落ちる斜陽の矛先は



*



 罪びとが罪びとを裁くだなんて、滑稽だわ。


 あなた達、自分だけは正しいと思っているのね。



*






 街道は人の目が多い。

 万が一、シェリアを魔女だと誤認する者と遭遇しては厄介だ──。


 テオドールのそんな判断により、ふたりが進む道の大半は森だった。

 しかし、目的地が街である以上、街道から大きく外れるわけにもいかない。そのため、街道沿いの林や少し離れた平原などを進むのは、いつものことだった。


「──魔物ではないな」


 疎らに木が生えている林の中、街道から姿が見えない程度に入り込んで進んでいた時だ。倒れた何かが見えてきた。

 シェリアを背に庇いながら近づいたテオドールは、それが魔物ではないと知って眉を寄せた。


 魔物ではない。だが、普通の動物でもないのだ。


 顎先に届くほど異様に伸びた牙。

 片方だけが際立って伸び、湾曲した角。

 大きく盛り上がった蹄。どろんと濁った眼球は、赤黒い。


 それは、異形化した動物だった。


「……大丈夫?」


 背後に隠したままのシェリアが声を出す。

 その声は、やはり不安がっている。

 テオドールは、静かに息を吐きながら振り返った。


「ああ。だが、早々に離れるぞ」


 異形の死に方は、狩りによるものではなさそうだ。

 しかし、捕食された痕跡もない。

 病死というには、場所が不自然だ。野生の動物であれば、弱った体で動き回ることなどしない。


「触るなよ」


 恐々と死体を窺う彼女に釘を刺したテオドールは、その手を引いて足早に遠ざかった。歩幅が合わないシェリアは、半ば駆けるようにしてついていく。


 テオドールがその様子に気が付いたのは、死体から幾分か距離を取った頃合だった。


「……ああ、すまない」


 ゆっくりと歩調を緩めて手を離す。

 テオドール自身、気を急いている自覚はあった。

 魔女に襲撃された港街に早く行かなければと思う気持ちは強い。

 異形と化した動物についても、魔女の仕業ではないかと思っている。


 だとすれば、魔女はすぐ近くにいるかもしれないのだ。


「ううん。大丈夫だよ」


 引っ張られる形で後方からついて来ていたシェリアは、やっと彼の隣に並んだ。

 彼女の頭に乗っていたフードは、既に落ちている。

 だが、人の目さえ気にならないのであれば、テオドールとしては過ごしやすさを選んで欲しかった。


 本来、普通の少女として生きる権利があったのだから──。


「お前は、いつもそう言うな」


 いいの、平気、大丈夫だとそう言って頷くばかりの少女は、少し疲れた程度では文句ひとつ漏らさない。元々は魔女だと誤認した自分の落ち度であると考えているテオドールからしてみれば、少し困らせてくれる方が楽だった。


 こうして旅を、それも魔女の痕跡を追う旅を続けていれば、彼女が魔女だと罵られる機会は多い。

 ひっそりと暮らしていれば、罵倒も謗りも中傷も、受けずに済むかもしれないはずなのに、だ。


 テオドールは後悔をしながらも、未だ彼女を置き去りにはできないでいる。


 彼女にとって安全な場所というものが、思い浮かばないせいだった。

 そしてそれを、彼女と離れないための言い訳にしてしまっている。


「だって、大丈夫だもの」

「そうではない場合も、言ってほしいものだが」

「うん。言うよ」


 大丈夫だと笑うシェリアを数秒ほど眺めたテオドールは、ゆっくり前へと顔を向け直した。


 テオドールが彼女と旅を始めた理由は、いくつかある。

 彼女を魔女ではないかと疑う部分が残っていたこと。

 仮に魔女ではないとしても、何らかの繋がりがあるのではないかと考えたこと。

 魔女として狙われやすい彼女が傍にいる方が、魔女の情報を得やすいと思ったこと。


 そして、いつしか別の理由が出来た。

 彼女の居場所を奪ってしまったという、罪悪感だ。


 シェリアと過ごすうち、テオドールの中にあった疑惑はほとんど失われていた。

 それどころか、彼女が魔女ではないように、どうか関係などないように──そう願うようになっている。


「……だと、良いのだが」


 しかし、街を出てからというもの、歩き通しだ。

 それも整備された街道ではなく、多少開けているとはいえ、獣道が伸びている林の中を強引に進んでいる。


 隣に視線を落としたテオドールは、次に木々の枝に遮られた空を見上げた。

 夕暮れが訪れる前に、野営の準備をしたいところではある。


 地図を取り出したテオドールは、大体の距離を確認してからシェリアを見遣った。


「今日のところは一旦休むぞ。明日には港街につくはずだ。街道に下りるが、構わないか?」

「うん。大丈夫だよ」


 ほら、また言ったぞ──テオドールは苦笑いを浮かべて地図を差し出した。


 地図を受け取ったシェリアは、くるくると方向を変えて眺め始める。

 最初こそ地図が全く読めなかった彼女も、今では方角さえ掴めれば分かるようになっていた。


 テオドールは街道から大きく外れないように気を配りながら、周囲に水の気配を探した。草や木々の中に、僅かばかり水の匂いがしている。近くに水源があるはずだ。


 木の幹や大きくせり出した根元を見ても、魔物のものと思わしき痕跡は見つからない。街道に近いためか、はたまた別の理由があってのことか。

 ともあれ、今のところは魔物の気配も痕跡も全くなかった。


「ここにしよう」


 小さな川を見つけたテオドールが声を掛けた時、空は僅かに赤みが掛かり始めていた。

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