2.魔女を知る者

花の香りに包まれて 1



*




 永遠に信じてる。

 ずっと、愛しているの。



  へぇ、裏切られ続けているのに?




*






 ミレーナが"花の街"だと告げたその街は、街全体が巨大なドームに覆われていた。街中を行き交う荷馬車も人々も、抱えている荷物の大半を花が占めている。


「すごい……大きな温室……」


 ドームの中に入った直後、シェリアが驚いた様子で周囲を見回した。

 街全体がまるで巨大な温室だ。さまざまな色の花が咲き誇り、整然と並んでいる。ガラスのコップを被せたように、壁も天井も透き通っていた。

 ところ狭しと並ぶ花々は花屋を連想させるが、それよりもずっと密集している。


 テオドールは、ミレーナから去り際に手渡されたカードを見下ろした。

 何か困ったことがあれば、使うといいよ──そんな言葉と共に渡されたカードを懐に入れ、花々に目を奪われている彼女の隣まで歩みを進めた。


「……」


 テオドールは、まるで箱庭のような街だと思った。

 建物の外だというのに、ドームが遮っていて風がない。

 透明なドーム越しに、太陽の光だけが降り注いでいる。

 ここには、雨も入らないだろう。


「すまない。ファムビルという男を知らないか」


 店先で花の束を木箱に詰めていた女性に声を掛けたテオドールは、シェリアが離れてしまわないかと目で追った。

 シェリアは、街に溢れる花を見つめている。


「え? ええ、ファムビルさん? それなら、温室の方ですよ。この道をまっすぐ行って──」


 テオドールは、女性から説明を受けながら示された方向へと視線を転じた。まっすぐに伸びるメインストリート。

 街全体が温室だと彼は感じていたが、どうやら街の者達の認識は違うらしい。女性に礼を告げると、珍しいと笑われた。


 聞けば、直接ファムビルを訪ねる者は、ミレーナくらいなものらしい。この街の、いいや、温室の責任者ならば確かにそうか。トップ同士の商談だと思えば、分かりやすい。


 納得したテオドールは、シェリアを連れて歩き出した。


 賑わう大通りを進んでいけば、赤いレンガの建物に辿り着く。

 レンガ壁の途中からはガラスになっていて、天井に値する部分が半球に覆われていた。


「どうやら、この街は多方面に花を流通させているらしいな」

「ここから……お花を?」

「ああ。季節を問わずに様々な花が手に入る、らしい」


 花を売ることが商売になるとは、テオドールからすれば不可思議な話だった。何せ花など、そのあたりにいくらでも生えている。わざわざ金を払う価値があるかどうか。少なくとも彼は、花に金を出したことはなかった。


 "温室"と呼ばれた建物には扉がなく、入り口は巨大なアーチを描いた空洞になっている。これでは風も雨も入ってしまうのではないかと考えたテオドールは、そもそも街全体が雨風を遮るドームの中なのだと思い直した。


