金の揺らめきに 2


 図書館の前は騒然としていた。

 燃え上がっているのは、やはり図書館の一角のようだ。しかし、群集が多くて近付くこともままならない。

 今はどうなっているのか。消火の術はあるのか。状況を確認したいところだが、あまり目立つ動きはできない。


「火の気もねえのに、なんで……」

「今までこんなことなかったのに」

「ああ、貴重な蔵書が……」

「中に人はっ?」

「おい! どうなってるんだ」

「火が出たんだよ!」

「怪我人はいないkか?」


 人々が口々に言葉を放つ中、テオドールはシェリアの肩を抱いて引き寄せた。このまま群集が大きくなれば、人混みの波に飲み込まれそうだ。引き返した方がいいかもしれない。


「――魔女の仕業じゃね-か?」


 踵を返しかけたその時、傍らの男が呟いた単語にテオドールは肩を揺らした。

 シェリアを抱き寄せる腕に、自然と力が入る。


「やだ、魔女って何よ?」

「港街で船が燃えたってのがあったろ?」

「待て待て、何だそれ」

「知ってるぞ、商船が燃えたって話だろ」

「あれって本当だったのか?」

「見ちゃいね-けど、逃げて来たって奴から聞いたんだ」

「魔女? なによそれ、悪い魔法使いってこと?」


 燃え盛る図書館の一角をよそに、ざわざわと野次馬の声が広がっていく。小さな動揺は不安を呼び、憶測が更に不安を煽る。人というものは、"知らない"ものに対して恐怖を覚えやすい。

 そして、明確な証拠よりも、漠然とした話の方が広がりやすいものだ。


 ざわざわと。

 まるで、木々のざわめきのように声が上がり、話題が周囲の人々に伝わっていく。


 魔女がいたとしたら。

 港の船数隻を襲ったように、今回もまた軽微な被害に留まっていたとしたら。

 もし、この群集に紛れて眺めていたとしたら。

 混乱と不安が広がる様子を楽しんでいるとしたら。


 可能性は、決してゼロではない。


「テオ……」


 シェリアの声が聞こえたところで、テオドールはハッとした。見下ろせば、自分にしがみつく小さな体はひどく震えている。魔女の話が出たからだろうか。それとも、火が恐ろしいのだろうか。


「シェリア――」


 戻ろう。


 そう告げようとした時、不意に前方の人だかりが割れた。人込みの隙間から差し込んだ炎の色が、彼女の銀色に重なってちらつく。それは斜陽を受けた瞬間と同じだ。


 淡い銀が、薄らと金色に染まる。

 あの魔女と、同じ色のように見えて、テオドールは喉が冷える感覚を覚えた。


 何故。何故、何故──彼女の髪がそう見えてしまうのか。

 これでは、出会ったあの日と変わらない。


「……っ!」


 割れた人だかりの動きが一気に押し寄せて、シェリアの小さな手がテオドールから離れてしまう。

 一瞬の光景に気を取られていたテオドールは、すぐに反応することができなかった。


「シェリアッ!」


 振り返った瞬間にシェリアの姿を見失い、テオドールは慌てた声を上げた。

 押された拍子に転んでしまったシェリアは、寸でのところで地面に顔を打ち付けずには済んだものの人が多くて立ち上がることができない。地面に崩れ落ちた姿勢のまま、蹴られないように身を縮めるばかりだ。


「――あっ」


 ハッと気が付けば、ペンダントがなくなっていた。慌てて胸元に手を当てるが、そこにあるのは紐だけだ。視線を持ち上げれば、少し離れた先に転がっているペンダントトップが見えた。


 しかし、何人もの脚が柱のように周囲を遮るせいで、立ち上がるどころか腕を伸ばすことさえもできない。


「シェリア……ッ!」


 そんな彼女の背を抱いたのは、テオドールだ。抱え込むようにして立ち上がり、人の流れから守りつつ近くの建物へと寄る。壁と自分の身体の間にシェリアを入れて、テオドールはやっと息を吐いた。


