巡り合うための 6


「――ミレーナと知り合いなのか?」


 行商会の検問を通り抜けてしばらくすると、カディアンは興味津々といった様子で首を傾げた。


「ああ」


 テオドールの肯定はシンプルだ。

 詳しいことを話す気になれないのは、魔女絡みの話になるためだった。

 何となく荷台に意識を向けてみたが、シェリアは変わらず大人しくしている。


「ほんとうか!? おい、それってすごいことなんだぞっ!」


 何とも思っていない様子のテオドールに、カディアンは語尾を強めた。


「ミレーナって言ったら、有名人だろ。ガレキの山を街にしたって凄腕の商人だって話だぞ!」


 先ほどまでの緊張感が興奮に転じたのかもしれない。テオドールは、隣にいる少年へと視線を転じた。

 馬を操っているカディアンは前を向いたままだが、どことなく高揚しているようでもある。


「しかも、アジュガの支援までしてくれてるんだからな。なぁ、シェリア!」

「……そうなの?」

「えっ、知らなかったのかよ?」


 急に話を振られたせいだろう。

 荷台にいるシェリアは、困惑した声を返した。

 対するカディアンは、その反応が予想外だとばかりに肩を揺らす。


「アジュガ孤児院の支援者リストに載ってたぞ。ガキの頃に言われたことあったろ?」

「う、うん……」

「あっ、でも、そうか。リストの方は家の名前だったかも」


 カディアンは肩越しにシェリアを振り返ろうとしたが、幌が半ばほどまで閉じられていて見えない。ほどなく諦めて前を向くと、少しばかり考える仕草を見せた。


「えっと、ひいじいさん? だったかな。慈善事業を継いだって。すごい人だよなぁ」


 心底から感心したように呟くカディアンに対して、シェリアは戸惑っているようだ。その戸惑いを感じ取ったテオドールは、彼女の様子を気にしながらも話には入らない。


 ひとしきり感心したカディアンは、やがて「あー」と間延びした声を漏らした。


「アジュガのみんな、心配してるぞ」

「……うん。ごめんね」

「無事だったからいいんだ。ただ――」


 そこで言葉を切ったカディアンは、ちらりとテオドールを見た。

 視線を受けたテオドールの腕が、少年の手元から手綱を受け取る。


 するとカディアンは、すぐさま御者席から後ろの荷台へと入り込んだ。

 そして、シェリアが腰掛けている座席の隣、荷台の床に腰を下ろした。


「……なんで、帰ろうとしなかったんだ?」


 その問いはもっともだろう。

 孤児院から連れ出され、のちに港街へと辿り着いたシェリアは、そこで働いていた。そう、彼女がいたのは港街だった。


 そこから出ている船で、対岸のアジュガに渡ることができる。自力で森と山を越えることはできなくても、船に乗ることくらいなら可能だったはずだ。

 しかし、彼女はそうしなかった。


「……ごめんね」


 責められているように感じたのだろうか。

 シェリアは、消え入りそうな声を出した。


「あ、いや、違う! 違うって! なぁ、謝るなよ」


 慌てて否定したカディアンは、困ったように眉を下げた。

 謝罪を聞きたいわけじゃない。

 本当に知りたかったのは、彼女の気持ちだ。


 カディアンは、やや遠慮がちに問い掛けた。


「……もしかしてさ。気にしてる?」

「え?」

「アイツらが言ってたこと。あんなの、嘘だよ。似てるからって、そんな、いくらなんでも言いがかりだろ」


 アイツら――彼女を孤児院から連れ出した男達のことだ。目の当たりにしながら、カディアンは何もできなかった。

 叫んでも喚いても、馬車に放り込まれる彼女に触れることさえもできなかったのだ。


 あの時。

 伸ばした手は、届かなかった。


「シェリアが魔法を使ったわけじゃないのに、顔が似てるからって、あんまりだ。アイツらが悪いよ」


 カディアンはシェリアの手を取った。今なら触れることができる。今なら、守れるのだと思えた。握ったのは、小さな手だ。ほっそりとした指は頼りない。


 彼女のその手を、カディアンは両手でしっかりと握り込んだ。


「シェリアは悪くない。悪いのはアイツらだ。だから、帰っておいでよ。遠慮することないんだから」


 連れ帰る――カディアンは、テオドールにそう言った。

 彼女が連れ去られてから、ずっと探し続けていたのだ。

 帰りたがらないのではなくて、帰れなくなっているのではないかと。


 そう考えて、何ヶ月も何ヶ月も探し続けた。


 その結果がこれだ。

 魔女だと罵られて逃げ回り、魔女を探す男と共に旅をしているのだと知った。


 カディアンとしては、それはまるで傷口に塩を塗る行為だとしか思えない。

 魔女ではないのに。魔女だから、なんて。

 そんな理由で彼女が辛い思いをする必要などない。


 アジュガに戻れば、孤児院のみんなは歓迎してくれるはずだ。

 だって、みんな親なしで、小さい頃からずっと一緒だった。

 彼女が恐ろしい魔法を使ったところなんて、一度も見たことがない。

 アジュガから出たことも、一晩帰らなかったことすらない。そんな彼女が、どうして街を荒らして、木々を焼き払って、人々を手に掛けることができるだろうか。


 カディアンはこれ以上、彼女に傷付いて欲しくなかった。


「……ごめんね」


 しかし、シェリアは緩やかに首を振る。


「どうして? 誰も気にしないよ。大丈夫だって」

「……でも」

「大丈夫だって。何も言われたりしないから。ね?」


 カディアンがあまりにも言葉を繰り返すものだから、シェリアは困った様子で押し黙った。荷台から聞こえるやり取りは、そこで一度途切れてしまう。


 ふたりの声に耳を傾けながら手綱を握るテオドールは、静かに空を仰いだ。


「……」


 カディアンの言う通りだろう。

 似ているから、などと。

 そんなあやふやで曖昧で不確かな理由で、彼女が責め立てられる謂れなどない。


 話を聞いた当初は、彼女を連れ出した馬車の男達に憤ったものだ。

 しかし、自分もまた、そんな男達と同様だったのだと思えば、ふたりの会話に言葉を重ねることはできなかった。


 彼女に居場所があるのなら、そしてカディアンが本当に守ってくれるのであれば──シェリアを、アジュガに帰してやるべきなのかもしれない。


 頭上で瞬く星を睨みつけるように見つめたあと、テオドールは腹の底に溜まった罪悪感の一部を、後悔を、葛藤を、溜め息として吐き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る