花の香りに包まれて 3


 ──夢を見た。



 淡い金の髪を持った少女と、その手を引く青年がいる。

 彼らにこちらの姿は見えていないらしい。

 見つめ合う二人の周囲には、たくさんの花が咲き誇っている。

 花園と呼ぶべきだろう。

 鼻先をこすり合わせて笑う二人は、とても仲睦まじい。


 何かが落ちる音がした。


 振り返れば、暗い石床が見える。

 冷たい床の上に転がっているのは、無骨な鎖と枷だ。

 表情などない無機質なそれらは、触れるべき先を失ったままになっている。


 再び、前を見る。


 金髪の少女が、何かを抱いていた。

 よくよく見れば、それは目を閉じた青年の首。

 眠った彫刻のようにも、現実的な生首にも見えた。


 少女がゆっくりと振り返る。

 息を飲んだ時、少女はうっとりと目を細めて微笑んだ。

 そして、ゾッと震えが走るほど低い声で言う。



「────、────!」



 その瞬間、シェリアは飛び起きた。

 荒れた呼吸が肺を震わせ、喉奥には深い乾きがある。

 室内にいるのは、自分とテオドールだけだ。

 床も木板で、石ではない。差し込むのは、朝日だけだ。


 他には、誰もいない。

 夢だった。


 何もかも、夢。


「……ゆめ……」


 シェリアは静かに息を漏らした。

 まだ、心臓がうるさく跳ね回っている。

 胸を押さえ込んだところで意味などない。


 ひどく、苦しい夢だった。

 そして、とても悲しい夢でもあった。

 あの夢を見たのは、一度や二度ではない。

 だが、毎夜と言えるほど頻繁でもなかった。


 彼女は、いったい誰なのか。

 彼は、いったい何者なのか。


 問いかけようにも夢の中で、自分に声は与えられていない。

 シェリアは、胸元を押さえながらうずくまった。

 こみ上げてくる感情が誰のものなのか、分からない。

 だが、ただただ悲しかった。


 しかし、それが、どうしようもなく恐ろしい。


 青年は、殺されてしまったのだろうか。

 それなら、殺したのは誰なのだろうか。

 彼女なのか。ならば、どうして微笑んだのか。

 考えを深めるほどに分からなくなってしまう。


 この悲しみは、辛さは、苦しさは、誰のものなのか。

 シェリアは両手で顔を覆い、ゆっくりと息を吐いた。




 ***




 テオドールが目を覚ましたのは、市場に人が増え始める少し前のことだ。自分より先に起きていることにテオドールが驚くと、珍しく先に早起きができたのだとシェリアは笑った。


 あの後、眠れなくなってしまったのだ。

 再び瞼を下ろせば、あの光景が浮かび上がる気がしてしまう。


 夢の中にいた青年は、テオドールではなかった。

 それどころか、知った誰かの顔でもない。

 あの少女も、そしてあの青年も、いったい誰なのか。

 考えたところで、記憶にもない相手を知ることはできない。


「──シェリア」


 テオドールの呼び声に、シェリアはハッと顔を上げた。


「眠れなかったのか?」

「……ううん。そんなことないよ」

「なら、いいが……とにかく、夕方には温室へ行く」

「うん。……えっと、明日の朝に出発だよね」


 朝のうちに予定の確認をするのは、二人にとっては習慣だった。

 どちらが言い出したわけでもない。

 いつしか、二人の中でそうすることが当たり前になっていた。


 言葉とは裏腹に目を伏せてしまっているシェリアに対して、テオドールは少し迷った。


「……どうする。今日は街を見てみるか?」

「え?」

「どうせ、あいつに会うのは夕方だ。それまで時間がある」


 次に迷ったのはシェリアであった。

 彼女がいつも留守番をしているのは、結局のところ魔女に似た自分をテオドールが連れ歩くことのリスクが高いからだ。彼にそう言われたわけではなかったが、事実として支障があった過去がある。


 迷うシェリアに、テオドールは頷いてみせた。


「俺が傍にいる」


 シェリアは普段から移動以外の外出は控えている。

 それは魔女の話について、直接は聞かせたくないというテオドールの気持ちも関係していた。

 加えて、魔女であると誤解を受ける可能性を少しでも回避したいせいだ。

 

 部屋の中、ひとりきりで荷物の番をしている彼女が、何を考えているのか。テオドールには分からない。だが、港の街では宿にいても結果的には同じだった。


 傍にいた方が良いのではないか。

 テオドールは迷いながらも口を開いた。


「……シェリア。一人にはしない。だから、街を見て回ろう」


 その言葉に、シェリアの表情が少し明るくなった。


「うん。離れないようにするね」


 嬉しそうに頬を緩める彼女の様子を見て、テオドールは四肢に力を入れた。

 花という商品は寿命が短い。だから、街に出入りする人間は多く、そして頻繁だ。気をつけるべきだとすれば、よからぬ者達に囲まれた時か。


 気を引き締める必要がある――テオドールは、落ち着くために一度だけ深呼吸をした。

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