警戒を強めたが、立ち上がった彼はただ背を向けただけだ。


「少し待っていてくれ。渡したいものがある」


 薄らと口の端を持ち上げて振り返ったファムビルは、まっすぐにシェリアを見据えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る