揺らぐ月 4


 ミレーナと別れたテオドールは、魔女の噂が届いていないか町の人々に聞いて回った。そうしなければ、余計なことを考えてしまいそうだったからだ。

 しかし、魔女の話に集中しようとしても、結局はシェリアを思い出してしまうだけだった。


 分かり切っている。だが、テオドールにはもう、復讐の道以外に選ぶ先が見つけられなかった。


「――……」


 港街からそれなりに距離のあるこの町にも、船が燃え上がったという話は伝わっていた。しかし、有力な情報はなさそうだ。直接見たという者はおらず、話を聞いた、伝え知ったという者達ばかりだ。


 これでは意味がない。

 自分達が部屋を取っている宿とは別の宿屋に向かったテオドールは商人達にも話を聞いてみた。よくよく聞けば、ミレーナが滞在しているために滞在期間を延ばし、あるいは彼女の予定に合わせてこの町に来たらしい。


 ミレーナ本人から詳しい話は聞けていない。

 だが、彼女がここにいることと検問の件は無関係ではなさそうだ。

 なるほど。確かにミレーナは、力を持った商人なのだろう。商売を行なう者達にとって――座商だろうが行商だろうが――ミレーナの影響力は相当強いようだ。

 滞在期間中に少しでも取り入ろうとしている魂胆が垣間見えて、テオドールは少しげんなりした。


 だが、商人達から聞いた話はそれだけではなかった。


「……屋敷、か」


 風車のある街で一軒の家が突然燃え上がったらしい。

 不審火なんておっかないなと肩を竦める商人に礼を告げたテオドールは、考えごとをしながら表通りを進んだ。


 燃え上がったそれは、彼女が――シェリアが逃げ込んだ民家のことなのではないか。少なくとも風車のある街で不審な火事が発生したことは確かだ。

 ここでも再び繋がってしまって、テオドールは深々と溜め息をついた。


 彼女は魔女ではない――。


 だとしても、全くの無関係であるとは思えない。

 しかし、何らか関係があるとは思いたくないのだ。

 矛盾を抱えながら宿に戻ったテオドールは、シェリアの部屋の前で足を止めた。


 声は、聞こえて来ない。

 カディアンと外出中だろうか。


「……」


 テオドールは、ノックをしようとした腕を下ろした。

 普段は荷物番だなんて言い方をして、隠れさせていたのは自分だ。


 少しくらい、気楽に過ごさせてやりたかった。


 何より――。彼女の言葉を無視してまで、アジュガに戻るべきだと告げた自分がこれ以上、彼女に何を言えるだろうか。

 何を言ったところで言い訳だ。そして、何かを言ったところで彼女を困らせるだけに違いない。


 そう考えてしまえば、テオドールはもう扉に手を伸ばすことさえできなくなった。




 * * *




 夕方ごろ。

 部屋に戻っていたテオドールは、ふと目を覚ました。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 夢を見たような気もするが、もう覚えてはいなかった。


 身体を起こしても、室内に彼女の姿は見当たらない。別の部屋だったと思い出すまで、数秒ほどを要した。


「……」


 結局、食事もしないまま一日を過ごしてしまった。

 何をしているのかと、自分でも呆れてしまうくらいだ。


 しかし、不思議と空腹感は薄かった。


 湖畔の宿場町はのどかだ。

 外ではゆったりとした時間が流れている。

 日中に眺めた光景は、どうしようもなく穏やかで、文句のつけようもない。


 そんな光景が、町の様子が、故郷に似ていて辛かった。


 テオドールは、ちらりと扉に視線を転じた。

 もう彼女が訪ねて来ないだろうことは分かっている。それでも、少し思ってしまうのだ。そこにいたなら、何と声を掛けるべきだろうか。


「……だめだな」


 低い声を漏らしたテオドールは、ゆっくりと立ち上がった。

 変な姿勢で眠っていたのだろう。

 少し軋む背を伸ばして、腕を軽く振る。

 身体を解しながら窓辺に近付くと、少しずつ傾き始めている太陽が見えた。


 ミレーナのことを話すべきだ。

 そして、ガレキ街から船が出る話をしなければならない。

 目的地が決まれば、今度はルートを考える必要がある。

 次の満月はいつだったか。


 そこまで考えて、無意識のうちに溜め息を落としていた。


 やるべきことは多い。しなければならないことも多々ある。

 行動を起こすべきだとは思っているものの、気乗りしない理由など明らかだった。


 だが、仕方がない。

 彼女のためだ。

 それが、自分のためでもある。


 彼女の気持ちを無視してまで、そうするべきかどうか。

 そう考えてしまうと、また迷ってしまう。だから、今は自分の気持ちも無視せざるを得なかった。


 扉を開くと、廊下にはカディアンがいた。

 彼もまた、部屋から出たところだったようだ。


「……何か食べたのか?」


 カディアンからの意外な問いに、テオドールは少し面食らった。

 そのような質問が向けられるとは思いもしなかったせいだ。


「……いいや」

「食べてないのか? じゃあ、一緒に食べないか? あっちに食堂があるし」


 そう言って、カディアンは廊下の先を示した。

 テオドールが返事をするよりも先に、彼の手はすぐ隣の扉へと伸びる。


 そして、軽いノックの後で「シェリア、ごはんに行こうよ」と誘った。


 返る声はない。

 ただ数秒ほどして、扉が薄く開いた。

 シェリアがそっと廊下の様子を窺ってから、ふたりを見つけて肩の力を抜く。


 それは、テオドールが教えたことだ。

 ノックには声を返さないこと。扉はすぐには開かないこと。開く場合は外を確認すること。知っている声だと思っても、姿を見るまではそうと決めて掛からないこと。


 自分の指示がすっかりクセになっている様子に、テオドールは喉奥で溜め息を押し殺した。


 彼女が単なる少女として生きる道を、自分が塞いでしまったのではないか。

 魔女ではないと言っておきながら、隠れて生きるよう強いていたのは自分ではないか。


 テオドールは言いようのない罪悪感に苛まれ、耐え切れずに一足先に歩き出した。

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