目覚めの悪い朝であれば 3


 港街に魔女が出た──。

 テオドールが市場で仕入れた話を聞いたシェリアは、困ったように眉を下げた。


 テオドール自身も、あの時と──彼女と出会った時と、あまりに酷似した話だと思ってはいる。しかし、今回の目撃証言は明確で、複数の目撃自体に共通している部分もあり、実際に被害が出ているのだ。


 説明を受けたシェリアは、曖昧な調子で頷いた。


「……その港街に行って……確かめなきゃ」


 彼女が気乗りしていないことは、テオドールにも分かっていた。

 しかし、旅の目的を考えれば彼女が言った通り、確かめる必要がある。

 確かめなければ、先には進めない。


「ああ。すまない」


 次の港街は、ふたりが出会った街ではない。

 しかし、似たような風景によって思い出すことはあるだろう。

 例の一件により、給仕として働いていたシェリアは職を失った。


 魔女だ──などと軽率に叫ばなければ良かったと、テオドールは何度も後悔したものだ。


「ううん。大丈夫だよ」


 しかし、その度に彼女は今のように首を振る。


 遅かれ早かれ、いつかは誰かが魔女だと指をさすに違いない。

 それがたまたまテオドールだっただけの話だ──と、彼女は言う。


 テオドールは、その言葉を否定できなかった。


 彼女は、あまりにも魔女とよく似ている。

 髪も目も、色が異なるというのに、だ。

 似ているように、感じてしまう。

 一度でも魔女を見た者にとって、彼女は似すぎている。


 実際に、その顔立ちは魔女と瓜二つだ。


 幼い頃に見た魔女の姿と、彼女の姿は確かに重なる。

 テオドールは、ひどく申し訳ない気持ちになっては、彼女のためにも早く魔女を討ち取ろうと誓うのだ。


 魔女が悪事を繰り返す限り、シェリアには謂れのない迫害が待っている。


「……なら、少し休憩を取ったら出発しよう」

「うん」


 テオドールから見たシェリアは、とても大人しい少女だ。

 人を殺すどころか、喧嘩をしている者達のことすら怖がっている始末。

 ほっそりとして華奢で、頼りなさが目立つ薄い身体。

 よくよく見ていれば、振る舞いや仕草などは魔女と似ても似つかない。


 それでも、何故だろうか。

 夕暮れどき。淡い灯りの中で。焚き火の色を受けて。

 彼女の──シェリアの銀色の髪が、金色に見えてしまうことがしばしばあった。


「……」


 そうだとしても、彼女は魔女などではない──片付けを始めたシェリアを見つめながら、テオドールは口を引き結んだ。


 この少女を魔女だと誤認したのは、彼だけではなかった。

 今までに幾人も、彼女を魔女だと罵り、追い出し、追いかけ、捕えようとしたのだという。


 その恐怖は如何程のものだったのだろうか。

 テオドールは、想像しきれない彼女の心を思っては己の軽率さを恥じた。


 シェリア自身についてテオドールが知っていることは、それほど多くない。

 もともと孤児院で育った彼女は、魔女であると言われて連れ出され、乗せられた馬車ごと何者かに襲われた挙句、命からがら逃れたのだという。

 小さな町や村を転々として、やがて辿り着いた港街で職を得たのも数ヶ月。

 テオドールの放った一言によって、彼女は仕事を失ってしまった。たった一言。魔女だと、そう叫んでしまったからだ。


「……テオ?」


 考え込むテオドールに対して、シェリアは不安そうな眼差しと共に声を向けた。

 何を思っているのか、何を考えているのか──シェリアは時々、こうして黙り込む彼に不安を覚えていた。しかし、教えて欲しいとは言い出せずにいる。


 ゆっくりと顔を上げたテオドールは、ぎこちなく笑みを浮かべて首を振った。


「何でもない。準備はできたか」

「うん」

「なら、出るぞ」


 準備──といったところで、ふたりは最低限の道具や着替えを持っているだけだ。

 荷物自体は、さほど多くない。


 一度自分の部屋に戻って荷袋を背負ったテオドールは、廊下を窺うシェリアから鞄を受け取った。


 階段を下りて受付へと向かい、後払い分の宿代を支払っている時のことだ。

 背後の入り口から入って来た若者の集団に、シェリアがそわりと落ち着きをなくした。その様子に気が付いたテオドールは、空いた手で彼女を抱き寄せた。


「……フードを」


 テオドールの一言に、外套のフードを被ったシェリアは、それでもまだ不安げだ。

 代金の支払いを済ませ、若者達の傍らを通り過ぎる間、シェリアはテオドールの服をきつく握り締めていた。

 外へと向かうまでの、たった十数歩だ。

 彼らが、指定された魔物の討伐などで生計を立てている賞金稼ぎであることはすぐに知れた。


「そういえば」

「ああ、魔女だろ」

「やめとけやめとけ、さすがに無理だって」

「いくらになるんだろうな?」

「そら、お前。たんまりいただけるだろうよ」

「だから、魔女だけはやめとけって。死にたがりかよ」


 若い男達の声を聞きながら、ふたりはやや急ぎ足で宿を後にした。

 魔物を討伐するハンターが"バケモノ退治"の一環として、魔女を狙おうとする話自体はよく聞くものだ。だから、彼らが特にシェリアを狙って追いかけてきた訳ではないだろう。


 しかし、シェリアはひどく緊張していた。


「……シェリア。あまり気にするな。誤解を受けるぞ」


 宿から離れて大通りに入り込み、人ごみに紛れたあたりでテオドールは彼女の肩から手を離した。

 だが、シェリアは彼の服を握り締めた手から力を抜けそうにもない。


「……うん」


 頷く声は小さく、雑踏の中で消えてしまいそうなほどだ。

 テオドールはまっすぐに前を向きながらも、傍らの小さな身体がはぐれてしまわないように気を配る。

 それが、ここ半年ほどの習慣になっていた。

 誰かが彼女に手を伸ばさないように、彼女が何か恐ろしいものを見ないように。


「シェリア」


 テオドールにとっての彼女は、既に唯一の存在になっていた。

 それを伝えたことはない。彼女がどのように感じているのか、テオドールは確かめたくなかったのだ。

 もしも、恨んでいると言われたら。憎んでいるのだと言われてしまったら。


 それが恐ろしいなどと、本当にひどい男だ──テオドール自身、そのように感じてはいた。自分が彼女にした仕打ちは償い切れないと感じているというのに、自分は彼女に憎まれることを恐れているのだ。


「……お前は違う。大丈夫だ」


 街のはずれまで歩き、駆け抜ける馬車が見えている街道へと向かう。

 大丈夫だ。お前は違う。平気だ。お前は違う──それは、今までに幾度繰り返したかも分からない言葉だった。


「……うん」


 先ほどと同じように小さな頷きだけを返すシェリアは、いったい何を思うのか。

 テオドールは、未だ一度も聞けずにいる。


 ──大丈夫だ。彼女おまえは違う。


 テオドールがそう言い聞かせている相手は、自分自身でもあった。


「お前は、魔女ではない」


 それを証明するためにも、悪魔の如きあの魔女を討ち取らなければならない。

 テオドールはゆっくりと息を吐き出した。

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