 ものの数秒程度の出来事とはいえ、肝が冷えたことは確かだ。


「すまない、シェリア」

「ううん……私が、手を離しちゃったから……」

「いいや、俺が悪かった。大丈夫か? 蹴られてはいないか? 怪我は?」

「うん、大丈夫だよ」


 テオドールは両手でシェリアの頬に触れ、次に身体を見下ろした。転んだ拍子に打ち付けた部分がないか。踏まれた部分はないのか。本当に怪我をしていないのか。

 彼女が無事であることが確認できると、テオドールは深々と息を吐き出した。


「でも、ペンダントが……」


 眉を下げたシェリアの視線を追って人ごみを振り返る。

 だが、テオドールには、落ちたペンダントがどこにあるのかさえも分からなかった。


 ざわめく人の波はまだ落ち着かずにいる。

 宿に戻るにしても、少し待った方がいいだろう。


「落としちゃった……」


 眉を下げたシェリアに視線を戻したテオドールの眉間に皺が寄る。何も彼女のせいではない。そう慰めたいというのに、自分の落ち度が罪悪感を呼んで言葉が出せない。その時だ。


「――……ったく、何が魔女だ。くだらねえ。ただの火じゃねえか。退けッ!」


 荒々しい一言が響き渡ったと同時、人々が言葉も動きも止める。

 急速に静まり返る人々の間を大股に歩いて抜け出してきたのは、ロサルヒドだった。

 不機嫌そうに眉を寄せている彼の傍には、誰も近付こうとはしない。まるで水に油を落としたかのように、彼の周囲、特に進行方向から人がいなくなる。


「てめえら、見世物じゃねえぞ! おい、女子どもは火に近付くな。下がってろッ! おい、若い男共は前に出ろ。とっとと火を消せッ!」


 荒々しい声を上げたロサルヒドは、前に進み出た青年に雫型の水差しのようなものを押し付けた。中に水が入っているようには見えない。

 それで何ができるというのか。

 テオドールが怪訝がっていると、更に進み出てきた別の青年達にも次々と同じものが渡された。


「司書ども以外は家に戻れッ! 煙なんざ吸っちゃろくなことにならねえぞ! 大通りを進め、路地は使うな! さっさと動け!」


 野次馬に向かって声を張り上げたロサルヒドは、近くにいた青年の腕を掴んで歩き出した。大通りへと戻る野次馬の波と、消火活動のために図書館へと向かう一団と、それぞれに分かれる。


 テオドールは建物の間で壁側に身を寄せて小さな身体を庇いつつ、シェリアの様子を見遣った。壁を背にして彼との間で守られているシェリアの視線は、ロサルヒド達へと向いている。


「ただの火だ。魔女なんざ関係ねえよ、ビビんな! 水差しの口を傾けろ!」


 ロサルヒドの号令を受けて、青年達が大きな水差しを傾ければ、たちまち水柱が上がる。どうやら、あれはただの水差しではなく、魔法道具の一種らしい。


 周囲に飛び散る火の粉が水の玉に包まれていく。

 次の瞬間に弾けて空中へと舞い上がったのは、白い泡だった。急速に小さくなる火を眺めながらも、ロサルヒドは「勝手にやめるな、最後まで続けろ!」と声を飛ばしている。


 周囲から人がほとんどいなくなり、火の勢いも弱まった頃、テオドールはやっとシェリアを解放した。


「シェリア、大丈夫か?」

「うん、ごめんね。ありがとう」

「いや……」


 両手をぎゅっと握り締めていたシェリアの身体は、まだ少し強張っている。

 歯切れ悪く言葉を途切れさせたテオドールは、つい数分前まで人込みだった位置を振り返った。すると、彼の傍らから抜け出したシェリアが、数歩ほど進んで急に屈み込んだ。


 そこには、割れてしまった破片と、その中に包まれていた花の残骸があった。


 じっと花の残骸を見つめるシェリアの視界に、誰かの靴が入り込む。顔を上げられないままでいる彼女の前に屈み込んだのは、ロサルヒドだった。


 彼は割れた破片と花の残骸に触れると、ちらりとシェリアを見遣る。

 そして、傍らにいるテオドールへと視線を投げて言い放った。


「――チッ……あーあ、めんどくせえな、お前ら。……仕方ねえ。ついて来い」

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