 建物内に入ってすぐに呼び止めてきた女性曰く、ファムビルは不在とのことだ。待たせて欲しいと答えれば、女性は笑って快諾してくれた。


 条件は、ひとつ。

 温室内は好きに歩いて構わないが、落ちていない花には触れないで欲しい──それだけだった。

 中央の道を進んで奥へと向かう。

 ガラスのアーチを超えると、半円を描いたバルコニーを思わせる一間に出た。

 バルコニーの下にもまた、大量の花が咲き誇っている。


「わあ……すごいね……」


 バルコニーを囲う低い柵に触れたシェリアは、少しだけ体を乗り出した。

 まるで二階部分から見下ろしているような高さだ。柵は、シェリアの胸元程度の高さしかない。

 テオドールはやや気に掛けながら、溢れかえる緑を眺めてから視線を戻した。


「どのように維持しているのだろうな……」


 魔法道具だろうか。

 ガラスのドーム自体は珍しくないが、これほど大規模なものは見たことがなかった。テオドールの呟きに反応して、シェリアが振り返る。


「どうやって……」


 シェリアは魔法に疎い。

 そもそも、知識がなかった。

 魔法道具にもろくに触れたことがなく、テオドールのように剣術を学んだこともない。とはいえ、魔法は剣術とは異なる。

 魔法使いは、魔法使いの親からしか生まれない。

 もっとも、魔法使いが親だからといって、子供が魔法を使えるとは限らなかった。


 シェリアは、自分の親を知らない。

 魔法使いだったのか、どうなのか。

 それが分からない以上、魔法の可能性については謎のままだ。


 少なくとも、テオドールの身内には魔法使いがいない。

 二人にとって判明している事実は、その程度だった。


「──……あっ」


 シェリアが小さな声を上げた。

 誘われるようにテオドールもまた、下に広がる花の光景を見下ろす。


 花々が、まるで風に撫でられているかのように揺れている。


 その時、二人の背後に靴音が響いた。


「待たせてしまって申し訳ないが」


 そのような言葉と共にバルコニーにやってきたのは、黒髪の男だった。二十代後半と思わしき男に振り返るなり、テオドールはすぐに体を向け直す。少し反応が遅れたシェリアは、柵から手を離して慌てた調子で振り返った。


「用件は手短に……──」


 そのように言いかけた男は、視線を持ち上げると同時に言葉も動きも止めた。

 青い目が、まっすぐにシェリアを見つめている。


 テオドールは、少し警戒を強めた。

 その反応が何を意味するのか。彼は知っていたからだ。


 手元に抱いていた花が一輪ばかり抜け落ち、足許でかさりと音を立てたことによって男は我に返った。


「……私はファムビル。この温室を管理している者だ。君達がテオドールとシェリアか」


 ゆっくりとした動作で花を拾い上げた男──ファムビルは、花びらに傷がついていないかを眺めた。そして、名前が知られていることに警戒を強めるテオドールに向かって、一枚の便箋を取り出す。


「ミレーナから大筋は聞いている。……魔女の、ことか」

「ああ」

「成る程な……」


 男はしげしげとシェリアを見つめた。

 その無遠慮な視線に、テオドールの目つきが少々険しくなる。


「──ああ、確かに。魔女とよく似ている」


 ファムビルの言葉に、シェリアはびくりと肩を震わせた。

 何度言われても、慣れない言葉だ。

 途端、テオドールが前に一歩踏み出した。


「……っ、テオ、いいの」


 何事か口にしようとしたところでシェリア当人に止められた。そうなれば、テオドールは引かざるを得ない。


 シェリアは、制止のためにテオドールに触れた手を静かに下ろした。そして、ゆっくりと息を吸う。

 緊張感はあった。いつもそうだ。魔女の話をする時は、胸が痛いほど心臓が騒ぎ立てる。


「……あの、……それはやっぱり、顔のこと、ですか」


 ぞわぞわと落ち着かない。

 こみ上げる緊張感には、慣れられそうにもなかった。

 シェリアは、震える声で問いを投げ、少し遅れてから視線を持ち上げていく。


 "魔女"――と、そう口にする人々は恐怖か憎悪を向けてくるものだ。

 しかし、ファムビルは少し違った。

 彼はただ、シェリアを見つめているだけに過ぎない。


「……そうだな。声もよく似ている。……が、別人であることくらいは分かる」


 淡々とした受け答えだ。

 ただ、事実を述べているだけなのだろうとシェリアには思えた。

 気を遣っているわけではない。それが、むしろ有り難い。


「魔女を、見たことがあるのか」


 テオドールが耐え切れずに声を放つ。

 シェリアの肩が少し震えた。


 魔女。


 魔女。


 魔女。


 その言葉の響きに滲むのは、いつだって憎悪なのだ。


「……あるとも」


 ファムビルはシンプルな肯定と共に、視線をテオドールへと転じた。


「故郷を焼き払った女の顔を、見間違えるものか」

「……襲撃を受けたのか」

「ああ、十六年前のことだがな。……弔いのために育てた花が、今はこの通りだ」


 そう言って、ファムビルは腕に抱いた花の束を軽く揺らした。

 鮮やかな色で咲き誇る花──家族の墓石にそれを供えたのは、もう何年も昔のことだ。テオドールは、かつての故郷を思い出して息を漏らした。


「お前もなんだな」


 ファムビルは、テオドールに向かって言葉を投げた。

 シェリアが見上げてくる視線を感じながらも、テオドールは答えられない。

 しかし、ファムビルは気を悪くした様子もなかった。

 彼はただ、淡々としている。


「──明日。また来てくれないか」


 ファムビルは花束を抱え直すと、静かに声を落とした。


「魔女の話だろう。夕方以降に訪ねてくれ」


 彼の言葉に、二人は頷くしかなかった。

 シェリアの眼差しを受け止めて、テオドールがゆっくりと歩き出す。

 その後ろにシェリアが続けば、ファムビルは静かに言った。



「……お前ではないな」



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