巡り合うための 4


 一度日が傾き始めれば、急速に暗さが増していく。室内から外の様子を窺うテオドールを見つめながら、シェリアは困惑を深めていた。


「……テオ」

「どうした」

「……どうして、その、ここだってわかったの?」

「ああ……」


 シェリアの問いに、テオドールはゆっくりと視線を戻した。

 そして、差し出した形のままだった地図を戻しながら「女の単独行動は目立つ」と告げる。


「それが、お前のような年頃であれば尚更だ」

「……聞いたの?」

「いいや」


 シェリアの問いに、テオドールは首を振る。

 少女を探している――などと、あまりあちらこちらで触れ回るわけにはいかない。 宿場町では連れを探しているという形が取れたが、あの方法でさえも実際は好ましくないものだ。余計な動きがあらぬ誤解を生まないとも限らない。


「人買いに会ってはいないか?」

「……ひ、人買い?」


 その問いに思わず身を強張らせたシェリアは、声を掛けてきた男を思い出した。


「会った、かも……」

「物騒だと噂になっていた。それがお前だと確信はなかったが――」


 テオドールはちらりと彼女を見遣った。

 本来であれば、そのような場合は人の多い場所に逃げ込む方が良い。

 できるだけ、ひとりにならない場所か、せめて相手が入りにくい場所を選ぶべきだ。


 大通りを抜けて広場を抜けて、その先へ。

 そのような逃げ方は、あまりにも得策ではない。

 では、どうしてそうやって逃げたのか、だ。


「――人目を避けるように逃げたと聞いた。だから、可能性は高いと踏んだ」


 そう告げながら、テオドールはゆっくりと息を吐いた。

 助けを求めるべきだ。本来であれば。

 そうしなかった。あるいは、できなかった。

 人買いに狙われて逃げ出したと噂された子どもの行く先にしては、空き家ばかりの路地は違和感がある。

 少なくとも、テオドールはシェリアではないかと思ったのだ。


「……それだけだ」


 やがて、外から薄く入り込んでいた夕日が途切れる。

 そのタイミングで、テオドールは手を差し出した。


「ひとまずは、一緒に来てくれないか。話がしたい」

「……うん」


 おずおずと彼の手を取ったシェリアは、まだ少し困惑している様子だ。

 だが、その困惑は彼の手を振り払えるほど強いものではない。


 揃って立ち上がったふたりは、暗い室内を慎重に歩き始めた。

 廊下に出たテオドールが向かったのは、シェリアが入り込んだ表の玄関ではない。

 裏手の勝手口まで回り込み、そっと扉を開いた。

 外には誰もいない。

 そして、周囲の家には灯りがついていなかった。


 扉を潜り抜けて囲いを越えると、すぐに森が広がっている。


「少し危険だが、抜けるだけだ。大丈夫か?」

「……うん。大丈夫だよ」

「わかった」


 シェリアを見下ろして確認したテオドールは、荒れた道へと入り込んだ。

 薄暗い森は危険だが、奥まで入り込むつもりはない。

 ほどなくして旧街道が見えてくると、テオドールは僅かに息を漏らして肩から力を抜いた。


「……シェリア。ひとつ確認がある」


 そして、彼女の足元を気にしながら手を引き、森を抜けたあたりで声を掛けた。


「――カディアンという男を知っているか?」

「カディアン?」


 枝や雑草に引っ掛からないように足元を気にしていたシェリアは、唐突な問いに目を瞬いた。そして、少しだけ困惑した様子を見せる。


「……うん。知ってるよ」

「そうか」


 小さく頷いたテオドールは、繋いだ手を更に引いた。

 旧街道は狭く、少し道が荒れている。

 だが、小さな町や村がある為に、行き交う馬車は多い。


 テオドールに手を引かれるがままに歩き出したシェリアは、少し離れた位置に停まっている馬車に気が付いた。

 街の入り口からずれた位置にいるあたり、乗り合い馬車ではなさそうだ。

 幌が張られていて、一見すると荷馬車にしか見えない。

 見上げた先、テオドールの横顔は少し強張っていた。


「――テオ……」


 シェリアは不安そうに眉を下げた。

 疑っている訳ではない。

 だが、彼が何を思っているのか分からなかった。


「……ああ、すまない。あの馬車に乗せてもらったんだ」


 不安がっている様子に気が付いたテオドールは、少しばかり歩調を緩めた。

 そして、握っている手の力を少しばかり抜く。

 何も、無理やりに連れ去りたいわけではない。

 恐ろしい場所に連れて行きたいわけでもない。


 彼女を不安がらせることは、テオドールにとっても不本意だった。


「宿場町でカディアンと名乗る者がお前を探していた」

「カディアンが……?」

「ああ、それで――」


 テオドールがゆっくりと視線を転じる。

 すると、距離を詰めた馬車の御者席から、ひとつの影が地面に降り立った。

 同じように視線を投げたシェリアは、少し驚いた様子だ。


「カディ……!」

「シェリア!」


 駆け寄ってきた少年の名前を、シェリアは確かに呼んだ。

 それでやっと確信を持てたテオドールは、その小さな手を解放した。

 このふたりは、確かに知り合いなのだ。


 少年――カディアンは、シェリアの前で立ち止まるなり、その華奢な身体を抱き締めた。


「ああ、良かった……良かったよ、シェリア。やっと会えた!」

「ん、私のこと、探してたの……?」

「当たり前だろ! 連れて行かれて、どうなったのかと思ってた。……ああ、シェリアだ。本当に、無事で良かった!」


 抱き締められたシェリアは少し困った様子でいるものの、嫌がる素振りはなくカディアンを受け入れている。そんなふたりの様子を眺めていたテオドールは、「乗るぞ」とだけ声を掛けた。


 シェリアを解放したカディアンは、テオドールに一瞥を向ける。

 それから、彼女に向き直って小さな頷きを向けた。


「僕らはふたりで御者席に乗るよ。シェリアは後ろ――ちゃんと座席にしてあるから、安心して」


 こっちだよ、と誘うカディアンに連れられて、シェリアは荷台の方へと歩み寄っていく。そして、一足先に御者席へ乗り込んだテオドールを見たものの、目が合うことはなかった。

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