巡り合うための 2


 一時間ほど前──先に馬車から降り立った女性を見送る際、もう一度だけ誘われたものの、シェリアは首を横に振った。

 気持ちは確かに嬉しかった。彼女のおかげで道中の心細さが薄れたことは確かだ。


 しかし、彼女が母親で、そしてその腕には赤ん坊がいた。両脇には小さな子どもだっている。


 自分と一緒にいて、もしも母親の彼女に何かあったら――。


 そう思うと、彼女と同じ場所に降りる気にはなれなかった。子ども達から母親を奪うようなことは、したくなかったからだ。


 沈黙の中で馬車に揺られる時間は、短くもあり長くもある。他に客を乗せることもしないまま、馬車は旧街道を進む。

 正確な時刻は分からない。だが、太陽の位置から考えるに、昼はとうに過ぎていた。


「……テオ……」


 ぼんやりと思い浮かべるのは、テオドールのことだ。

 置き手紙には、これといって詳細なことは何も書かなかった。

 書けなかったというべきだろう。

 シェリアは、自分の気持ちをうまく文章にできる自信がなかった。


 この半年の間、旅の中で得た知識は多い。

 その大半は、彼から授けられたものだ。

 地図の読み方も、太陽の位置から時刻を割り出す方法も、彼に教えられなければ知らなかった。そして、生活に必要がなかったことも確かだ。


「……」


 魔女だ――と。

 あの日、彼がそう言い放った時、ひどく怖かった。

 あの時のことを、シェリアは鮮明に覚えている。

 追いかけてきた彼が怖くて裏口から飛び出したものの、すぐに動けなくなった。

 仕事仲間だった給仕達に制止されて、それでも尚も剣を突きつけてきた彼の表情。


 憎悪に満ちたあの瞳は、到底忘れられそうにない。


「……ごめんなさい」


 膝を抱えたシェリアは、消え入りそうな声で言葉を落とした。

 騙していたわけではない。本当に、自分が何者なのか分からない。

 だが、自分が一緒にいるせいで彼が疑われたことは一度や二度ではなかった。

 盗賊達を包んだ火柱も、一歩間違えれば彼に襲い掛かっていたかもしれない。


 ロサルヒドが言った通り、魔女は本当に"ふたり"いて、そして自分はその片割れなのかもしれない――。


 そう思うと、怖くて仕方がなかった。

 彼を傷つけたくなくて、恐ろしくて堪らない。


 そして、酒場で見た彼の様子が――決定打だった。


「……」


 もう一緒にはいられないのだと、胸が痛くなった。

 彼が悪いわけではない。あんな光景を見せられて、恐ろしくならないはずがない。シェリア自身、不可解な火柱が恐ろしくて堪らなかったのだから。


 馬車に揺られながら、ぼんやりと窓の外を見遣る。

 車輪から伝わる音が変わってしばらくすると、前方の御者席から声が飛んできた。


「――お嬢ちゃん。そろそろ街につくよ」

「……あっ、は、はい。ありがとうございます」


 フードを目深に被り直したシェリアは、馬車のスピードが緩まるにつれて息を詰めた。

 緊張が走って胸の奥が痛い。だが、これからはひとりで何とかするしかないのだ。

 ゆっくりと深呼吸をして、どうにか落ち着けるように努める。

 例え心当たりがなかったとしても、妙な挙動をしていれば怪しまれるものだ――彼は、そう言っていた。

 堂々としていればいい――と。


 やがて馬車が止まると、ほどなくして扉が開かれた。

 

「最近は何かと物騒だからね、気をつけるんだよ」

「……はい。ありがとうございました」


 馬車から降りたシェリアは、礼を告げて頭を下げた。

 本当なら、ここまで来られる旅費はないのだ。厚意に甘えさせてもらった形になってしまう。


 立ち去る馬車を見送ってから振り返ると、街に大きな風車があることに気が付いた。それは街の中心部に位置しているのだろう。

 大きな風車を目印にしてシェリアは歩き出した。


 宿はあるものの、所持金から考えると心許ない。

 部屋を取ってしまうと、食費は残りそうになかった。

 それなら、優先させるべきは食事だ――とテオドールの言葉を思い出す。


 シェリアは苦笑いを浮かべた。


 彼から離れたのに、彼のことばかりが頭に浮かぶ。

 こんなことではだめだと首を振り、何か仕事ができないかと大通りを歩きながら店を眺め始めた。必ずしも、働き手を募集する張り紙が店先にあるわけではない。

 手がかりがないのなら、聞き込みをしなければならないだろう。

 どうにかして、お金を稼がなくてはならない。


「お嬢ちゃん」


 求人の張り紙がないかを気にして店を眺めつつ歩みを進めていると、背後から声を掛けられた。おずおずと振り返れば、そこには中年の男が立っていた。

 通りを行き交う人々の間では、少しばかり毛色の違う格好をしている。

 街の住人というよりも、旅人に近い服装の男だ。しかし、少し軽装ではある。

 商人だと思わしき様子ではなかった。


 シェリアは困惑しながら、フードの縁を軽く摘んだ。

 あまりにも、じろじろと見られたせいだった。


「ひとりかい?」

「は、はい……」

「ほう? 連れは誰もいないのかい?」

「い、いないです……」


 シェリアは、困惑を深めながら言葉を返した。

 何が知りたいのかが分からなくて、身体が強張っていく。


「そうかそうか。、いないんだな?」


 念を押すように問い掛けた男は、口の端を釣り上げて笑みを浮かべた。

 決して友好的ではないその表情に、ぞっと背筋が震える。不用意な返答をしてしまったのだと気が付いたのは、その瞬間だ。

 男が一歩を踏み出したと同時、シェリアは弾かれたように駆け出した。

 

 大通りを駆け抜けて、行き交う人々の間に飛び込んで、更に進む。賑わう市場を越え、風車の足元を通り過ぎて、更に走った。喉が乾いて息が途切れがちになっても、走る足を止められない。


 片手で路銀の入っている懐を押さえながら、もう片方の手でフードを押さえて周囲に人の姿が疎らになっても走り続けた。そして、店先に高々と積み上げられた木箱の山を曲がり、細い路地を抜けていく。

 行き止まりになるかどうかよりも、ただただ男から距離を取りたかった。

 だが、路地が途切れたあたりからは森の入り口になっている。


 背後を振り返ったシェリアは、錆びた門扉を押し開いて手入れのされていない民家の庭へと入り込んだ。

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