八章 when
8-1
2019年4月。
指示通りの幼稚園に就職することが出来た。大した経歴も無い私が就職出来たのはあの男の影響だろう。事前に連絡があったらしく、男の親戚として扱われ面接もそこそこに採用となった。
入園式では、去年は歌を送られる側だった上級生が、ステージ上で大きな手振りや、体を揺らしながら歌っている。
子供達の成長に感極まり、思わず涙を流す保護者も見受けられる。
その中にはかつて、身を焦がす程に愛した男もいた。
式は滞りなく進み最後に新任教諭の自己紹介となった。
ステージ横にある司会台に向かい歩いていく。
「ご入園おめでとうございます。今年から赴任します、加賀池真記です。一時期職を離れていましたが地元でまた、皆さんと一緒に楽しく学びたいと思います」
一瞬、男とその横にいる妻であろう女と目が合う。
「保護者の皆様も……よろしくお願いします」
言葉が詰まりそうになり、持ち時間を随分と余して言葉を結んだ。
マイクを下ろし園児、保護者に向かい一礼をする。
皆一様に頭を下げ、入園式は終了した。
式の後、保護者は簡単なオリエンテーションがあるらしく、先に教室へ移動となり園児はホールの片付けを行うようだ。
人が行き交うホール内で目当ての園児を見つけ出す。
「……花蘇芳ちゃん。先生初めてで分からないから一緒にお片付けしてくれないかな?」
振り返り駆け寄ってくる。私を見上げるその顔は、あの雨の日に見た女の顔によく似ていた。
元々、父親の参加が少なかった為、公平は居場所を失い牡丹に目配せして、外に出ることを伝えた。
外の空気を吸い軽く背伸びをしながら
「しかし凄いなぁ………やっぱり皆、我が子は可愛いもんなんだなぁ。自分の子供の話しかしてなかったもんなぁ……。まぁでも、花蘇芳が一番だったけど」
などと、独り言で親馬鹿を発揮していた。
「おとーさぁーん!」
振り返ると花蘇芳が走り寄って来ていた。勢いよく飛び込んでくる息子を抱き上げると後から、1人の教諭が近付いて来た。
「あ……すいません。お父さん見つけたら走り出しちゃって……」
先程、紹介された新任の教諭だった。
「こちらこそすいません。まだ終わってないんですよね? 飛び出して来ちゃったんでしょ? ご迷惑かけて……」
息子を降ろし一緒に頭を下げようとする。
「いえ、もう終わりまして、今から親御さんをお呼びするところでしたので、カズオちゃんが一番乗りでしたよ」
薄く微笑み花蘇芳を見つめる。
「すごいですね……もう子供達の名前覚えられてるんですか?」
息子の名前をすんなり言えた教諭に驚いた表情の公平。
「あ、いえ……カズオちゃんと、さっきまでお話してたんですよ。お父さんのこと大好きみたいですね。いっぱい自慢してくれました。ですから……正直まだ4人くらいしか覚えてません……」
そう言うと教諭は少し照れくさそうに俯いた。
「でも、初日にそれだけ覚えられるなら凄いですよ。僕はできるかなぁ……先生の名前も忘れちゃったし……」
「あ……加賀池、加賀池真記です。今度は覚えて下さいね」
真記が少し悲しそうな顔で再度自己紹介をする。
その顔に申し訳なさを感じた公平は、必死に取り繕おうとした。
「あ、ごめんなさい。そんな意味じゃなかったんだけど……えっと、加賀池先生ですね。大丈夫! もう覚えました。だからそんな悲しそうな顔しないで下さい」
焦る公平を見て、懐かしくなりつい微笑んでしまう。
室内を覗くと牡丹と目が合った。
「あ……それじゃ、中に戻りますね。息子連れて行っても大丈夫ですか?」
花蘇芳の手を引き室内を指差しながら真記に訊ねる。
「はい。大丈夫です。カズオちゃん、明日からよろしくね。では失礼します」
息子に両手で手を振り、公平に向き直り会釈をして去っていく。
室内に入ったことを確認し、10年前と変わらない公平に再び胸を踊らせていた。
顔を変え、名前も母親の旧姓を使っている。恐らく公平に気付かれる事は無いだろう。それでも公平には自分の事を気付いて欲しいと思ってしまう。
例えこの先、花蘇芳を誘拐する犯人が自分だとしても。
入園式の15時間前。
昨年男の依頼を受けた後、地元へ戻る事になりアパートを提供してもらっていた。
術後の日課になっている、公平の投稿画像をチェックしている時だった。
部屋のチャイムが鳴る。今の自分を訊ねてくる人間など一人しかいない。
確認もせずに扉を開けると既に見慣れた男が立っていた。
「おう。邪魔するぞ。なかなかいい部屋だな。こんなとこにタダで住めるなんて儲けもんだな」
男はニタニタと笑いながら部屋へ上がり込んで行く。
「……今日はなんですか? 急に来られると少し困ります……連絡もらえれば伺いますから」
「あ?」
その一言で畏縮してしまい、何も言えなくなる。
「まぁそんな邪険に扱うなよ。今日は子供の写真を持って来たんだ。見せてなかっただろ? 実行日はまた連絡するが、勤務中もこいつから目を離すなよ」
男から一枚の写真を手渡され確認する。
「--っ」
瞳孔は開き、その場の空気全てを飲み込むかのように息を吸い込んだ。
「この子……ですか?」
「そうだ。可愛いだろ? 俺には似てないけどな」
男は口を開けて笑い、煙草に火を着ける。一口吸って煙を吐き出す。
「名前は、花蘇芳だ。明日からお前が担任になる。いいか? 指示を出すまで目を離すな。そいつがお前の借金帳消しと俺の明るい未来を握ってるんだ。大事に扱ってくれよ」
その写真の笑顔はほんの数分前に画面上にあるものと同じものだった。
「……私やっぱり出来ません」
刹那、髪を掴まれ俯いた顔を無理矢理上げられる。目の前にある顔は煙に包まれ、さながら憤怒にまみれた鬼の様だ。
「お前が今、ここにいるのは誰のお陰だ? その綺麗な顔は誰が金を出したんだ? 今すぐ返せる金額か?」
掴んだ頭を前後に揺さぶられる。過去の経験がフラッシュバックする。
呼吸が乱れ、上手く吐き出す事が出来なくなる。
「ちっ……」
男は乱暴に掴んだ髪を手離し、床へ引き倒す。煙草を揉み消し、
「お前はやるしかないんだよ。出来るよな?」
既に気力も尽き果て、頷く事しか出来なかった。
「よし。聞き分けのいい奴は嫌いじゃないぞ。母親の方には伝えておくからな。いいか……変な気起こすなよ」
男は再度、煙草に火を着けドアへ向かう。
「じゃ、頼んだよ。先生」
逃れる事が出来ない運命を恨んだ。
なぜ自分なのか。
なぜ花蘇芳なのか。
なぜ、公平なのか。
意識が朦朧とし、次に目を開いたのは入園式の朝だった。
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