花の香りに包まれて 4


 食事さえ終えてしまえば、やるべきことなど特にはなかった。

 情報収集は昨日中に済ませておいたから――そう答えたテオドールだったが、情報などいくらあっても良いことくらいは分かっている。


 ただ、彼女には"何でもない時間"を過ごして欲しかった。

 今くらいは、魔女から離れても良いだろうと思えたのだ。


「……」


 それさえも、自らのエゴだとテオドールは自覚していた。

 しかし、ドームに包まれた街を歩く彼女は、とても楽しげだ。

 店を覗き込んでは興味深そうに見つめ、時々彼を振り返り、また歩いていく。


「……買うか?」


 不器用なテオドールの問いに、シェリアは笑って首を振る。

 彼女は着飾らない。

 服は最低限で、アクセサリーの類は持っていなかった。


「ううん。見るだけで楽しいよ」


 シェリアはそう言うと、再び店へと視線を転じた。

 花をモチーフしたアクセサリーが並ぶ。

 隣の店には、レース編みと花の装飾品があった。

 淡い色合いの花のブローチや髪飾りもある。


 しかし、彼女は欲しいとは言わなかった。


 確かに路銀は潤沢ではなかったが、切り詰めなければならないほどでもない。


「シェリア」


 何軒目か。

 小さな花束ばかりを売っている店を出た時、テオドールは再び問いかけた。


「欲しくなったものは、ないのか」


 しかし、シェリアは首を振る。


「ううん。見るだけでいいの。ありがとう」


 テオドールは、何か物を与えたいわけではなかった。だから、そのように言われてしまうと、何も言えなくなってしまうのだ。


 そんな彼にシェリアは微笑んで、礼を告げる。


 シェリアは、着飾りたくないわけではなかった。

 だが、こんなに繊細なものを旅の中で守ることができるとは、思えなかったのだ。


 壊してしまったら。

 汚してしまったら。


 そうなった時、きっと彼に謝らせてしまう。

 彼はきっと自分の責任だと思ってしまうだろう。


 だから、――シェリアもまた、彼から問われる度に困っていた。

 いつか魔女の脅威がなくなって、旅も終わったら。

 その時、彼は一緒にいてくれるだろうか。こんな風に装飾品を一緒に選んでくれるだろうか。


 シェリアは、未来を考えることが怖かった。


「……そうか」


 静かな頷きと共に声を返す青年は、不器用で優しい――少なくともシェリアはそう思っている。


 一度も、恨んだことなどなかった。

 彼が、罪悪感を秘めていることは知っている。しかし、それをどのようにして解けばいいのか。シェリアには、分からなかった。


 テオドールもシェリアも、互いにひどく不器用なのだ。


「うん。あっ、これ……知ってる? これね――」


 テオドールが見ても違いなど分からないような花の名前を、シェリアはよく知っていた。本当なら寒い場所に咲くのだとか山の花なのだとか、楽しそうに話す横顔は彼の知らないものだ。

 花を可愛いと言い、綺麗だと言い、アレンジされた花束を見つめては淡い銀の髪を揺らしている。


 どこで知ったのだろう。

 見たことがあるのだろうか。

 本で知ったのだろうか。

 それは、どのような本だったのだろうか。


 テオドールは、シェリアのことをほとんど知らないのだと思い知らされた。それと同時に彼女が本当にただの少女なのだと、改めて突きつけられる。


 この少女が花も人も同じだと、簡単に手折ることができるだろうか。

 いつか見た光景と、すぐ傍にいる彼女の姿が重ならない。

 まったく、重ならないのだ。

 テオドールは眉を寄せたあと、ハッとして表情を改めた。


 彼女を魔女だと罵った者達と自分に、いくらの差もないとテオドールは思っている。言い知れない罪悪感は、旅を続ける間にも彼の胸を蝕んでいた。



「――ねえ、テオ」


 街の外れまで歩いていくと、建物の代わりに花々が大地を埋め尽くしていた。

 朽ちかけている木製の柵も蔦と花に支配されつつある。


 少しずつ日が傾き始めた空のもと。

 花に囲まれたシェリアが、振り返りながら微笑んだ。


「楽しかった。ありがとう」


 そして、こんな些細な一日の礼を告げる。テオドールは違うと言いたかった。 そうではないのだと、否定したかった。

 ただ街の様子を眺めて、店を見て歩くだけの、普通の少女であれば簡単に許される程度の。そんなことをする時間を作っただけで、感謝されたいわけではなかった。


「――……シェリア」


 テオドールは、掠れた声で彼女を呼んだ。


 もう何度も呼んだ名前だというのに、今更のように緊張で喉が震える。


「なぁ……シェリア」

「うん」


 空を見上げていた彼女の目が、ゆっくりとテオドールに向いた。

 どこまでも純粋な色を溶かした銀の瞳。

 金とは、ほど遠い銀色。

 まっすぐに向けられた視線の分だけ距離を詰めたテオドールは、静かに息を吐いた。

 

「もし、旅が無事に終わったら――」


 魔女に復讐を果たして。

 彼女が普通に生きていくことができるようになったら。

 その時は。

 その時になっても。



 共にいて、良いのだろうか。



 テオドールは言葉に迷って、とうとう声を途切れさせた。

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