淡い銀が意味するところは 1



*



 なんて無様なの。


 あなたって、死ねないだけの生き損ないなのね。



*






 宿から連れ出されたテオドールとシェリアは、大きな屋敷へと招かれた。

 通されたのは広々とした応接間で、柔らかなソファに座らされたシェリアは、ひどく落ち着かない様子だ。先ほどから、膝の上に乗せた手を開いたり閉じたり、手を重ねたり離したり、そんなことばかり繰り返している。


 一方のテオドールは、彼女が座っているソファの後ろに立ち、大きな窓から外を眺めつつ、室内の様子や周囲から届く音を窺っていた。特にこれといって不審な様子は見受けられない。とはいえ、警戒するに越したことはないだろう。


「……テオ」

「どうした?」


 じっと外を見つめていたテオドールは、呼ぶ声に応じて視線を戻した。

 シェリアは不安が強いのだろう。やはり落ち着かない様子でいる。


「……あの女の人は、知っている人?」

「いいや、知り合いではない。だが、港で少し話をした」


 シェリアの問いに、テオドールは首を振った。

 客人だなどと言って庇われた理由を、彼は答えられない。

 何も心当たりがないためだ。


 だが、テオドールとしては、あの場から逃してくれたこと自体はありがたかった。


 あのまま混乱が続けば、暴徒と化した彼らに剣を向けていなかったとは言い切れない。もし、そのようなことになってしまえば彼女は深く傷つくだろう。

 心か。あるいは身体か。

 どちらが傷ついても厄介だ。テオドールは、それをよく知っていた。


「……シェリア」


 沈黙に耐え切れず、テオドールは静かに口を開いた。


「……何故、あの場所に?」


 扉を開けないように、誰が来ても出ないように。

 それは、散々言い聞かせてきたことだ。

 彼女の性格からして、自主的に外へ出たとは考えにくい。


 テオドールは、努めて責める口調にならないよう気を配りながら問いかけた。

 その努力が実ったというべきか。シェリアは、不安がっている様子ながらも彼に視線を向け直した。


「お姉さんが入って来て……逃げた方がいいって、言われて……」

「……受付の女か?」

「……うん。だけど、人がたくさんいて外に出られなくて……だから、隠れたの」


 彼女を連れ出したのは、受付の女性だったようだ。受付ならば、合鍵を持っているとしても納得がいくところではある。

 頷いたテオドールは、何事もなくて良かったと胸を撫で下ろした。それは、受付の女性に関しても同じだ。


 もし、あの女性が巻き込まれていたら。

 この優しい少女が心を痛めることは確かだろうと、テオドールには思えた。


 何の被害もなくて、良かった──。


「……」


 ──テオドールは、僅かに眉を寄せた。

 確かにこれといった被害はなかったが、では、尚のこと、あの騒ぎは何だったのだろうか。


 何者かが、あの宿に魔女がいるという噂を人々に広めたには違いない。港街という場所を考えると、単純に余所者を珍しがる土地柄ではないはずだ。ならば、騒ぎが再燃する火種があったと考える方が自然だろう。

 もし、誰かが密告したのなら。あるいは、吹聴したのなら。


 誰が、何のために。

 あるいは、理由などないのか。


 肩を竦めたテオドールは、音もなく息を逃した。

 誰かが意図的に仕掛けたにしては、あまりにもお粗末だ。特に彼女を狙ったのだとすれば、もっとやり方があるだろう。それも、あの場に彼女がひとりでいる時間が分かっていたのなら。


 テオドールはそう考えて、ソファに座る少女を見下ろした。

 銀色の瞳が、不安げに揺れている。


「──……シェリア。大丈夫だ」


 テオドールは努めてゆっくり、そして声が深刻にならないように心掛けた。

 彼女の不安は、当然だろう。それは、テオドール自身も理解している。


「確かに港で話をしただけだが……おそらく、あの女性が船の持ち主だろう」


 そうでなければ、鶴の一声であの場が収まったことに説明がつけられない。仮に違ったとしても、権力者であるには違いないだろう。


 テオドールが彼女の隣に立ったタイミングで扉が開かれ、例の女性が入ってきた。


「悪かったね、待たせちゃって」


 笑みを浮かべた女性は、そのまま真っ直ぐに二人へと近付いていく。

 そして、テーブルを挟んで対面のソファに腰を下ろし、未だ立ったままでいるテオドールを見て首を傾げた。


「……テオ」


 先に声を出したのは、シェリアだった。

 不安そうに呼びかけたが、明確な言葉は使わない。

 隣に来てほしいと言わないのは、彼が嫌がるかもしれないと思ってのことだ。


 テオドールは頷きをひとつ返したあと、少女の隣に腰を下ろした。


「──さて」


 ふたりがソファに座り直せば、女性は少し前のめりの姿勢になった。


「自己紹介が遅れて申し訳ないね。私はミレーナ。このあたりを取り仕切ってる商人さ」


 名乗る声を前にして、テオドールは特に驚かなかった。

 むしろ、推測が正しかったと安心したほどだ。

 シェリアの方はまだ事態が飲み込めていない様子だが、テオドールの安堵が伝わったことで肩から力を抜き始めている。


 ふたりの様子を眺める女性の目が、笑うように少し細くなった。


「アンタ達の名前を聞いても構わない?」


 その言葉にふたりはどちらからともなく、顔を見合わせた。

 名前を告げたとしても、直接の不利益があるわけではない。


 ただテオドールは、シェリアの名前を広めることには気が進まなかった。


「……俺はテオドールだ」


 低い声で彼が名前を口にすると、女性の視線がシェリアに向いた。

 当然の流れだろう。

 テオドールは、膝の上で震えている小さな手を見つめた。


「……シェリア、と、いいます」


 やがて、シェリアがゆっくりと、小声で自己紹介をした。

 彼女はなかなか視線を、それどころか顔を上げられなくなっている。

 単に初対面である女性に緊張を覚えている──わけでは、なかった。

 怖いのだ。

 ただ、怖かった。


「ふぅん?」


 怯えているシェリアと、その傍らで自分を窺うテオドール。

 それぞれを見たミレーナは、意味深な笑みを浮かべた。


「テオドールに、シェリアだね。──ね、シェリア」


 二人の名前を繰り返したあと、ミレーナは合わせるように小さな声で彼女を呼んだ。 


「アンタの髪。銀色なんだね?」


 その言葉を受け、シェリアは弾かれたように顔を上げた。

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